拾いモノ 後編
目が覚めると知らない場所だった。 かなり質素な部屋。ベッドと机と棚が一つ……。 さっぱりというか、あっさりというか……なんとも形容しがたい部屋だった。 「人の気配がしない部屋だなあ……」 ――なぜ自分はこんな所にいるのだろう? そう考えても答えは出なくて。 ――なんでこんな服を着てるんだろう? ぶかぶかで、サイズのまったく合ってない服に思いを馳せる。 「ワイシャツ……?」 それは誰かの……かなり大柄な人の真っ白なワイシャツで。 「……俺の服は?」 別に服が大切というわけではないけど、見慣れない場所で、着慣れない服を着ている自分が、なんだかとっても変な気がした。 「髪もほどかれてるし……」 後ろで束ねられてたはずの自分の赤茶の髪が、いつの間にかほどかれていた。 「っつーか、なんで俺、ベッドの上で寝てるの?」 しっかりとした木で作られたそれは、足も太く、かなり頑丈そうである。 シーツも布団も真っ白で、洗い立てといった感を受けるが……かすかに人の匂いがして、やっぱり誰かのベッドなのだと、 人が住んでいるのだと安心した。 「って、ここで安心できないだろ普通」 ぺしっと虚空に向かってつっこんでみて。しばらく一人ボケとつっこみをしていたのだが……。 「………………むなしい」 非情にむなしかった。 とりあえず、ベッドからでて辺りを散策しようとしたその時。 「目が覚めたのね、坊や」 暖かい声に振り向くと、優しい微笑みを浮かべた老女がいた。 ――この人はいい人だ。 その瞬間、なぜかそう確信を抱いて、彼は警戒を解く。 「お腹空いたでしょう? こっちへ来なさい。今、粥をつくってあげるから……」 途端ぐう〜と鳴ったお腹に少し赤面しつつも、彼は大人しく老女に従った。 戸を開けて部屋から出れば、いい匂いが辺りにただよっている。 こっちの部屋は、さっきと違って生活感が、人の暮らしている気配がして、心が安まった。 コトリと、目の前に湯気の立った粥が置かれた。 「さあ、お食べなさい。熱いから気をつけて食べるのよ?」 差し出されたそれに、思わず唾を飲む。 ここがどこなのかも、なぜここにいるのかも、なにもかもわからなかったが、今は全てがどうでも良かった。 ただただ、死ぬほど腹が減っていて、わき上がる食欲には勝てるはずもなかった。 礼もそこそこに器を手に取ると、かき込むように粥をほおばった。 熱い。だが、うまい。 「ほらほら、こぼさないで……おかわりはいっぱいあるわ」 頬についたご飯粒を人差し指でぬぐい取られる。 「坊や、おかわりは?」 「いいの?」 「ええ。好きなだけお食べなさい。まだ育ち盛りなんだから」 にっこり笑って器を差し出すと、彼女も微笑んでおかわりをくれる。 しばらくして、やっと腹がそれなりに満たされた。だから、少し余裕が出来た。 思い切って、聞いてみようか……? 「坊や、なにか聞きたいことでもあるの?」 驚いて目を見開いた彼に老女は言う。 「なんでも聞きなさい。私が答えられる範囲でなら……大概のことは答えてあげられるから」 「……ありがとう、おばあさん。お粥……すごくうまかった」 とりあえず礼を言って、やっとここから本題にはいる。 「で、ここっておばあさんの家? もしそうなら、俺……どうしてここにいるのかな?」 老女はゆっくり首を横に振る。 「ここは、私の家じゃないわ。この家の持ち主は……坊やをここまで連れてきた人、斬雪さんよ」 「斬雪……さん?」 まるで聞いた覚えのない名前だった。 眉をひそめて考え込んでいると、老女は安心させるように言葉を付け足した。 「大丈夫。斬雪さんはいい人よ。少し乱暴で、見た目も少し怖いかもしれないけれど……優しい人よ。こうやって、ケガをしている坊やをわざわざ森から連れ帰ったことでもわかるでしょう?」 ケガといわれ、彼初めて自分の身体に巻かれた包帯に気がついた。腕や足など……身体のいたる所にばんそうこうや包帯がされている。 巻き方が少し乱雑で、その斬雪という人の性格を表しているようだった。 左頬にある、ばかでかいばんそうこうは、少し邪魔だったが。 「もうすこしで帰ってくるわ……。ちゃんとお礼を言うのよ?」 優しい老女のささやきに、こっくりと素直に頷く自分がいた。 「ああ、そうだわ。私の名前は希陽というの。坊や、あなたのお名前は?」 「あ、俺の名前は……」 そこではたと気づく。のどの奥に、胸の底に、突っかかって答えが出ないことに。 わかってるはずなのに。当たり前のことなのに。自分自身の、自分だけの答えのはずなのに。 「俺は……俺は……」 喉に空気がおくれ込まれない。喉が引っ付くような感触。 「!? 坊や?」 異常に気づいた希陽が駆け寄ってくる。 名前。ナマエ。なまえ。 「俺の……名前……。あ……あっ! いたっ……頭……いた……い……っ」 頭が、割れるようにいたかった。いっそこのまま、頭が割れた方が楽なんじゃないかってくらいに。 「坊や! 大丈夫?!」 「おばあさん……痛い……頭が……痛い、よおっ……!」 部屋に緊迫した空気が流れる。 がちゃりというドアの音。希陽が慌てふためいてする、誰かとの会話。 音として聞こえても、あまりの痛みに言語として理解することが出来ない。 ただ痛みに身を任せ、身体を曲げることしかできない。 「おい、ボウズっ! 大丈夫か?!」 同時にぐいっと持ち上げられる顔。 視界にまず入ったのは、ごつごつして浅黒い、男の手だった。 「いった……!」 襲う痛みに気が遠くなる。 ぼやけた世界で、ただ白銀だけが確かだった――。 「そろそろあのボウズも目ェ覚めたかな?」 真っ暗になってろくに見えない森の小道、煙草をふかしながら斬雪はのんびりと歩いていた。 胸に抱いてるのは紙袋二つ。そこから覗くのはリンゴやナシなどのフルーツに、パンや肉や野菜……村に寄ってした、買い出しの収穫。 「かなり食料なくなってたからな。米と卵は大量にあったが……やっぱ肉がないとな、肉がッ! 米だけじゃ物足りねえっつーの」 ぐっと拳を握って彼は力説する……誰もいないその場所で。 風が、ひゅるりら〜と吹いた感じがした。 「なんか……風に、バカにされた気分だ……」 ぽりぽりと頬を人差し指でかく。その表紙に腕の中からもう一つの紙袋が落ちそうになった。 「おっと!!」 バッとしゃがみ込み、あわや地面に落とすというとこでぎりぎりキャッチした。 「ふう……」 安堵のため息が洩れた。 「危ねえ危ねえ」 それでも、しゃがんだ拍子に舞った土埃が少し紙袋についたので、中身までかかってないかとごそごそかき回して点検する。 買った当初そのまんまだということを確認すると、斬雪は呆れたように、苦笑しながら呟いた。 「俺もほとほとお人好しかもな」 視線の注がれる紙袋の中身とは……子供服。小さい村、この時間帯に閉店しかけた店の戸を叩いて購入した物だ。 少しだけ、家に置いてきた少年が気になった。 希陽が見ているから、自分が見ているよりよほど安心だとはわかっていたのだが……彼の目の前で起こったであろう惨劇を考えると、心配だったのだ。 相当のショックを受けているだろう事は明らかで、下手をすれば、そのショックのあまり、なにか異変が起こってるかもしれないとも予想できた。 たとえば、そう……声を失うなど。 あり得ないことではないだろう。ショックで声を失うなんて、そう珍しいことでもない。 「だとしたら厄介だな……」 ――厄介ごとはなるべく避けて通りたい。 めんどくさいからではない。それを楽しんでしまう自分がいるからだ。 楽しんでいるうちに最後まで巻き込まれて、抜け出せぬ所までいってしまうのがいつものパターン。 そしてわかっていてもそのように行動を起こしてしまう自分が少し恨めしくもあり、同時にそれが自分だと満足もしていた。 「まあ、ケ・セラセラ。なるようになるさ」 星の瞬く夜空を見上げてため息を落とす。家はもう目の前で、窓からは明かりが漏れている。 「……怪我人に煙草は悪いかね?」 珍しくそんな細かいことを気にして、彼は煙草をもみ消した。そしてがちゃりと自宅のドアを開ける。 「ただいまー」 呑気としか形容できない声音で帰宅を告げる。 「坊や! 大丈夫?!」 希陽の叫びが耳に入った。 ただごとではない――! その雰囲気を一瞬にして感じ取ると、斬雪は買ってきたばかりの荷物を床に放り投げるように置くと、奥の部屋に駆け込んだ。 「希陽さん、どうした!?」 「ああ、斬雪さん……!」 すでに涙目になりかけている希陽と、頭を抱え痛みに顔を歪ませている少年を交互に見比べる。 「一体なにが?!」 「名前を聞いた途端、苦しみだしたの……頭が痛いって!」 記憶喪失……!! そっちとして現れたか! すぐその可能性に行きあたった。 木に頭を打ちつけたせいか、それとも惨劇のショックのせいかは、判断に困るところだが。 「希陽さん、ちょっとどいてくれ!」 希陽を片手で後ろにずらし、少年に近づく。 「オイ、ボウズっ! 大丈夫か?!」 ぐいっと無理矢理顎をつかんで上を向かせた。 「いった……!」 かなりの痛みに襲われているのだろう。少年は顎をつかまれたまま、いやいやするように首を振る。 「男だろっ!?」 怒鳴りつけるとビクリと体を震わせ、少年は動くのをやめる。その目には涙が浮かんでいた。 少し言い過ぎたか……? 相手はまだ十やそこらの子供だ。怒鳴ってから少し後悔して、今度はなるべく、自分にできる限りの優しい声を出すように努めてみる。 「少し、大人しくしてろ……」 こくりと素直に頷く少年に、「いい子だ」と優しくささやいて、額と額を静かにあわせた。 目をつぶり、精神集中をすると、小さく短い呪文を呟く。 その途端、淡く赤い光が二人を包み込んだ。少しの時間、そのままの体勢でいて、ふっと額を離すと、少年はきょとんとした顔をしていた。 「……もう、痛くないだろ? それともまだ痛いか?」 簡単な痛み止めの呪文を使ったのだが……斬雪はあまり魔法は得意ではない。 どちらかというと剣を振り回したり、肉弾戦での戦いの方が得意なのだ。だから、もしかしたら失敗したかもしれないという不安が残った。 だから、少年が首を横に振って、痛くないというジェスチャーをした時、かなりホッとした。 「もう、平気だよ」 そう言って少年がにっこり笑うと、希陽も横で安心したのか、特上の笑顔を浮かべていた。 そして斬雪が帰ってきたからと、希陽は自分の家へと帰っていった。 とりあえずもう少し寝た方がいいだろうと、斬雪は少年をもう一度ベッドに運ぶと、自分もその布団の隅に腰かけた。 「お前……名前覚えてないのか?」 疑問というより確認としてそう聞くと、意外としっかりとした答えが返ってくる。 「うん……覚えてない。名前も、なんでここにいるのかも、自分がなんなのかも」 「そうか……」 「……あんたが斬雪さん?」 くしゃりと頭をなでつけると、少年は警戒心という物を全く見せずに、上目使いに見あげてくる。 「そうだが……それが?」 「あんたが俺を拾ってくれたって聞いた。……ありがとうございました」 予想もしていなかった少年のお礼の言葉に、一瞬詰まって、不思議な暖かさがこみ上げる中、静かに微笑んだ。 「どーいたしまして。……うーん」 急に悩みこんだ斬雪に、少年は首をかしげる。 「どうしたの?」 「いや……名前覚えてねえんだろ? 名前ないと結構不便だなと思ってな」 苦笑する斬雪に、少年はこともなげに言い放つ。 「覚えてないもんはしゃーないし」 「そりゃそーかもしれんが……」 会話しながらも、斬雪は愉快な気分を味わっていた。自然と、小さな笑いがこみ上げてくる。 普通記憶をなくし、自分が何者かわからない状態に陥れば、例え大人といえどもパニックになって、そこからなかなか抜け出せぬものだろう。 なのにこの少年はどうだろう。痛みに苦しんではいたが、その痛みを取り去った今、少年にパニックの様子はみじんも感じられない。 不安など知ったこっちゃないとでもいうように平然とした顔をしている。 それが強がりでないことは、少年を取り巻く『気』の様子から、ありありとわかる。ただただ、ありのままの自分を受けいれているのだ。記憶を持たない、見知らぬ自分を。 ――なんて図太い神経したガキだよ、こいつは……。 ただ呆れ、純粋に楽しんだ。 ――少し、興味がわいた。記憶が戻ったとき、この少年はどんな風になるのか。記憶の戻った本来の少年とは、一体どんな人物なのか。 最初はガキを育てるなんて趣味じゃないと、そう思っていた。だが、今その気分は完璧に覆されていた。 育てるなんて、しなくてもいい。自由奔放に、ありのままに。手をかけなくても、きっと少年は自ら『生きて』くれるだろう。したたかな強さを持った、この少年ならば。 「なあ、おい」 「なに? 斬雪さん」 「記憶が戻るまで、ここで暮らすか?」 誘いでもなく、押しつけでもなく。ただ問いかけた。 強要させようとは思わない。あくまで少年の意志に、任せることも決めていた。 少年の中に、自分と同じ自由な魂を感じ取ったから。そんなことは意味がないと悟ったから。 だから、ただ問いかけた。少年に選ばせた。 「……いいの?」 信じられないと目を見開く少年に、斬雪はにやりと笑う。 「だめならはなっからいわねえよ。ただし、自分のことは自分でしろよ?まあ、飯ぐらいは食わせてやるけどな」 何度も何度も、嬉しそうに首を縦に振る少年の頭をぽんぽんとかるく叩いて、 「よし……そうだな、お前の名前、とりあえず俺がつけてやるよ」 ないと不便だからといって、少し考え込む。横で少年が期待に満ちた顔でこちらを見ているのがわかった。 そして、感じたまま、心に浮かんだその名を唇から滑り落とした。 「するが……そう、駿河(するが)だな」 駿河……駿河……と、横で呟く少年――駿河と目があった。 「そいじゃあ、今日からよろしくな、駿河」 そして、この日から斬雪の家に、大きな拾いモノが住みついたのだった……。 前編へ 番外編TOP◆勇者どもTOP |