3月31日(水)
3月の晦日です。今後一生見られるかどうかわからないと思われる、メジャーリーグの公式開幕戦の
第2戦を見てきた。素晴らしい松井のホームランを見せてもらった。バックスクリーンの上2階席の
29列の34番で記念すべき試合を見たのだ。丁度全体が見渡せて何となく顔も見えるかな見えないかな、
の高さだ。今日はヤンキースの日だったし、まさにわが郷里石川県の誇り、松井の日だった。
試合もすごかったが、ホームランの時に歓声の大きさに圧倒した。家内と行くつもりだったが、野球好きの
先輩に譲って、家内は家でテレビ観戦だった。
サッカーもW杯予選のシンガポール線も勝利。良かった、良かった。
都内はあちらこちら桜が満開になってきている。たまたま両国近辺に会社があり、隅田川の近くを通ると
堤の桜が、満開だ。やっぱ夜桜見物に行くしか時間が作れない。とほほ・・・・。
明後日から3日間、藤沢で獣医さんの学会のお手伝い。
何事もなく3月を終えることができた。体調も最高。ただ花粉が悪さをし、耳は痒いし、鼻の奥はひりひり。
鼻は痒い、目は痒い。あと1ヶ月がまん、がまんなのだ。
3月29日(月)
27日から循環器学会が東京であり、3日間お手伝いに行ってきた。
4年前告知を受けて、その時相談をしたK大のO先生にお会いできた。またTSU大のW先生やTI大の
K先生他沢山の先生方に私の元気な姿をお見せする事ができた。
東京は一昨日から急に暖かくなり、桜の花が急にほころび始め、会社の近所の国技館の横の桜並木が
強い風に桜吹雪が舞っていた。3日間とも天気が最高だったので学会も盛り上がった。
日曜日2回目のバンド練習があり、なんとか5曲が人様に聞いてもらえそうになってきた。不思議なもので
合わせるとだんだん良くなって聞こえる。
私は連打が乱れ、少し辛いものがある。でもこれからゆっくり鍛え上げて行こう。みんなの音がピタッと
合った時やエンディングでバチッと決まったときに結構ぶるぶると来る。それは嬉しさであったり、感動であったり
音楽をしていることが、とっても喜びなる。これこそ免疫力アップに秘訣かも。
音楽は心の平和を表す。どんなに鉄砲を撃っている国があるが、音楽はそれをのぞまない。なんとか無事に
終わることを祈ってやみません。音楽が平和の架け橋になってほしい。
26日にnobbyが卒業をしてしまった。原因が分からないが、奥様の書き込みには静な死を迎えたとあった。
悔しいが変われない。こころからご冥福を祈る。 合掌
3月26日(金)
なかなか更新が出来ないくらい忙しく、なおかつ大変くたびれていた。ようやく少し時間が出来た。
今週は火曜、水曜と青森の出張に行った。火曜日は朝5時半起きで、7時45分の便で青森へ、9時丁度に
到着、車で青森市内を通過し、蔦温泉に向いました。八甲田の山越えルートは積雪の為通行止めだったが
少し迂回し山の中腹を越えるルートで十和田湖に向って走った。途中2メートル近い雪の壁の道を車は気持ち
良くすり抜けて行った。その後、取材で奥入瀬を走り十和田湖の出水口まで行き、戻ってきた。以前、緑の中の
奥入瀬の風景が頭にあったが、冬の奥入瀬は、葉もない木々の中を雪解け水が流れていて、まったく違う光景
だった。その後急遽弘前に向かい夕方まであっという間の時間を過ぎた。夜は居酒屋で田酒を飲みながら
ホタテやボタンえびイカの刺身で青森の魚介を堪能した。
翌日は弘前方面、白神山地の入り口西目屋まで足を伸ばした。20時45分まで帰る便がなく、空港で今度は
豊盃を飲みながらホタテかき玉うどんを食べた。これも味わい深い一品だった。家に着いたら11時、くたくた。
白神山地は是非家内と一度歩きたい世界遺産だ。地元の人は、とにかく空気がおいしいと絶賛だった。
木曜日はたまった仕事に終われ、一日を過ごした。
今日は朝から大きな納品があり、2時過ぎまで外出した。
7回目のドラムの練習に行ってきた。主にブラックサンドビーチ、ラブポーションNo9、アパッチだ。
明日から3日間、学会の手伝いだ。
3月21日(日)
昨日は朝から冷たい雨で、こんな日だけど、成人式の時に着られなかったので、長女が友人と二人で振袖を
着たいというので、友人とお母さんとが我が家で着付けをする事となり、やってきた。
2時過ぎから着始めたが、終わったのが5時ごろだった。父親はこんな時にはすることがない。
5時に梅の花を予約してあり、急いで向った。7時ごろまでゆっくり食事し、その後写真をいっぱい撮ってきた。
仲の良い友人がいることは大事な事だ。あでやかな娘達の姿に大満足の一日だった。
今日は早朝から大騒ぎで、次女が石垣島へ行くと言う、6時半羽田発のJAL。初めてスカイメイトの手続きを
するので、早めに行かなければならない。家を5時に出て向ったが、5時20分には到着し充分間に合った。
国内旅行も馬鹿にできない、学生のスカイメイトで片道3万4千円、えーー。往復で6万8千円なの。
海外に行けるね。今回はお世話になった塾の先生方と知人の所に宿泊のため、航空運賃と食費のみ。
9時48分に着いたとメールが入った。“あっちいー”そうです。23度と言っていました。やはり東京から
3時間18分グアム、サイパンまで南ではないが、そろそろ石垣島も夏モードです。俺も行きたいぞーーー。
さてあやめさんが、本当に辛そうだ。薬のせいもあるが、精神的にまいっている様子。早く元に戻れる事を
祈りたい。確かにがん患者と鬱はある程度切り離せない。あくまで今回の場合は薬害だ。
以前知り合った方が、前立腺癌の治療のためにホルモン系の薬で、鬱症状が出て目が離せない状況と聞いた。
どうしても癌を持ったばかりに、自分を責めたり、なんで自分が癌になったと恨んだり、結構精神的に落ち込む。
その際にも鬱的な症状はあるものの、これは回りが支えてあげればなんとか取り戻せるみたいだ。
やはり精神的に支えてくれる人が近くにいて、情報が的確に入って、冷静になれると良いのだが。
さていかりや長介さんが亡くなった。頚部リンパ癌、多分原発が特定できていなかったのかも知れない。
何でだろう、見つかったのが遅かったのかな。HPの知り合いは癌=死などとは程遠い人ばかり。
みんなステージ3bでも力強く闘っているし、奏功している。癌の性質は分からないが、早い癌だったのかな。
ピノコの部屋でふじみとむ。さんが言っていた。白い巨塔の財前教授を結果死なせてしまったのは、ドラマ的には
仕方ないが、テレビを見ている人はやはり癌=死をイメージしてしまう。
私やふじみとむさんみたいに癌を蹴散らして生きている人たちのノンフィクションの番組の方が数字が取れるのでは
なかろうかと???画像的には耐えられないかもね???(大汗)
3月18日(木)
今日は朝から曇り空でせっかくの次女の卒業式だというのにお昼から雨が降ってきた。3時過ぎから
めっきり寒くなってきた。夕飯は長女とお寿司を食べた。
さて白い巨塔の財前教授は案の定胸膜への転移があった。肺がんのステージTbのはずだったのに。
がん患者としてこれからの様子を見るのはつらいが、このドラマの結末はこれから見よう。
さて先週日曜に練習して来たバンドのHPが完成したと連絡が入ってきた。ぜひ見てください。
こちらへ ほりきん
中学の入学から今日の卒業までの6年間を共に過ごした友との別れでした。
中3の時に ほりきんの癌と出会い、混乱した娘も私もこれからの事を考えると…目の前が闇になった!
これからどうなるのか…?全く先の見えない状況の中、娘も私も部活の友人と、その親御さん、担任の
先生とみんなの力でここまで元気にやってこられたと思う。
卒業式の会場にいるだけで、色んなことが思い出されて涙が出てくる。
仕事でなければ ほりきんにもこの会場に来てほしかった。
バトン部という部活が、全国大会に出場したいとゆう目標があったからこそ…ほりきんが心配で
”部活の事は自分でやりなさい 協力は出来ないから”などと言ってしまったけど。。。
全国大会にも出場し、良き友にも恵まれ、親としては最高に幸せでした。
3年10ヶ月前は今日の日を迎えられないかも…?と不安と恐怖にビクビクしていたけど…。
今日は、ほりきんと娘達の頑張りに心から感謝したい。 ありがとう!!! M
3月16日(火)
14日の日曜日は夕方までのんびりした。6時に上北沢の貸しスタを予約してあるので、5時45分には
駅に着いた。おなかがすきそうなので、おかきと、ビールとお茶を買って駅前で待っていたら、ギターの
T君が迎えに来てくれた。スタジオは結構広くいい感じ、みんなが揃いいよいよ音あわせが始まり、私の
胸は高鳴りました。果たして叩けるのだろうか。。なんと5時間しか練習していないわけで、それもほぼ
30年ぶり、でも始まってしまえば、それなりに何とかなったのだ。ほぼ3曲は人に聞かせられそうな感じ。
これからも練習だ。ちょーーーーかっこいい!!!。ドラムを叩くほりきん。。
15日(月)は一日忙しくばたばただった。家に帰ったのが10時過ぎで、
夕食はいよいよ蟹のオンパレードです。
毛蟹は酢で、たらばは焼き蟹に、ご飯がかにごはん、その上にいくらを乗っけて、これが最高なのだ。
蟹を堪能した。
今日16日の夕食はほっけを焼いてもらった。これが脂が乗っていてこれまた最高だった。
冷蔵庫に陣取っていた海産物は見事におなかの中に。来週青森に出張だから今度は自分で買ってくるか。
青森に行くとつまみもいいし、田酒が上手いのだ。グルメってくるか。
3月13日(土)
2、3日寒い日が続いていたが、今日は暖かい日になった。しかし風が強く、その分埃や花粉が飛んで
私の目を攻撃する。何とか紫蘇と甜茶系の健康食品で今日まで抑えてきている。しかし目の痒みは
どうしようもなく目薬を使わざるをえない。
家内は次女の学校の行事で出かけるため、家の用事をまかされた。自転車のタイヤに空気が入らない。
虫を買いに。。コーヒーをたてたら牛乳がない。。宅急便の荷造り、ゴルフの練習も行く。買い物へ。。
不動尊も行く。1日ってこんなに短かったのだ。
夜中に長女が北海道から帰ってくるというのだが、飛行機が遅れてモノレールがなくなるので羽田まで
迎えに来いと電話が入る。しょうがなく迎えに。。。
体調が良いから家族もどこへでも出かけられるし、わがままも言ってくる。なにかこれが良いのかも。
気は緩められないが、医者離れしつつ、生活も普通に戻りつつある事が大事なのだと、健康な人には
わからない理論なのだ。
3月9日(火)
3ヶ月ぶりのT病院の診察だった。8時半過ぎに受付をし、呼ばれるのを待ったいた。
尾道からささゆりさんも、今日の診察で到着。とっても元気なご様子でお互いに安心をした。
9時半の予約でしたが、交通事故の急患が入り、先生は救急へ、「ほりきんさんお茶でも飲んできて
30分程で戻るから」、まっ、しょうがないか腕が良いから。ささゆりさんと3人でのティータイムとなる。
50分を経って行ったら診察が再開していた。
いよいよ呼ばれ、先生から血液検査の結果、「今日は怖い事を言うつもりはありません」との言葉で
CTの結果は全くの問題なし、それを聞いて胸をなでおろした。
炎症反応、腫瘍マーカー、肝臓の数値等、全て正常でした。
6月にPETの予約をしてきた。
先生の言葉の中に、僕の場合、腫瘍マーカーの数値はあまりあてにならず、今回高かった数値も
目くじらを立てるほどではなく、もし人が毎日こんな血液検査をしたら毎日違う数値が出るほどみたい。
腫瘍マーカーが動いてもあまり気にしないでよいと思われる。体調によっても変わるようだ。
これで昨年2月に副腎摘出手術をして、1年以上何もない状態が続いてくれている。本当に嬉しい。
これから3ヶ月に1度の検査で済みそうで、少しづつ医者離れが出来そうだ。
厳しい闘いをしている人たちのも少しでも改善があって、良い方向に向って欲しいと祈る。ほりきん
考えたり、言葉にするのが不安で、今日の検査の結果ことはお互いに口には出さず来た。
検査結果を聞くだけの日なので、待合室の前に来た時も早く、誰もいない。(妙に静かで…)
少しずつ検査を終えた人が増えてくると1番の方が呼ばれた。 アッ 先生の声…。(緊張)
1番の方が出てきた。 うちの番だ! そしたら先生が「お茶でも…」なんだか力が抜けて、張り詰めていた
糸が緩んでしまい楽になる。副腎転移の時の怖さが抜けきれない私がまだいる。
画像を色んな角度から、つながりから見せてもらい、ほりきんの気をつけなければいけない箇所を
指差して見せてもらう。
手術した肺のつなぎ目・その周りのリンパ節・肩の付け根 鎖骨を巻くようにあった癌の周り・反対側の
副腎・その周りの臓器・とにかく首からおなかまでの全て前から、後ろから、横から…。
こうしてPET・CT・血液検査で確認するしかない。
昨年の2月から1年の経過の意味の大きさを改めて感じる。
具体的には、何をどうすることが予防なのか? 再発を防ぐのか? 転移を予防するのか?
今の所何の治療もしていない為 わからないのが本音です。
やっているのは、代替治療のAHCC・プロポリス・マルチビタミン ミネラル・ビタミンC・オアシスグリーン
還元水・適度の運動ゴルフ・仕事・規則正しい生活リズム。
こんな誰もが意識しないで普通に出来る事ばかり…でも癌になる前は、こんな当たり前なことが出来て
いなかったのかも…?
気を緩めることなく、予防は続ける ”継続は力なり” 小さなことも続けることで大きな力となることを
信じて 祈って!
気が楽になり、ほりきんを会社に送り ささゆりさんともんじゃを食べに月島へ。
先生にも「うらやましい」と言われた。
大学が決まり家に待っていた娘も一緒に、やはり シゲさんご夫婦と行った ”あんず” にした。
すっかりお友達になっていただいたささゆりさんと話も盛り上がり食欲も…楽しかった。
そして もの凄い偶然の再会。
もんじゃの店に入ってきたお客様の二組目 女性の二人づれ、見た時何かを感じた。
”もし Mちゃんなら 年取ったらこんな顔?” でも中学卒業から会ってない。確か埼玉にいると…。
そんな事があるはずはない! その二人づれが帰ろうとお金の清算をする時に連れの方が ”Mちゃん” と
言ったので やはり気になる もしかしてと思うが勇気がない。
ささゆりさんに言うと、ちょっと背中を押してもらい、「違ってもと声をかけたらと…。」言われ、
間違っていたらごめんなさい”Mちゃん”… その驚きはお互いに大変なものでした。
金沢の中学2で1年間だけ同じクラスになった時から37年一度も会ってない、それがここでの再会に
沢山のもんじゃ屋さんがある中でのこの偶然…。
嬉しい事が会った帰りなので…なんだか不思議な力を感じた。
検査の結果の贈り物は、ほりきんから! 偶然の出会いは、神様からの贈り物?!
今日は ありがとうございます♪♪♪ きん妻
3月7日(日)
午前中はのんびり過ごし、家内は何を思い立ったか、寝室のカーテンのカビを取るんだと洗い出し、
ついでにお風呂を徹底的に掃除をしていた。私はのんびりマラソンを見ながら、女子プロのゴルフを
見ながら、夕方になった。宮里藍ちゃんおめでとう。ちょっと感激した。我が家の次女と同い年だ。
本日丸28年の結婚記念日を迎えまして、家内と二人お食事に出かけた。晴海トリトンのイタリアンに
した。プレゼントはありませんが、とにかく家内にお礼と、これからも宜しくお願いしますと心より伝え
ゆっくり楽しんできました。パスタも肉料理も、魚料理も美味しくワインを3杯も飲んでしまった。
その後家内が洋服を見たいと、トリトンの中を歩いていると、M病院のY先生にばったりお会いした。
ネット上での患者同士のやり取りや、支えあいについてご存知で、Y先生のお顔を見たらあやめさんの
事を思い出した。病院のいかめしい顔とは違って気さくにお話ができた。
結婚記念日になんとなく嬉しい出会いだった。ほりきん
寒すぎる3月・風は強く冷たく真冬なみと感じたのは私だけなのか?
娘達は、「どうぞ結婚記念日は二人で…♪」なんて気を使ってくれたけど、何の予定も、予約もない!
気のきいた事を計画立ててくれる事は今までにもないので諦めてはいても…世の中のご主人には
奥様の気持ちを本当に上手くつかんでいる人も多い。
結局、車が止められ近いと晴海トリトンに出かける。
いつも同じところではと思い違う店に入る。 「今日のため予約してあるから…」なんて事は夢に終わる。
でも 美味しかったので満足! 二人の話題はもっぱら癌・がん・ガン…9日に結果が分かる為どうしても
なんか楽しい旅行の話とかないものか? 自分達の生活にしっかり定着してしまったこの ”癌野郎”
と思うけど仕方ない。
ただ こうして食事を美味しく食べることが出来ている今に感謝したい。
来年の30年目に期待しょうかな…?!(独り言)きん妻
3月6日(土)
すごく久し振りに11時まで寝ていた。春の霞かお日様は出ているがボーっとした天気だ。
昨晩サッカーのオリンピック予選を最後まで見てしまった。
今週は月曜日、水曜日、昨日と12時半までサッカーを見ていたから、やはり睡眠不足をしていたのだろう。
勝って良かった。勝ち点7でトップで折り返した。さほどファンではないが結構力が入る。点の入らない試合は
疲れだけが残るのは私だけだろうか。
3月も忙しく動いている。喜ばなければいけない。
リンク先の方々が厳しい治療をしている。書き込みを見て一喜一憂したり、闘っている人たちにどんな言葉を
かけてあげれば良いか、また書かれている内容に同感したり、こんな事を書くなよってのもある。(特に死のこと)
文字を書くということは残るし、それによって嬉しい事もあるが、傷つく事もある。それに日記が更新されない時
書き込みがとまっている時、結構ハラハラしている。
わたしも友人から日記が更新されていないと“どうしたの何かあったの?”と言われる。幸い私の場合は元気で
忙しい為がほとんどで、逆に元気だと書く事がなくなるのである。
病院もこれから3ヶ月に1度になると、病気の話題から遠のいていけるのかもしれない。でも忘れてはいけないし
忘れるはずもない、私は肺がん患者3bだった事を。一日一日を大切に、一歩一歩、歩いていこう。 ほりきん
何年ぶりかに私の友人と会って食事する事になった。
高校の時の友人だが、ほりきんも知っているので夫婦で出かける。
手術の時に始めて 「今度 ほりきんが肺がんの手術をする事に…癌は2年前から」と伝えた時の
電話の向こうの友達の顔が想像つくくらい 驚いているのを感じ取られた。
今回 東京に来るのに連絡を取るのが不安だったと…私が彼女の立場なら同じ事を思っただろう。
だから一緒に出かけ食事して 元気な姿を見てもらった。
気持ちはあっても、心配でも、「今 元気にしてる?」この声をかけるのが勇気がいる。
これが ”癌” とゆう病気の怖さを表しているようです。
それにしても、時間が尽きない・足りないと思いながら別れてきました。
娘の進路が決まり後は卒業式を待つばかり、これが終われば娘と一緒に金沢に帰る時間を見つけよう。
ほりきんが少し飲んだ為私が運転、中央大橋を渡ったところで検問。
「こんばんは 飲酒運転の検問です。私に息を吹きかけてください」 ハァー「良いですよ」
こんなに簡単でいいの…? 終わってから二人で笑ってしまう。
免許書も見てない、ハァーと息をかけただけで 分かるのかしら???
でも つかまっている車もあるから…分かるのか??? 私と同時にほりきんもハァーとかけたら
分かったのかしら…? なぞの残る笑える検問。(結構 窓開けるまでドキドキしたのに…)M
3月3日(水)
女の子の節句です。ひな祭りの日。
9時からCT撮影で久し振りにT病院に行って来た。3ヶ月行かなかった事で以前基礎工事していた建物が
ほぼ建ちあがっていてびっくりで、3ヶ月と言う時間は結構長いものだ。
最近のCTは本当に早い、寝て1回首の辺りからおなかまで移動して、次に造影剤をうって、やはり首から
おなかまで1回移動したら終了。こんなに早かったけ?15分で終了、その後血液検査へ以上終了。
会社に10時半過ぎに戻った。
さてこの結果は9日に診察です。
忙しい日が続いているがなんとか捌けている。
夕食は家内の愛のこもったちらし寿司だった。ついつい食べ過ぎてしまう。今日も太りそう。
不安は無いわけではないが、なんとかこのCT検査をクリアーしたいものだ。
3月1日(月)
弥生3月になった。いよいよ今月3ヶ月ぶりのCT撮影と診察がある。
3月のタイトルは本当の春とは? 術後丸1年が過ぎ、本当の2年目に入ったのだ。ここから月日を重ね
4年が過ぎて初めて、5年生存なのだ。目標は1461日、無事に過ごせれば本物だ。
だから今度の検査をクリアーすればようやく春を感じられるのだろう。