二幕・第二章 友人と呼ばないで
「とーちゃーっく!」
 街の入り口で、那智が嬉しそうに破顔した。
「わーい、やっとついたね」
「そうね、那智。それにしても、今回はよく頑張ったわね?」
 よく頑張った、というのはここまでの道のりのことだ。普段はのんびりスローペースを心がけている俺たちだが、今回ばかりは少し駆け足の旅になった。
 俺なんかにしたらそれでものんびりしたものだったが、一番体力のない那智からすればかなり頑張ったのではないだろうか。
 高嶺の褒め言葉にほおを染めた那智が、もちろん! とうなずく。
「うん。だって駿河、お仕事なんでしょ? 早く着かなきゃ駿河が怒られちゃうもん」
 そんな那智の頭を紫明がぐりぐりとなでた。
「那智はえらいなー、駿河なんかのことまできちんと考えて」
 俺のことを考えて〜?
 馬鹿野郎っ、ホントに俺のことを考えてるんならなあ……!
「……えーっと、駿河のことを考えるなら、僕たちはついてこなかった方がいいと思うんですが」
 ナイス孤玖!
 ひかえめに正論をつぶやいた孤玖に、俺は思わず声援をおくりそうになる。
 ああ、その通りだよな、孤玖!
「――さ、じゃあ宿屋捜しに行きましょうか」
 高嶺、あっさり無視。そしてすたすたと街中へと歩き出す。
 ……ウン、そうなるかなとは思ったけどな、ウン。
 俺は孤玖と顔を見合わせ、ため息をつくと高嶺たちの後ろをついていくことにした。


 今回俺たちがたどりついたのは、ヘンデルという街だ。当初目指そうとしていたビアンカよりも、滞在していた場所から少し距離があった。
 ここも街道沿いなので中堅程度の規模があり、街としてもそれなりに整っている。街道沿いの街がどこもそうであるように、ここも宿屋が数件あるから、どこにするかさっさと決めなければならないだろう。
 まあとりあえず、その前に俺は協会に行った方がいいかな……。
 前方を見ると、高嶺は那智の手を握って中心部へと足を進めているようだ。初めての街が珍しいのか、那智はあちこちを見回し指さしては高嶺と笑いあっている。
 その様子を後ろから見つめながら、中心街への道をのんびりと歩いていた……その時だ、視線を感じた。それも、とびきりの敵意がこもった、突き刺さるようなヤツ。気のせいかとも思ったが、ここまであからさまなものを気のせいで片づけるのは無理がある。さりげなさを装いながら、辺りをそっとうかがう。
 視線のでもとは……と。って、ん!? 
 目の端にかすめたそれに、俺は速攻でしかし最大の努力で自然に見えるように明後日をむいた。
 …………今俺は、見ちゃいけないものを見た気がする。心の底から見間違いだと思いたい。しかし……とがった声が後ろからかかった。
「やはり貴様かっ、“赤の”!!」
 嫌な予感を通り越したそれ。その甲高い声には聞き覚えがありすぎる。正直に言えば聞こえなかったフリをしてやり過ごしたい。が、そうも言ってられまい。
 また頭が痛くなりそうだ。もうはや痛み始めたこめかみを押さえながら振り返れば――予想通り、風に揺れる金色の髪が目に入る。
 半ば嫌々ながらも気づいたことを知らせるため手を挙げた。ここまできたら自分の笑顔が引きつってないことを祈るばかりだ。
 敵対心をあらわにしたそいつは、真っ直ぐにこちらを見ながら道の向こう端からわざわざ俺の目の前まで歩いてきた。こなくていいのになー。
「……よぉ」
 俺の挨拶に目の前のそいつは、綺麗なアーチを描いた眉を不機嫌そうにピンと一つ動かして見せた。
「ようやく気づいたか、このボンクラめ」
 ボ・ン・ク・ラ。懐かしい口の悪さに嬉しくてめまいがしそうだ。どこまでも尊大な口調に態度は、何年たっても変わらないと言うことか。
「久しぶりだな、寒月(かんげつ)」
 苦笑しつつも一応こちらにはケンカするつもりなどないのだから、友好的に手を彼に向かって差し出す。――途端。
「――っ!」
 バシン! といういい音がした。ついで手の平にじんじんとした痛みが広がる。
 目の前では俺の手を平手で叩くようにして振り払い、怒りにほおを紅潮させてこちらをにらみつける寒月の姿があった。
「貴様などに……名を呼ばれたくなんてない!!」
 目を爛々と光らせて威嚇するその姿は……ほんっとあいかわらずとしか言えないだろう。うう、我慢しろ俺、大人になれ俺!!
 冷静さを装いながら振り払われた手を戻して、俺はため息をつく。
「……わかったよ、“碧翠の”」
「本来ならば字すら呼ばせたくないところだが……名を呼ばれるよりはマシだ。許してやる」
「そりゃどーも」
 この野郎。
 そう思いつつも、寒月のこんな態度はいつものことで、もうなれっこだ。俺が怒って何か反応すればするほど、こいつも興奮して収拾がつかなくなるのは長い経験で知っている。俺が我慢するしかないのだ。
 ああもう。嫌になるぐらい変わってないんだから。
「……ちょっと、駿河。なんなのそいつ」
 声をかける暇もないほどの一連の出来事に、ただ驚いていたらしいパーティメンバーの中で一番最初に反応したのは、そりゃあ不機嫌そうな高嶺だった。
 初対面の人間には普段客商売でつちかった魅惑の笑み(本人談)を浮かべる高嶺が、この苦虫を噛み潰したような面。……そうっとう怒ってるぞ。
 場のギスギスした雰囲気に耐えきれなかったのか、高嶺のフォローをするように孤玖が声を上げた。
「えーっと、駿河のオトモダチ……ですか?」
 絶対違うと思っているだろうが、それ以外に尋ねようがなかったのだろう。孤玖は少し困ったような、それでも穏やかな微笑で言う。
 これで場の雰囲気が少し和らげば、と思った俺が甘かったのか。それとも孤玖のタイミングがまずかったのか。事はそう簡単に運ばない。
 寒月はよりにもよって馬鹿にするような口ぶりで「トモダチ?」と繰り返してみせると、憎々しげに言い放った。
「誰がこんなヤツ……こんな下賎の輩と!!」
 その一言に高嶺がブチリときれるのがわかった。孤玖も一気に温度を氷点下まで下げた冷たい笑顔のまま固まり、フォローに回る様子がない。
 あわわわわわわ!!
「同級生っ!! そう、学校が同じだったんだよ!」
 高嶺が何かを言う前に、先手を打って俺が叫ぶ。それに彼女は未だ不満そうにふーんとだけつぶやいた。
「不本意ながらそうだな。しかし……」
 うわ、まだ何か言う気だよ、こいつ。空気読め空気! 俺を嫌うのは勝手だが、これ以上の面倒はいらん。
 慌てて無理に話をそらす。
「――そ、そういえば“碧翠の”、同じ学校といえば春日(はるひ)はどうしたんだ? お前ら、コンビ組んだんだろ?」
「うん? 春日か」
 春日は寒月の幼なじみらしく、学生時代から寒月のフォロー役というか、相棒をしている男だ。幼なじみという関係のせいか、寒月も彼にはとげとげしい態度は取らない。
「春日とは、今別行動だ。そのうち戻ってくるだろうがな」
「そっか。久しぶりに会いたかったんだが」
 その言葉に偽りはない。寒月とはこの通りだが、俺と春日は学生時代、良い友人関係を築いていたのだから。寒月と俺が(むしろ寒月が一方的に)気まずいとき、間を取り持ってくれるのはいつも彼だった。……懐かしいな。
 まあ、いないものは仕方ないけど。
 そんな風に感慨深く思っていると、どこか遠くから声が聞こえた気がした。……なんだ?
「……名を呼んでるぞ」
 人よりも高い聴力を持つ紫明が、興味なさげにぽつりと言った。くいっとあごで寒月を示す。
「そこの、金髪の名を呼んでいる」
 もしかして……そう思った瞬間には、俺の耳にもその声ははっきりと聞こえるようになっていた。
「かんげーつ! 寒月っ! どこにおるんや!?」
 あまり耳にしない独特のイントネーションとその声。間違いない、彼だ。
「おーい、寒月ちゃーん!? ――ってああっ、こんなとこにおったぁ!!」
 ビシイッ! とこちらを指さす深い緑色の髪をした眼帯男は、ほっとしたように相好を崩し、わたわたとこちらにかけてくる。
 それが久しぶりに見る級友、春日だった。


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