名残雪 後編
「――!? ……………………………………ゆ、め……か」 真っ暗な俺の部屋。辺りは静かで、何の音もしない。すでに皆、各自与えられた部屋で寝静まっているはずだ。 布団をばさりと体から落とし、俺は上半身を起こした。寝間着が汗で体にまとわりついて、なんとも居心地が悪い。くしゃりと、片手で髪を撫でつける。 ……夢を見た。昔……遠い昔のことを。 もうすでに、人の世では伝説となった時代。仲間がいて、愛しい人がいた……。笑えるくらいに若かったあの頃。 悪夢というには愛しすぎる、かといって良夢と呼ぶには切なすぎ、悲しすぎる。 これが、久しぶりにかつての仲間である蒼月に会ったことが原因なのは、言うまでもないだろう。 「……眠れねえな」 酒でも飲むか。 寝台から降り、台所を目指した。棚の上にある酒と、グラスを持って暗闇の食卓に向かった。 椅子に腰を下ろした時、暗闇の奥から控えめな声がした。 《……斬雪?》 「蒼月……起きてたのか」 苦笑を含んだ俺の答えに、ぼんやりと蒼い光をまとって蒼月が現れた。 《それはこちらのセリフだ。私は、お前たちように多くの眠りを必要としないからな》 「……そうだったな――飲むか?」 グラスを上げて問うと、小さく蒼月が微笑む。 《飲む……は無理だが、雰囲気と酒の氣自体はいただこうか……いいか?》 「誘ったのは俺だ……良いも悪いもあるか」 《そうか。悪いな》 もう一度台所に行き、グラスをもう一つ持ってくる。お互いのグラスに酒をつぎ、片方を蒼月の近くに置いてやる。 「久しぶりの再会に……」 『――乾杯』 置いたままのグラスに、俺のグラスをあてる。高くも低くもない、いい音がした。 《……いただく》 「おう、飲め飲め」 ちびりちびりと飲みながら、俺は横にいる蒼月を見た。それに気づき、相手は口を開いた。 《まさかとは思っていたが……駿河の師がお前だったとは……》 「……その口調だと、少しは予想してたようじゃねえか」 《まあな》 思い出すように目を細めて、蒼月が俺を見る。 《駿河の戦い方は……お前によく似ていたよ。体裁きというかなんというか……何度もお前とかぶって、見間違えたほどだ》 「そんなに似てるかねえ?」 《本人たちはかえって気づかぬのだろう……》 しばらく沈黙が続く。再び蒼月が口を開いたのは、俺の酒がグラスからなくなるのと同時だった。 《そして……あいつにも似ているな》 「………………」 誰に? あえてそう声に出さなかった問いに、蒼月は答えた。 《お前も気づいているのだろう……? ――夕凪だ》 ピクリと、肩が震えるのを止められなかった。 それに蒼月が、痛ましそうな表情を作る。 《……まだ、傷は癒えぬか……》 情けない。そう思いながら、後を続けた。 「怒ったトコとか、そっくりだよな」 先程の夢の中の瞳と、弟子の瞳が重なった。なんとなく思ってはいたが、確信したのは、先程の夢のせいだ。 なぜあんなに似ているのだろう。顔の作りが似ているわけではない。いや、むしろ全く違うのに。瞳が……瞳の輝きが、同じなのだ。 「……長生きできねえ瞳だよ」 《そうだな。そうかもしれん……》 同じ。同じ瞳。生きることそのものに喜びを感じ、自分ではなく、親しい者のために命を懸ける。そんな者が持つ、共通の瞳。 《あれ(夕凪)と同じだ……自らの命よりも、仲間を最優先にするのは……》 口調に含まれた、微妙なニュアンスに、俺は気づいた。 「……なにか、あったのか?」 返事を話に変えて、蒼月は続けた。 《かなりの無茶を……な。皆が助かる方法が一つしかないなら、例え自らの命をかけてもやるしかないとのたまったぞ》 同じ瞳で、同じ事を言う。同じ想いを抱えている。残される者の思いを考えないとこまで、そっくりときている。 いや……わかっていて尚自分を止められないのだろう。その選択が、あの瞳の核なのだろう。 「……馬鹿がっ」 ただ一言そういえば、蒼月が瞳を伏せた。 《でも、だからこそあれを弟子にしたんじゃないのか?》 「……そうかもな」 それは、きっと自分すらわからない真実に近い。 また、あの瞳に惹かれたのかもしれない。夕凪と同じ瞳を持った少年の生き様を見たかったのかもしれない。そのまま放っておくのが惜しいと、そう思ったのは確かだ。 《夕凪のこと、忘れられないか……》 「忘れられるはずねえだろ……俺が殺したんだから……」 《それはっ……!!》 違うと言いかけた蒼月を、俺はさえぎった。 「違わない……俺が殺したことは、事実だ」 蒼月が、悔しそうに下を向く。 《あれは……仕方がなかったのだ……。夕凪が、それを望んだ……》 グラスにもう一度、酒をついだ。 「でもな……そうじゃなくても、やっぱりあいつを忘れられんよ。俺は、まだあいつを愛してる。あいつに似た弟子(駿河)が、まるで息子のように思えるんだ」 ガラじゃねえことを言ってるな、俺も。それでも自然にその言葉が出てきたんだ。 《そうか……》 「――ちょっとばかし、出来が悪いがな」 そういって笑うと、蒼月も少し、安心したように微笑んだ。 《そう言うな……駿河の力はなかなかだろうに。お前らはよく似ているよ……意地っ張りなところは特に。本当、親子だな》 「うるせ」 グラスの酒を飲み干し、俺はその場に立った。 《やっと寝るのか?》 「いや。少し、風当たりに行ってくるわ」 《気をつけて行って来い……それと、たまには素直になるんだな》 森の中を過ぎていく風が心地よい。特にあてどなくその辺を歩いていると、微かな話し声が聞こえてきた。 「……お師匠様、優しそうな人だね?」 少女の声は、那智だ。 それにふん! と鼻息で答える奴が一人……駿河。 「優しいって……お前も変な奴だな」 「なんで〜?」 「あの師匠を見て優しそうなんて言う奴、初めてだぞ?」 「そっかなぁ?」 「そーだよ」 ……バカ弟子が。失礼なことをいいやがって。後で首しめたろか。 「そーいえばぁ、お師匠様の耳……」 「ああ、あれな。師匠、半分は人間じゃないらしいし。その現れだろ。それがなにか問題でもあるのかよ?」 そっけなく、どこか不機嫌そうに答えを返す。 確かに。俺の耳は尖っている。人とは違う形だ。 「不思議ね……優しいカンジ。安心するよ?」 「…………!」 駿河が、絶句する気配が伝わってきた。そして俺もまた、そうしていた。 二人目だ。この俺の耳を『安心する』とのたまったのは。 一人目は……誰でもない、そこのバカ弟子だ。幼い頃のあのバカは、よく俺の耳で遊んでいた。それが落ち着くのだと言った。 そして、耳を見て怯え、俺を『悪魔』と呼ぶ近所のガキに鉄拳制裁をしに行こうとしたのも、駿河だった。もちろん俺が止めたので現実にはならなかったが。 ふうと、息を吐く音。 「お前も……そう思うか?」 「思うよ?」 不可思議な沈黙。駿河が、笑ったらしい気配がした。 「……そうか!」 バカが……その程度でそんなに喜びやがって。ホント、ガキはわかんねえ。 「優しい人……優しい……いい人だね?」 のほほんとした言葉に駿河が頷く。 「そんなこと……俺が一番知ってる」 ぶっきらぼうに言ったセリフが、照れくささを隠すものだと、俺は知っている。それが隣の少女にもわかったのだろう。楽しそうにクスクスと笑った。 「笑うな」 ぶすっとした顔で言っただろう言葉は、全く少女に聞かないらしい。小さな笑いは続いていた。 「ごめんね」 しばらく不機嫌そうだった駿河が、空を見た。 「うん……知ってるさ。師匠と暮らしてもう十年たつ」 もうそんなになるのか……。 今日自分でも考えたことだが……自分で言うのと、人が言うのを聞くのとはかなり違うもんだな。 もうこの場から去ろうとした時だ。それを聞いたのは。 「――例え師匠はそう思っていなくても……俺はあの人の息子でいたいと思うよ。師匠は……俺の、父親だからな」 「思いこみでもいいんだ」と。 まだ続く会話をよそに、俺はその場を離れた。 息子。父親。 家に戻りながら、俺はその言葉を繰り返した。 「あの……バカ弟子。いきなり何を言い出すんだか。不意打ちかよ……」 どうしたことだろう。俺としたことが、こんな事で嬉しくなるなんて。胸の奥深くに、暖かな何かが降り積もる。忘れかけてた何かが小さな芽を出す。 知らずに、笑みが浮かんだ。 「夕凪……夕凪……」 安らかに眠っている愛しい者に声を投げかける。 「……あいつは、お前が送ってくれたのか?お前とよく似た、バカ息子は……」 いつか生まれていたかもしれない俺達の子供。お前と同じぐらいに愛しいよ。 血は繋がってなくても……あいつは俺の、息子だ。 「……出来は悪いがな」 呟いて、バカ息子が帰ってくる前に、俺は部屋に戻った。 「じゃ、師匠。また来るから。とりあえず、行くな」 「ああ」 朝。朝食も済んだ一行は、支度を整え出発しようとしている。 俺はそれを、食卓で新聞をひらきながら見送っていた。 「そうだ、駿河」 俺の呼びかけに、家から出かかっていた駿河が振り返る。 「なんだ?」 ニヤリと、俺は笑ってみせる。 「俺の息子を名乗るなら……もっと腕をあげやがれ」 何を言われたのかわからなかったらしい駿河は、一瞬ぽかんとマヌケ面をさらしていたが、やがて顔を真っ赤に染め上げていった。 「まさか……きっ、聞いてたのかっっ!?」 「さ〜てなぁ?」 「立ち聞きなんて趣味悪いぞ、師匠っ!!」 あー、うるせえ。 新聞で駿河を見えなくし、俺は言った。 「うるさいぞ。さっさと行ってきやがれ……このバカ息子!!」 はっと。駿河の息を呑む気配が伝わってきた。 駿河の仲間が、小さく含み笑いをしているのが目の端に映った。 「〜〜バカバカ言いやがってこんちくしょう……行ってくる! じゃあな、バカ親父!!」 威勢良く言い放ち、真っ赤な、それでもヤケに上機嫌な顔で出ていく駿河に、俺は新聞の奥で静かに笑った。 出てった駿河に、仲間たちが大爆笑する。 紫明以外の奴等が一礼し、場から出ていった。 「待ちなさいよ、駿河!!」 「顔真っ赤だぞ、トマトかお前!」 「うるせえ紫明!!」 「駿河、駿河、次どこ〜?」 「那智……あなたの街でしょう?」 「あ、そっか。ありがと、孤玖!」 「どういたしまして」 「だあもう、紫明うるせえ!」 「うるさいとはなんだ、うるさいとは」 「…………だから、」 「………そう」 「………だろ!?」 「……から……」 「………」 「……」 「…」 ――行ったか。 場が、元の静けさを取り戻した。 次にあの騒がしい奴らが来るのは……あのバカ息子が帰ってくるのはいつだろう? 今回は無理だったが、次は稽古でもつけてやろうか。どれだけ強くなったのか、試したいしな。 とりあえず……今はあいつらの無事を、祈るとするか。 胸に突き刺さる、未だ抜けない楔がある。 じんじんと痛む、未だ癒えぬ傷がある。 きっとそれは、一生消えなくて……俺はずっと、抱き続けるのだろう。 消えかけることはあるだろう。薄まることもあるだろう。 だけど、俺自身が、それを消すことが出来ない、忘れることが出来ない。 ――しかし、それを補ってあまりあるものが、俺にはある。 愛しい女の思い出と、その贈りもの。 息子という名残雪が、俺の胸の奥にある。 心に……心に雪が降る。暖かな、現実にはありえない、雪が降る……。 〜とんでもねえ勇者ども外伝・名残雪 終〜 〜あとがきという名のネタばれ&愚痴?〜 はいはい今日は、または今晩は。毎度おなじみ(まだ言うか)作者の刃流輝です。 『とんでもねぇ勇者ども外伝・名残雪』を読んでいただき、ありがとうございます。 今回の外伝の主役も、本編の主要キャラではなく、めちゃくちゃ端キャラ2号な、駿河の師匠であり保護者……精神的父親『斬雪(ざんせつ)』氏です。(いや……ここまで出張ってくるとすでに端キャラって言えないよ……恐るべし師匠!!) 本来この話は冒頭を見てわかっていただけると思いますが、師匠の傷口をえぐるためにあったようなものでした(爆死) ところがどっこい、最初の二ページあたりで書くのにあき、別のを書いてほっといたら……あっと言う間にまるで違う話!切ない系がほのぼの系に(のつもりでかいたのですが……)なってしまいました!!これも未熟さ故か。 でも、まぎれもなく書きたかった話です。思いはたっぷりこもってます。(フォロー) 一部は斬雪の夢という形で書きましたが、ここで本当に書くはずだった斬雪の過去の話は、いつか『蒼の夢』で清算させます。(いつだとは明確に言えませんが) そう、『星見』『蒼の夢』……そして『名残雪』は、元々同じテーマ――斬雪の過去、もはや伝説となった話を違う視点で書くつもりだったんです。(『星見』は当時のパーティの人格を浮き彫りにするためのもの。いわゆる試し書きだった) ではではこの作品が、少しでも楽しまれることを願って。 2002.6.30 刃流輝 前編へ 番外編TOP◆勇者どもTOP |