◆池田真理子ワクワク報告

 

不当なビラ弾圧に屈しない      (08年8月31日)

 日本共産党北多摩北部地区の青年支部のみなさんが企画した、不当なビラ弾圧に負けないよう、「自分を守れる知識をみにつけよう!」と学習交流会に、尾崎あや子さんと一緒に参加。国民救援会の方の講演や、体験者の報告もあり、大事な中身となりました。青年たちとともに、かなり年配の方の参加もあり、最近のビラ配布への不当弾圧続きに、「知りたい」という思いの強さを感じました。「こんな場合は」と、具体的な質問が相次いでいました。

  今、あまりにもひどい政治に怒りが沸騰しています。そして、真実を知りたいという思いも切実です。日本共産党が配るビラの一枚一枚が、その願いに応え、政治を動かす力になっています。それを恐れ、日本共産党の足を止めようとするのが、ビラ配布への不当弾圧。警察だけでなく、自衛隊が独自の部隊で国民を監視し、日常的に市民の運動に関する情報収集をおこなっていたことも昨年明らかになっています。

  「戦争する国」をめざす憲法改悪の動きと一体のもので、日本の民主主義と将来にとっても見過ごすことのできない問題です。誰もが正しいことを正しいと自由に言える社会でなくてはなりません。国民が委縮する社会は、戦前と同じです。

  国民救援会は、戦前の1928年に創立された組織。戦前の治安維持法で弾圧された方たちを支援し、戦後も人権と民主主義、憲法擁護のために運動を展開し、不当弾圧犠牲者のそばにはいつも国民救援会の姿があります。その役割の大きさは、体験者の方の話からもよくわかりました。

  これから、さまざまな運動をとりくみたいとがんばる青年のみなさんが、こうした学習会を開いたことに、さすが!とエールを送りたいと思います。

 


 

子どもを中心に、語り合い、手をつなぐ大切さ    (08年8月30日)

 東久留米市の子育て・教育市民運動交流集会に参加。子どもたちの豊かな育ちを何よりも大切にする父母や教職員、関係者の熱い思いにふれました。

  集会では、二つの保育園の民営化反対運動にとりくむ父母や職員など関係者からは、「市当局の拙速なやり方は許せない」「子どもの育ちを単なる保育産業に受け渡し、安上がりが追及されることでいいのか」「幼年期の子どもたちが保育士と接しながら育っていく大事な時期。それを行政がふみにじっていくことは許せない」などが。短期間に1万5千もの署名を集め、そろいのTシャツで、アピールしたりと抜群の行動力です。

  「東京でも30人学級を」と200万人署名をとりくむ教職員組合の先生たちからは、全国学力テストの弊害や教育予算の貧困などが語られました。各学校への配分も数百万円規模で削られ、施設の老朽化や机の天板に穴があいているままだったり、指導書が学級数分配布されなかったりなど、劣悪な状態が放置されているとのこと。一方で学校アピールのためのカレンダーや行事、市独自の学力テストなど、教育予算そのものの使われ方が子ども中心になっていない問題もあるようです。陸上自衛隊の朝霞駐屯地の広報センターへの見学行事が青少協主催でとりくまれたことや、小学校統廃合問題なども報告されました。

  その中で、35年間続いた青空学校関係者の発言は、地域ぐるみの多様な子育て運動が、地域全体を豊かにする力だと教えてくれました。市内の小3から中3までの生徒と高校生の指導員たちが、毎夏多い時で数百人集まり、8~10人の班に分かれ、2泊3日のテント生活。異年齢集団の自主的な取り組みを、地域の父母や教師がサポートします。子どもたちにとって、高校生になって指導員になるのが目標に。残念なことに学校の校庭を貸さないという動きにより、今年で閉じることに。

  でも、この地域の保育から始まる何重もの子育て運動が、子どもたちと父母、教職員、地域住民のネットワークをつくり、地域住民が主人公の気風をもつくってきたと感じます。誰にとっても子どもは大切なもの。その大切さをみんなで共有するとりくみはもっと大きくしたいですね。(写真は、保育園民営化反対署名にとりくむ、父母)

 


 

太田農水大臣の架空事務所費に怒り      (08年8月30日)

 武蔵村山市で、今野議員と地域を訪問。行く先々で太田農水相の事務所費問題が話題になりました。「本当にあきれるね。庶民のくらしはわからないはずだね」と。

  ある塗装業者の方は、来客中にもかかわらず、その話になると「まあ座って」とお茶も出してくれ、しばらく懇談に。塗装業といえば、塗料、顔料すべて石油製品。作業車のガソリン代もあります。しかも、耐震偽装事件以来、建築許可が厳しくなり、不況もあって建築仕事が減っています。二重三重にしわ寄せを受けているのが末端の零細業者。

  経済産業省が、企業が海外子会社から受け取った配当に対する税を免除したり、証券税制でも高齢者の小口投資家を優遇する非課税措置をうちだすなど、相変わらず大企業と大資産家を応援する政策を打ち出したことには、頭にきているとのこと。たしかに、業者への税金のとりたては厳しく、消費税も自腹を切ったものになっています。それなのに、大企業への法人税率が消費税導入と同時に大幅に下がり、輸出企業には戻し税として還付までされています。怒りの話題はつきません。

  それなのに、いまだに「政治とカネ」問題を一掃できない自民党政治家に、憤懣やるかたない様子。企業団体献金と政党助成金頼みで、草の根の苦労を自ら断ちきった政治家は、いつかは、草の根の力で葬られることでしょう。

 


 

米軍跡地利用問題で、財務省レクチャー      (08年8月28日)

 東大和市にある米軍跡地が、警察庁の管轄からいつのまにか財務省に移管され、そこに国家公務員宿舎が建築される計画がある問題で、尾崎市議、吉野市議と財務省のレクチャーをうけました。

  米軍大和基地跡地は、かつては雑木林として村の共有地でした。その後、日立航空機工場(軍需工場)がつくられ、米軍の爆撃で壊滅状態となります。今、その銃撃痕を壁に残す当時の変電所が、今も史跡として保存されています。

  1952年に、外務省と東京都から、この跡地を米軍兵舎用地とするという決定が通告され、大和村民は、「在日合衆国軍兵舎設置反対期成同盟」を組織して反対運動にたちあがります。しかし、1955年に基地設置を強行、18年間の使用の後、1973年に米軍基地は閉鎖され、日本政府に返還されます。

  市民は、基地跡地の一日も早い全面返還と跡地を市民のために平和的、公共的に利用することをもとめて、超党派の「大和基地対策協議会」のもとで運動をくりひろげます。政府は、市民の強い反対にもかかわらず、三分割・有償処分方針を決定。国と地元(都・市)がそれぞれ3分の1、残りの3分の1は留保地というもの。

  その後粘り強い市民の運動で、地元利用地や留保地に、駅前広場、桜ケ丘団地、都立高校、都立公園、市民広場、市民プール、市民体育館などがつくられていきます。今回の動きは、国有地として警察庁が管轄しながらまったく利用されてこなかった区域が、財務省に移管され、上記の国家公務員宿舎建設の話になっているものです。

  レクチャーを受けながら、こうした米軍により不当に取り上げられた土地が各地にあるはずだと考えました。沖縄では、戦後直後農民の目前でブルドーザーで家を壊し畑をつぶして、米軍飛行場をつくったこと、現在も辺野古の沖に新たに基地をつくる計画が進行中であることなど思い出しました。近くの広大な横田基地もかつては農民のものだったはずです。いろいろ調べてみたいと思います。

 

 


 

公立病院でお産ができない!     (08年8月24日)

 日野市の日本共産党女性後援会が主催した「わたしたちのねがい―安心してかかれる病院を―のつどい」に、衆院21区の星あつまろさんと一緒に参加。地域の公立病院のかけがえのない役割、医療問題への要求の切実さを改めて痛感しました。

  このつどいのきっかけは、日野市立病院で今年6月からお産の取り扱いが中止になったこと。小児科医の退職があいつぎ、出産時当直・待機できる体制がとれなくなったのです。年間500件の出産を支えていた市立病院。予約していた200名の妊婦さんが転院を余儀なくされました。

  この病院は、47年前に町立病院として5診療科20床でスタート。民間診療ではできない不採算部門などを住民の要求にこたえて、脳神経外科、障害者歯科、産婦人科など徐々に充実させ、2004年には、16科300床で2次救急も受け持つ病院として建直しをしたばかり。ところが、政府の「医療構造改革」と日野市政の革新から保守への転換で、診療報酬と市からの財政支援が大幅にカットされ、赤字を累積させます。医師不足もあり、病床の利用は6割程度、救急の受け入れも制限する事態となっています。

  2年前まで看護師として働いてきた中谷さんは、「職員として住民のためにとがんばってきたことが報われない」と語り、地域の民医連医師の宮地さんも、「医療現場は兵糧攻めだ。医師の勤務実態も限界。医療制度はダムが決壊し、崩れ落ち始めた状態といえる」と批判されました。参加者からも、「市立病院で安心して子どもを産みたいと多くが願っている。私立大学病院の出産費は55万円。若いワーキングプアにはとても払えない」「健康診断の再検査で1万円をこす金額が請求された。年金が月13万円しかないのに、医療費は高すぎる。お金がないと医療にかかれないということが、他人事ではなくなった」など、切実な声が。

  地元の新婦人は、「ゆりかご署名」となづけて、出産取扱いの再開を求める運動をひろげています。宮地医師から、参加者に資料として全日本民主医療機関連合会が発行した「医療・介護制度再生プラン(案)」が配布されました。ぜひ一読を。

http://www.min-iren.gr.jp/

 


 

実態に合った介護報酬に  (08年8月22日)

 清瀬市の佐々木あつ子議員と、居宅介護支援センターと特別養護老人ホームを訪問し懇談。「聞いてもらえてありがたい」という声まで出て、介護現場の深刻さを実感します。

  「ともに生きる」を理念にかかげた居宅介護支援センター。06年の介護制度改悪で、その誇りがふみにじられていると訴えられました。私財を投入して頑張っているのに、その分事業者が不利益を被る状態。「弱者、利用者にそった介護ができるようにすべき。今はやってはいけないことばかりでおどおどした介護になっている」「崖っぷちまで連れていかれて、ここから先は自分でと突き放された状態」と表現されました。退院を迫られても行き場がない人、独身の息子さんとの同居でサービスが打ち切られ、買い物にも困っている人など、介護を求める高齢者を直接前にしているだけに、苦悩はひとしおです。

  入所者180名の特養ホームでは、施設長の説明で、介護報酬の引き下げの大きさにびっくりしました。介護度5の報酬は、介護保険が始まる前の1999年度の措置費月額36万8千円から28万円にダウン。介護1でも26万円から19万4千円に。施設介護の報酬は介護度4~5の重度者中心の運営を基準に設定されています。そのため歴史的に介護度が低く低所得者が多い施設の経営はさらに大変です。東京都の公私格差是正制度も廃止され、ここ数年2~3千万円の赤字続きとのこと。

  入所者の程度が多様だった時は、症状の軽い元気な人が互いに助け合うなどゆとりがありました。でも4以上といえばほとんど寝たきり状態。対応に手間がかかり、職員は気持ちの交流をもつ余裕もなく息つく間もなく走っています。

  「地域福祉のとりでの役割を果たしてきたが、これからどうなるのか不安。介護度やお金で人間を区切るのはおかしい」という思いとともに、「入所者の高齢化と重症化がすすんでいる。夜勤の配置基準など厚い体制にしてほしい」「介護報酬が実態に合わない。とくに都市部の人件費は地方とは違う。それを保障しないと東京の福祉は空洞化する」など具体的な要望も出されました。

 


 

神々が遊ぶ庭    (08年8月18日)

 家族で大雪山を縦走。アイヌ語でヌタップカウシペ(神々が遊ぶ庭)と呼ぶだけに、何万年も前からの繰り返しの噴火でつくられた山系は、雄大そのものです。黒岳山頂では、雲海の上の日の出を堪能。私は17年ぶりの2回目ですが、歩行時間は前より2時間近くオーバーし、軽々と歩く息子を、山頂や下山先でずいぶん待たせてしまいました。

  アメリカやドイツ、フランスなどの外国人にずいぶん会いました。それだけ魅力的な山なのかなと思います。

 

 

 


 

ミツバチは働き者              (08年8月16日)

 家族の夏休みで、北海道で養蜂業を営む従兄を訪ねました。自宅がある兵庫県を拠点に、寒い冬は淡路島や紀伊半島、暑い夏は北海道と移動しながら花の蜜を追っています。

  働き者のミツバチの仕事に合わせて、休日なく朝から夜遅くまで採蜜や、ミツバチの巣の状況を細かくチェックし、さまざまな世話にあけくれるとのこと。私たちが訪ねた時は、雨のために30日ぶりのお休み日。雨の合間に、山中に何か所も置いている蜂箱の点検をかねて案内し、採蜜作業も見せてくれました。

  一つの蜂箱にミツバチがなんと3万~5万匹。一匹の女王蜂が1日3千匹もの卵を何年間もうみ続け、オス蜂は一生のうち1日だけ空高く舞い上がり、女王蜂と交尾して役目を終え、巣箱から追い出されます。何万匹もの働き蜂が毎日巣をつくり、蜜を集め、卵から羽化まで世話をし、その中から次の女王蜂を育てます。人間はミツバチがため込んだ蜜と女王蜂の餌のローヤルゼリー、巣をバイ菌から守るため集めた樹脂など(プロポリスの素)を採取します。従兄は、「人間が殺すことのない共存関係で、究極の農業だ」と。

  養蜂家は減り、今国内で消費される蜂蜜の95%が輸入蜜。貴重なこの仕事は、もっぱら自然相手です。天気予報や気象の動きに一番気を配ります。その立場からみて、今の地球温暖化問題はどう映っているのかを尋ねてみました。

  「気温が上がったというより、気候の変動の激しさ、異常を感じる」とのことでした。花にとって、受粉のために蜜を出し虫を誘うことは、種の保存につなぐ営みです。ところが、急な雨や時季外れの天気は大事な蜜や花粉を流してしまうことにもなります。「白神山地のブナが実をつけなくなったと聞いた。ここでも、花に体力がないという印象をもっている」とのことでした。

  巣箱の入り口前で、草の上をヨロヨロしているミツバチ。遠くから目いっぱい蜜をお腹にためこんで運んできて、一息入れているようです。そっと手に取った従兄が「ハチは本当によく働く」といとおしそうでした。

 


 

「にんげんをかえせ」    (08年8月9日)

 6日と9日は、63年前に広島、長崎に原爆が投下された日。6日は渋谷区で、9日は立川市と八王子市で、地元の議員や衆院候補の方と核兵器をなくせと訴えました。

  八王子市では、原水爆禁止協議会のみなさんが、朝8時から夕方4時までのロングラン宣伝。炎天下の商店街にテントを張り、被爆の実相を伝えるパネルを展示。ハンドマイクで訴えながら、行き交う人たちに署名をよびかけます。12歳の男の子や女子生徒なども次々に足をとめ、署名に応じていました。

  その場に東京の原爆被害者団体協議会(東友会)事務局次長の上田さんもおられました。上田さんは、3歳で被爆されたそうです。被爆者の方が高齢化する中で、「私たちが引き継いでいかなくては」とその決意を静かに語っておられました。

  核兵器廃絶を訴えるために、改めて峠三吉の原爆詩集に目を通しました。「ちちをかえせ ははをかえせ」にはじまる「序」で有名なこの詩集は、アメリカのトルーマン大統領が、1950年11月に朝鮮戦争で原爆を使用することを示唆したことに、抗議をこめて、被爆療養中の身で翌年初頭に書き上げられました。「あとがき」には、「この出来事の実感を伝えこの事実の実態をすべての人の胸に打ちひろげて」「過去から未来への単なる記憶でない意味と重量をもたせる」には、自らの力は弱いとしながら、「敢えて出版しなければならぬ追いつめられた時代であることを知れば、さらに時間をかけて他日の完璧を期することは許されないと思った」とあります。そして、この年8月の広島平和大会にささげるため、ガリ版刷りで発行されます。

  峠三吉は、その2年後に36歳で死去。「にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ」という、彼のよびかけは、ずっしりと重く心に響きます。

 


 

多摩全生園の花火    (08年8月7日)

 多摩全生園の納涼祭に、出かけました。ふだんは静かな園が、子どもづれの周辺地域住民であふれ、模擬店や盆踊りに人だかりができています。

  クライマックスは目の前の広場から打ち上げられる花火。今年から打ち上げの高さが制限され低めだそうですが、音楽にあわせ、趣向をこらした花火に歓声があがります。私は、かつて入所者自身が逃亡よけに掘らされた濠の土でできた「望郷の丘」から鑑賞しました。花火は、亡くなった入所者や篤志家からの寄付を資金に、6年ほど前からおこなっているそうです。

  最後の盆踊りを見ながら、佐川自治会長にお聞きしたところ、盆踊りは、戦前から何度か途絶えつつも続けられてきたそうです。「かつては踊りの輪は入所者に職員が数人混じるぐらいだったが、今は逆転した。入所者も高齢化しているので、踊っているのは5~6人だけ。あとは全部地域の人たちだね」とのこと。

  ハンセン病基本法が今年6月に成立し、国立ハンセン病療養所の地域への開放が可能になりました。療養所の差別の歴史を消すことなく、施設をどう発展させ活用していくのか、その将来構想の検討がはじまっています。

 


 

「保険あって介護なし」の実態     (08年8月7日)

 小池参議員や衆院候補、地方議員のみなさんと、介護保険給付抑制をやめ、深刻な人材不足を打開することについて厚生労働省に要請。

  「職員が確保できずに、定数100名の施設で、多くの待機者がいても80名しか受け入れられない。ショートステイもおことわり状態」「福祉の心でやってきたが、もう限界。来年までもつかどうか」など、人材不足の深刻な実態がつきつけられました。私も、この間調べた実態をもとに、介護報酬引上げのために、国庫負担引上げがカギであることを強く求めました。でも、「保険制度は、保険料を払ってもらって受給の権利が生じるもの。安易に国庫負担は引き上げられない。予算の中でしかサービスは供給できない」などと木で鼻をくくったような答弁。国民の痛みをわかろうとしない政府の姿です。

  この要請で問題になったのが、北区での介護認定を低く抑えて介護給付を抑制する動き。『週刊東洋経済』8月2日号でも紹介されています。区議団から5名が参加し、この動きを東京全体に広げてはならないと、国の指導を求めました。

  北区では、介護認定基準を区独自で厳しいものにして、他区間の移動で介護度が4ランク下がる人もでるという異常さです。結局3年間で100億円も保険予算を使いのこしています。毎月平均1200円の保険料取りすぎと同じだそうです。

  保険基金の積み上げは各自治体共通しています。06年の介護保険制度改悪で、軽度の人を保険外にしめだしたことや低収入世帯での利用抑制、人材不足による受け皿減などで、全国的に2年間で1兆円近くも給付実績が減っています。毎月高い保険料を天引きされながら、いざというときには使えない制度では、まるで詐欺です。

  制度の抜本改善は急務だと改めて痛感しました。

 


 

現場に責任丸投げ、給付削減のみ指導でいいのか  (08年8月6日)

 きょうは、東村山市のヘルパーステーションと訪問看護ステーションの責任者と懇談。谷川比例候補と山口市議といっしょです。

  ここで痛感したのが、介護保険制度で自治体としての責任が放棄され、現場のケアマネージャーに大きな負担がかかっていることです。利用者が役所に相談を入れると、介護事業所の一覧を渡され、そこで相談をするように言われます。ケアマネージャーは、電話や来訪で寄せられる相談に日に何度か対応します。相談者の生活丸ごとを受けとめ、どうすればいいかをアドバイスするには、1時間~2時間近くかかることもあります。自治体の仕事を代替しながら、これには何の報酬もつきません。

  事業所のサービス提供責任者も、365日携帯電話にしばりつけられます。利用者にとって曜日は関係なく、何かあると役所ではなく、ケアマネージャーか事業所に連絡をいれます。それでも事業所は赤字です。利用者の側も、事業所が介護支援を引き受けてくれなかったり、利用料が払えなければ、泣き寝入りです。

  今、都や市が積極的に関与しているのが、保険給付の「使いすぎ」を指摘し返還させること。どこでも都の監査が厳しく、払い戻し請求もあり、それを恐れてケアプランの段階から自粛傾向になっているようでした。

  自治体が住民の福祉に直接責任を負わず、実際は民間まかせで、ただ社会保障費抑制だけを追い求めるとは、どうかしています。「介護の社会化」どころか、ここでも「自己責任」「自助努力」が顔をのぞかせていると感じました。

 


 

介護ヘルパーの働きがいをとりもどしたい  (08年8月5日)

 二日続けて、東村山市と清瀬市で介護事業所を訪ね、懇談しました。

  共通してだされたのが、あいつぐ制度改悪で、介護職の方たちの働きがいや誇りを奪い、利用者にとっても利用しづらい制度にしていることです。

  介護内容に「あれもダメこれもダメ」と制限が加わり、時間も1時間、30分という細切れで、長くても1時間半。利用者との会話はあいさつだけで、ヘルパーは分刻みで仕事をこなしています。まず手を抜くことになるのがそうじ。国もそれを認めています。10分前に仕事を終えて報告書も書かなくてはなりません。一日4ヶ所が目いっぱいで、移動時間をふくめて一日拘束されて一ヶ月で13万~15万円。交通費は出ません。パートがほとんどですが、空き時間に自分の買い物をすることも許されません。

  ヘルパーが、感謝されるよりも文句を言われ、「ごめんなさい」「すみません」を連発することもあるそうです。「高齢者の話をじっくり聞き、共感しながら人間関係をつくり、尊厳ある生活を支えたい」。この思いが踏みにじられたのでは、ボランティア精神の発揮にも限度があります。働きがいをうしない、短期間でやめる人が後を絶ちません。募集への応募もほとんどありません。

  ある施設の事業報告書では、30歳代の職員が管理職に指名されても、低賃金と重労働では結婚もできず将来性もないと見限って、次々に退職。施設としての長期計画や設備投資のめどがたたないと明記しています。

  「介護職は専門職。働きつづけ、育成できる条件をつくるべき」。これも共通した声でした。

 


 

貧困をなくすために、やってみるしかない  (08年8月3日)

 午後は、保育合研基礎講座「もうがまんできない!広がる貧困」に参加。谷川智行比例候補といっしょです。パネリストが作家の雨宮処凛さんと反貧困ネットワークの湯浅誠さん(ホームレスなどの生活支援事業「もやい」主催)とあって、数百人の広い会場がほぼ満員。

 湯浅さんは、若い世代での貧困の広がりが、「貧困の質」を変えていると強調。日雇い派遣の仕事しか選べない状況になり、アパートを追い出され、資金も底をつくと、ホームレスか自殺するかの選択肢しかなくなる。役所などの公的機関への相談が選択肢にのらずに、結局放置されることになります。さらに派遣会社やサラ金、住宅の「ゼロゼロ物件」など、貧困者を食い物にする「貧困ビジネス」の実態もひどい。自衛隊も貧困者をねらって「もやい」に勧誘にきたそうです。

  貧困者がどうつくりだされるかを、湯浅さんは、「五重の排除」(①教育課程からの排除、②企業福祉からの排除、③家庭福祉からの排除、④公的福祉からの排除、⑤自分自身からの排除)と説明しました。今の貧困が、「構造改革」政治の犠牲であるとともに、「自己責任」論でバラバラにされている苦しみの深さを改めて思いました。

 雨宮さんは、フリーターによる「自由と生存のためのメーデー」の様子をDVDで映し出し、「給料よこせ!仕事をよこせ!」とラップ調のシュプレヒコールでにぎやかにデモする姿を紹介。私もみながら、ワクワクしました。今年は14箇所だったこの「メーデー」を、来年は100箇所にしたいそうです。

  いま33歳で、就職難の超氷河期体験者でもある雨宮さんは、同世代のホームレス化や自殺のひろがりを入り口に、反貧困の運動を開始。「自分が悪いと自分を傷つける方向ではなく、社会という外に自分を苦しめる要因があることを見つけ、その出口に向かいたい」と。「貧困の広がりが全世代の問題であり、資本主義の根本に関わる問題につながってきた。問題の大きさにたじろぐが、視界がひろがる」とも。

  会場から若い質問者が、「この危機感を同僚と共有できないが、どうすればいいのか」と。私も知りたい中身です。お二人の答えは、「いろいろやってみるしかない」「生きられないから運動しなくてはならない」というもの。実践してきたお二人らしい回答です。私もいろいろやってみようと思いました。

 


 

子どもを大切にする国にしたい   (08年8月3日)

 全国保育団体合同研究集会に参加。明治大学和泉キャンパスの二つの分科会で学びました。

  午前中は、「公立保育園の民営化問題を考える」分科会。立教大の浅井春夫氏の講演のあと、各地の取り組みが報告されました。大阪府八尾市立高安保育所の 若いお母さんの報告が胸をうちました。

 この保育所は、市が「財政事情」を理由に、強引に廃止・民営化を決定。それに抗して、現在4世帯12名が原告となり廃止処分取り消しを求める裁判をおこなっています。お母さんは、「保育所は、単に子どもを預かる場所ではなく、子どもの発達を保障する場。八尾市は、まるで保育所はどこでも同じ、経費が安ければ安いほうが良いといわんばかりの主張をしているが、子どもは大量生産される画一的な商品ではない」と。そして最後に、「4月の朝の保育所はどのクラスからも子どもの泣き声が聞こえる。保育所に通う子どもは、親とわかれ、昼間を保育所ですごす。やっと慣れた園庭、先生、部屋を大人の都合で取りあげるのか。子どものために、親や大人が動かなければ子どもは守れない。大人もみんなで支えあわなければならない。私もたくさんの人に支えられていることに感謝している。子どものことを真剣に考えあい、一歩一歩あきらめないで前に進むことが大切。運動がなければ、子どもが楽しく過ごし、子どもの可能性を伸ばし、子育てが楽しいと、みんなが思えるようにはならない。みんなで子どものことを大切にする国にしたい」と訴えました。

 全国で起きている保育所民営化の流れで、今年には公立と私立のカ所数は逆転するようです。正規職員を非正規におきかえ、給食は民間委託、定員オーバーの入所など、基準はすでにどんどん下げられていますが、最低基準そのものの見直しが迫っています。福田政権が発表した「5つの安心プラン」では、「新待機児ゼロ作戦」をうちだし、3歳児未満の子どもの保育所利用率を10年間で20%から38%にまで引き上げるとしています。今後100万人規模で入所児童を増やすということです。必要に応えることは大事ですが、保育の質を大幅に下げてでは、子どもはすくわれません。

  子どもを大切にする国へのとりくみがいよいよ重大局面です。

 


 

「魅力ある街」をつくるのは誰か   (08年8月2日)

 イオンによる住民説明会に参加。巨大商業施設進出に反対する住民と地元業者の思いと、それをまったく意に介せず強行しようとする大企業との立場の違いをまざまざと見せつけられました。

 環境調査評価書案の説明は、一番利害関係のある周辺地域内でおこなう義務があります。ところが、ふさわしい会場がないとの理由で遠くはなれた地域で開催。開始直後から、この問題で説明会の無効や別途地元での開催を要求する住民側と紛糾しました。

 イオン側は、司会者が語気を強めて参加者を威嚇し、会社代表も淡々と型どおりのあいさつ、アセス会社がとにかく説明をすませれば良いという傲慢な態度です。

 イオンにしてみれば、中央不動産の土地を借りて箱物を建て、テナント料でもうけ、うまくいかなければ撤退すればいいという事業です。でも住民は違います。何十年も何世代もここで住み、営業する場です。死活問題だからこそ、必死です。

 商業者は、「今でも助けてくれという状態。イオン出店は、おぼれかかっている人にさらに大波をかぶせるようなもの」と訴えました。ところがイオン側は、「商店街への影響は全くないとはいわないが、イオンの影響だけではない。自助努力や個性をだすことでやっていけるはず。イオンも経営努力をしている。お互いにがんばればよい。市民に貢献できる」というもの。撤退問題でも、「それは最後の決断、それまでに業務変更をおこなう」と、将来の撤退を否定はしません。

 イオンの今回の事業目的には、「魅力ある街づくりにつながる商業施設を計画することで、地域社会の発展と活性化に寄与できる」とあります。でも「魅力ある街づくり」とは、市民自身がおこなうことです。イオンの進出で大量の自動車を呼び込み、市税の道路への注ぎ込みで住民サービスが削られ、地元商店街をつぶしたうえで、「魅力ある街」とはどんなものを描いているのでしょうか。

  地球温暖化にも逆行します。オーストラリアで苗木を植えることで、新たな大量の排気ガスを容認するわけにはいきません。

  そもそもが、イオンと市当局とが勝手に決めたことを市民におしつけることからはじまったのが、今回の問題。市民不在の動きには、市民の運動が決めてだと思います。少なくとも、環境アセスに対する市民の意見をたくさんあげましょう。

 


 

新盆のお供え   (08年8月1日)

 東大和市での訪問行動の最中、新盆を迎えるお宅のお供えを見せてくださるというので、訪ねました。
その方が昔体験した精霊棚を再現したいと、さんざん探して棚を手に入れたそうです。団地の部屋に飾り付けされた精霊棚は、私にとっても懐かしいものでした。笹竹やホウズキ、小さな赤い花をつけたミソハギ(私は子どもの頃、ボンバナと呼んでいました)、キュウリの馬(先祖の霊があの世から早くこちらに来るように)とナスの牛(ゆっくりとあの世に帰るように)。小さく切って蓮の葉に盛ったナス(種が108の煩悩の数だけあるとのこと)。

 新鮮だったのは、この棚が2段になっていて、幕で隠された下の段は、無縁仏のための供養棚になっていたことです。スイカなどが供えてあり優しい心遣いが感じられました。

  そしてなぜ8月1日なのか。普通旧暦の7月15日か、新暦の8月15日がお盆ですが、この地域では、かつてのお茶栽培などの農作業との関係で、中間のこの日になっているのではということでした。

  昨年亡くなった夫君を偲び、また地域の古い伝統を思い起こしながらひとつひとつ飾りつけをする、そのことで心をいやしていらっしゃるのだろうなと感じました。

 

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