第五章 〜3〜
 唖然呆然。いつもの事ながら、那智の行動は計り知れなかった。
 あんぐり口を開けた俺の横、孤玖は俺と同じような格好で固まってたし、さすがの高嶺も目を見開いていた。そんな中、唯一の例外は紫明で、こいつは一人で腹を抱えて大爆笑していた。
「サイコー! 那智サイコー! ホンットお前飽きないなあ! アハ、アハハハハハハ!!」
「ほえ? あたし、なんかした??」
 当の本人はなんもわかっちゃいないらしく、きょとんと俺達を見つめていた。
「ま、まあ? どうせ開けなくちゃいけなかったんですから……たいした変わりませんって」
 孤玖がフォローしてくれるものの、なんか、どっと疲れが。
 とりあえずと中に足を踏み入れれば、そこは広くひらけたところだった。
 一面がちょっとした湖のように水で埋まっていて、その真ん中に浮島のような場所が一つ。そしてそこへ行くための道が一本、真っ直ぐに続いていた。
「どうやらここが最奥らしいな」
「駿河、あの奥の島行くぞ、島。那智、ゆっくりでいいから、気をつけるんだぞ?」
「うん、ありがと。紫明」
 そう言って俺達は、終点らしき浮島まで歩き始めた。まだ敵などの姿は見えないが、一応用心して一番前が紫明、同じく後ろが俺。その間に那智、高嶺、孤玖……と続くことにした。
「――しかし、汚いわねえ、ここの水」
「そうですね……ヘドロ……とも違うようですけど」
 高嶺と孤玖が、顔をしかめて言い合った。
 空気と同じように、水もまた黒く濁っていた。表面にはどろりとした、得体の知れない何かが浮かんでいる。見るからに異臭がしそうが、全く感じないのは、紫明の結界のおかげだろう。ありがたい。
「しゅ〜て〜ん。ご乗車、ありがとうございま〜すっ」
 くそふざけた呟きをもらしたのは、紫明に他ならない。全く、常識しらねえのに、どうしてこーゆー変なことばっかりしってんだか!
「ここまできたはいいが……どーしようか」
 浮島まで来たはいいが、そこにはなにもなかった。『影』の姿も、眠っている潮来様の姿もだ。ただ地面と岩場があるだけで、他には何もない。
「道を間違えたのかしら?」
「まさか! 一本道でしたよ?」
 なんの気配もしないその場で、全員が途方に暮れてため息をついたその時だった。
《巫女自らこの場に来るとは……勇ましいことだ》
「誰だ!?」
 一応お約束なのでそう叫んだものの、声の正体など、とっくについている。
《おまけもいるようだが……まあいい。どれも極上の魂の持ち主ではないか……。今年は街の奴等、奮発したか?》
 くくくっ……という、ここの空気達と同じ、低く濁った声。女なのか、男なのか、判別がしにくい。
 洞窟のせいか、それとも元々なのか、その声は反響し、持ち主の場所はようとして知れない。周りを見回しても、影一つ見えないしな。
「このオレをエサ呼ばわりか……てめえ、いい度胸の持ち主だな。格の違いもわからねえか?」
 紫明が侮蔑もあらわに呟き返すが、『影』はその余裕を崩さずに答えを返した。
《ああ、確かに貴様の力は強大だ……だが、ここではそれがネックになってるだろう? その力……使えるものなら使ってみるがいい!!》
 ハハハハハハハハ! というあちこちに響き渡る神経に障る高笑いに、紫明はチッと舌打ちをした。
「読まれてる……か」
「どういう意味だ?」
 聞き返した俺に、紫明でなく『影』が答えた。
《教えてやろう、愚かな者よ! その男の力は、我が結界により抑えられた。今その男に手加減など出来ぬ。その男が力を解き放てば、貴様らは全員、この洞窟の下敷きよ! どうだ、やれないだろう? 仲間がどうでもいいというなら別だがな!》
「……お前、名前は?」
 《影》の言葉をどうでもいいことのように聞き流していた紫明が、ぽつりとそんなことを尋ねた。
《冥土の土産に教えてやろう、我が名は汐澄(きよすみ)……古き神、潮来を倒した、この海を統べる者よ!》
 名乗り上げに「へー」と、気のない紫明。一体なんのために聞いたのか。
 だがやっぱり、この『影』、もとい汐澄が原因なわけか。
 そこで、後ろでじっとしていた那智がおずおずと顔を上げた。
「汐澄さん!」
《……巫女か。無礼な呼び方だが……まあ、我が力となる者だ、許してやろう。で、なんだ。命乞いか? そのようなもの、我は聞かぬぞ》
 いかにも自分は寛大だといっているような、作ったような口調で汐澄は問いかけてきた。
「なんで……なんで生け贄を取るんですか? そんなこと、もうやめて下さい! 街の人たち、みんな悲しんでます……!」
 すでに涙ぐんでる那智に、汐澄の呆れかえったような声がかえる。
《なぜ? なぜと。決まっておろう、我がためよ。我が命を増やすため……我が力を世に知らしめるためよ! 誰が悲しもうが……そんなこと、知ったことではないわ!》
「そんなことのために、人を殺すんですか!?」
《巫女よ、そなたも人の子ならばわかるだろうに。人こそ最大の罪人よ。生き物を殺し、命をすすっておる……それが我とどう変わりがあるというのだ?》
「それは……でもっ、あなたにだって家族がいるでしょう? 人にだって家族がいます! その人達の悲しみを、考えてっ!!」
《家族…………》
 那智のセリフの終わりとともに、汐澄の声がさらに低くなる。どこからか、怒りに震える汐澄の声が、はっきりと聞こえた。
《……そうだ、家族だ。人にも我と同じ気持ちを味あわせるのだ。そのためには力だ……力が必要なのだ! そのために、我はいくらでも人の命を狩ってやろうぞ!!》
 汐澄の狂気をはらんだ声に、那智が「ひっ」と息を呑む。
「――思い直してっ、お願いですからっ、思い直してっっ!!」
 那智が泣きながら叫んだ瞬間だった。当たりにまばゆい光が広がった。
《な、なんだ、この光はっ!?》
 どこかで見たことがある光だ。そう、どこかで……あ! 那智が、勇者として目覚めたときの、あの光にそっくりだ!!
 ちかちかする両目をゆっくり開けると、目の前には、一人の男がいた。
 すこしかがんで、顔に右手を当てた格好。長い茶色の前髪の隙間から血走った目が見えている。荒い息のまま、ぶつぶつ言う男は……見た目は二十歳前後か。
「なぜだ、なぜこんな所まで引き寄せられた……巫女、貴様の力か……!?」
 ぎりりと、憎しみに満ちた目で、男が那智を見た。
「どうやらあれが……元凶のようですね」
「ラスボスのお出まし〜ってわけね。あら、案外いい男☆」
「高嶺! 不謹慎ですよ」
 どうやら、あの男が汐澄らしい。しかも、あの様子からすると、この場に現れたのはあいつの計画とは違うようだが……やはりさっきの那智の光が原因なのか?
 もしかしたら……少しずつ、勇者としての力に目覚めてるのかもしれない。
「その力……我に寄こせ。貴様を食らえば、さぞ力がつくことだろう。寄こせ……寄こせっ…………寄こせーーーーーーーーーーーーーっっ!!」
 叫びとともに、汐澄の力が高まり、声が衝撃波として飛んで来た。
「ちぃっ!! 那智ッ!!」
 ダッシュで側までより、那智を抱きかかえた。射程範囲ぎりぎりをよけたところに、俺の腕をかすって衝撃波が過ぎていった。
「……いっ!」
「駿河ぁっ!!」
「――大丈夫だから、泣くなって」
 俺の傷を見て、さらに那智が泣く。抱きしめたままぽんぽんと背中を叩くが、涙はいっこうに止まらない。
 受けた傷はそんなに深いわけじゃない。大丈夫だっていうのに…………。
「――みんな!大丈夫か!!」
 岩場に隠れたらしい仲間達に声をかけた。
「アタシ達は平気よっ!!」
「心配しないで下さい!」
「誰にきいてんだよ?」
「よし……だが」
 やはり、いくら那智でも説得は聞かないみたいだ……。
 汐澄の気の違ったような呟きは、なおも続いていた。ゆらりゆらりと上体を揺らしながら、瞳だけぎらぎらと輝かせてこちらをみていた。
「人など嫌いだ……みな食ろうてやる……みな力としてやる……寄こせ、寄こせ……その力を……寄こせっ……!!」
 その姿を、とても辛そうにしていた那智が、突然すっくとその場に立ち上がった。
「おい、那智ッ!?」
 さまよっていた視線が、那智をとらえる。
「おお……そんなところにいたのか、巫女……さあ、来い。さあ、来い……! 食ってやる。骨の髄まですすり、我が力としてやるから……さあ!!」
 暗い瞳で自分を見つめる汐澄を、哀れむような眼差しで見つめると、那智は噛みしめるように言った。
「人が嫌いなんて……嘘でしょう?」
「何を言う……? 人など……人など嫌いだ!!」
 叫んだ汐澄の瞳に、ほんの少しだが、動揺が走ったように見えたのは、俺の気のせいだろうか?
「嘘ですっ!!」
「な、何を根拠に……」
「嫌いならなぜ、そんなに憎むんですか? 本当に嫌いなら、憎むことすらしないはずでしょう?」
「…………黙れ」
 ゆらりゆらりとしていた動きをぴたりと止め、汐澄が那智を見つめる。
「もう、やめて下さい。あなただって、そんなことしたくないでしょう? 訳があるんでしょう? そんなことじゃ、汐澄さんだって……!」
「黙れだまれダマレだマレダまれええええええええええええええええっ!!!!!」
 それは、泣き声に聞こえた。聞こえようによっては、子供のかんしゃくにも似てた。
 叫びとともに、再び衝撃波。それは、まっすぐ那智に向かっていた。汐澄のかんしゃくに呆気にとられてた俺は、動くのが遅くなった。
 那智が、ぎゅっと目をつぶる。
 俺の伸ばした手が、空をつかむ。
 くそっ、とどかねえっ!! ……また俺は、大切な者を守りきれないのか!? なんのために、俺は師匠に武闘を習ったんだ!?
 脳にひらめくフラッシュバック。たくさんの後悔を胸に抱いた、あの日の両親の死に顔がよぎった。 
 那智の悲鳴を覚悟して、俺は絶望的な思いにとらわれた。


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