星見　前編

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　聖女と呼ばれる女がいた。
　誰よりも生きることを望み、それ以上に仲間を生かすことを望んだ女。
　誰よりも不器用で、どこまでも真っ直ぐにしか進めなかった女。
　オレたち聖職者が欲してやまない、『聖』の字を戴きながら、ただ護られることを良しとせず、護ることを選んだ結果、己が手で他の命を絶ちきり、できた血の道を歩き続けた……誰より激しい女。
　オレが知る限り、最も聖女という名の似合わない、しかし、最もその名にふさわしい女だった。
　主人？　上司？　先輩？
　……そんなんじゃねえし、『聖女』なんてお飾りの名前も、あの女には似合わねえ。
　戦女神――誰よりもその称号の似合う。
　あいつは、オレの、オレたちの……。
　そう、戦友だ。


「他に方法がなかったの！？」
　エルフの娘が、目に涙をためて男を問いつめた。
　ダークエルフのような外見をした、尖った耳の男の足下には、血が付いたままの一振りの大剣が転がっている。
　二人とも、オレの仲間だ。エルフの娘、シェルディと、魔族と人のハーフ、斬雪。
「バカ！　バカ！　……斬雪の、バカ！！」
　シェルディは、先程から斬雪の胸に拳を振り上げ、責め続けていた。
　それに対し斬雪は、何も言わない、動かない。うつむき、黙したままシェルディの怒りを受け止めていた。
　……それとも、なにも聞こえてねえのか？
　オレと残りの仲間は、それをどうすることも出来ず……いや、違うな。どうしていいかわからず、ただ見つめていた。
　どちらの気持ちもわかるから、どちらかを止めることは出来ねえ。
　パーティのメンバーは全部で六人だった。このオレ、僧侶・細（ささめ）。リーダーの勇者・刹那（せつな）。その守護精霊・蒼月（そうげつ）。魔法使い・シェルディ。魔闘家・斬雪（ざんせつ）。
　そして残りの一人は……聖女・夕凪（ゆうなぎ）。
　最後の一人である、聖女と呼ばれた女は、夕凪は……今は、斬雪の足下に、ある。
　オレが目を向けるのと同時に、シェルディはずるずると斬雪から崩れ落ちると、夕凪にすがりつき、その頬に手を当てた。
　穏やかな、穏やかな顔。これで満足だとでも言いたげな、その表情。
　眠っているかのようなその姿……しかし、今そこに、生気は欠片も感じられない。
　胸元――心臓に広がる赤い華……真っ赤な、真っ赤な血。その一突きという手腕は、称賛に値する。
　夕凪は、死んだ。
　それは、自殺と言うべきなのか、殺人と言うべきなのか……オレは、どちらとも言いたくない。
どちらともというのが、真実であっても。
「夕凪ぃ、どうしてっ……どうして死んだんだよぉ……なんで君がこんな目に遭わなきゃいけなかったんだよぉ……どうして……どうして…………」
　うっ、うっ。という、夕凪にすがりついたシェルディのしゃくり上げ、そして嘆き。それだけがその場に、唯一の音として存在していた。
「……どうして、どうして……こんな、こんなことになる前に、ボクらに相談してくれなかったのっ……！？」
　絶叫。
　心からの、叫びだろう。斬雪以外の奴等の、心からの叫び。
言えない叫びを、まるでシェルディが代弁するかのようだった。
　オレは……この結末を予想していた。かなりの確率で、こうなることがわかっていた。
　蒼月も、何とはなしにわかっていただろうが……確信もなかったし、信じたくなかったというところだろう。
　シェルディだけが、素直に言葉を口にする。
　何も言えない残された者は、それぞれの方法で、内にたまる悲しみをこらえている。
　刹那は、今にも泣きそうなツラで、それでもグッと握り拳を作り、必死に耐えている。
　その横で蒼月は、滅多に見れねえ様な、感情を表に出した、痛くなるような表情をしている……珍しいと言って、喜べるような状況ではねえがな。
　斬雪に……変化はない。下を向いて、何も思うところがないような顔をして、ただ床を見つめている。
　それでも、一番ショックが大きいのは……こいつ以外にいない。そっとしておいた方がいいだろう。
　オレは、動揺を悟られるのが嫌で、斬雪同様なんの表情も出さずに立っていた。
　……厄介な性格をしているという、自覚は、これでもある。
　居心地が悪くて、無表情のまま懐から煙草を取りだし、ポケットから出したライターで火をつけようとしたが。
「……チッ」
　情けねえな。こうなることはわかっていたはずなのに、手が震える。カタカタと震える手が、なかなかうまく動かない。
　オレは苛つきながら、ライターを持った方の手に爪を突き刺し、震えを無理矢理止めた。
　そのままカチリ、カチリ、とやるが、なかなか火がつかない。
　こうなると、さらに苛立ちが積もる。
　オレは何回やっても火のつかないライターを放棄し、今度はマッチを取りだした。
　ぼっ、と今度はあっさり火がつく。それを煙草に近づけ、火を移した。
　……その瞬間、シェルディが立ち上がり、オレの煙草をたたき落とした。
「……てめえ、なんのつもりだ？」
　火のついたまま飛んでいった煙草を目で確認すると、オレは低く呟いた。
「君こそ……なんのつもりさっ……！」
　キッ！　と、シェルディが、オレを睨んだ。
　こいつはそう……ちゃっかり者のくせに、真っ直ぐすぎるのが、難点だと、オレは思う。
　オレはもう一度煙草を取りだして、同じように火をつける。スッと吸い込んで、白い煙を吐き出した。
「なんのつもり……？な　んのつもりもねえよ」
　わかっていたことなんだから。こうなることは、わかっていて。納得して。
　――これが、夕凪の願いだったのだから。
　だからオレは……いつも通りでいるんだ。この煙草の火が、オレの送り火だ。
「よくここで煙草なんて吸えるね！　夕凪が……夕凪が、こんなことになったのに……！！」
「それが？」
　素っ気なく言ったオレに、シェルディが真っ赤になる。
「この……冷血漢！！」
「さようで」
「〜〜〜〜〜っ！！」
「ふん……」
　怒るなら、怒るでいい。悲しみに暮れるよりは、いくばかマシだと思う。
夕凪は、こいつのことを一番心配してたからな。一番、悲しみに捕らわれてそうだと。
　まあ、恋人である斬雪のことも心配はしていたみたいだが……。
　小さく笑いながら「あいつは、立ち直れる……時間さえあれば。人を信じることを知ってるやつだから。人がいなければ、生きていけないやつだから。でも、もしもの時は頼むわ」っていいやがったし。
　ただ死ぬのではなく、あれだけ辛いことを恋人に強いておきながら、のろけを聞くとは思わなかったぜ。斬雪も、厄介な女に惚れたもんだよな。
「……斬雪も斬雪だよ」
　ぼそり……とシェルディが呟く。
　！？　なっ……まさかこいつ………！！
「なんでそんな平気な顔してるのさ、なんで何も言わないのさ……なんであんな決断できたのさ。君が……」
　……やべえ！！
　言わせちゃいけない。それだけは、それだけは言わせちゃいけない。
　くそっ、シェルディの奴、夕凪の死のせいで、周りのことを考える余裕がなくなってやがる！！
「やめっ……」
「君が……君が、夕凪をその手で殺したくせにッ………………！！！」
　この、馬鹿―――――――ッッッ！！！！！
　ビクリと肩を震わせた斬雪をみて、オレは、僧侶のくせにたいした信じてもいない神に祈りたくなった。
　神さんとやら、もしも本当にオレ達を見守っているというなら、今すぐ時を戻して、シェルディの言葉を撤回させてくれ！！　これ以上、あいつを……斬雪を追いつめないでやってくれ！！！
　夕凪にすまなくて、オレは何も言えなくなって、つけているサングラスを指で押し上げ、そっぽを向いた。
　その時だった。
　ぱちん！
　軽い……何かを叩いたような音がして、俺は思わずそっぽ向いていた顔を戻した。そこで見たものは。
「……！？」
　はたかれ、うっすら赤くなった頬を抑えて大きく目を見開いているシェルディ。それを見て呆然としている蒼月と、斬雪。
　そして、はたいた当人の……。
（刹那……何をしているのだ！？）
　蒼月の叫び通り、刹那だった。こらえていた涙を流し、シェルディを軽くとはいえ叩いたのは、あの刹那だったのだ。
　普段からぽややんとしていて、怒る所なんて長い間旅をしてきてみたことのない……それがどうして！？
「謝るんだ……」
「…………………」
「……斬雪に、そして細に謝るんだ、シェルディ」
　低い、何かをこらえるような声で、刹那が言う。
「なんで……なんで……だって、斬雪が……、斬雪が……！！」
　夕凪を殺したんだ、と再び泣き出しながら、ぐちゃぐちゃな顔で言うシェルディに、刹那が苛立たしげに怒鳴った。
「――悲しみが自分だけのものと思うな！！」
　…………唖然としたのは、オレだけではなかったはずだ。刹那が、怒鳴ったのだ。こいつの怒るところすら見たことなかったのに、今度は怒鳴るところを見てしまったオレ達は、ただ戸惑うしかなくて。
　怒鳴ってから気づいたのか、刹那は、はっとした様子で、シェルディの前にしゃがみ込んだ。
　自分の涙を拭き、スッと手を挙げると、また叩かれると思ったのか身を固くする彼女を、刹那は優しく撫でた。
「……叩いたことは、すまないと思ってる。だけど、謝らないよ。シェルディ、君だってわかっているんだろう？　斬雪も、細も……悲しくないはずなんかないって」
「……………………………」
「斬雪が望んで、夕凪の命を絶ったと思っているのかい？　君はそんなに……気持ちがわからない人じゃないはずだ」
　ゆっくり、ゆっくり頭を撫でる。それを黙ってみていたオレに、刹那がスッと目を向ける。
「細……」
「……なんだよ」
　ああ、この目だ。オレがついていきたいと、こいつの行く先を見たいと思った、力強い目。必死に抵抗しなければ、なんでも言うことを聞きそうになっちまう。
「お前なら、なぜ斬雪が夕凪の命を絶ったのか……いや。なぜ、斬雪でなければいけなかったのか……わかると僕は思ってるんだけど、どう？」
「……お見事」
　それしかいえなかった。
　まさか、なぜ『斬雪でなければいけなかった』のか、理由はわからなくても、そこまで考えられたとは……さすがとしか言いようがあるまい。
「刹那、それなら俺が……！」
　それまで黙っていた斬雪が、やっと口を開けた。瞳も、幾分かしっかりしてきている。……刹那の怒鳴り声がこいつにも聞いたってことか。
「いや。オレに任せときな、斬雪。お前が言えば、シェルディには言い訳にしか聞こえねえかもしれねえ……だから、わざわざオレを選んだんだろう？」
　からかうようにいった言葉に、刹那はこっくりと頷く。
「じゃあ、シェルディ。しっかり耳の穴かっぽじってきいとけよ」
　オレは持ったままだった煙草を床に投げ捨て、靴でぐりぐりと火を消すと、その場で語り始めた。


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