高尾山の初詣で、新年のスタート    (08年1月1日)

 今年の仕事始めは、高尾山の登山口での宣伝行動。

 朝6時過ぎに、三日月と金星が鋭く輝く空を見上げながら自宅を出発して、高尾山口に8時に集合。地元の八王子市議団、清水都議、そして笠井衆議員はじめ4人の比例候補、党と後援会のみなさんで、ハンドマイクによる訴えとパンフレット配布を行いました。

 高尾山の初詣は初めてでしたが、若い人たちが多いのにびっくりしました。山頂で初日の出を拝んで、笑顔いっぱいに楽しくさざめきながら、次々に下りてきて駅に向かいます。これから山頂にむかう家族連れや若い人たちもたくさんいて、活気あふれています。

 この笑顔がずっと続く一年であってほしいなと思いました。そのためにも、しっかりと声を上げ、運動をひろげ、政治の流れを変えなくてはと改めて気持ちをひきしめました。

 驚いたのは、比例予定候補の徳留道信さん。板橋区を朝2時に自転車で出発、2時間半かけて登山口に到着、高尾山頂まで上ってご来光を見てからの参加だった事。鉄人ぶりは、今年も発揮されそうです。

 「ハンセン病問題基本法」(仮称)の制定めざすとりくみが、超党派ですすめられています。入所者の医療・看護体制の充実と、療養所の将来を地域・国民のための医療・介護施設として発展させるような検討が求められています。全生園には、入所者が植えてきた3万本以上の樹木が茂っています。春にはお花見の場となり、スポーツ広場では、子どもたちが野球を楽しんでいます。

 平野さんの説明を受けながら、国のハンセン病対策の誤りの歴史はしっかり刻みつけなければならない、同時に入所者がつくりあげてきたこの施設は国民のために使わなくてはならないと思いました。

池田真理子のワクワク報告
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全生園で、やさしさに触れました    (08年1月3日)

 東村山市にあるハンセン病国立療養所「全生園」で、毎年恒例の新年のあいさつ回りに私も参加させていただきました。入所者の平野さんの案内で田中東村山市議と一緒に入所者のみなさんを訪問しました。かつては1000名を超えた入所者も320名余に減少。高齢化で健康を害されている方も多く、お大事にと声をかけて回りました。

 長年の差別的な強制隔離により、たくさんの苦難を経てこられた方たちですが、みなさんとてもやさしくて、逆に私の健康を心配してくださる方もいて、恐縮しました。


実態に合った制度に  (08年1月9日) 

 東大和市に住む都築さんを訪問。都築さんは、一人暮らしの重度の障害者です。都営住宅に住み、ヘルパーさんによる24時間の身体介護を受けています。

 都築さんは、膀胱がんによる膀胱の摘出手術を受け、人工の排尿口に排尿袋をつけています。しかし、その取替えは医療行為としてヘルパーさんに手出しはできません。訪問看護士が来るのは週3日のみ。その来訪時だけ機械的に交換するので、実態とはかみあいません。満杯になりあふれることもあり、結局は、そのためだけに看護士の派遣を頼むことに。それは保険外の自己負担です。1回8000円で、夜間の追加料金は5000円。1ヶ月4~5回頼んでそれだけで5~6万円かかったことも。障害者年金と障害者手当てで収入10数万円の生活で、負担しきれない額です。

 採尿袋の装着は、糊付け部分をストマに貼り付けるだけのいたって簡単なもの。普通は自分でできます。しかし重度障害の都築さんはそれができない。ずっとそばにいるヘルパーさんも手出しが禁じられている。「なぜ、実態に合わせた制度にしてくれないのか」。当然の声です。9月の市議会でも吉野議員がとりあげています。


東大和市長と懇談  (08年1月9日)

 東大和市議団のみなさんと一緒に、尾又正則東大和市長を訪ね、懇談しました。

 尾又市長は、多摩の市長会会長であり、東京都全体の区市長会会長でもあります。また、後期高齢者医療制度の東京都広域連合の副責任者です。4月からスタート予定の後期高齢者医療制度の問題を中心に、憲法や市政問題など、広く懇談することができました。    

 後期高齢者医療制度については、75歳以上を差別し、負担増をおしつけるなど多くの深刻な問題を持っていることでは、共通の認識です。市長の側から、「各自治体、議員が共同して声をあげよう」とのよびかけもあり、心強く思いました。

 とくに憲法問題では、自治体として昨年「日本国憲法」冊子を2千部作成し、市の各施設に資料として置き、ほしい人が自由にもらえるようにしていることは、すごいなと思いました。「憲法は、戦争で死んだ人の遺言である。日本が戦争の歴史を反省し、新しい日本をつくろうとした戦後の平和と民主主義の原点が憲法にある。その憲法の価値を知ってほしいという思いだ」とのこと。うれしい発言でした。

 憲法は、立場を超えた幅広い共同で守り生かさなくてはなりません。胸襟をひらいた対話が大切だと思いました。

 「障害者自立支援法は、ややこしくて全然わからない。障害の認定でランク付けし、それで支給額を決めるという。障害の状況は一人として同じことはない。それを線引きする。親としては、息子の障害が軽くあってほしい。しかしそれでは支給額が少なくなる。悲しくなる。差別の制度だ。大勢にこのことを知ってもらいたい」「皆保険制度を作り上げてきたのに、75歳以上の線引きを勝手に決めた。病気が多くなる時期なのに、検査を省く。これでは治療する側も診断できない。もっと怒らなくては」「図書館は、民主的生活の基礎になる問題。ところが、民間丸投げが広がっている。学校の司書も配置されていない。図書館の大事さ、公であることの大事さを考える
必要がある」「公団住宅の縮小廃止の動きに反対し運動してきた。民営化の動きもすすんでいる。都営も、公社も公団も一体に運動をしなくては」。

 参加しているみなさんは、地域でずっと活動してきたベテランの方たちです。多方面の発言に教えられることがたくさんありました。


新テロ特措法衆院差し戻し可決に怒りの訴え  (08年1月11日)

 今日の国会は、今の政治の縮図のようでした。

 午前中の参議院で否決された政府の新テロ特措法が、午後には衆議院に差し戻しで与党の多数で可決成立。道理もなく、民意も憲法も踏みにじる暴挙です。自民党・公明党のアメリカ言いなりで無反省な姿がさらけ出されました。

 驚いたのが、民主党の小沢党首が、政府与党案に反対するのではなく、一人で退席し棄権したこと。民主党の対案そのものが与党案よりさらに危険な派兵法であり、恒久法づくりではエールを交換している仲ですから、いよいよ恒久法をいっしょにつくる合図に見えます。大連立への土俵に乗った二大政党の害悪も浮き彫りになった形です。

 千代田区内での街頭宣伝の最中に成立の知らせを受け、怒りで訴えにも力がこもりました。「がんばれよ」の声援もたびたび受けました。

 一方、昨年末全国を励ました薬害肝炎訴訟団のみなさんの勇気あるたたかいを受けて、肝炎救済法が参議院本会議で成立しました。あきらめないたたかいが、政府を追い詰めました。たたかいぬき涙ぐむ映像に、人間の気高さを見ました。

 私も子育て中の身であり、子育て世代の家計の苦しさがわかります。貧しさにより子どもの教育機会を奪ってはならない、学力格差を固定させてはならないと思います。十分な教育予算と私学助成の拡充は絶対不可欠です。

 ところが、政府の来年度予算案では、私学助成は毎年1%ずつ削減の枠をはめて、46億円削減を打ち出しています。一方で競争と差別をひろげる学力テストの経費に60億円も計上するのですから、予算でもゆがみを助長するやりかたにストップをかけなくてはと思います。


山崎さんのアドバイス   (08年1月13日)

 杉並区での党の「新春のつどい」に参加。40分ほどの話をさせていただきました。

 つどい終了後に、東京原水協や治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟などの運動をされている山崎元さんに、「あなたの演説について、示唆したいことがある」と話しかけられました。

 山崎さんは、私がアメリカを中心とする世界の軍事費にふれたことに関連して、05年で年間128兆円もの世界の軍事費の本質を解きほぐしてくださいました。

 「0歳から5歳までに死亡する幼児が年間1050万人。世界の軍事費の3日分で1兆円。それがあれば、一人の子どもあたり10万円の治療費になり、死を免れるかもしれない。」「8億人が飢餓状態。一人250円のパンと150円の牛乳を与えれば、一人400円。365日通して飢餓状態の8億人の人に与えると120兆円。世界の軍事費で、全世界の人が飢餓から解放されるんだよ」。

 大事な示唆でした。


「共産党はなぜ伸びないのか」「党名を変えたらどうか」 (08年1月13日)

 清瀬市の竹丘地域の「くらしと政治を語るつどい」は、医療や介護や障害者福祉、消費税などそれぞれ切実な実態や疑問などが交わされました。

 戦争体験者も多く、「空襲で火の粉が降ってくる中を一人でうろついた。どこに逃げても火の手が上がる。父に助けられて命を永らえた。人に言えないほどの苦しい体験もした。そんな私たちをなぜ生きていてはいけないかのように切り捨てるのか」「戦争中荒川区で家を焼け出された。今新婦人で趣味のお稽古事などして一番幸せなとき。ところが、収入は減り家賃は上がり、増税で、どうしたらいいのか。食べるものも節約できない」などの声も。

 率直な意見も飛び出しました。「共産党は正論を言う。間違ったことはしていない。それなのに、なぜ国政で伸びないのか」「共産党の名前が問題。そろそろ変えたらどうか」。日本共産党への熱い期待と一体の思いです。

 小選挙区制と2大政党制そしてマスメディアによる共産党封じ込めの実態、日本共産党の名前に込められた未来展望と世界に広がる「新しい社会主義」への模索などを説明しました。それでも、「松下がナショナルからパナソニックに名前を変えた。それは世界的規模での進出を考えてのこと。それも参考にすべき」というお考えでした。

 もう一つお話したのが、日本共産党の前進のためにも、一緒にたたかう仲間になってほしいこと、赤旗を読んでほしいことです。司会をしていた女性も、「父が戦死し、母も病死。食べるものも、着るものもなく学校にも行けなかった。誰も社会のこと、戦争が何だったのかを教えてくれなかった。でも日本共産党に入っていろんなことを学んだ。入らなければいろんなことを知れなかった。共産党は反対ばかりというが、聞く耳を持ってほしい。私たちはがんばっている。共産党を一緒に大きくしてほしい」と訴えました。

 ぜひたくさんの方に党に入っていただき、一緒に前に進みたいと願っています。


教育を守る力強いエネルギー  (08年1月12日)
 

 昨日の夜は、東京私立学校教職員組合連合の新春旗開きであいさつ。私学助成拡充署名を大規模にとりくむ組合だけに、熱気の感じられる旗開きでした。
いっしょに参加していた古舘都議と田副都議から、私教連の運動の力で東京都の私学振興予算の内示額が昨年比で50億円増額されていることが知らされました。


いろんな声が出されてよかったね  (08年1月10日)

 東久留米市の滝山地域の新婦人内後援会のみなさんが、「池田真理子さんを囲む会」をひらいてくれました。

 前段で、参加者からこもごも、要望や意見が出されました。


たたかう労働組合あればこそ    (08年1月15日)

 国労新橋支部の新春団結旗開きに参加しました。

 1987年の国鉄分割・民営化の際に、JRを不採用になった1047名の労働者が解雇撤回とJRへの復帰を求めているたたかいは、21年を経過しています。民営化の際に、国会で「一人も路頭に迷わせない」「組合所属で差別があってはならない」と約束しながら、労働者と家族を失職状態で放置している政府は、本当に許せません。原告団のうち46名がすでに亡くなったそうです。昨年11月末に、関係する4者4団体が統一した7300名の大集会を開催。一刻も早い解決にむけ、たたかいを前進させています。

 05年の福知山線脱線事故は、民営化後のJRの収益第一主義と安全軽視、異常な労務管理の姿を明らかにしました。JR労働者は、人員削減のなかで、乗客の安全に心身をすり減らす毎日です。だからこそ、たたかう労働組合への期待が高まっているそうです。

 困難に負けないで、全国に「タンポポの綿毛」のように散ってたたかいを続けてこられたことは、きっと若い人たちの新たなたたかいとして受け継がれるだろうと思いました。


若者の労働条件を何とかしなくては  (08年1月17日)

 世田谷区の代沢地域の新春のつどいは、平日の日中でもあり、参加者の多くは年金生活者ですが、若者の労働条件のひどさをめぐって、何とかしなくてはと熱い議論になりました。

 党世田谷地区の青年雇用相談室長佐藤なおきさんを皮切りに、次々に青年の実態が紹介されました。「娘が5年目でやっと契約社員、給料は15万円程度。彼氏がいるが、彼も非正規で結婚しても孫がかわいそうだから、子どもをつくるなといっている」「若者の労働問題学習会で、『私日雇いです。毎日携帯で呼び出されるんです』と自己紹介したり、牛丼屋の深夜のアルバイトで、給料はお客がいるときの分だけという話を聞いてびっくりした」。

 そこから、「今の労働組合はどうなっているのか」「働く以上は正社員にしろという運動が必要では」など、自らの職場体験などをふまえた発言が相次ぎました。


小児病院をなくさないで   (08年1月18日)

 都立清瀬小児病院を守る会が、清瀬駅で、午前11時から午後7時までロングランの宣伝行動。私も短時間参加し、マイクで訴えました。

 東京都は、09年度末までに清瀬小児病院を廃止し、多摩北部医療センター(旧多摩老人医療センター)に新たにつくった小児科を、その後の受け皿にしようとしています。でも多摩北部医療センターには満足な体制がつくれず、清瀬小児の医師が週2回派遣され、救急患者は清瀬小児病院に回されている状態。清瀬小児病院が担ってきた365日24時間の小児救急の保障はなく、未熟児医療をおこなうための集中治療室もなくなります。

 私の息子も、高熱で休日に駆け込んだことがありましたが、駐車場は車で埋まり、待合室は幼児と若い父母で込み合っていました。年間の夜間休日の救急患者は1万6千人。うち千数百人が入院しています。日本屈指の小児医療水準を培い、そのために地域に引っ越してくる家族もたくさんいます。


走りぬけた一日     (08年1月20日)

 きょうは、日本共産党の地域後援会の新春のつどいや組合・団体の旗開きなどであいさつをしながら、走りぬけた一日でした。

 みなさんとあいさつを交わしたり、お話を聞きながら、今年こそ国民の側からしっかり声をあげ、政治をまともにする流れをもっと大きくしようという、意気込みをひしひしと感じ、大きな勇気をいただきました。年の節目に、こうして互いに交流しあうのは、大事なことだなと思いました。ずいぶん顔見知りが増えてきたことも、私にとっては、うれしいことです。

 写真は、武蔵村山市の地域後援会のつどい会場に展示されていた、石に着色した眠るパンダ。


公団住宅問題で説明を求める   (08年1月22日)

 昨年末の政府閣議決定「独立行政法人整理合理化計画」をうけて、都市再生機構(UR・旧公団)は、団地の再編・縮小を推進しようとしています。この問題で、笠井、塩川衆議員が国土交通省に説明を求め、首都圏の多くの地方議員、団地住民も参加しました。

 全国77万個200万人が住む公団住宅を「過大」だとして、計画修繕で継続する団地(ストック活用)以外を、丸ごとの売却や、削減などに追い込む計画です。建て替えで家賃が倍になる問題もあります。年末に計画をしめして、この2月末までに方針を決定するというのですから、ひどい話です。住民の合意なしのごり押しは許されません。

 低所得者が増え、安心の良質・低家賃の公共住宅がいまほど求められている時はないのに、ここにも政治の貧困と横暴さが顔をのぞけています。


初雪が舞った日      (08年1月23日)

 きょうのワクワク報告は、何と言っても、初雪。昨年は雪が降りませんでした。今朝ちらほらと雪が舞い始め、次第に雪粒が大きくなるのを見て、小学校6年生の息子は大喜び。私と顔を見合わせて、二人で一緒に「積もるといいね!」。帰りが心配とわざわざ長靴を履いて登校しました。

 積もるほどでもなく、午後には氷雨に。その冷たい中を夕方新宿駅で文化後援会の方たちと宣伝行動。歌人や宗教者、経済学者、スポーツ関係者などがそれぞれの立場で日本共産党を応援してくださっていることは、本当に心強く思います。

 私が訴える前に、トランペット奏者の松平晃さんが、「千の風になって」を演奏。おなじみになった曲が、氷雨と夕闇の中を、仕事帰りの人たちでごった返す新宿駅周辺に染み渡るように流れました。平和を願って演奏された松平さん。私も、かつてテレビのドキュメンタリー番組でイラクの少年が、「君の夢は?」と聞かれて「鳥が飛ぶ空が見たい」と答えた場面を思い出しました。アメリカの無差別爆撃で廃墟となった街の壊れた家をバックに立つ少年。その上の空は抜けるように青いのに、そこに鳥が飛ぶ姿を見ることができない現実。

 戦争はきっぱりやめるべきです。イラクの少年の上にも、早く平和の風が吹くようにと願いました。


労働相談にのるのが、派遣労働者?  (08年1月25日)

 東京公務公共一般労働組合の旗開きに参加しました。そこで聞いた話で驚いたのが、東京都の労働相談情報センターにも派遣労働者がいるということ。派遣労働などが抱えるひどい労働実態の相談を受ける行政の窓口が、また派遣労働者であるというのは、矛盾そのものです。

 今自治体職員のなかにも、非正規職員が広がっています。東京都も、OBの再雇用以外に6330人の臨時・非常勤職員がいるそうです。先日東久留米市の保育士さんたちの話を聞きましたが、公立保育園でも人数では臨時職員の方が多くなっていて、派遣会社から来た人もいるとのこと。国家資格としての保育士と新たに准保育士という制度がつくられました。同じ公務労働で、正規と非正規。非正規の中にも、臨時職員、アルバイト、派遣などのさまざまの身分の差別が働きづらさを生み出しています。住民の公僕であり各分野の専門職としての誇りをもって働ける職場にすべきです。

 会場で、キューちゃんが、私の腕にお猿のバルーンをつけてくれました。


アメリカと敵対するわけではありません    (08年1月26日)

 午前、午後、夜と連続の小集会でした。東村山市の萩山地域のトーク集会は、「ずばりそこが聞きたい!池田真理子さんが100%お答えします」という打ち出しで、大宣伝したとのこと。40名を超える参加で、部屋は満杯。たくさんの質問が、事前にもその場でも出されましたが、十分お答えできなくて、申し訳ありませんでした。

 アメリカとの関係にこだわっていらっしゃる方がいました。アメリカいいなりの大本に日米安保条約があり、その廃棄が必要だという党の立場が納得できないとのことでした。「日本はアメリカに戦争をしかけて負けた。戦後は、アメリカに食糧難を助けられ、ソ連や北朝鮮に対してアメリカの核の傘で守られてきた。ロシアはシベリヤ抑留や北方領土4島を占領するなど、泥棒みたいな国だ。ロシアと違いアメリカは日本を助けてくれた国だ。反米でアメリカを攻撃しないで、仲良くしてほしい」。

 日本共産党は、反米であったり、アメリカと敵対しているわけではありません。日米安保条約の下で、世界でも異常な形で国としてアメリカに従属する日本。その従属関係をやめて、対等平等の友好関係に切り替えようというものです。すでに軍事同盟は世界では少数派です。また、安保条約をめぐる意見はさまざまでも、自主的な外交や経済運営への切り替えは一致できるのではないでしょうか。

救急受け入れ拒否のショック    (08年1月27日)

 清瀬市旭が丘団地で、宇野市議と一緒に国政・市政報告会。そこで話題になったのが、今月8日夜に、市内に住む95歳の女性が救急搬送で公立病院をはじめ近隣の11の病院から受け入れを断られ、12番目の病院で死亡したという報道です。

 清瀬市には、「病院通り」という通り名があるほど、病院がたくさんあります。そこで起きた事態に、多くの方が「ショックだ」「いったい病院はどうなっているのか」と、発言されました。

 今、病院の現場は、絶対的な人手不足です。医師も看護士も足りず、限界を超える過密労働が蔓延しています。そのため、働き続けられず病院を去る医師や看護士も後を絶ちません。大本にあるのが、長年の医療費抑制政策です。さらに「構造改革」で、診療報酬を2002年、2006年と連続して削減。さらに国公立の拠点病院の独立行政法人化、民営化、統廃合も強行しました。

 参加していた看護士さんも、診療報酬削減で、病院経営も苦しくなり救急受け入れのための空きベッド確保ができなくなっていること、救急患者受け入れにともなう仕事量が担えない状況にあり、入院しないという一筆を書かせる病院もあるなど、医療水準が低下していると報告。

 病院の受け入れ拒否や患者のしめだしは、自民・公明政治が司令塔です。この政治を変えなければ、命も守れません。

 新生児や幼児の病気は時間とのたたかい。喘息やけいれん発作で呼吸が止まったり、高熱で脳障害を起こしたり。身近にあるからこその救急病院です。これだけ小児科や産科の絶対的不足が社会問題化しているときに、廃止は絶対許せません。

 署名に応じてくれた子どもづれの若いお母さんが、涙ぐみながら「守ってくださいね」と唇をかみしめました。板橋から4歳の男の子を連れて、泌尿器科に通院しているとのこと。生後9ヶ月で病気がわかり、他の病院を転々としましたが、清瀬小児病院しかないと紹介されたそうです。子どもたちの命の砦です。がんばって存続させましょう。

「もうボロボロです」   (08年1月31日)

 東村山市の白十字ホームで西岡所長と懇談しました。介護施設で働く人の問題の深刻さを痛感しました。このホームでも、職員の給与を保障していた国の報酬が引き下げられ、東京都の公私格差是正制度も廃止されたことにより、1億4千万円以上の減収です。500人もの待機者がいるのに、経営は四苦八苦の状態のようです。

 民主的に運営しない事業所では極端な人件費カットや非常勤化がすすみ、職員が低賃金で働き続けられない状態です。福祉の現場で働く魅力がなくなり、福祉士の資格をとる専門学校生が急減しているそうです。「2~3年後には担い手がなくなるのでは」。

 西岡さんから、21・老福連(21世紀・老人福祉の向上をめざす施設連絡会)のパンフレットをいただきました。裏表紙の見出しが強烈です。「『老後の安心を支える』はずの高齢者福祉は、もうボロボロです。」「特養ホームに入る前に死んでしまいます!?」「お金の切れ目が生命の切れ目」。

 日本共産党も「国民の願う高齢者介護・障害者福祉の実現を―深刻な人材不足を打開するための緊急提言」を発表しています

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