第一章 〜5〜
 ……ま、まさかまさかまさかまさかっ。那智が勇者!? 何かの間違いだろ、このぼけた奴がっ!? 嘘だ、嘘に違いないっ!!
「へえ……。勇者降臨ってやつ? さすがに初めてみたな。手応えがあるといいけど。話としては……おもしろくなってきたなっ」
 何かの見学みたく、ウキウキとしたかんじを抑えずに言う魔王。
 手応えがあるといいけどって……あるわけないだろ、那智なんだから! 勇者になったって、あのぼけた性格は一生もんだ!
 しかし周りでは、大臣やその取り巻き達が、
「勇者様じゃ勇者様じゃ!!」
 盛りあがっとる。おおいに期待を裏切りそうだ……。
「……ね、ねえ駿河。那智が勇者だなんて、何かの間違いなんじゃない?」
 高嶺が救いを求めるように俺に話を振る。
「……俺もそう思いたい」
「それよりも、駿河。勇者になったからとはいえ……彼女に戦いができるんですか? 僕には、そうは思えません」
 うっ……!
 孤玖の言うことはもっともだ。あいつはなんであろうと生き物を傷つけるのを嫌がるやつだ。その那智に、魔王と戦うなんて、できるはずがない。なぶり殺しにされるのがおちだ!
「那智!」
 逃げろ――そう言いかけたとき、光が引いていった。
 そのまま光は那智の周りを薄ぼんやりと囲む。彼女は剣の柄に手をかけたまま、呆然とした表情でその場に座り込んだままだった。
「ちょっと、あれ……なに!?」
 高嶺に言われて見れば、剣の上に蒼い瞳と髪の青年の姿が浮かび上がっていた。
 蒼い視線が那智へ注がれる。
《……長い時を経て、勇者再び我が前に来たり》
 その声を聞いた瞬間、脳裏に先ほどの夢がよみがえった。無意識に、ある言葉が俺の口から滑り出た。
「……守り、神……?」
 そして、そうだ。この声は……さっき夢の中のやつの声と同じ。夢の中の見えない相手は……もしかしなくとも『守り神』!?
 なぜ俺が守り神と出会った? 最後に言っていた別の形って……まさかこれか!?
 ――いや、今はそんなことはどうでもいい。
 今なら確信を持って言える。『守り神』の待ち人は……勇者――つまりは、那智。
《勇者よ……汝の名は何という?》
「…………那智」
 半ば放心状態で那智が答えた。
《まちわびし時は悠久とも感じられた。那智、我を握りし者よ。お前こそ真実をまといし者、勇者と認めよう……。我を抜き、使え。この世界を平和に導け。我が主人はお前ただ一人。お前の存在ある限り、私は限りない忠誠と親愛を捧げよう……!》
 愛しそうに那智を見つめながら、青年――多分、というか確実に『守り神』だろう――は荘厳かつ重々しい口調で告げる。一気にシリアスモードへの突入だ――が。
 那智に、反応がない。
 まさかな。いくらあの那智でもな……。
 必死に心の中で思うが、不安は拭いきれない。同じ思考を重ねているのだろう。高嶺と孤玖も複雑な表情をしている。
 そして、とうとう沈黙が破れた。
「みゅ? ほ〜え〜……?」
 その声は……いつもと同じ、いや、いつもよりものんびりと間延びした那智の声。
 それで俺達三人は悟った。一気に俺の肩から力が抜ける。力が抜けて、今にも倒れそうになる身体を支えながら俺は言った。
「――やっぱり、状況を把握してねえ」
「……そのようですね」
「那智らしいといえば、那智らしいんじゃない?」
 それにしても限度が……いや、ないのかもしれない。ああ、もう、あいつらしすぎて涙が出る。
 しばしの沈黙。
《………………私の主人はお前だ。つまりお前以外私を使えぬ。だから、お前が私を使って戦ってくれないことには、力が発揮できないのだが》
 少し困ったかのような口調で、説明をする『守り神』。なかなかの根性だ。
 正論である。だが、甘い。那智の性格をよく把握しきっていない。こんな説明であいつが納得するならば、俺は道中苦労なんてしなかった。
「……戦う? そんな……なんで戦いなんて、悲しいことをしなくちゃいけないのぉ!?そんなこと……できないよ〜!」
 那智はその場にぺたりと座り込んだまま、顔をくしゃりと歪め、半泣きで叫んだ。
 ……ほらな。
《い……いや、どうしてといわれても……。魔王がいるから、と言うのが一番有力といえば有力な説だが……》
 『守り神』、お願いだからしっかりしろ。おろおろするなよ……。
「そう……なの?」
 那智は涙を引っ込めてゆっくりと頷くと、『守り神』を手にし、魔王へ足を進めた。
「なに? やっと戦う気になったわけ?」
 それまで黙っていた魔王がからかうように言う。それに首を横に振る那智。
 魔王の目の前へ少しも動じることなく近づく。
 なんっちゅー無謀なことを! まだ魔王に敵意がないからいいようなものの……!
 へたに介入することも出来ず、はらはらとその光景を見ている俺の前、突然、那智は『守り神』を手放した。
 ゆ……唯一の武器を……!? な……何考えてんだあいつ!
《那智!? なにをする気だ! なぜ私を持たぬ?!》
 驚く『守り神』をしりめに、那智はそのまま、がしっと魔王の手を握る。
 なんのつもりだとばかりに、魔王の顔が皮肉げにゆがんだ。そんな魔王の顔をのぞき込むように見ると、
「――戦いなんて……やめましょう?」
 …………………………………………………………はあ!?
「……お前、なんていった?」
 魔王のかすれた声。
「戦いなんて、無益で不毛なだけです! だから……やめましょう?そんなことしたって、何にもなりません!」
 うるんだ瞳のまま、魔王の手を握って力説する那智。
 ……なんって、あほうなことを言ってるんだ、こいつはっ!?
《魔王に頼み事してどうするのだっ!?》
 ごもっともな『守り神』の言葉にも、
「生き物全て、話せばわかってくれるものです!!」
 ……………………………力説。
 魔王は生き物なのかっ!? そーゆーレベルじゃねえだろっ!! 那智の頭の構造はどうなってんだ!?
『……………………………………………………………………………………………………』
 その場にいた全員が、沈黙した。
「…………くくっ……くくくくくっ……」
 あまりに突拍子のない那智の言葉に静まりかえるその場で、ただ一人、魔王が笑いを漏らす。――呆れているのだろう。
「おい、お前……」
「はい?」
「名は? 名前はなんて言うんだ?」
「那智です」
「……いい性格をしてる。好みだな――気に入った」
 どこまでも傲慢に言い放つ魔王。
 ……好み? 気に入ったって、どういうことだ!?
 魔王は那智の手をつかみ返し、にんまりと笑った。
「――惚れたっ!」
 はあ!?
 それだけでも驚くのに充分だというのに、
「オレの嫁になれっ!!」
 はいいいいいいいいいいいいい!?
 ……その一言で、固唾を呑んで状況を見守っていた全員がこけたのは、言うまでもない。


「ちょっと待てええいっ!!」
「――あんだよ?」
 俺のその場にいる全員の気持ちを代弁してるであろう叫びに、魔王は「人間風情が何なんだ、こら」とばかりの不機嫌な声を上げた。
 あんだよって……。ホントこいつ、なに考えてるわけ!?
「あんた魔王、那智は勇者。これから自然と導き出される答えがあんだろ?」
 俺のかなり親切な忠告に、魔王はフッと不敵な笑みを浮かべると、ぐっと拳に力を入れこう叫んだ。
「燃えるシチュエーション!!」
「違うだろーがっっ!!」
 思わず魔王相手ということを忘れ、神速で裏拳つっこみをかます俺。
「それ以外に何がある」
「何がって……。もう一度言うけど、あんた魔王なんだし那智は勇者よ? すなわちあんたらは敵同士、そんじょそこらのじゃなくて世界レベル。しかもあんたらは会ったばっかり……種族も違う。普通は恋だの愛だの言っていられる状況じゃないと思うぞ」
「二人の愛は、障害があればあるほど燃える……ってのが人間の恋愛に関するセオリーだろう?」
 確かにそうだが……どこでそんなセオリーを学んだんだ魔王。
 それにしたって、魔王と勇者は無理だと思う。
「それに、種族だの敵だの……オレには関係ない。たとえ世界を巻き込もうが、な。いや、それどころか、これほどオレにふさわしい恋なんて無いと思うぞ? これは運命だとオレは見たね! 二人で反対するやつを説き伏せねじ伏せ、目指すはハッピーエンド!」
 勝手に運命にしてるし……。
 説き伏せはいいけど、ねじ伏せって……要するに『反対するやつは片っ端からぶっ潰す!!』ってことだろうな。
 ――過激な。温厚な魔王ってのはあまり聞かんからしょうがねえけど。
「と、まあそーゆーわけで」
 こほん、とかるく咳払いをし、今までからは想像もできない真摯な瞳で那智を見つめる魔王。
「那智、オレの嫁になれ」
「え……。で、でも……」
 おろおろする那智に、魔王は今までとはうって変わって、悲しそうな、寂しそうな……真面目な表情をする。
 ……絶対、演技だ。
「オレのこと……嫌いか?」
 その表情とセリフに那智は慌てて手を振って否定する。
「そんなんじゃないです!!」
 バカ! 芝居に決まってるだろうが!
 途端きらりと魔王の目が光るのを俺は見た。
「じゃ、結婚だ!」
「だあああっ! てめえ、那智の意志無視してんじゃねえよ!」
「聞いたじゃねえか」
 あっけらかんと言う魔王に俺はさらに声を荒げた。
「嫌いじゃない、とは言ったが、好きだなんてひとっことも言ってねえだろ!!」
 ふっと、魔王はいきなり考え込み、とんでもないことを言い出した。
「もしかして……お前も那智に惚れてるのか?」
 あ……あほかああああああああっっ!
「ちげえよ! 俺は一応成り行きでなったとはいえこいつの連れ、保護者代理だ。てめえみてえな怪しげな奴に……はいどうぞ、ってやれる訳ねえだろ!」
「オレが怪しげ? ……どこが?」
「魔王ということ自体、すでに怪しいだろうがっ! 魔王のくせに勇者にプロポーズだあっ!? なぁに考えて生きてんだお前!!」
 魔王は腕組みをしたまま無意味に胸を張って答えた。
「失礼な。人種差別はいかんぞ人間。魔王が勇者にプロポーズすることのなにが悪い!」
 全部悪いわいっ! 人種どころの話じゃねえしっ。
「それに……さっきからぐだぐだ言ってるけど、てめえは那智の父親か!?」
 いい加減魔王もいらついてきたのだろう。ケンカをふっかけてくる。ここまで言われちゃ俺のほうも黙っちゃいられない。
「なんだとおおおおおお!?」
 ムムムムムムムムムムムムッ!! とばかりににらみ合う俺と魔王。
 ――もはや俺の脳裏に相手が魔王だということは、かけらほども残っちゃいなかった。

「二人ともっ、ケンカはだめーっ!!」
『な……那智』
 お互いの襟首をつかんだままの状態で俺達はうめいた。
 那智が叫んだのは、俺と魔王の二人がいい加減ばからしくなるほどの低レベルな口ゲンカをし始めて十分程度たったときだった。それによって、俺は正気に戻ったわけだが……。
 ああっ、周りの視線が白いっ! 俺は今まで何を……っ!! 魔王と口ゲンカだなんて……那智のこと言えねえっ!
 壮絶なる自己嫌悪に陥った俺の横で、魔王はふう、とため息をつく。そして一言呟いた。
「しかたない……か」
「なに? 那智のこと諦める気ついたのか?」
 内心ほっとしながら俺は魔王に問いかけた。ところが、
「いや!」
「ええ!?」
 違うのかよ!
「お前ら、まだ一緒に旅すんだろ?」
「え……?あ、ああ」
 少々不吉なものを感じつつ、それがどうかしたのか? と、そう問う間もなく、魔王はとんでもないことを口走った。
「決めた、オレもついてく!!」
『なっ、なにいいいっ!?』
 叫んだのは俺だけではなかった。高嶺と孤玖、ずっと呆れたように――高嶺は面白がってたようだが――俺達の論争を見ていた二人も一緒だった。
 まあ、無理もないな。
「ん? なにそいつら?」
「そいつらも一緒に旅すんだよ……」
「ふーん……ま、いいさ。オレは那智さえいれば」
「……なんでついてくんだよ」
「なんでって……一緒に旅してれば、那智もオレにほれるって自信があるから」
「あー、さいでっか……」
 半ば投げやりに呟く俺の後ろでは、
「守り神さん……魔王さん一緒でも、平気ですかねえ?」
《……どうやら本気のようだし、お前がいればそいつも暴れないとは思うが……》
 のおんびりした那智の声と、律儀に答える『守り神』の声。
 那智……『守り神』はともかく、魔王を『さん』付けするな、頼むから。
「そーそー、よくわかってんじゃない! じゃ、きーまーりっ!」
 こうして、俺達に魔王赤羅、という新しい仲間が加わった……って、いいのかこれで、本当にっ!? なんか間違ってるぞ!!
 もちろん、魔王が仲間になるという前代未聞な体験をしちまった以上、俺の旅はだんだん恐ろしく変なものになっていくのだが……このとき俺はまだ知らなかった。
 とにかく、旅の……腐れ縁の始まりは、こういうことだったのである……。


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