名残雪 前編
 胸に突き刺さる、未だ抜けない楔がある。
 じんじんと痛む、未だ癒えぬ傷がある。
 きっとそれは、一生消えなくて……俺はずっと、抱き続けるのだろう。
 消えかけることはあるだろう。薄まることもあるだろう。
 ――だけど俺自身が、それを消すことが出来ない、忘れることが出来ない。
 これは自分自身に科した罰だから……。
 だから、消えなくていい。癒されきる時は……一生、来なくていい。


 一応『弟子』という名目である、クソガキが出てってからしばらくたつ。
建国ウン年の祭りで、タダで国宝が見られるから、しばらく旅に出たいと言ったので、俺は特に感慨もなく送り出した。
 出ていく時に異様にこちらを心配していたのが邪魔くさかったと言えばそうだが……あいつの世話好き苦労性は昔からのもんだ。苦労性なのが自分でわかってんだから、面倒事など避ければよいのに、あいつには出来ないらしい……俺も似たようなところがあるからあまり言えた事じゃないが。
 まあ、問題ならそんなもんだ。重大な事なんて特にねえ。あいつにはそれなりに武闘を仕込んである。
そこら辺で盗賊に襲われたって、適当にのせるぐらいの実力はつけさせた。よほどのことがなけりゃあ無事だろう。
 元々素質があったのか、それとも努力の賜物か――おそらくは両方だろう。どれだけ綺麗事を言おうが、高い素質、才能だけは……いくら努力しても手に入る物ではない――あいつは俺が教えることを、文字通り吸い取るように吸収していきやがる。
 それは、修行をし始めて十年近くたった今も、ちっともかわらねえ。
 ただ純粋に、強さを求めていることも、あいつの強さ――身体だけじゃねえ、心の強さもだ――を、より一層大きな物にしているのだろう。あいつの底力は……一緒に暮らして十年経った今でも、まだまだ計り知れない。
 人の弱さを己自身で感じたあの日、あいつは泣きながら……それでも強い決意を込めて俺に言った。
 強くなりたい……本当の意味での強さを、あいつは求めていた。
 大切なものを守れるぐらい、強くなりたい……十歳にも満たないガキが、強さの本当の意味についてわかりかけていたことに、俺は心底驚いた。
 人にとっての強さとは、破壊力だけではない。それも一理あることは、認めざるをえないが……力だけではない。
 心のない力は、本当の強さではない。人間は他の種族よりも脆い存在だからこそ、身につけている強さとてあるというのに。
 今の世の中、それをわかってない奴等が多すぎる。俺は、人ではないからこそ、そのことを知っている。
 まあ、そんなことはどうでもいいさ。あいつがいつ帰ってくるのかも俺は知らない。だがその内、あきたら帰ってくるだろう。
 ふと、机の上にあった手紙に気づいた。二、三日前に送り届けられ、今の今まですっかり忘れていた代物だ。見覚えのある、良く言えば勢いのある角張った字で、こちらへの宛名……『斬雪(ざんせつ)』と、俺の名が書かれている。
「……珍しいこともあるもんだ」
 呟いて、裏を返せば、やはり差出人は不肖の弟子。なにがあったんだか。
 とりあえず見ないわけにもいかないので、俺はペーパーナイフで手紙の封を切った。
 中に入っているのは便せんが一枚。バカ弟子らしく、質はそれなりにいいが、ただの真っ白な便せん。必要以上に金をかける気がないと言うことだろう。
 全く……ホントあのバカらしいったらありゃしねえ。

【師匠へ
 前略。俺が旅に出てしばらく経つが、そっちに変わったことはないか?
 飯はきちんと食ってるか? 菜園の野菜は無事か? ニワトリどもの世話はやってるか?
 まあ、希陽(きよ)さんに頼んでおいたから、最低限のことは平気だとは思うけど。
 俺に変わりはない。少し面倒事に巻き込まれたが、なんとか無事だ。生きてる。
 旅先で仲間も出来た。……まあ、その仲間が苦労の原因な気もするが。
 国宝は見れた……というかそれ以上というか。なにから話せばいいかわからない。
 そう、色々ありすぎて。その内に順序立てて説明しようと思う。
 で、本題。仲間と国宝、その他諸々の偶然で、しばらく帰れそうにない。
 なんかわけわからんうちに旅を続けなきゃいけなくなったからだ。
 特に問題はないと思うが、一応報告はしておく。
 じゃ、そーゆーことで。俺がいないからってハメを外さないように。
 また連絡する。              駿河(するが)】

 ため息を一つ。
「……阿呆が」
 相変わらず厄介事に巻き込まれてるようだ。
 それはいいとしても、わざわざ手紙で、野菜やらニワトリやらの心配してんじゃねえよ。しかも人の飯のことまで……。俺をなんだと思ってやがんだ、あいつは。
「まあ、好きにすればいいさ」
 手紙を折りたたんでしまい、懐から煙草を取りだし火をつけた。
 ……旅をしようがなにをしようが、あいつの自由だ。とりあえず犯罪とかには手を染めないだろうし、生きていくための手段は持っている。
 苦労性の星の元に生まれたあいつのことだ。多少のことじゃへこたれねえだろう。ほっといても平気だ。それよりも……。
「買い出しにでも行くか」
 別に、手紙で言われたせいではないが、そろそろ床下の備蓄が減っていることに気づいたからだ。
 台所の床下を上げ、在庫を確かめる。塩漬けの肉がなくなってきたようだ。
「しゃあねえな。買いに行くか」
 煙草を口にくわえたまま、俺は村へと向かった。


「よっ、師匠。おかえりー」
 一瞬、我が目を疑った。
 飯できてんぞーと、前と全く変わりのない口調で、目の前のバカはお玉片手に夕飯の支度をしていた。
 村まで買い出しに行って、ちょっとばかしオマケしてもらって……そのまま帰ってきた。
 ガチャリと鍵のない戸を――森の一軒家に鍵なんてしゃれたもんはない。取られて困るようなもんも、元からないしな――開けた途端、するはずのないシチューの匂いがし、目の前には、いるはずのないバカ弟子の姿があったわけだ。
「なにつったってんだよ、師匠。ほこりが入るだろうが。ほら、夕飯出来てるって。だからさっさと席につけば?」
 そういっておきながら、自分自身はせわしげに台所へ向かった。まだ、なにか出すものがあるのだろう。
 目の前にはサラダやら肉やらなんやら……いつものあいつから言えば、わりと奮発したらしき料理の数々が並んでいる。
「師匠、はやく座れって!!」
「あ、ああ……」
 半ば強制的に食卓に座らされ、シチューを出されてはたと正気に戻った。そしてやっと気づいた。シチューや料理以外。目の前に並ぶ面々に……。
「――ちょっと待て、バカ弟子」
 俺の呼びかけにムッとしたような表情をする。
「バカ言うな。あんた自分で付けた名前も忘れたのか。もう歳かよ?」
「ンなわけあるか。不肖のバカ弟子に、こんな良い名前つけるんじゃなかったって、後悔してるところに決まってんだろうが」
「こんな師匠思いの弟子に文句つけんなバカ師匠。で、なに。今日のメニューはあんたの好きなもんだったと思ったけど……好みでも変わったか?」
「……そうじゃねえ」
 言われてみれば確かに。師匠思い云々はおいといて、食事のメニュー自体は俺の好物がそろってると言っていい。それ以外もかなりあったが。
「じゃ、なんだよ」
 本気で不思議そうな顔をしている阿呆に、俺は一瞬あ然とし、また一つため息をついた。
 普段しっかりしてるくせに、こいつは時々ひどいボケをかますことがある。それは昔から変わっちゃいねえ。
「――せめて、仲間ぐらい紹介したらどうだ?駿河」
 お玉を指揮棒のごとくかまえたまま数秒。それから駿河は、初めて気づいたというように「おお!」と小さく呟いた。
「……まったくもう!」
 最初に口火を切ったのは、気の強そうな金髪の少女だった。見るからに踊り子といった格好をしている。
「いつになったら紹介してくれるのかしらと思ってたら、アタシ達のこと忘れてたってわけ!?」
「そうみたいですね。まあ、料理にかかりきりだったわけですし、しょうがないでしょう」
 少女を押しとどめるように、穏やかに金髪の青年が微笑んだ。
「このオレ様を忘れるとはふてぇ奴だな、おい」
 ニヤリと笑う、一番年かさに見える黒髪の青年。……どっかで見た気がするのだが。一体どこで見たのか、全くわからない。確かに見覚えはあるんだが。
「駿河ぁ、ご飯まだ?」
 そして最後。のへのへとした雰囲気をふりまく、黒髪の少女。
 全員を見回し、俺は人知れず、汗を一筋流した。
 ……わからん。なにがどうしてこんなパーティが作られたのか、俺にはさっぱり見当がつかん。仲間が出来たと言っていたから、もっと違うのを考えていたんだが。あまりにもバランスが悪くないか?
 特に黒髪の少女は、なにを得意とするのか、職業がなんなのか感じることが出来ない。他の奴等はまだなんとなくわかるんだが……。
 もう一度俺は、ため息をつく。わざとらしく、バカ弟子にはっきりと聞こえるように。
「なんだよ、そのため息……」
「いきなり帰ってきて、何事もなかったかのように飯作りやがって……旅出るんじゃなかったのかよ? もう家が恋しくなったか? ガキが」
 そんなわけがないとわかりつつ、おちょくるように言った俺の言葉に、駿河がサッと頬を赤くする。
 いつもの事ながら……こーゆーところは変に素直に出来ているというか……。なんというか。
「ちげえよ! そのちっこいの……那智っていうんだけど、そいつの街が近いから寄ってみるかっていうことになったんだ。で、気づいたら……」
「――ここも近かったと」
 残りの部分を続けて言うと、駿河はこっくりと頷いた。
 ちっこいのというのは、黒髪の少女のことらしい。花が飛んでるような、のほほんとした表情で微笑んでいる。
「とりあえずみんな、これが俺の師匠の斬雪。んで師匠、仲間の紹介な。左から孤玖(こきゅう)、高嶺(たかね)、那智(なち)に紫明(しめい)。んでー、紫明が……」
 そこでちょっと顔を曇らせた駿河を見、そして『紫明』を見て、俺は先程からの引っかかりの正体を、やっと思いだした。
「……なんだ、邑咲(むらさき)ントコのガキじゃねえか」
 俺の呟きと同時に、駿河が目を見張った。
「師匠、しってんのか!?」
「知ってるもなにも……! そいつの親父と俺は長い付き合いでな。ああ、そうか。髪と目の色が赤くないから、一瞬気づけなかったわけだ」
「そこまで知ってるって事は……やっぱり」
 まだ驚いたままらしい駿河に向かって、答えの代わりに俺は言った。
「次期魔王がなんだってお前らのパーティにいるんだよ?」
「…………い、色々事情があって……」
 駿河がそのまま沈黙して、どこか遠くを見つめ出す。
 ……どうやら苦労の原因は、十中八九紫明らしいな。
「おい紫明、邑咲は元気か? つーか、まだあの天然ボケ、魔王してんのかよ」
 俺の問いに、次期魔王がニヤニヤと笑って答えた。
「まだしてるぜ、一応は。ジジイは嘆いてるけどな」
 相変わらずというわけか。
「ほえ〜。駿河のお師匠様と、紫明のお父さんはお友達なんだぁ〜……世界って狭いんだね、駿河ぁ?」
 のへのへとした調子で喋る、那智と言われた少女に、うちのバカ弟子が複雑な表情で同意した。
 その光景を見ていた紫明が、不快な表情をあらわにして、まるで……つーか、嫉妬そのままに少女に後ろから抱きついた。
「ほえ?」
 やれやれといった顔をする駿河と、特になんの感情の揺れもなく見守る他のやつら。
 ……もしや。もしやとは思うが。
「紫明……もしかして、お前がこのパーティに入った理由って……」
 今自分が、かなり困惑した表情をしているとの自覚がある。その証拠に、紫明が楽しくて仕方がないとのごとく、歌うように言った。
「ピンポン! 勇者様に惚れちゃったのさぁ〜!」
 そこでいったん思考は停止。
 ……勇者。駿河が違うのは間違いなく。というか、このパーティにそれらしき者は見あたらない。
 しかし、紫明が勇者に惚れたと言い、尚かつ好意を示している者は……。
 目線が、少女に向いた。
「師匠……事実なんだわ」
 信じられないとは思うけど、と付け足して、駿河が半ばヤケの、困ったような表情で笑った。周りの奴等も似たような表情をしている。
「きーて驚け見て騒げ! 我が愛しの勇者はこの……那智に他ならん!!」
 高笑い。高笑い。
「証拠だってあるぜ? お前のよーく知ってるな!」
 どこか回りくどい言葉に、まさかと思った。途端、背後に出現する慣れ親しんだ気配。けして完璧に閉じなかった遠い昔の記憶が、ふたを開ける。
 振り向かなくたって、後ろに存在するのが誰だかわかっている。答えはすでに、俺の中にある。
 ためらうような沈黙の後、懐かしい響きが鼓膜を揺らした。
《久しぶりだな……斬雪》
 ゆっくりと、俺は振り返った。
 一番最初に見えたのは蒼。あの頃と変わらない、あの頃を否応なしに思い出させるその色彩だった。
「……蒼月(そうげつ)」


「斬雪、頼みがあるの……」
 目の前の幼なじみが、静かに、決意をかためて俺に呟く。その頼みがなんであるかわかってるからこそ、俺はけして頷くことが出来ない。
「この世界のために犠牲になる気か……!? こんな……こんな世界っ、どうでもいいじゃねえか!」
 激情のまま発したセリフ。限りない本音。
 誰よりも愛しくて、何よりも必要な女。それが……一番嫌な末路を辿ろうとしている。許せない、許せるわけがない出来事だ。
 このままなにもかもかなぐり捨てて、彼女をさらって逃げたいのに、その瞳に縛られて、俺の体はピクリとも動かない。
「護りたいのは世界じゃないわ。人類なんかでもない。私が護りたいのは大切な人。大切な人が生きてる……今この時よ!!」
 力強いセリフ、それに比例し輝く瞳。否応なく自分を従える、その眼差し。
 あなたを守りたいのだと言外に言われ、苛立ちがつのる。
 ――それは、その想いは、俺とて同じことなのに。むしろ俺が言うべきことなのに。
「お願い……あなたじゃなきゃいけないってのもあるけど……誰でもない、私が、他の人じゃ嫌なの。あなたがいいの!」
 なぜ、他の状況で言ってくれない。なぜ、何より残酷なことを俺に強いるんだ。
「俺じゃなきゃ、ダメなのか……。お前がそれを、言うのか……」
 指先が震え、歯がかみ合わずにカタカタうち鳴らされた。恐怖に、全ての感覚が麻痺していく。
 彼女の手が、俺の剣に伸びた。すらりと抜き放たれたその柄が、俺に差し出される。俺はただそれを、馬鹿みたいに見つめていた。
「……斬雪」
 いつまでも手に取らない俺に焦れたのか、彼女は半ば無理矢理に、俺に剣を握らせた。
 優しく、優しく。場にそぐわないそれで、なだめるように俺の手を握る。
「みんなが、結界を破る前に……」
 俺の背中、閉じられた扉。腰から抜かれた剣。暗闇の中……銀が光る。
 他に方法は?
 ――ないだろう。
 彼女の望み?
 ――そうだ。
 磨かれた……彼女を守るために磨いてきた剣が、俺と彼女、両方を映し出す。
「お願い私を……」
 言い含めるようにささやかれる言葉に、目をつぶった。それでも核の部分は、すとんと俺の中に落ちた。重要な部分は、ちゃんと聞こえてしまった。
「……殺して」
 振りかざした剣。
 見開いた俺の瞳。
 それに映る、全てを受け入れた安らかな顔。
 目をつぶり、手を広げたその姿。
 目の前を染めあげる深紅。
 鮮やかな朱のドレスを着たような、彼女の姿。
 頬に飛んだ、生暖かい感触。
 むせかえる鉄の匂い。
 ………………胸に倒れ込んできた、真っ赤な彼女。
 からんと、剣を落とした音が他人事のように響いた。
「あ……あ…はは……はふっ……う、うう……!!」
 嗚咽があふれる。そして、笑いも。
 なにがおかしいのか。全くおかしくなんてないのに、乾いた笑いが喉から出てくる。
 ――そして、喉につまる。
 胸にある彼女を抱きしめて、本当に最後だと呟いて、俺はきれいなままの彼女の顔に、唇にくちづけた。
「夕凪(ゆうなぎ)…………夕凪っ……!!」
 
 記念日。呪われた日。
 大切なものを喪った日。
 愛した女を、この手で殺した日――。


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