5月1日
今日はメーデーで会社は休日です。昨日、今日とM病院で手術を前提に検査をしてきました。
昨日は9時からリンパ節と縦隔のCTを撮り、9時半に終わったので12時半まで時間があると思い
会社に行って仕事をし、病院へ戻ったら、点滴をしなくてはいけなくて看護婦さんにちょっと叱られ
ました。12時半から点滴をしながら、気管支内視鏡の部屋に入り、例の辛い喉の麻酔をし、
覗くだけですからと言われ、20分ぐらいの内視鏡で図の1、2、3、4の細胞をつまんだ。
3月のS病院で撮った気管支鏡とほぼ変わらなかった。
私、図が下手なもんで申し訳ないですが、
午後4時ごろからS先生の説明がありました。
右上葉肺の入り口に癌(黒い●)があり、
入り口を塞いで無気肺になっており、無気肺の
中にも 癌(黒い●)が有ります。
生検で1、2、3、4の細胞に問題なければ、
手術は1と2を輪切りし、3と4を輪切りし繋ぐ
手術になり そうです。
ですから右肺全摘出はなさそうである。
血液検査は癌の腫瘍マーカーは全て正常値で
問題はなかった。
腫瘍マーカーの数値が正常で2年も 続いているのは、
一体私の癌は死んでいるのか?生きているのか??
いまさら私が手術を望んでいるのではなく、2年前に私はS病院にて手術を希望していたのですが、 無理であると
判断され、放射線を選択しました。2000年10月にセカンドオピニオンでK病院でも無理 だと言われ抗癌剤を
勧められましたがしませんでした。
この病院に伺っていたら手術はできましたか?と聞いたら、可能だったと言われた。
私が診察を受けていた所とは設備もマンパワーも違うとのこと。でもS病院では適切な治療をしてきたのではないかと
フォロー?もあった。もう一つ、私の癌が性質の良い癌だから幸いしたとも言われた。
脊椎に少し痛みがあり5月14日に骨のMRI検査が増えた。
2年間転移もなく、どこも悪くならなかったことが幸いしているが、やはり病院選びは癌患者に
とって大変に大切な
事を実感しました。
2年間の癌の闘いや情報収集は無駄ではなかったが、やはり体の中に癌を持って闘うのと、 持たなくて闘うのは
随分違うと思う。
今日は10時から頭、胸、腹部のCTを撮った。11時から肺のシンチグラフを撮った。午前中に終わり
午後からゆっくりできた。
5月3日
いよいよ後半のゴールデンウイークに入った。昨日は会社でキャツ&ドッグだった。夕方M先生の
診察を受けた。癌のエネルギーは全くゼロで安心しました。手術の前に確認をしたかった。
ただ人に感染するようなものではないが、弱い結核の反応があった。最近先生の所にくる患者さんに
癌が治まると、結核が動き出す人が増えているそうです。M先生も手術で取りきれることは良いと
言われた。その後、インドネシアで仕事をしている叔父が日本に帰ってきていて、私の癌の話を
初めて伝えた。
今日は長女の19歳の誕生日、夜は横浜中華街へ!
5月6日
長いゴールデンウイークが終わった。明日はいよいよ入院かと思ったら病院から電話はなく、遅れそうだ。
8時半から負荷心筋シンチの検査がある。手術に耐えられる心臓かどうか負荷をかけるそうだ。
一体いつに入院になるのやら。手術の予定になってから、急に咳がひどくなっているように思える。
夜中に咳が出るから結構辛いものなのだ。私も麻薬処方のリン酸コデインと言う、咳止めをもらっている。
めずらしく昨日血痰がいつもになく多めだった。
本当に咳さえなければただの普通のおっさんなんだけど。・・・
数日前から愛知のF君から結構深刻なメールが届いている。ありんこの部屋の日記を読むとわかりますが、
全身の骨に転移し激痛に見まわれているそうだ。結構ひょうひょうなF君だけど、今回はモルヒネを
用いなければ痛みを抑えられない様子だ。気にはなるが自分も今大きな手術を控えており、お互い
頑張るしかない。少しでも和らぐ日が続く事を御祈りします。
5月7日
今日は入院できていないのだ。多分ベッドが空いていない。
今日は朝から心臓の検査で3時までかかりました。入院の日が決まりましたら娘がホームページ上に
掲載します。その後私から自分のコンピュータに経過をメールしホームページに載せます。
今日の検査はベルトの上を歩き心臓の動悸等を調べるものでわりと楽であった。
5月8日
明日から入院になりました。手術の日はまだ決まっていません。応援宜しくお願いいたします。
2ヶ月入院と療養になります。入院中も携帯持っています。心強いのでメールを送って下さい。
また、メールで毎日の状況をホームページに送りアップします。
今日になってやはり手術は少し怖いかなと思っています。ではがんばってきます。
5月9日
今日10時にM病院の10階B棟1030号室に入院しました。6人部屋の入り口の左です。
看護婦さんはNさん(ユッキー)で気の強そうな美人です。症状等を伝えて、手術の目的を明確に言いました。
2年間の状況を伝えて今後の看護をお願いしました。今日はこのあと採血とか主治医と今後の事を話します。
11時N看護婦より入院の説明をうけ、14時から腹部と胸部と胸部の右側、肋骨のX線撮影をした。
夕方病棟主治医のT(E.T)先生から手術ができるのかできないのか先生方で相談中だそうです。
できるなら咳の原因となっている上葉肺の摘出を望んでいる事を伝えた。
やはり放射線をした気管は繋ぐのは難しいと言う事です。
手術をするしないではするを望み、できないのであれば今後の方法がない?
手術はできても5月末位になりそうです。
5月10日
家族に糖尿病がいると手術ができないと言うことで、糖の検査のため、朝5:30から採血が始り、
10:20、11:30、14:20、17:30、20:20、22:00の7回血を抜かれたのだ。左右の腕は穴だらけ。
10:30からMRIにて胸骨の撮影をした。15:00から前からと右下にしての断層写真を撮った。
夜の回診で部長のH先生に初めてご挨拶した。一言局部を切除するだけでの方針です。
スタッフが最善の方法を考慮しますと言われた。
5月11日
9時、T先生から検査結果と手術の方法と術後の大切さ、今後の予定についてお話しを頂いた。
CT、MRI、全ての検査で転移は全くない。骨、脳、肝臓、腎臓、副腎、胃腸全て転移はないと言われた。
ただし無気肺になってつぶれて右の気管支を巻いているようにある部分に、CT等でどうなっているか
判らないので少し心配がある。
手術は大掛かりなものになります。8時間から9時間掛かるそうです。
リスクは放射線をかけている部位の内皮は気管支鏡の際つまんで確認をしていますから大丈夫だが、
外側は軟骨と筋肉と皮があるそうで、開いて見て状況を見ないと保障のかぎりではないと言われた。
手術は達磨落としのように、上葉肺の上を輪切り、上葉と中葉の間を輪切り上葉肺をすっぽり取り除く、
そして繋ぐ事を最善としていますとのこと。
上葉肺の中の腫瘍は35ミリ×40ミリの大きさで、一部気管の方にはみ出してきている。そのはみ出して
きている腫瘍は壊死をしている。完全にそこに腫瘍は留まっている。
放射線を70グレイ(放射線量)しているがそれで肺炎を起こしていない。しかしながらこの放射線が手術に
対して一番のリスクとなっている。
中葉から下は何ともないので繋ぐ事は充分可能である。最悪中葉を落としても下葉と繋ぐ事も可能である。
術後はずれる可能性が高いので、お腹を空けて胃の下にある大網というレースのカーテンのような
免疫力の高い部位を切除して巻く方法も考えていらっしゃるようです。
術後、毎日気管支内視鏡でつなぎ口を確認しなければならないとのこと。
手術をすると言うことはいろいろなリスクがあるが、今私の望んでいる事と、先生達が私の為にして
くださることは、元気にピンピンして病院を出て行く事であることは一致している。
放射線をしていなければ手術のリスクが少なかったと言われた。でも2年前私はガンを告知され、
選択肢が放射線しかないと言われ、それをするしかなかった。ここが悔しい。
手術を望んでいた訳で、その際他の手術をアグレッシブにやっている病院を紹介をしていただけ
なかったことが悔やまれる。
本日の説明は以上でした。
病院選びは本当に大切だし、情報はたくさん持っていないと、後で悔やむ。
告知された患者や家族にとって、まず頭の中は真っ白、知識がない。
あるのは恐怖と不安だけ、そんな中で自分にあった病院選びを出来ている患者は
何人いるのだろうか?
私達は2年と言う時間が冷静さや、情報を得る事ができたし、先生の話しを理解できたり、
質問したり出きるようになった。癌と言う病気を知らないまま治療を受けている患者さんが
ほとんどではなかろうか。幸い私がしてきた代替医療と治療は私をこれだけ強くした。
そして今、命がある。
もっと病院の設備や情報開示があって欲しい。現状抗癌剤のみで癌が治癒した人は
いないと思う。
本日は外泊届を提出し家に帰っています。月曜の朝から肺動脈の造影撮影があります。
その検査が終了したら来週は大きな手術が入っており、23、24は学会のため、先生方は手薄になるので、
私の手術は27日以降になります。その間会社に出て仕事をしたり、実家にも報告に行こうと思っています。
5月13日
今日は9時から肺の血管の造影撮影だった。左腕の太い血管からワイヤーを入れて4回造影剤を入れ、
身体全体がカーッと熱くなり血管の撮影が終了しました。
14時から呼吸器外科の部長、H先生から手術の方法や術後のリカバリーについてお話しをいただきました。
1、診断:右肺上葉腫瘍(肺腺癌の診断)
現在の病期は1−Bですが、正確な病期は手術後にはっきりするとのこと
2、治療は手術で切除肺、リンパ節検査、一応抗癌剤感受性検査
3、手術の方法は管状右上葉切除及び肺門リンパ郭清、これに加え内部状況に応じた切除範囲の変更
(中葉合併切除など)、右肺全切徐及び肺門・縦隔リンパ節郭清を考えているとのこと。
肋骨を1本切除し上葉切除後、気管支を有茎肋間節弁で吻合部被覆する。
私の呼吸量は上葉を切除しても今より良くなる可能性が高い、もし右全切徐になっても通常の生活には
支障ないということでした。
手術における危険は全経過を通じての生命の危険率は10%位。
等々詳しくお話しを頂き、手術をする事に対して安心感さえ覚えた。後は先生方を信頼し手術の成功を
皆様に祈ってもらおう。わたしは手術に備えて丈夫な体作りをしよう。
今回の検査そして手術の決定まで約1ヶ月半ばたばたしたがあっと言う間でした。M病院の先生方に
感謝を致します。見方や外科内科の違いで病期も違うことは???ですが、1−Bと言われ少し胸を
撫で下ろしたのは事実です。
手術の日が決定しました。29日の朝8時からです。
再入院は24日になります。
5月16日
14日の10時に一時退院をし、家に帰ってきました。午後から会社に行き大した事も出来ませんが
いろいろ整理をしてきました。
15日も1日仕事をしてきましたが、手術前なので今日は家で静養をしてます。
夜はどうしても咳がひどく3回くらい起きてしまうし、咳による腰痛がつらく、早くこの咳や血痰が
手術によって改善される事を望んでいます。
5月19日
昨日、一昨日とポロポロと血痰の中に少し固い癌の組織のようなものが3個出た。
昨晩は咳が少なくぐっすり寝れ、腰の痛みも和らいできた。なにか変化が起きているようだ。
手術が決まって不思議な現象として以前に放射線をあてたところが妙に痒いのだ。M病院の
先生に放射線を当てた所が組織が壊れたり、血管が焼けど状態と言われたのが頭にひっかかって
いるのか、たまに痒いのだ。気になって手を当てて良くなっていてくれとさすっているから、かもしれない。
人間なんて精神的に弱いもので、ちょっとの事で思い込んでしまう。
でも良くなる為に手術を選んだので、先生の言葉の中にあった、ピンピンしてこの病院を出て行く
事の為に、今の自分の中に良いイメージの想像をしておきたい。
5月23日
いよいよ明日から再入院です。体調は、血痰がほとんど出ていないし、家内が咳の質が変わったと
言っている。確かに痰が絡んだ咳ではなく、いわゆる空咳です。
当家の女性軍三人が少し風邪気味のなか、コンコン咳をしている。
僕にうつしてはいけないと気を使いながらいるが、私にはうつる気配がない。
それだけ身体の調子は良い。
KさんメールのKさんから連絡があり、食道の癌が壊死し、その裏側に穴があき、そこから食べた物が
流れ出て、炎症が起き、4月の中旬より高熱が続いているとのこと、主病は癌だけどその治療の結果に
いじめられている。なんとか早く炎症が治まって治療に入れる事を祈ろう。
僕とリンクを張っているありんこの部屋の愛知のF君の病状も気になる。骨転移が進んでいるようだ。
先週から2件のメールをいただきました。UさんとアメリカのシカゴからKさんです。
御二人ともお父さんの癌のことで、肺癌から脳転移の状況です。御二人ともそんなに自覚症状は
なかった様子です。少しでも和らいだ日々が続くことをお祈りします。
肺癌は自覚症状が殆どないケースが多いみたいです。喫煙が影響する事は30%、東京のように
空気が悪いところの影響は20%ぐらいあるようだ。皆さん周りの人のためにも禁煙しましょう。
5月24日
2000年5月24日、会社の健康診断で胸のレントゲンに無気肺の白い影が発見された。
丸2年経ちました。どう言う御縁か、本日手術の為に入院する日となりました。
昨晩から右奥歯の親知らずが暴れだし、とっても痛いのだ。今日は一旦入院し、すぐ外出許可を
もらい歯科医へ行きます。
手術については、もう腹をくくっていますから、今日行って来ます。途中携帯からホームページに
状況を送ります。応援をよろしくお願いします。
M病院に10時に入院。お部屋は前回と同じ、10階B棟の1030号室です。ベッドも同じだ。
1人だけ入れ替わっており、4人は前回のままであった。10時半に早速外出許可を頂き、
S歯科医へ行き、親知らずを洗浄し化膿している部分を治療してもらった。
M病院に口腔外科がある旨教えて頂き、できれば入院中に親知らずの抜歯をお願いすつもりだ。
15時から胸部X線を撮る。咳はあるが体調はすこぶる良い。
5月26日
金沢から、義兄に見舞って頂いた。余りに元気な僕をみて驚いていた。ただ改めて僕の咳を
聞くとさすがに手術に踏み切った実情を感じとってもらえた。今日も検査は何もなく外泊届を提出し、
義兄と家に帰って来てゆっくり話ができた。明日は10時には病院に戻る。
明日から術前の尿検査、麻酔の検査が始る。ただし昨日僕より重病の患者さんがいて、
その方を29日に手術し、私は31日に延びるかもと言われた。と言うことは私は重病ではない??
でも私の手術は8時間掛かるといわれています。気を抜かずに手術に向かおう。
5月27日
日曜日に家に帰っていて会えなかったため、病院に訪ねてくださったOさん夫婦が今日もう1度
顔を見せてくれました。偶然、Nさん夫婦も一緒になりました。Oさん、Nさんは2,3日前まで
玉川温泉へ行ってらしたお二組です。同じ癌仲間であり、二人とも手術を経験されています。
主人も私もお二人を見ていると、手術に対しての不安がすこしでも楽になります。そして娘の
友人のお母さんにも見舞っていただき、多くの方々に応援してもらっています。そして、今日やっと
手術の日にちが決まりました。29日、予定通りに手術になります。 M
5月28日
手術の前日と言うことで、娘と主人の好きなケーキを買って病院に向かいました。午後2時半から
ICUの見学があり、主人、私、娘の3人で説明を聞きました。患者さんが手術を終えて一番先に目
にするのはこのICUの天井、そして自分につけられた多くのチューブ、点滴だそうです。
それを先に教えられ、見る事によって患者さんが混乱するのを防ぐようです。
そして、体毛も剃ってもらい、お風呂も入り、準備はOK。主人の母と、お姉さんも心配して金沢より
来てくれました。そして、仕事関係のHさん、会社のS君も・・・。Hさんの会社の方がM病院の手術
の担当看護婦サンとして以前勤めていらしたということで、先生方を信頼しておまかせ下さいという
力強い言葉をいただき、安心して病院を後にしました。が・・・・、私も何とも言えない緊張感で今夜は
眠れそうにもありません。 M
5月29日
いよいよ手術当日。朝6時過ぎ、次女が修学旅行に出かける為家を出る。この子もどんなに不安なのだろう
と思うと、次女の事も気に掛かる・・・。6時50分、長女と一緒に家を出て、タクシーで病院へ向かう。主人の
所へ向かうと、いつものように元気で明るいが、私には空元気に見えてくる・・・。私や長女、母や姉の手前、
主人流のサービスなのだろう。とても気分がハイになるが、私もそれにノっている方が気が楽になった。
8時過ぎになり、主人は術着に着替え、元気なままストレッチャ−で6階の手術室へ運ばれる。中へ運ばれ、
ドア越しにVサインをして、とうとう私達からは見えない奥へと運ばれた。この時、8時20分。予定では手術は
10時に始まると聞いている。主人を見送った後、私達は15階の待機室へ。窓もなければ、テレビもラジオもない。
あるのは、ソファーとテーブル、そして手術室から直で連絡が来ると言う電話だけ、という殺風景な部屋でした。
唯一良かったのは携帯電話が使用可能だったことです。10時になり、予定通り手術は始まったのでしょうか・・・。
お昼を過ぎると、いろんな方より応援メールが入り、また心強かった!!
あまり時計を見ないようにしようと思いながらも見てしまう・・・。昼食はどうしても食べる気になりませんでした。
16時になる。手術より6時間が経った。一番短いようなら16時で終わると聞いていたが、そんなに簡単なもの
ではないでしょう。17時になる。それでも、待機室の電話は鳴らなかった。
ここからが長く長く感じました。そして、不安と悪い事しか頭に浮かびませんでした。手術しなければ・・・、
もし何かあったら・・・などとさすがの私も弱気になり始めました。母も姉も娘も同様だったでしょう。
シーンとなっている待機室に突然電話のベルが鳴ったのは、もう18時でした。私は主人と約束したビデオを
手に、手術室へ向かいました。手術室の一番手前のドアが開き、先生方3人がトレーに主人の上葉肺をのせて
近づいてきました。娘にビデオを頼み、先生方の説明を聞きました。主人にビデオに撮るように頼まれていたものの、
人一倍怖がりの私にできるのか・・・とずっと思っていました。けど、いざ目の前にしてみると、思ったよりも
娘も私も冷静でいられました。私は、「憎き癌、それでも50年も主人の体の中で働いてくれた肺なんだから。」と、
この目に焼き付けたいと思いました。そして、先生に言われるままに手袋をつけ、肺をこの手で確認しました。
気管の付け根と肺せんぶに固く大きなコブのような腫瘍が2つもありました。
これを見た時・・・もし この腫瘍が全て癌細胞で悪性で活躍中なら・・・この2年間よく命があった…?!?
また どうして転移しなかったのか? 謎だらけです!
長い時間手術をしてくださった先生方に感謝の気持ちでいっぱいです。
手術前の心配は、一変して・・・取りきれて本当に良かった!と本当に思った。こんなものが体にあるのですから、
毎日の咳と、血痰も当然です。
その後1時間して面会の許可がおりて、急ぎICUへ、主人の顔を見たら涙が出そうでした・・・でも泣かない
約束なので…”ご苦労様 よく頑張ったね!”これだけ言うのがやっとでした。主人はしっかり目をさまして
思ったより しっかりしていて安心しました。
修学旅行に出かけた次女に連絡し、私の両親や、友人に無事終わった連絡をしたら…ホッとして涙が
止まらなくなりました。 先生には”奥さん今日は家に帰ってもらっていいです。”と言われ、安定しているのだと
思いました。 でも いつでも連絡がとれるようにと…この一言でやはり、今日も眠れそうにもありません。
長い、長い1日がやっと終わります。 M
5月30日
朝8時よりICUへ、姿は痛々しいけど…比較的元気に見えた。
昨日の夜は 殆ど眠れなかったと…今日になって右肩、首、右腕の全てが痛いと言う。当然です。
左下に身体を固定して、右腕は上に上げたまま10時間余りです・・・痛くて当然…自然と顔が痛さで
歪んでしまうぐらいです。
先生に、デジタルカメラで撮った肺の写真を見せてもらう…目線をそらせてしまうぐらい鮮やかで…
私が見た実物より怖かった…。
2時の面会を後に、主人の母とお姉サンは金沢に帰りました。
6時の面会で、看護婦さんから ”明日には6B(集中治療室予備室)に行くと思います” と言われました。
順調に回復していると…安心しました。 M
5月31日
今日から6B、面会が午後になります。さすがに、疲れてしまい…朝の辛い事…!
午前中は家の事が出来るようになり、まずは主人の洗濯物です。でも、何をしていても…今日はどうかしらと
気になります。
午後3時 6Bへ、真っ赤な顔して寝ている。
息も荒くて、唇が渇きフぅーと辛そうな息使いです。朝から発熱…38、9度、大人にとってはかなり辛いものです。
顔も、手も、身体も、足までも真っ赤です。オシッコの出方が悪く辛い中、一番術後に大切な気管支鏡の検査
もあり、仕方ないのですが…免疫力も下がっているでしょう。AHCCを持って来て欲しいと言われました。
30分の面会が、後ろ髪ひかれる思いで病室を後にしました。
娘は、心配でとうとう学校に戻れませんでした。次回の面会の6時まで私と一緒にいてくれました。
私も、つい落ち込む為娘の方が気をつかつてくれたのでしょう。
6時面会には、熱も多少下がり随分楽そうです。でも、38度代なのですが…T先生がいらしていつものように
説明して下さいました。先生はいつもニコニコして答えてくださるので、ホッとします。
主人は 常に”オレの癌細胞は壊死している”と言うと、”そうなら いいね!期待したいところだね”などと
笑いながら話を聞いてくれる先生なので…患者にとって、話しを聞いてくれる…この事がすごく大きいのです。
厳しい手術にばかり直面している先生方には、頭が下がります。毎日、波があって当然なのですから…
とにかく先生と看護婦サンにお任せして、家に戻りました。 M
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