第五章 〜2〜
 そこは一転して、ただの洞窟だった。薄暗い中ごつごつとした岩肌がまず見えて、次にねっとりとした湿って生暖かい空気が押し寄せてきた。聞こえてくるのは、絶えず滴り落ちる水音だけだ。
「うわっちゃー……」
 声に出せたのはその一言。呆然と。ただ呆然と。俺達は奥を見つめていた。
 壁一枚を隔てたそこが、神殿とはあまりにも別世界だったからだ。そう、あえて言うなら、禍々しさ。それが俺達を押しとどめていた。
 神殿が聖域とも呼べる雰囲気で満ちていたのとは全く逆に、洞窟の中には息の詰まりそうな濁り、澱んだ空気が閉じこめられていた。
「なんなんだよ、これは……仮にも神様の住まいかよ、ここが……」
 ようやくぼやいた俺に、紫明が顔をしかめ、目の前の煙を払うような動作をする。
「ここまで浸食されてるとはな……」
 けして聞き流せない紫明の一言に、俺は反応した。
「紫明……浸食ってどういう意味だ?」
 こいつはこれがどういう状況なのか、もしかしてわかってるのか?
「……とりあえず、先進んだほうがいいんじゃねえの? 進みながら、説明してやるからよ」
 とりあえず、紫明のいうことは事実なので、俺達は先に進むことにする。
 見えないぐらいに暗いというわけでもないのだが、安全のため手持ちのカンテラに火をつけた。そのまま、慎重に足を進める。しばらく歩いて、ようやく紫明は口を開いた。
「……まあ、簡単に説明するとだな」
 紫明が言うには、あくまで予想ではあるが、この洞窟もまた、以前は神殿内と同じ力で満たされていたはずなのだそうだ。俺達には感じられないが、こいつにはほんのわずかな名残がわかるそうで。
 だが、『影』が潮来を抑えつけ、封印したことにより、洞窟の雰囲気もまた塗り替えられた……。
 神殿の無事は、眠りにつく前の潮来の結界に守られてのもので、もしそれがなければとっくの間に神殿を覆い尽くし、町中までこの空気の澱みが伝わっていたに違いないと……。そしてさらに。
「潮来とやらがいつまでたっても目覚めないのは、神殿の結界を守るので精一杯だからなんじゃねえの?」
 神殿は、この洞窟と街とが唯一(かどうかはわからないが)直接繋がる場所だ。あそこが陥落すれば、すぐに街も汚染される。
 眠りに入ってすぐに『影』が浸食を始め、街を守るために眠りの中で力を使い続けたとすれば、回復するどころではない。もししてるとしても、いつも以上の時がかかる。だから未だに目覚めないのだと。
「確かにそれなら、つじつまが合いますね……」
「結構ここの空気、毒性があるぜー?」
 のほほんとした口調で紫明は言うが……それって大変なことだろう。
「って紫明! ならアタシ達も危険なんじゃないの!?」
 慌てる高嶺に、紫明はにんまりと、自信ありげに笑う。
「ノープロブレムッ! オレ様がそんなミスをするとでも? とっくの間に遮断壁張ってやってるに決まってるだろ?」
「そう言われれば……こうやって見てると、いかにも息苦しそうなこの場で、苦しいどころか息がしやすいですよね……」
 そう、目の前はいつまでも薄暗いままだが、俺達の周りは、全然息苦しくない。……扉を開けた時は確か、思わず息を止めたくなるほどの空気の悪さだったというのに。
「いつの間に張ったんだ?」
「さっき。ここに入ってすぐだ。触れた瞬間ヤバイもんだって感じたからな。ちょっとぐらいなら問題ねえが、吸い続ければ内臓から腐るような、タチの悪いやつだ。まあ、那智以外はほっといてもよかったが、那智が泣くのは見たくないしな」
 尊び敬え! の如き口調で紫明はずらずらと説明した。
「うにゅ? んとんと、紫明、ありがと〜。紫明のおかげで苦しくないんだねっ」
 那智以外は〜の下りを無視し、とゆーか、理解してないんだろうが、那智はいつものごとく紫明に笑いかけている。
「那智のためならどんな苦労だってオレは惜しくないぞっ」
「でも紫明。そんなこと言うなら、ここの空気、一気に清浄しちゃえばいいじゃない。あなたならそのぐらい、難しくないでしょ?」
 高嶺の言葉に、紫明は素直に頷く。だが、きっぱり「ヤダ」と言った。
「難しくはないさ。難しくはない。けどその代わり、きりがないからやらない」
「ええ? どーゆー意味よ?」
 ……尻切れトンボな話し方するのは、紫明の悪い癖だよな。
 紫明は肩をすくめ、もう一度言い直した。
「だから、例えオレが今ここにある分を浄化しても、また出てくるから無駄だって言ってるんだよ。同じ事何度もやるのは嫌だね」
「出てくるって……そんな次から次へと出てくるようなものなんですか?」
「そうじゃなきゃ、こんなにたまらねえだろうさ」
 だよなあ。
 ――ん? ちょっと待てよ。『今』って言ったってことは。
「紫明、この空気の悪さの原因は、叩けるものだって言いたいのか?」
「その通り。珍しく物わかりがいいじゃねえか、駿河。この澱みは明らかに人為的なものだ。街の奴等が言ってた『影』とやら……それが原因なのは、まず間違いねえだろう」
「じゃあ説得にしろ、倒すにしろ『影』の所に辿り着くのが一番ってわけね!」
「そーゆーこと」
「でも、その人がいるとこって、一体どこなんだろ〜?」
 む〜と考え込んだ那智の肩を、俺は軽くぽんぽんと叩いた。
「心配するなって、那智。ちゃんと行けるから」
「ほえ? 駿河、わかるの?」
「今までこうやって歩いてきて、気づかなかったか? 先に進むにつれ、空気の澱みが、目に見えてひどくなってるの」
 俺が奥の方を見ながら言うと、高嶺も孤玖も、納得したように頷いた。
「そう言われれば……確かに」
「目に見えるぐらい濃くなってるわ。霧みたいのまで出てるし……」
 それに紫明は「ふん!」と鼻を鳴らした。
「そこまでわかってるなら、さっさと行くぞ」
 そしてそう言って、一人で勝手に歩き出した。
 澱みは霧となり、さらにひどくなっていく……。


「――おい、お前ら! ちょっとみてみろよ」
 さっさと先頭を進んでいた紫明が、ぴたりと止まり、俺達を振り返った(らしい)。
 どうやら何かを見つけたらしいが……。かなり奥まで来たので、光がささないせいか先はかなり見えにくい。カンテラがあってよかった。
「なんかあったのか?」
「いいから来てみろ」
 ……へえへえ。今行きますよっと。
「ほら、これだ、これ」
 なるべく早足で紫明の所まで行った俺達。「おせーよっ」とぶつくさ言う紫明のカンテラが照らしているのは……扉だった。
「神殿の入り口の扉にそっくりですね」
「だろ?」
 孤玖の言うとおり、目の前の扉は神殿入り口の扉とうり二つだった。
「紫明、そのままカンテラ持っててくれ」
 俺はその場にしゃがみ込み、ざっとだが扉を調べてみる。盗賊のスキルを持っているわけではないので、正確に……とはいかないが、何もしないよりはマシだろう。
「駿河ぁ、ど〜お?」
「ざっとみた感じ……特に怪しいとこはないな。鍵もないし……まあ、開けても平気だろうな」
 よっこいせと立ち上がった俺は、仲間の顔を見回す。
「さて……どうする」
「どう考えても、この先がラスボスの部屋よね」
 高嶺が真剣な顔で呟いた。カリッ……と、形のいい爪をかむ。
「ラスボスってなんだ?」
「ん? ああ、ラストボスの略で……諸悪の根元のことだ」
「そうじゃなくても、わざわざ区切ってあるということは、少なくとも潮来様の『聖地』であることは疑いもないでしょうし」
「んと、ここにいる人と、お話すれば良いんだよね?」
 扉にぺたりと手をつきながら那智が言った。
 お話か……話が通るようなやつなら良い……けど、全く耳を貸さないようなやつだったら、こいつはどうする気なんだろう?
 その時は、なんとしてでもこいつだけは逃がさなくては……いや、逃がしたい。紫明に頼むのはシャクだが、その時はそうも言ってられないだろうな。
「駿河ぁ? 具合悪いの?」
 じっと真っ正面から見つめられ、はっとする。
「いや、なんでもない。じゃあ、中入るか?」
「うん!」
 那智が先頭に立った。スッと扉に手をつけると、ゆっくりと持ち上げる。そして――。
 コンコン!
「ごめんくっだっさーい!!」
 ……ちょっと待てえええええええええい!!
「どなたかいらっしゃいませんかあ? お邪魔しまーす!!」
 めちゃくちゃ愛想よく言って、那智は元気よく扉をあけた。
 扉はなんの抵抗もなく開き、俺達を迎え入れたのだった。


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