二幕・第一章 〜4〜
 まあとりあえず座りなさい、と席をすすめられ、俺はまあまあ高級そうなソファに腰を下ろした。先輩は執務机から離れ、戸棚をごそごそとさぐっているようだ。
「茶菓子は何がいい? スル君は甘いの苦手だったかな」
「いえ、平気ですけど……」
「そっか。そういえば君は好き嫌いらしい好き嫌いはなかったものね。そのおかげで学食のおばさま方にも可愛がられてたしねえ」
 懐かしそうに笑う先輩は、まだこちらを見ようとはしない。不自然なほどに話を先延ばしにしているように見えるのは、俺の気のせいだろうか?
「あ、良い茶菓子があったんだ。この街の名物でさあ、もう食べたかな。食べてないなら一度食べた方がいい、取ってこようか……」
 そこまで言われて、やっぱり変だと確信した。茶菓子ぐらい、言えばさっきの案内のお姉さんが持ってきてくれるはずだ。そうじゃなくったって、支部長という地位にある以上、秘書らしき人だっているだろうに……おかしい。
「――先輩」
「ん?」
 振り返った先輩の表情は三年前とまるで変わってなくて、気のせいかと思い直しそうになる。それでも俺は、一息置いて聞いてみた。
「そんなに、言いにくいことですか?」
「――っ! ………」
 部屋の空気が固まったような感じがした。そして、壱夜先輩が変わらない表情のまま、それでもほんの一瞬だけ息を止めたのを、俺は見逃さなかった。
 笑い顔のままこちらを見つめる先輩と、それに負けまいと真っ直ぐに見返す俺。やがて彼は小さく息を吐き出し、珍しく困ったように目をさまよわせた。
「……ばれてた?」
「先輩にしては珍しく、なかなか話を進めませんでしたから」
「はは。相変わらずそういうところは鋭いね、スル君は」
 修行が足りないってのは前言撤回だね、と呟いて観念したように首を左右に振る。
「ばれてたんじゃあ仕方ない、か」
 先輩が、大きなため息とともに俺の前に腰を下ろした。組んだ手の上にあごを置いて、また一つ、ため息。
 本当に珍しい。先輩がここまで露骨に嫌そうな顔を見せるのは学生時代でもあまり見たことがない。
「本当はね、君にこの話をするのはとても気が進まない。けど、支部長自ら君を指名していてね……。いくらあの人が父親とはいえ、仕事は仕事、上司は上司。命令違反を犯すわけにはいかないんだ……」
 つらそうに顔をくもらせるが、言ってることがよくわからなかった。何よりも気になったのは。
「……支部長って、先輩じゃないんですか?」
 俺の疑問に、ぷっと先輩が噴き出した。
「まさか! 僕がいくつだと思ってるんだい。君の一つ上だよ?」
「だ、だって呼び出しの礼状は支部長からで、ここは支部長室で……」
 しどろもどろ言う俺に、先輩は耐えきれないとばかりに肩を大きく震わせる。
「さっき言っただろう? 支部長は僕の父親だよ」
「じゃあ、なんで先輩ここにいるんですか?!」
 焦る俺に、先輩はあくまでマイペースで。
「だから、僕は代理人だよ。本当はあの人が君に会う予定だったんだけどね……スル君が僕の後輩だって知って、僕に任せて出張に行っちゃったのさ」
「そんなのありなんですか……」
「ありなんだよ。あー、しっかしおかしいねえ。少し考えればわかることだろうに」
 笑いを耐えすぎて喉が渇いたのか、先輩は再び席を立つと、執務机の横にあったティーセットで紅茶を入れ始めた。
 コポコポという音と、上品な甘い香りが執務室に広がる。運ばれてきた二人分のティーカップの片方は、俺の前に置かれた。
「はいどうぞ、スル君」
「……どうも」
 自分の紅茶で口内を潤した先輩は、話を続けた。
「いくら僕が優秀とはいえ、十九やそこらのガキに支部長なんて大役、周りが承知しないさ。まあ、せいぜい代役が関の山。だからこうして、君の前にいるわけだけどね」
「……さりげなく、自慢しましたね」
「気のせいでしょ」
 澄ました顔で紅茶を飲む姿に、相変わらずだと思わずにいられない。
 自信に溢れたその言動は、確かに素晴らしい実力に裏付けされたものだから、文句を言う奴なんていないだろうけれど。


「――さて、本題だ」
 ティーカップを置くと同時に、先輩が言った。どうやら、やっと言ってくれる気になったらしい。
「話を先延ばしにした……気の進まない理由は二つある」
「二つ……?」
「そう、二つだ」
 頷く先輩に、俺は首をかしげて考え込む。
「厄介な敵……なんですか?」
 それぐらいしか、理由など思いつかない。だが先輩は、首を縦に振らない。
「んー、まあ、それもなくはないけど……僕の本心としては、もう一つの理由が大本命になるんだ」
 先輩が、懐から水晶を二つ取り出して机の上に置いた。片方を操作すると、空中にデータが浮かび上がる。
「もしかしてそれ……」
「そ、君のデータ。協会職員幹部の特権だね」
 水晶を操作すること数回、先輩の手の動きが止まる。空中に出ているデータは多分……今までの俺の報酬や仕事の成功率、賞金首の捕獲数などの成績データだろう。
「ターゲットが厄介なのは事実。だから協会もデータから判断して熟練者に要請をしている。そしてスル君の能力は買いかぶりでなく高いことはデータを見れば一目瞭然。要請が行くのはまあ当然だ……けどね」
 先輩の目つきが管理職のものから、親しさのこもったものに変わる。
「問題はそこ」
「え?」
 データを見つめていた先輩の視線が、俺に移った。
「最近、まあまあ名をあげてるコンビがいる。実力も充分な上、ターゲットの潜伏地と思われてる場所に近いところに彼らはいてね、その二人にも要請を出したらしいんだ」
「へー……でも、それがなんで問題になるんですか?」
 心底わからなくて疑問符を飛ばす俺に、先輩は今までで一番大きなため息をついた。
「いいかい、そのコンビって言うのが……“碧翠(へきすい)の”と“縛命(ばくめい)の”なんだよ」
 眉間にしわ。笑ってるようで笑ってない目。バックに見えるどす黒いオーラ。完璧不機嫌モードの先輩がそこにいた。
 だが、それよりも“碧翠の”という字(あざな)に、俺の脳裏に一人の人物が浮かび上がった。
「“碧翠の”って……まさか、あいつですか!?」
「他に誰がいるの」
 先輩の不機嫌モードに、『碧翠』の字。これから導き出される答えはただ一つ。
 あー……なるほど。合点がいった。全て一本の線に繋がりましたよ。だから話を先延ばしにしてたわけね。
 心の中で頷くのとほぼ同時に、先輩が爆弾を投下。
「相方君はイイコなんだけど……僕、あの子嫌いなんだよね」
 いや、それ少しひきつってるとはいえ満面の笑みで言うことじゃないって。
「にこやかに毒はかないでくださいよ」
「そんなこと言っても嫌いなものはしょうがないだろう?」
 “碧翠の”は(“縛命の”も)俺から見れば、かつての同級生に当たる。つまり先輩から見れば後輩だ。
 理由はわからないが学生時代、“碧翠の”と壱夜先輩はまさしく犬猿の仲だった。水と油もかくやと言うほど、その戦いはすさまじかった。
 とはいえ、“碧翠の”にしてみれば相手が悪かったとしか言えない。この先輩相手に勝てるはずがないのだから(“碧翠の”本人は認めないだろうが)。口ゲンカにしろ体力勝負にしろ、結局はいつも先輩の一人勝ちだったはずだ。
 そして――。
「でも、君だってあの子には色々含むものがあるでしょ」
「まあ、否定はしませんけど……」
 俺もそういう立場だった。というか、俺は相手にしなかったのだが、なにかって言うとあいつは俺に喧嘩をふっかけてきたのだ。ライバル視なんて生やさしいものではなく、まさしくあれは敵視だった。
「あんな子に負ける君だとは思わないけど、わざわざ不快にさせに行くようなもんだしね。要請命令を取り下げたかったんだけど……」
 ひどくすまなそうにする先輩に、今度は俺が噴き出した。
「スル君?」
「……その気持ちだけで十分ですよ。そんな気を使ってくれなくて大丈夫ですから」
 なんだかんだいいながら、この人はけっこう俺に対して過保護だ、そう昔から。甘いだけじゃなく、厳しさもあるくせに、変なところで甘い。
 ――ああ、やっぱり変わってないな。
 そんな俺の心境をなんとなく察したのか、壱夜先輩は少し苦笑気味につぶやいた。
「スル君のことは気に入ってるからね、あの子と違って」
「俺も先輩のことを尊敬してますよ、色んな意味でね」
「……微妙に気になる言い回しだけど、まあいい。正直に受け止めとくさ。では、行っていただけるのかな?」
 少し気取ったような口調で確かめる先輩にあわせ、俺も少しふざけて答えを返す。
「ご命令なれば」
 くっと、先輩が唇の端を持ち上げる。二人で顔を見合わせ、我慢しきれずにクスクス笑った。
「――よし、じゃあ事務の人に詳しい資料を今からそろえてもらうよ。いやなに、すぐ終わるさ。その間、もう少し積もる話をしよう。もちろん、仕事抜きでね」
 茶目っ気たっぷりのその笑顔に、つられるように俺も微笑んだ。
「はい、喜んで」 


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