第一章 〜2〜
『誰だ?』 俺が言ったのか? それとも、相手が言ったのか? ……わからない。 声はあちこちから反響し、幾重にもなって俺の耳に届く。 暗い……何も、自分の手すら見えない。 真っ暗闇の中、意識がたゆたう。 流れる。 意識はある――と思う。 いや、意識体……か? ……夢? そうかもしれない。現実にしては……感覚が薄い。闇との……同化……。 『誰だ?』 今度こそ相手が言った。意識が流れそうになる中、俺は負けずに言い返す。 『あんたこそ誰だ』 フッ……と微かに漏れる笑い声。 『この場で自分を保てるか……。さすが『あれ』と似た雰囲気をまといし者よ……』 『あれ』? なんのことだ……。 次の瞬間には、もうそんな疑問は俺の中から過ぎ去る。もう一度、問いかけた。 『あんた……誰だ?』 『さあ、な……』 『さあ、な……って、オイ』 あっさりと返された答えにならない答えに、俺は呆れざるをえない。 『私は私。ずっとここにいるモノ。ずっとここで待つモノ』 『待つって……誰を?』 俺の問いかけに相手が首をかしげ沈黙する。 『……はて?』 『はてって何だよ……』 俺のさらなる呆れ声に、相手が開き直る。 『いいだろう、別に……。お前には関係ないだろう? ――それに実際、よくわからないのだから……』 『……無責任、って言わないか、それ……』 『私はそれでも、待ってるのだ』 『誰だかわからないのに、待ってるって矛盾してねえか?』 こんなどこだかわからん所で……いや、現実ですらないだろう。 『……?』 少しの沈黙。そして答え。 『……矛盾ではない。それこそが真実。私はいつもあの者と共にあった。だから、あの者がいないから私は動けない――動かない』 なんだかわかるような、わからない理屈を言う奴だ。なぞなぞみたいだ。だけど、あいつってことは、結局わかってるんじゃあ? 『あの者?』 『……私のただ一人の待ち人。姿や声程度が変わろうともその存在は変わらない。そう、存在自体が真実なのだから……』 やっぱりよくわからん。だが……。 『大切なんだな。そいつのこと』 にっこりと――初めてだ――相手が極上の笑みを浮かべたのを感じた。 そう、見えたのではない。感じたのだ。 『ああ。――もう、気配はすぐそこまできている……再会までまもない。お前とも別の形で会えるだろうよ……』 え?別の形? どういうことだと問いつめる暇もなく、俺の意識は現実へと歩み始める。 意識が濃くはっきりとなり、しかし同時にとぎれそうになる。矛盾するその感覚に、俺はただ振り回される。 世界が、回る。 世界に、呑まれる。 全てが彼方へと、遠ざかる。 『また会おう』 楽しみにしている――。 そのセリフを最後に、俺は全て呑まれたのだった。 ずがらしゃん! そんなはた迷惑な、何かが倒れる音で目が覚めた。 「うるあああああっっ!!」 「ずおりゃあああああああああっっ!!」 流れる汗、飛び交う血しぶき。拳を交えるむさいおっさん達。 どごっ、ずがっ、どがっっ!! がっしゃーん!! 「……………………………………………………………………ぅおえっ」 ……目が覚めて早々、むさ苦しいモノを見てしまったもんだ。ああ、心がすさむ。おっさんなんかより、若いおねーさんを見たかった。 ――しかし、今までののわけわからん会話は……。 「夢?」 呟いてふと気づく、それしかないことに。 あんなもん、夢でしかあり得ないだろう。何やら、ただの夢にしては意味深だったが……まあなんてことないだろうし。 「あ、駿河。やっと起きたの〜?」 横を見れば、ほっとしたような那智。……先にこっちを見ればよかったか。一応こいつも女だし。 「ん……。どんぐらい寝てた?」 「十分ぐらいかなぁ……」 「そうか……」 あまりたいして寝れなかったか。その中で夢を見るとは、俺もなかなか器用な構造をしている……。 「それにしても、よくこんなとこで寝れたねぇ〜。何回も呼んだのに、ちっとも起きないんだもん……」 半ば呆れたように、残りは素直に感心したように言う那智。 別にいいじゃないか。いつでもかつでもどこでも寝れるのは、俺の特技なのだから。 そんな俺の心境を、那智は表情から読みとったのか、ちらりっとまだ活気の収まり切らぬ場所を見て言った。 「……こんな場所なのにねえ?」 のほほーんとした顔で――いつものことだが――那智の見つめる先は城の大広間。そしてそこは――もはや城とは別世界と化していた。 ……ぶっちゃけた話、筋肉ダルマのよーなおっさん、兄さん方が、血と汗をふりまきながらケンカを繰り広げているのだ。 はっきり言って、精神的によろしくない。それどころかすんごく悪い。若いおねーさんならともかく、筋肉ダルマじゃ目の保養になりえるわけがない。 もちろん、俺はそんなことに関わる気はさらさらないからして、被害の少なそうな、いてもあまりめだたなそうな場所へ那智を連れて移動し、事態を眺めていて……そしてあまりのつまらなさに寝ちまったんだっけ。 まーそのうち飽きて止まるだろうと、そう思っていたわけだったのだが…… ――全っ然止まんないんだな、これが。 うーん、どうしたもんだか……。でも、放っておくのが一番だよなあ。止めたってなんの得にもなりやしない。つーかむしろ、損害を受けるだけだ。 「ねえ駿河ぁ、止めないの?」 「止める? ……なんで」 「なんでって……原因作ったの駿河だよぉ? だから、駿河が止めた方がいいと思うけど……」 原因を作ったとは人聞きの悪いことを言う……。 「いつ俺が原因作ったんだよ?」 「いつって、あのでっかいお兄さん突き飛ばしたの、駿河だよぉ?」 ……そんなこともあったかもしれない。だが、あれは正当防衛だったと、俺は固く信じている。 「ありゃ正当防衛だろ?」 「過剰防衛のような気もするけど……」 と、いきなり那智がぴっと壁を指さす。 「だって駿河、お兄さんがぶつかった壁、穴あいちゃってるよ……?」 那智の指さした壁。確かに穴が開いている。筋肉ダルマがぶつかったそのまま、きれいに型が抜けている。いやあ、見事、見事。 「あのダルマが悪いんだよ。自分は国一の武闘家だ、とか言って、何が気にくわなかったのか知らないけど、いちゃもんつけてきたんだから」 人の顔見るなり「女顔」とか、「痩せ」とか、「ちび」とか、「お前見みたいの者が来る場所ではない」とか言い出すし。じゃあお前は何様だと言うんだ。あー、国一の武闘家(自称)だっけか? 大体この顔は親からの遺伝だ。オカンに似たんだよ、親父に似てりゃもっとごつかったっつーの。 まあ、確かに俺は、武闘家にしちゃ痩せてるさ、背もそんなにでかくないさっ。だがなっ、こちとらけっこう気にしてんだっ! 成長期なんだからほっとけ!! 「俺だって最初は優しく丁寧、紳士的かつ人道的に、口頭で注意してやってたじゃないか。見てただろ?」 言いたい放題言われても、俺は我慢して、常識的見解で「自慢話なら他でやれ」「ここでは迷惑だ」と言っただけなのに……。 それに勝手に腹たてて、向かってきやがったからちょっとひねってやっただけじゃないか。俺は何にも悪くない。完全な正当防衛だろう。 「たとえそうでも、乱暴はだめだよぉ! 吹っ飛ばすにしたって、もうちょっと優しくやってあげればよかったのに……。いきなり壁まで吹っ飛ばさなくたって……」 優しく吹っ飛ばすって……なかなか無理難題な気がするが? 那智は納得がいかないと、そんな表情だ。だが、それには俺の方にも一応言い訳らしきものはある。いわく――。 あれは純粋なる事故である! ということだ。不可抗力でもいいだろう。神――いや、俺の全財産、全へそくりに誓って嘘ではない。 白状すると、俺はかなり他人様より力が強い。特殊能力、といえば聞こえはいいが、実のところ単なる生まれながらに持っている謎の怪力だったりする。 生後五ヶ月程度の時に人差し指で石の床に大穴をあけたときは、生後一ヶ月でほ乳瓶握りつぶした俺を「まあ、元気がいいわねv」とか言って放っておいた、かなりぼけた……というかアバウトな両親も、さすがにおかしいと気づいたらしい――その前に気づけという説もあるが。 だから、誰がなんと言おうとあれは事故で、正当防衛なのだ。 俺の言葉に納得したのかしないのか、微妙なところではあるが、那智はいったん黙り込んだ。 しかし、数秒後には何かを見つけたらしく俺の服の袖を引っ張った。 「ねえ、駿河、駿河ぁ」 ああ、服が伸びるからやめてくれ。 「なんだ? だから止めねえって」 ぷるぷると首を横に振る那智。 さっきまで止めろ、止めろと言ってたくせに……こいつも案外、いい性格してんじゃないか? ……単純なだけか。ま、面倒ごとがなくていいけど。 しかし……では何だというのだろう? 「あのねぇ……音色、笛の音色、聞こえない?」 「笛の……音色?」 言われてよく耳を澄ましてみれば、確かに……。微かに、本当に微かに透明な笛の音が聞こえる。 ――きれいな音色だ。はっきり言って、こんな血まみれ汗まみれの場所にはふさわしくない。 音の出所をたどってみれば、俺達の向かい側で静かに笛を吹いている奴が一人……。 遠目でもかなりの美形だとわかる。下手をすれば女とみまごうばかりの美貌だが、骨格からして男だろう。何でよりによってこんなとこで笛吹くんだか。 いろんな意味でマイペースな野郎だ。 「ねえ、駿河ぁ……」 どきどき、わくわくvそんな言葉が似合う表情で那智が俺を見つめる。 ん? まさか……。 「行ってみよーよ」 にっこりと、満面の笑みで那智が言う。 「ええー!? めんどくさいって」 「行こーよー、行こーよー!」 がくがくと那智が俺の体を揺らす。……ったく、ガキなんだから。 「わあったよ。行けばいいんだろ?」 「わーい!! だから駿河って好きー」 ぴたっとくっついてくる那智。 「はあ……。――行くぞ」 「うん!」 手招きをすると、てぺてぺと那智はついてきた。 あーあ、なんっか、歳の離れた妹ができたよーな気分だな。――状況的には、たいした変わらんか……。 るんたるんたと、機嫌良さげに那智はついてくる。前方ではあいも変わらず、一心不乱に美形君が笛を吹いている。まったく俺達に気づく様子がない。残り三メートル程度まで近寄ると、ようやく気づいたらしいそいつは顔を上げた。 「こんにちは!」 那智がお得意のにっこり顔で挨拶をする。 ……出た、必殺笑顔アタック。子犬のよーな笑顔で懐きまくるという、恐ろしい技だ。あー、ふさふさとしたしっぽが見えるよーだ。こいつは道中ずっとこうして知り合いを増やしまくってきたのだ。 まあ……おかげで色々助かったけどさ。買い物の時にまけてもらったりとか、おまけ付けてもらったりとか。 「え? ……ああ、こんにちは」 きょとんとした顔をして相手も挨拶を返してくる。 「あたし、那智って言います〜。すごい上手ですね、笛」 「あ……ありがとう。それほどでもないですよ。あ、僕は吟遊詩人で、孤玖(こきゅう)って言います」 琥珀の瞳に淡い色彩の金髪……しかも月の光のような独特の光沢。この特徴からいって、多分南の方のエリア部族出身だな。なかなか育ちの良さそーな顔つきをしている。 彼――孤玖が吹いていたのは横笛で、そんなに詳しくないからはっきりとは言えないが、エリア部族の民族楽器の一つだ……と思う、多分。 「きれいな笛ですねー」 「触ってもいいですよ」 「え? いいんですかぁ!?」 「ええ」 うーん……。何かこの二人、気ぃあってんだかなんだか知らんが、すげーのへのへっとした雰囲気を放っている。俺が入り込む隙間がない。 ――と、まあそういうわけで、俺は話をしに入ることを諦めて、ただ那智の後ろで突っ立ってることにしたわけである。 ←BACK◆NEXT→◆本編TOP |