わくわく報告 私のエッセー この人・この本 池田リーフ リンク集
◆この人、この本

『貧困襲来』   湯浅 誠 ・山吹書店・2007年

 そして最後には、変えたい。人々が普通に暮らしていける社会に変えたい。<貧困>のない社会に変えたい。

 いくら働いても暮らしが成り立たないような社会は、どうかしている。まじめに働いても会社の都合で勝手にクビにされて、食うや食わずの状態に追い込まれ、どんな条件でも黙って従わないといけないような、奴隷状態に追い込まれるのが当たり前になっている社会は、どうかしている。1億も2億ものお金を持っている人間が増える一方で、年収100万円にも達しないで、ご飯のおかずを一つ二つと削らないといけないような<貧困>が広がっていく社会は、どうかしている。…

 私たちの生活再建は、社会の再建なくしてありえない。今の「底辺に向かう競争」がますます強化されていく状態をそのままにして、自分だけ浮かび上がることは、多くの人にとって、現実的には起こりえない。「この社会の流れは止められない」とあきらめてしまえば、自分に残された選択肢は「自分だけはなんとか生き残ってみせる」しかない。しかしそれは、社会そのものを変えるよりも難しい選択だ。だって、100人に一人、1000人に一人しか勝ち残れない競争をやる、ということなのだから。


『子どものうつ ― 心の叫び』    北海道大学助教授・児童精神医学 傳田健三

 近年うつ病が増加し、人類の5〜6人に一人が一生のうちに一度はうつ病にかかる時代になったということは、何を意味しているのでしょうか。それは病気というよりも,社会や文化の変化に対する「からだの防衛反応」あるいは「順応のための準備期間」と考えた方がよいのではないでしょうか。すなわち、現代の社会・文化の変化に対して、からだが「少し休みたい」、あるいは「適応への準備のために少し時間がほしい」と訴えている状態と言えるのかもしれません。

 社会・文化の変化に対して、新しい生き方を真正面から問われているのは、実は現代に生きる大人たちなのです。現代の社会構造の破綻、経済の停滞、教育制度の限界などに対してさまざまな改革が行われていますが、具体的な将来像が指し示されているとは言えません。大人たちは、いまだにこれからの新しい生き方を見出していないというのが現状です。

 子どもたちや若者たちが新しい生き方を模索すると、今回のような抵抗や反発に出会うことが少なくありません。それもまた乗り越えていかなければならない壁ともいえるし、大人にとっても自らを見直すきっかけにもなるのです。本書のまえがきにも書いたように、「子どものうつ」とは、大人たちが指し示すことができない未来を、子どもたち自身が懸命に切り拓いている姿なのかもしれません。私たち大人も、子どもたちに学ぶところが少なくないのではないでしょうか。


『ルポ貧困大国アメリカ』(堤未果著 岩波新書)

 「教育」「いのち」「暮らし」という、国民に責任を負うべき政府の主要業務が「民営化」され、市場の論理で回されるようになった時、はたしてそれは「国家」と呼べるのか?私たちには一体この流れに抵抗する術はあるのだろうか?単にアメリカという国の格差・貧困問題を超えた、日本にとって決して他人事ではないこの流れが、いま海の向こうから警鐘を鳴らしている。

 一つの国家や政府の利害ではなく、人間が人間らしく誇りを持って幸せに生きられるために書かれた憲法は、どんな理不尽な力がねじふせようとしても決して手放してはいけない理想であり、国をおかしな方向に誘導する政府にブレーキをかけるために私たちが持つ最強の武器でもある。それをものさしにして国民が現実をしっかりと見つめた時、紙の上の理念には息が吹き込まれ、民主主義は成熟しはじめるだろう。

『日米同盟と戦争のにおい―米軍再編のほんとうのねらい』(新原昭治著 学習の友社)

 とくに、著者メノン氏の分析に強く共感したのは、アメリカとの同盟のもとで生きる同盟国指導者について、同盟の存在が彼らを「幼児同然にさせている」と痛烈に指摘した部分です。メノン氏は書いています。「同盟はなくすことができる。それだけではない。同盟は障害物になっている。というのは、同盟は米国内での創造的な戦略思考を妨げているからであり、同時に、米国の影のもとに生きる同盟者たちを幼児同然にさせているからだ。」そう指摘した上で、同氏は、「同盟の終焉が不幸をもたらすという考えを私は受け入れない」とはっきり述べています。


『新自由主義の犯罪』(大門実起史著・2007年・新日本出版社)

 「いま新自由主義という怪物が、日本中を闊歩しています。それは市場万能をとなえ、一部の大企業のもうけを最大化することを目的としたイデオロギーです。

 そのもとでは、『生き残り』という言葉が軽々しくもちいられ、家族をかかえた社員を容赦なくリストラしたり、青年をいつまでも臨時雇いのままにして平気な経営者こそ立派な経営者とみなされ、人間の尊厳はいともたやすくふみにじられます。人間の尊厳とは、だれもがたった一度の人生を生きているかけがえのない存在であるという認識です。人間にとって自分の存在を否定されることほどつらいことはありません。しかし、新自由主義は人間をただのコスト(経費)とみなし、平然とそれを否定するのです。」


『ガラスの地球を救え―21世紀の君たちへ』(手塚治虫・1989年・光文社)

 「科学の進歩は、本来人類に幸福をもたらすはずだったものです。ところが、いまでは地球を痛めつける悪い奴になってしまった。かつて荒唐無稽だと笑われたこともあるぼくの漫画どころの騒ぎではおさまらない、危機的状況といわざるをえません。

 『鉄腕アトム』で、ガロンというロボットが口から毒ガスを吐き出すのをやめさせるために、ばかな軍人が水爆を使ってガロンを破壊しようとするシーンを描いたことがありましたが、なんと、いまや現実のほうが、マンガの世界を超えてしまっています。

 放射能による食物汚染もさることながら、薬品による汚染も相当なものだといわれています。しかも、その理由は大量生産して儲けを多くするためでしかない。そんなばかなことが、えんえんと続けられてきているのです。

 生産性を上げるために人類の寿命を縮めるなど、本末転倒もはなはだしいことを否定できる人間はいないにちがいありません。」


『地区の人々 ―火を継ぐもの―』 (小林多喜二・1933年の絶筆)

 「地区」に仲間をつくるために駆けずり廻っていたとき、彼はやがて眼をみはったことは、「火を継ぐもの」は自分ばかりではないということだった。たとい、どんな大きな弾圧があって半年も一年もの間少しの活動がなくても、誰かが其処へ出かけて行くものがあれば、そこには微妙にそれに応じてくる気分があるものだということを知った。そのことは、例えば芳之助にしても、自分がそういう気持をもっているということは知っていないが、明かにそれを持っていた。平賀は、今更のように、ストライキというものが革命的に、英雄的に闘われたときには、それは何年後までも決して無駄には消え去ってはいないものだということを感じた。一つのストライキをやったために、多くの同志のうちには、或いは死んだものもいるし、職を失って病気になったものもいるだろうし、今尚四年五年の懲役に行っているものもいるが、それもまた何年経ってもただ単なる無駄な犠牲にはなっていないということ、それを彼は自分でやりだした実際の仕事から知ることができた。

 「不思議なもんだなアー」――時々彼は独言をして、だが実は不思議でも何でもないことなので、苦笑することがあった。


『創る力はどこから―時代を拓く組織づくり、まちづくり』

中沢正夫(04年発行・きょうされん 発売・萌文社)

 今、失業、自己破産、リストラ、医療、介護、子育て不安や子どもの叛乱、障害者などから、無縁な人は誰もいない。誰もが困り、誰もが援助や連帯を求めている。困難の根は皆地下茎でつながっている。にもかかわらず、どの分野もジリジリ通され、排除区が濃くなっているのはなぜであろうか。それぞれの分野ごとに闘うからではあるまいか。…これからはスローガン的にいえば、タテ―タテからヨコ―ヨコ―タテである。障害者運動がタテ―タテとなり、タコ壷化しては窒息するだけである。そのことは誰よりも関係者が良く知っていることである。そのヨコの関係をもっと大胆に拡げるのである。 

 「人の生活」や「社会」には、いくら効率的にしてもいい部分と、効率を求めることが自殺に等しい部分がある。そういうところは非効率ほどいいのである。高福祉を成し遂げた社会では、それを認め承認している高い見識と「豊かさ」観が各市民に備わっている。わが国も、ようやく、そこへ目がむきはじめたといえる。その意識改革の生きた教材が小規模作業所である。


『9条が世界を変える』(かもがわ出版・松竹伸幸著)  (06年3月)

 「世界の紛争地域では、9条があるからこそ助かっている命があります。地球上のいろんな場所で、9条に希望を託して努力している人びとがいます。いまは可能性にとどまっているけれども、9条に秘められた力も存在します。そういう事実に接したことは、私にとって、たいへん大きな感動と興奮でした。戦後、9条は踏みつけにされてきたけれど、それでもどっこい生命力をもっているんだということ、9条のままであることがその生命力を発揮する源泉であることが、私の心に響いてきたのです。その同じ感動を、本書によって、できるだけ多くの方々と共有したいと願っています。」

 「なぜ、憲法9条は、こういう高い到達をもつことになったのでしょうか。それは、平和を願う人びとの強烈な願い、たたかいを背景に誕生したからです。フランス人権宣言も、絶対王政と対決し、人権を確立する歴史的なたたかいによってつくられました。アメリカ憲法も、植民地のくびきから脱却し、独立を求める人類史的な意味をもつたたかいがつくりだしました。憲法9条にも、5000万人のいのちを奪った戦争で、戦争をにくみ、それと敢然とたたかった人びとの願い、たたかいが反映しています。人びとの革命的な意思と行動がつくりだしたといえるものです。

 日本の憲法が60年も変わっていないのはおかしいという議論がありますが、アメリカとフランスの2つの宣言は、200年以上も変わらぬ理想であり続けました。変わらずに輝いていたことに、世界の人びとの目標としての価値があったのです。

 だから、憲法9条は、たかだか60年しかたっていない、とさえいえます。2つの宣言が200年以上もたっていることと照らし合わせれば、まだ成長期の青年です。2つの宣言が世界の人びとの現実の目標になるには長い年月が必要でしたが、すでにみてきたように、憲法9条はすでに目標になっているのです。」

 



バラの大きな花束  鈴木泉子さん鈴木京子さんのたたかい  (06年2月)


 東久留米市民自主企画講座「女性が働き続けるために−男女平等の実現のために」は、どうしても参加したい企画でした。新聞などでわずかに知っていたお二人のたたかいを、ご本人から直接聞きたかったからです。そしてお二人の話に、私は感動で涙、涙でした。

 日産自動車(泉子さんが勤務)も石川島播磨重工(京子さんが田無工場に勤務)も有名な大企業です。そこで、どれほど無法な組合つぶし、活動家攻撃がおこなわれているのかが、淡々と話されました。「いちばんつらかったのは、職場八分、職場十分」。同僚がいっさい口を聞かない、職場行事から排除され、仕事も与えられないという苦しみです。

 日産では、組合間差別とのたたかい、定年や家族手当の男女差別をなくす裁判などがリレーされます。30年近い裁判闘争が、男女差を容認する社会通念を一つ一つ打ち砕きます。石播でも、7000人の大リストラに抗して「たたかってこそ明日がある」をスローガンにうちだしました。人権侵害是正のたたかいは、働く仲間から「日本共産党員撲滅計画」の資料提供があり、勝利和解につながります。

 人間として、そして生きるために、正しいと思うことのために歩んできた姿。それは家族や働く仲間に支えられたものでした。今、先輩たちが積み上げてきたことが、「規制緩和」の大号令で崩されようとしています。とりわけ若い世代の働く条件は深刻です。互いに手をつなぎ支えあうこのたたかいを、リレーで末広がりにしなくてはと思います。

 黄色のバラの花束を贈られたお二人の笑顔が、とても素敵でした。

 


人間の証(あかし) − 柴田良平さんを訪ねて   (02年9月)

 夏盛り、元ハンセン病患者の柴田良平さんを訪ねました。前月に、日本共産党の「50年党員」としての歩みを聞く機会があり、ぜひ直接お話をうかがいたいと思ったからです。

 「一番大事なことは、逆風に対して、自分がどういう生き方をするかということです」。ご夫妻で迎えてくださった柴田さんは、この言葉をくりかえし語られました。20歳の学生で発病し、ハンセン病の隔離療養所に。「奈落に突き落とされるようだった」という非人間的な処遇。病気と逆風にたちむかう支えとなったのが、党員として古典学習を徹底したことだったそうです。そして憲法25条をかかげて国を相手に命がけでたたかった朝日茂さんを支援したことが、回復者としての社会復帰を決意させました。

 退所後、都内各所で働きながら、不自由な手で軽自動車を操り、地域の党支部長もつとめます。1975年から東村山市の障害者授産施設・東京コロニーに勤務。「長い間閉じ込められていたから、働き活動することが、社会性を身につけることだった」そうです。

 でも自らハンセン病回復者だと公表できたのは、今から15年前、60歳になってからです。「自分の真実を語ることが、人間のつながり、信頼をつくります」。法廷での証言に立つことでも鍛えられました。今柴田さん夫妻は、「退所者の会」をつくり、その住宅保障や医療、介護の問題などにとりくんでいます。

 「いつの時期も先を歩く人がいなくて、自分たちで切り開いてきた。頭をたれずに、歩み続けてきた。党員であったからこそ。それがせめてもの私の誇りです」。いい笑顔でした。

  ※柴田良平さんの著書は、『六十八歳の春−隔離からの解放』(社団法人ゼンコロ)。



平塚らいてうと平和憲法      (02年7月)

 記録映画「元始、女性は太陽であった−平塚らいてうの生涯」を観ました。女性解放へまい進したらいてうが、戦後は新憲法擁護、原水爆禁止、安保破棄などで積極的に運動していた姿に、大いに感動しました。

 「永遠平和の礎ここに」「国民総意の憲法・公布の感激」。憲法創立時の新聞には、こんな見出しが躍っていました。らいてうも、「私の心をはじめて明るくしてくれたのは新憲法が生まれたときです。日本の女性を縛りつけていた家族制度が覆(くつがえ)り、私の若い日からの念願がようやくかなったのです。(略)それにもまさる大きな喜びは軍備の撤廃、戦争の放棄を全世界に宣言したことです」と大歓迎します。70年安保でも、84歳で病気をおして自宅周辺をデモしたらいてう。今の憲法改悪の動きをなんと思うでしょうか。

 「らいてう」の結びの言葉は、「私は永遠に失望しないでしょう」。アメリカ追随の政府がどんなに戦争をしたがっても、国民の中には平和を求める脈々とした流れがあります。憲法が本当に生きる日本をめざして、がんばらなくては。