第五章 〜4〜
「………………………………………………………? あ、れ……?」 予想していた、悲鳴がなかった。 その代わりに俺がみたのは、空中で浮かぶように止まっている那智と、その後ろにいる紫明。そして、その前で威嚇体勢を取っている、巨大な白蛇の姿だった。 「ま〜ったく、これだから人間は! おい、駿河! きっちり那智のこと守れよな!!」 ――この時ほど、紫明が頼もしく見えたことはない。そして紫明の言葉が、有難く聞こえたこともない。紫明が、防御魔法で那智を守ってくれたのだ。 ほう、と安堵の息をつく。しかし考えてみれば、紫明が那智をむざむざ傷つかせるはずがなかった。 「――なるほど……。それが貴様の正体か」 これは、目の前の白蛇に言ったものだ。そのセリフ通り、多分それが正真正銘、汐澄の真の姿なのだろう。 ん? ちょっと待て。今の、紫明の声じゃない。こ、この声って……まさか……。 俺のいる位置だと、那智の姿は真後ろからしか見えない。しかし、あの口調はどう考えても……。 「すまなかったな、紫明。おかげで助かった」 「いやいや、君たちのためですもの! この紫明、精一杯尽くさせてもらうよ?」 「ふん……言ってろ」 ここでやっと、少女の顔が見えた。 戦いの予感に生き生きとしているその瞳の色は朱! まぎれもない、那智のもう一つの人格、血無だ!! 「駿河っ!!」 腰にある蒼月をすでに抜き出し、血無は俺に向かって叫んだ。 「何をぼさっとしている!? 手伝えっ!!」 「……はいはいっと!」 相変わらず人使いが荒い……。 岩場を飛び越え、血無の横に立った。 「お前は、孤玖と高嶺のフォローを頼むぞ」 「どうする気だ?」 「決まっているだろう? わたしは那智ほど甘くはない」 にやりっ……と、勇者には似つかわしくない、極悪な笑みを浮かべる。 「――叩き潰すッ!!」 そう言ったが早いか、血無の姿は目の前からかき消える。 次の瞬間には汐澄の真上に躍り掛かり、蒼月を振りかざしていた。 「でやあああああああああああああああああああああああっ!!!」 蒼月が蒼く光り、その刀身が真っ直ぐに振り下ろされる。 「ナッ……ナニッ……!?」 すんでの所で、汐澄が避ける。しかし避けられたとわかり、地面に着地した瞬間、血無はさらにスピードを上げた。 「貴様ッ! 何者ダ……何者ダッ……! 我ハ……我ハ神ゾ!!」 焦る汐澄に、血無は冷酷なまでに正確に剣を繰り出す。 「うるさいっ! ――蒼月ッ!!」 血無の叫びとともに蒼月の輝きを増し、汐澄の胴体を斬りつけた。 「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」 気の悪くなるような叫びが、汐澄の口からもれた。 その隙に俺は、高嶺と孤玖の側まで走った。 「高嶺、孤玖、大丈夫か?」 「平気よ……それより、いくら蒼月と紫明がついているとはいえ血無こそ平気なの?」 「多分……」 そんな会話をしている俺達の後ろでは、地響きを立てて汐澄が暴れていた。そのせいで飛んで来た岩を、とりあえず拳でたたき落とした。 天井からパラパラと、砂がまい落ちてくる。 「やべえ、洞窟が崩れるぞ、このままだと……」 「紫明っ!!」 俺の呟きが聞こえたかのようなタイミングで血無が声を上げた。 「結界だ! 天井に張れっ、今すぐに!!」 「おっけー」 にこやかに笑った紫明の手から、赤い光が生まれる。それがものすごい勢いで天井まであがると、隅から隅まで薄い膜のようなものを張った。 途端、天井から落ちてくる砂が消える。紫明の結界が、天井を支えているのだ。 魔力を封じ込まれて攻撃が出来なくても、大きな防御魔法は使える。冷静になればすぐわかることだが、それにすぐ感づき、指揮をふるった血無は、相当なものだと思う。 「貴様……貴様ハ危険ダ……危険ダ……我ガ存在ヲ脅カス……危険ダ……!!」 血をだらだらと流しながら、汐澄が言う。 「ふん! お望み通り、わたしが貴様の存在を消してやる!!」 真っ正面から汐澄を相手取り、焦りも恐れもその表情には浮かんでいない。チャキ、と剣を水平にかまえ、冷静に相手の出方をみている。 『………………………………………………………………………………………』 じっと数秒のにらみ合いの後、先に動いたのは血無だった。かけ声とともにその足が地を蹴り、真上に飛ぶ。 「危険……危険…………貴様ハ、後カラユックリ食ラッテヤロウ……トリアエズ、静カニシテイルガイイ!!」 それまでじっとしていた汐澄が、鎌首を持ち上げ、血無をにらみつけた。 なんだ……? 今、目がちかっとしたような……。 「――! なにっ!?」 初めて血無に、驚愕の表情が浮かぶ。空中での体勢が、がくりと崩れた。 そのまま地面へと、落下し始める。 「……くうっ!」 「血無ッ!!」 紫明が慌ててフォローにはいる。落ちてくる血無を受け止め、顔を覗き込む。ぼそぼそと何か言っているようだが、俺には何も聞こえない。 「駿河、アタシ達なら、ちょっとぐらい大丈夫。行って来なさい!」 「――ああ。ありがとなっ」 高嶺の許可もおり、少し心配だったが、汐澄に動く様子がないので血無の方へ行った。まだ彼女は紫明の腕の中で、顔に手を当て、荒い息を吐いている。 「……血無ッ、どうした?!」 けだるげに、血無の手が動く。 「駿河……か? ……わたしとしたことが……しくじった」 「血無、一体何が……」 質問に答えは返らない。ただ、悔しそうな声が響く。 「……しゃくに障るが、駿河……後を、頼む、ぞ……?」 「――血無!?」 かくり、と首を落とし、血無が目を閉じる。 「おいっ、血無!! 大丈夫かっ!おい!?」 焦る俺の腰に、がすっと紫明の片足がめり込んだ。 「紫明!? なにしやがるっ」 「あわてんじゃねえよ。とりあえず、安全なとこに運ぶぞ!」 「あ、ああ………」 こいつ、なんでこんなに落ちついてんだ? 「駿河、紫明! こっちよ! 早くいらっしゃい!!」 先程の岩場の、少し岩の少ないところで、高嶺が手を振っていた。 そんなところで平気なのか? だがとりあえず、行くしかない。 紫明に血無を任せたまま高嶺の元へ行く。そこには 「なんだ……これ?」 「いいから、早く入って!!」 地面に、模様が描かれていた。丸や三角……後はよくわからない文字のようなものがかかれた、俺にはさっぱりな図形だった。 俺たちが入った途端、高嶺がクルクルと回り始める。何をしているのかと見つめれば、彼女の足が、地面に線を引き、図を描いていた。 リズムよく描かれていく不可思議な紋章が、薄ぼんやりと光り始める。最後の仕上げとばかりに、高嶺がかかとをタン! と地面に降ろした。 「……魔除けの結界よ。目隠しの効果を発揮してるはず。ここから出なければ、汐澄に見つかることはないわ……多分」 額ににじみ出た汗をふき取って、高嶺が言った。 「高嶺がこれを?」 「うまくいくかどうかはわからないけどね……」 「なかなかうまく出来てるじゃねえか。あの程度の魔物なら、これで十分防げる」 紫明が誉めるということは、効果は折り紙付きと言うことか。 「高嶺は元々、うちの部族の巫女なんですよ。魔除けの踊りを踊るわけですね」 「んで、この魔法陣は、踊ってるときの足裁きを表したやつね。書いた方が長持ちするし、ずっと踊らなくてすむから。しっかし、こんなとこで役立つとはね」 高嶺が踊り好きでいつも踊っているのには、そんな深いわけが……。てっきり単なる趣味だと思っていたが。 「そうだ、紫明! 血無はどうしたのっ!?」 自らの仕事に満足した微笑みを浮かべていた高嶺が、一転して心配だと書いたような顔になった。 そうだ、血無はっ! 詰め寄る俺達に、紫明は少し後ずさりしながらも、ゆっくりと抱えてた血無を地面におろした。 「心配するな。眠ってるだけだから。汐澄はこいつを『食う』つもりだからな……一番自分に害を与えそうだった血無を眠らせて、俺達をやってからゆっくり戴こうって寸法だろうよ」 紫明の言うとおり、血無はすぴーすぴーと、寝息をたてて、実に平和そうに眠っているだけだった。 「って事は……。簡単に目が覚めたりしないわよね」 「当たり前だな」 紫明のいともあっさりした答えに、重い空気が広がった。 白蛇の化身である汐澄に、唯一真っ当に対抗出来るのが蒼月なわけだが……使い手である勇者がこれじゃあな……。 孤玖が、ゴクリとつばを飲んでから核心をついてきた。 「じゃあ、あれをどうやって倒しましょうかねえ……?」 一番の問題だった。 あーだこーだとみんなで相談するが、いっこうに良い案は出ない。紫明が本気を出せば簡単にいけるだろうが……制御出来ないまま力を放てば、落盤事故で俺達がお亡くなりになってしまう。 那智か血無が目覚めるのを待つという案も出たが、いつになるかわからない以上、得策とは言えないだろう。下手をすれば、死ぬまで眠ったままという可能性もあるわけだし。 そんな必死の会議の後ろでは、汐澄が俺達を捜して怒り狂いながら叫びを上げているし、たまったものではない。紫明の結界のおかげで洞窟が崩れる心配だけは今のところないが。 ←BACK◆NEXT→◆本編TOP |