第四章 〜5〜
 ふう、と孤玖がため息をつき、部屋の雰囲気がすうっと元に戻った。
 次の瞬間、部屋には拍手が広がった。もちろん、俺もしている。
 長い、長い拍手の後、少しずつ音が小さくなると、
「お見事です……あなたの語った伝承に、間違いはありませんわ」
 にっこりと霞さんが微笑めば
「若い身空でたいした技量だ……ここまでの語り、久しぶりに聞きましたぞ。さすが勇者様のお仲間でいらっしゃる!」
 平波が驚きと、それ以上の満足げな表情で孤玖を褒めたたえた。
 その横で、冷静に紫明が言った。
「じゃあ表の話はそこまでだ……その裏、教えてもらおうじゃねえか」
 面白がっているような、不快気なような。なんとも形容しがたい表情で、その鋭い眼差しを霞さんに向ける。
「裏……ともまた違うんですが。まあ、細かいことはいいでしょう。ともかく、孤玖さんの伝承の通り、この街が潮来様の恩恵を受けていたのは事実です」
「いた……ということは、今は違う訳ね?」
「神が、心変わりなされたとでも?」
 吟遊詩人の性か、興味津々といった感じに問いかけた孤玖に、霞さんは首をゆっくり横に振った。
「今現在、潮来様は、眠りにつかれています……」
『眠り?』
 なんのこっちゃと声をそろえた俺達に、今度は平波が口を開いた。
「本来彼の神は、人の姿形を取り、街のはずれにある神殿……まあ、洞窟なのですが、そこで暮らしておられます。遙か昔に洞窟に入った我等が祖先と意気投合し、共存を決めて下さったのが、今まで続いてきたわけです」
「い……意気投合?」
「潮来様は、とても親しみ深い方なのですよ。だからこそ遙か昔から、潮来様は我等が街を見守って下さっています。しかし、いくら神とはいえ、休息は必要です」
「それが……『眠り』というわけですね」
 一つ一つ確かめていく孤玖の表情に、特に変わったところはない。だが、いつの間にか左手にメモ帳、右手にペンがあるのが気になる。
「はい。街の文献でも、潮来様が百年に一度、しばしの眠りにつかれるということが記されています。……そして、その間の潮来様は、自分の武器に命令を下し、この街の安全を守らせて、すっかり意識のない状態であることも」
 そこまで聞いて、はっと孤玖の表情が変わる。メモ帳に押しつけたペン先から、インクがじわりっ……としみ出した。
「今、潮来様は眠りについてるんですよね……? じゃあまさか、この街に生け贄を要求しているのは……」
「はい、潮来様ではない、別の何かです……」
 神妙に頷く平波に、紫明はいった。
「で、その正体はなんなんだよ、正体は」
「……え……あの……その……」
 言いづらそうにする平波を、紫明がじとーっと見つめる。
「まさか、わかってねえわけ?」
「め、面目ありません……」
 その答えを聞くやいなや、紫明はチッと舌打ちすると
「頼りにならねえスダレだな、オイ」
 とのたまった。それを聞いた那智が、ぷうっと頬をふくらます。
「紫明、意地悪いっちゃダメ!!」
「那智ー、なんでこんなめんどいことひきうけんだよー?」
「めんどくさくてもやるの〜。やれることはやらないと、いつか後悔するんだよ?」
「……それも『お兄ちゃん』に教えてもらったのか?」
「よくわかったね〜、駿河ぁ」
 ええ、よくわかりました。那智の性格というか、馬鹿正直さは、兄の教えにあるのだとね。悪い事じゃないんだが……。
「まあ、生け贄を取っているのが潮来様ではないことはわかりました。で、もっと詳しい話は出来ますか?なるべく、わかるだけ。情報が欲しいんです」
 真剣な表情でペンを握りしめる孤玖に、霞さんが話を続ける。
「……正確に言えば十三年前のことです。再び潮来様の眠りの時期がやってきました。その年です……異変があったのは」
「異変とは?」
 ……なんか、孤玖が聞き役になってるな。まあ、孤玖なら心配いらないか。
「その年、海の様子が違うことには、皆気づいていました。しかし、取り立てていうほど害があったわけではなかったので、いつも通り漁獲祭を行おうとしていたんです。そして祭りの一週間前のこと……『役員』の夢枕に、黒い影が立ちました。顔は……今でもわかりません」
 ちなみに役員とは、本来は漁獲祭運営のためにあるものらしいが、今では生け贄……もとい、『巫女様』の世話係らしい。しかも、巫女とは本来、神殿で潮来様に仕えるためのホントに普通の巫女だったとか。
「影はこういいました。『潮来は封じた。これからこの海の覇権を握るのは、私だ。私の求める生け贄を出せ。さもなければ災厄が降りかかるだろう』と。最初はそのことを全く信じてませんでした。潮来様が封じられるなんて、夢にも思っていませんでしたから……普段通り、漁獲祭を終わらせたんです。しかし」
「災厄が、起きたんですか?」
 その時のことを思い出したのか、その場にいるセリルの住人は、一様に暗い顔つきになった。それを見て紫明が、つまらなそうに「しけた顔……」と呟く。
「それまで荒れるということを知らなかった海が、私達に牙をむけました……しかし、あれだけひどい災害でありながらも、不思議と死傷者はでなかったのです」
「その影とやらの力ですか?」
「ええ、多分。その夜、影から最後通告がありましたので。『二度と逆らうな』と。『逆らえば今度こそ死者が出る』……それから私達は、生け贄を出すことを選んだんです」
 平波が横から口を出した。
「それでも何年かは、征伐を試みました。生け贄になりすましたり、色々方法を使ってね。しかし、それらは全て失敗。その度街に災厄が降りかかり……何人も死者が。そうして、とうとう我等は諦めてしまったのです」
 悔しそうに歯ぎしりする平波。その拳は、これ以上ないほどに握りしめられて、彼の苦しみを表していた。
「――だけど!」
 霞さんが、下に向けていた顔を上げた。
「勇者様が来て下さいました。これは、神のお導きだと、私は思っています。本来ならばとうに目覚めるはずの潮来様は、『影』の力で未だお目覚めになりません。それでも彼の神は、私達を見守っていて下さったのだと……そう思います」
 セリルの住民が立ち上がり、床に座り込んだ。床に頭をこすりつけんばかりに下げ、土下座をした。
「どうか、どうか、この街をお救い下さい!」
「呪われし運命から、この街を救って下さいませ!!」
「……………………………………………………」
 那智が、戸惑った表情でその様子を見つめる。そして、ちょこんと人々の前にしゃがみ込むと、小さく微笑んだ。
「あのね、やるだけはやるよ。ゆーしゃは人助けがお仕事だから」
 ぱあ……と、人々の顔に希望が差し込んだ。
「でもね、失敗したら、ゴメンナサイ。とりあえず……頑張ってみるね」
 ぐっと拳を握った那智を、霞さんが泣きながら抱きしめる。
「むきゅ?」
 ぱたぱたと苦しそうに、那智が暴れている。そのはたで孤玖が、話を聞いていた最中に取っていたメモ帳を、ぱらぱらとめくっていた。
「ホント、情報が少ないですねえ……どーします? 駿河」
 どーしますって……。
「どーしようもないだろう? やるっきゃねえだろーよ」
 俺のため息とともに出した言葉に、孤玖は苦笑する。
「勝算は低いですよ?」
 俺はちらりと那智を見た。那智はまだ霞さんに抱きしめられている。
「ンなことわかってるさ。でも、俺達が行きたくないと言っても、あいつは一人で行くに決まってる……そーゆーわけにもいかないだろう?」
「確かに……」
 小さく、孤玖もため息をつく。
「俺、何か悪いコトしたっけかぁ?」
 かなりの本音で言った俺に、孤玖は「さて……」と言った。
「運命ですかねえ? ……こんなバランスの悪いパーティで、しかも最初の冒険が神殺しの大罪ですか……」
「神かどうかは、まだわかんないでしょ?」
「……高嶺か」
 ふふふ、と高嶺は笑う。
「もしかしたら、単なるモンスターかもしれないんじゃなくて? ケ・セラセラよ。難しく考えるよりも、行動したときの方がいいこともあるわ。時間もないことだし、早め早めに行動する方がいいでしょう?」
 高嶺の言うことも、一理ある。
 チ、チ、チと指を左右に振った高嶺の横で、紫明が腕組みをして言った。
「何だよ、結局全員で行くのかよ……せっかくオレの株が上がると思ったのに。ちなみに、今から行くのか?」
 紫明の言葉に、孤玖が「それはやめておきましょう」と言った。
 『影』というからには、闇に属するかもしれない。そうすると、俺達が夜に動くのは不利だというのが彼の考えだった。確かに、俺もその考えには賛同出来る。
 霞さん達の話によれば、『巫女様』を影の元に運ぶのは、漁獲祭の最終日。明々後日の予定だったそうだ。今日ぐらいゆっくり休んで、明日の朝から行ったとしても、遅くはあるまい。
「んじゃ、予定通り今日はここに宿を借りようか」
「ええ、さっさと寝て、明日への鋭気を養いましょう」
「アタシも踊りの練習したいわ」
「じゃあ、那智にも言おうぜ」
 そういうが早いか、抱きしめられたままの那智を連れに行く紫明。どうやら、いくら美人で女とはいえ、那智を抱きしめられたままなのが気に入らなかったようだ。
  霞さんが女じゃなかったら、きっと血の雨が降ってたに違いない。
 そしてその晩。他のメンバーはどうだか知らないが、俺は泥のように眠った。布団に入って数秒で睡魔が襲ってきて、あっと言う間に俺は夢の世界へ行ったのだった。



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