消えた砂塵 前編
 走れ、走れ、もっと早く。いくら急いでも足りない、急ぎ過ぎなんてことはない。
 さながら……否、暴走馬車そのものに、ぐんぐんスピードを上げ、
 大量の土煙を巻き上げ、馬車は裏街道をひた走る。
 時間がない。時は刻一刻と迫って、胸に湧き起こるのは不安と焦り。狂おしいまでの……喪失への、予感。
 気のせいだけでは済ませられない、だが信じることも出来ない、したくない気持ち。
 手に握る手綱が、汗のせいで滑り落ちそうになるのを、男は疲労ですり減った体力の代わりに、精神力のみでどうにか抑えていた。
 暴走馬車の手綱を取る男の名は流石(さすが)。
 腰の剣帯につるされた剣が、かちゃかちゃと音を立てている。
 明るい茶色の髪と榛色の瞳を持つ彼は、大人の余裕と共にどこかガキ大将のような雰囲気を残していて、それが相まって、笑えばさぞ人なつっこく見えることだろう。
 だが今の彼には笑うような心の余裕はなく、ただただ馬車のスピードを上げることに専念していた。ただでさえ立派とは言い難いその馬車は、スピードを上げるたびに、ぎしぎしと悲鳴に似た音を上げる。
 お願いだから、お願いだからもってくれ……目的地の、せめてもっと近くまで。
 後ろをちらりと振り向く。
 もちろん暴走馬車の運命は流石自身が握っているわけだから、本当に一瞬だったのだけど。それでも確認できたのは、彼だからこそだろう。
 馬車の後ろ、荷台の壁にもたれかかるようにして荒い息を吐いてる一人の女性……誰でもない、流石の妻の菖蒲(あやめ)だ。
 ふわりとした砂色の髪と、緑がかった黒い瞳。性格を反映しているのか、女性にしてはきりりとしたきつい顔立ちだが……それが彼女の美しさをさらに際だたせていた。
 ――だが今はその美貌に、病魔の影が色濃くさしていた。
 吐く息は荒く、熱にうかされたその身体は朱に染まっている。脂汗を流しながらも、彼女は気丈にもけして横になろうとはしない。あろうことか流石と目があったほんの一瞬に、笑みまで浮かべてみせる。
 苦しくないはずがないのだ。菖蒲は今、一刻をも争う病気なのだから。馬車をここまで飛ばしているのもみな、彼女を大きな街の病院へ運ぶためだ。
 彼女が意地っ張りなのは、夫である流石が一番よく知っていた。そしてその『意地』が、二人の間に生まれた息子、榛戯(しんぎ)を心配させないためであることも。
 そこまで思って流石は、不安そうにしながらも隣でしっかりと前方を見つめている息子に目をやった。
 瞳と髪の色は自分、顔つきは菖蒲のものを受け継いだ一人息子。まだ7才ではあるが、世間一般の子供達よりもしっかりしていると、ご近所でも評判なのが、実はちょっとした自慢だ。
 自分自身、親馬鹿だと思いながらも、それでいいと満足もしている。
「……父さん? どうしたんだ?」
 じっと見つめる父親に、不審に思ったのか榛戯が声をかける。
 はっと我に返り、もう一度強く、手綱を握った。
「いや、なんでもない……榛戯、もう少し飛ばす。母さんのためだ、舌かむんじゃねえぞ?!」
 叫んで、ピシリ! と馬に鞭を打った。馬車の速度がまた速まり、悲鳴のような音も、また一段高くなった。


 体が重い……噴き出る汗を拭うことすら煩わしく、流れたままにする。呼吸をする度に肺がひゅーひゅー音をたて、熱を持った身体は、まるで氷原にいるかのように寒くてたまらない。
 菖蒲はぎりりと唇をかみ、倒れそうになる体を何とか保たせていた。
 気づくと側には息子の姿。心配そうな面持ちで、自分の汗を拭ってくれるその姿に、愛しさがこみ上げる。
 死ぬもんですか、死ぬもんですか……! こんなところで、死ねるわけがない! まだやりたいことはたくさんある!
 諦めない。諦めたときこそが、終わりの時であると菖蒲は誰よりも知っていたから。
 見苦しくたっていい。足掻いてやるのだ、最後の最後まで……生きるということに。
「母さん……大丈夫か? 無理しないで……」
 覗き込むようにして自分を見つめる息子に、菖蒲はただ微笑んでみせる。
 大丈夫と声にしたかったが、身体が言うことを聞いてくれない。……悔しくて、泣きそうになる。
 馬車が段々速くなるのと共に、自分の呼吸数も増えていたが、榛戯に心配をかけたくなくて、必死に平常を装った。
――ヒヒーン!!
 甲高い馬の鳴き声。縦にゆれる馬車。外にかろうじて見える、前足を立てていななく馬の姿。
「どう! どうっ!」
 手綱を引っ張り、流石が必死に馬をなだめている。
「父さん!?」
「――来るな榛戯ッ! そこにいるんだ!!」
 慌てて御者台に移動しようとしていた榛戯に、流石の厳しい声が飛んだ。
 夫の珍しい、切羽詰まったその声に、何かがあったのだと菖蒲は確信する。
 よりによって自分が動けない、こんな時にっ!!
 動かない身体に鞭を打ち、何とかほんの少し場所を移動した。暗い荷台の中、それはまさに輝いて見えた。
 一筋の光……。流石が腰から抜きはなった剣が、太陽の光を反射して、キラキラと輝いていた。
 同時に始まる戦闘シーン。たくさんの剣を交わす音と、砂ぼこり。荒く、低い大勢の男達の声。まず盗賊に間違いないだろう。どう少なく見積もっても、十やそこらはいるだろう。
 こんな時にっ……!!
 もう一度そう思い、何とか身体を動かすことを試みる。……まだほんの少し、動く。だけど、彼の手助けなど、とうてい出来そうもない。
 なら他に、私に出来ることは……?
 戦えない以上、他に出来ることを、探さなければいけない。そう判断した菖蒲は、榛戯の肩に手を置き、ぎゅっと掴んだ。
 急に掴まれたことに驚いた榛戯は、次に母が動いてることに目を見張る。
「母さん、何してるんだよ?! じっとして、父さんならあんな奴等きっとすぐに……!」
 倒すと言いたいのだろう。その通りだ。ただし、普段の彼なら……という注釈がつく。
 普段の流石ならばあの程度の雑魚ぐらい、十や二十はへでもない。
 ――だが、それはあくまで……普段、だ。
 今の流石の体調は最悪だ。菖蒲を病院に運ぶため、馬車を暴走に近いまでにスピードを上げ、尚かつそれをコントロールしている。
彼はそのためにここ二日ほど寝ていない。
 体力、精神力。共にかなりの消費をしているはずだ。
 もし自分の体調が万全ならば、彼を助けることが出来るのに……!
 歯がゆさを押し込めて、菖蒲は榛戯に言い聞かせるように語りかけた。
「いい……榛戯…よく聞くのよ………?」
「母さん、喋っちゃだめだって!」
「いいから……聞きなさいッ……!」
 半ば泣くようにして自分を止める息子に、菖蒲は母としてピシリと言い放つ。条件反射で黙った息子を前に、菖蒲は大きく息をつく。呼吸が……つらい。
「お前は……助けを呼んできて……父さんが強くても、数が、多い……から」
「でも……」
 母さんは? と、声に出さずにかけられた問いに、菖蒲は気づかないフリをした。
「父さんは…強いので、しょう? お前が、戻って…くるまでは、耐えてみせるわ……だから、助けを……」
「……………………」
 しばしの沈黙。迷うように視線をさまよわす息子。
 何かをいいたいかのように口を開きかけるが、口には出さず、榛戯はただこっくりと力強く頷いた。
「わかった……行ってくる」
「いい子ね……榛戯」
 決意したとはいえ、目のふちに涙をため、不安そうに自分を見つめる息子に、菖蒲はにっこりと笑って頭を撫でる。
「そんな顔しないで、男の子は、強く……ね? さあ、行きな、さい……盗賊の注意が、父さんに、向かってる、今の、内…に……」
 とん、と軽く背中を押す。
 榛戯はぐっと拳を握ると、何かを振り切るように馬車から出て、走り出した。降りる瞬間に、「すぐ帰ってくるから!」という言葉を残して。
 だが菖蒲は知っている。榛戯がすぐ戻ってこれないことを。
 ここから近い街まで、結構距離がある。いくら流石が鍛えていたとはいえ、子供の足ではそう簡単に往復できない。彼が戻ってくるのは、きっと決着がついた頃だろう。
 そして……その決着が、自分達の死という最悪の形でつく確率が高いことも、菖蒲はしっかり理解していた。
 だからこそ、榛戯を逃がした。
息子に、自分達両親を見捨てるなんてことは出来ないことがわかっていたから、助けを呼ぶという大義名分をつけて。
 二度と見れないだろう息子の姿を、瞼の裏に焼き付けて、菖蒲はゆっくりその場に立ち上がった。
「くっ……」
 ぐらりと、体が揺れる。立っていられないと泣き叫ぶ体を無視し、気合いだけでその場に踏みとどまった。
 多分、流石は死ぬつもりだ。というより、死ぬまで戦うつもりだ。自分と榛戯を護るために。
 流石は……菖蒲が選んだ男は、そういう人間だ。
 大きく息を吐き、印を組み立て、二度とつむがないと思っていた呪文を、数年ぶりに再び唱える準備をする。
 この呪文は使っている間は、いったん健康な状態に戻る。
 しかし、終わったときの反動が、病魔にむしばまれている今の菖蒲には、多大な負荷をかける。
 ……この呪文のせいで自分は死ぬだろう。だが、夫は死ぬ覚悟をしてる。その彼についていくことを望んだのは自分自身。彼だけ戦わせて、自分だけがのうのうと助かるのは嫌だった。
 馬鹿な、愚かな考えだと笑う人もいるかもしれない。だがそれならそれでもいい。今の自分のこの気持ちが、何より大切だ。
「榛戯……幸せにね……」
 心残りは息子のこと。あの子をたった一人にしてしまう。
 でも、一緒にここいても、きっと護りきれない。例え自分がついていっても、今度は自分が足手まといになってしまう。だからせめて盾になろう。足止めぐらいにはなるはずだ。
「我が必要とすべきは剣……その刀身は氷のごとく、作られし道は炎のごとく……」
 小さく呪文を唱えていると、外から「中にもいるみたいだぞ」というような会話が聞こえてきた。呪文のスピードをアップさせる。
「素となるは我が身、我が力……降臨せよ、降臨せよ……」
 外では戦いの音。流石の「やめろ!」という声が聞こえた。そして馬車を覗き込む盗賊の姿。呪文の影響が早くも出てきたのか、しっかり遠くまで見える視界に、盗賊がニヤリと笑うのが見えた。
 同時に呪文が完成する。
「……我が内より出でよ、魔剣・エルドダーク」


 流石は苛立っていた。盗賊ではない。病気の菖蒲でもない。体力の切れかかっている自分にだ。盗賊程度に勝てない自分にだ。
「修行がたんなかったかな……」
 小さく呟き、剣を一閃させる。また一人、盗賊が倒れた。
 コンディションは最悪だ。息がきれかかって、体がうまく動かない。ほとんど長年のカンと、条件反射のような物で、彼は盗賊と戦っていた。
 しかし、それも長くは続かない。そろそろ限界だろう。
 頬についた返り血を手の甲でぬぐって、流石は周りを見回した。
 ……まだ、結構な数がいる。まだ、倒れるわけにはいかない。
 榛戯と菖蒲の安全を守るため、どんなことをしてもこの場を持たせなければならない。
「もういっちょ頑張りますかっ!!」
 大きく息を吸って、再び剣を振り回す。また数人、切った。しかし深手とまでいかない。かすっただけだ。
 その時、視線の端に、自分と同じ赤毛が映った。
 ……榛戯だ。
 菖蒲がうまく言って、この場から逃がしたに違いない。そうでなければ、あの榛戯が親を置いて逃げるなんてことするはずがないのだから。
 少し、ほっとする。正直言って、この体調で完璧に息子と妻を護りきる自信は、なかったのだから。
 だけど、その安心が仇になった。
「……ッ!?」
 横からの一撃。それを避けきれなかった。浅くだが、横っ腹を薙いだその一撃に、思わず顔をしかめる。
 体力のない今、血を失うことは、結構痛い。例えどんな浅い傷であっても、血は流れ出て力を奪い、発する痛みは集中力をなくす。
 そんな中、盗賊の一人が、馬車の中の菖蒲に気づいたようだ。血が逆流するような錯覚を起こす。
 痛みを無視し、剣を片手に走ってまた一人切った。声の限りに叫ぶ。
「やめろ!!」
 楽しげに笑った盗賊を見た。
 間に合わない!! そう感じた瞬間、馬車に足をかけていた盗賊の一人が、後ろに吹っ飛んだ。
「え……?」
 他の盗賊も、そして流石も、驚きで動きが止まる。
 吹っ飛んだ盗賊には、輝く光の束がささったままだった。そのまま数瞬で、光の束は空気に解けるように消え去る。
「まさか……あれは……」
 そんな馬鹿な。という気持ちが先に立った。
 しかし、その次に見た物は、信じたくない気持ちをあざ笑うかのような物だった。
 確かに病魔に蝕まれているはずの菖蒲が、ふらつくこともなく出てきた。砂色の髪を風になびかせ、不敵な笑みを浮かべた彼女は、左の手の平からずるりと真新しい光の剣を引きずり出す。
「……魔剣」
 使ったのか……あの呪文を……。
 絶望にも似た想いが流石の心を染めた。
 彼にもわかっていたのだ。あの呪文を使えば、今の菖蒲には致命的なダメージがいくことを。
 呆然としたままの盗賊に、菖蒲は躍り掛かった。光を振りかざし、さほど力も入れてないように見えるのに、易々と相手を切り裂く。
 それが菖蒲の実力だ。
 かつて某国の騎士団の副団長の立場ににいた流石と、同じく魔法師団の三番隊隊長を務めていた菖蒲。
お互いの実力は、それぞれよくしっている。
 トン、と菖蒲が地面に降り立つ。
 それが合図のように、盗賊達が再び動き出した。


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