ヤクソク〜前編


 時々、あの出来事が夢ではなかったかと疑ってしまう。
 時々、無理な約束だったのかと思ってしまう。
 声が聞きたくて。笑顔が見たくて。
 待っているから、待ち続けるから、俺の願いを叶えて欲しい。
 約束は、今も続いているのだから――。

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 ――気がつくと、見知らぬ場所にいた。
 なぜここにいるのかわからずに、ぼうっとした頭で骨董屋だということだけが明確にわかる。
 少し薄暗い店内にはかなりの骨董品があるが、不快にならない程度の感覚を保ち広がっている。
 カテゴリー分けなどはされてないらしく、オルゴールでも、雰囲気に合わせて置き場所を変えているようだ。それが、たまらなく心地よい。
 俺は、一つの骨董品を見つめている。
 それは栗色の髪、一本一本までとてつもなく精巧に創られた、美しい等身大の少女人形だった。
 歳は十六、七だろうか。
 部屋の暗さのせいか、それとも他に理由があるのか……上方にある、白いドレスを着た人形の顔はよく見えない。
 だが、なぜだか俺は知っている。その人形のありのままの姿を。
 唯一知らないのは……未だ開かれたことのない、その瞳の色だけ。
 いつも閉じられているその瞳を見てみたいと、俺はいつから感じるようになったのか。
 だから、無駄だと思いつつも、俺はこの店に通う。こうして、少し離れた位置から彼女を見つめるのだ。
 いつものようにただ彼女を見つめていると、カランカラン……と、ドア鈴が来客を告げた。
 一人の男が入ってきた。歳は俺と同じ……二十前後。髪は染めてるのか、俺の真っ黒とは逆の明るい茶。そして明らかに、金回りの良さそうな雰囲気。
 珍しい。こんな真っ昼間から骨董屋に来る若い奴が、俺の他にいるとは。
 男はじろじろとこちらを無遠慮に眺めていたが、すぐにそっぽを向いた。
 ――貧乏人に興味はない、そういうことだろう。
 そのまま彼は嘲笑めいた表情を浮かべながら店内を歩き回っていたのだが……ふと、足を止めた。
 あの、白い少女の前で。
 一瞬だが、明らかに男の表情が変わった。純粋な驚きと、それ以上の喜び。
 だがそれはすぐ、元のカンにさわる笑顔に戻った。
 男はそのまま年代物のレジの前に座っていた片眼鏡の老爺――店主の元へと、心なしか急いで足を運んだ。
 身振り手振りのオーバーポーズ。
 何を言ってるかなんて、聞かなくてもわかった。
 老爺は大分渋っていたようだが、結局交渉は成立したらしい。
 見た限り、男が自分の権力を使ったふしも見られたが……俺にはどうすることも出来ない。
 ――ああ、彼女は買われるのだ。
 落胆と空しさが、心を占めた。 
 ふと、視線を感じた。
 片眼鏡、その奥と、生身の瞳が俺をじっと見つめていた。何かを願うように、何かを求めるように。
 俺に……俺にどうしろと? 貧乏人である俺に、何を求めるんだあんたは。
 何も反応出来ずにいる俺を、主人は最後の砦のように見つめる。
 だが動かない俺に、やがて主人は諦めたように首を振ると、小さく息を吐き出す。視線が外された。
 俺に……何をさせたかったんだ、あんたは。
 レジに向かっていた男が振り向く。まぎれもなく、勝ち誇った表情で。
 羞恥か嫌悪か。俺はたまらず、店から飛び出た。
 外は雨。頬を伝う水滴に、空を見上げた。もう一度呟く。
「俺に、何を望んでたんだ……」

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「……い。…………おい! 寺井(てらい)!!」
「…………あ?」
「『あ?』じゃねえよ。ほら起きろよ、お前明日仕事で早いんだろ!? なに人ン家でうなされてんだよ」
 頭を平手で叩かれ、俺はようやく目を覚ました。
 最初に目に入ったのは、水滴でびしょぬれになった酒の入ったグラス。
「あー…………うなされ?」
 まだはっきりしない頭で顔を上げると、呆れたような友人の顔があった。
「ああ。無表情王のお前が、なんか苦悶の表情で寝てたぞ。ったく……飲んでる途中で寝るなよな。
いくら金がいるったって、お前働き過ぎじゃねーの?」
「ほっとけ」
 眠気覚ましにと、放ったままだったグラスに手をつけ飲み干す。氷が溶けたのか、あまりい味はしない。
「……………………」
 顔をしかめた俺に、もう一人の友人が声を上げて笑った。
「バカ、宏和(ひろかず)。無理して飲むなよな」
 黙って俺はその場に立ち上がり、壁の隅に押しつけておいた上着を手に取った。
「帰るのか?」
 頷いて玄関に向かう。友人二人も、俺を見送るためかついてきた。
「……じゃあな。ごちそうさん」
 片手を上げて挨拶すれば、人好きのする笑顔で二人は手を振りかえす。
「おう、おやすみなー」
 見送られ、俺は家路につく。
 先程まで酒を飲み家の中にいた身体に外の空気は身に染みて寒く、俺は上着の前をかき合わせた。吐く息が、白い。
「失敗したか……」
 すでに、この辺を走るバスの姿はない。バスがあるうちに帰るつもりだったのだが……寝てしまった自分が悪い。
 少しでも早く……と、駆け足を始めた俺の視界の隅に、白い何かが映った。
「…………?」
 ただのホームレスかも……むしろ、面倒事かもしれないと思いながらも、俺はゆっくりとその『白い何か』に近づいた。
「…………人、か?」
 ピクリとも動かないが、それはうつぶせに倒れた人だった。やはり面倒事だったかと呟いて、俺は仕方なく行き倒れを抱き起こした。
「――!? ……まさか」
 抱き起こし、その姿を確認したまま、バカみたいに口を開け、俺は二の句が継げなかった。
 白いワンピース。栗色の長い髪。その肌の色、頬の輪郭。もちろん姿も。寸分違わない。違うのは、ドレスがワンピースへと変わっただけ。
「彼女だ……」
 知らず口に出し、何を言っているのかと自問自答した。
 寸分違わない? 何を根拠に。何を確信して。
 『彼女』。俺はこの少女を知っているというのか。確かに、見た覚えはある気がするのだが……。
 動かない少女の腕に、ブレスレットが光っていた。小さい銀の板と鎖だけで出来た、この国で一番有名な装飾品が。
「ドレイか……!」
 しかも、主人に捨てられたようだ。身元がわからぬように、わざわざ登録番号を削ってある。
「むごいことを……」
 放っておけない。気は乗らないがこのまま置いていっても後味が悪い。
 俺は少女を背に背負うと、改めて家へと足を進めた。

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 ドレイ。
 この国にはそういう身分、仕事がある。
 だが、『ドレイ』が『奴隷』ではないことが、他の国ではあまりわかっていないらしい。
 無理もない。こんなにややこしい表記をする方が間違っているのだ。
 この国で『ドレイ』と言えば、召使いのことである。
 とはいっても、もちろん昔話に出てくるような非道なものではない。他の国の言葉で言えば、ハウスキーパーや家政婦が妥当だろう。無償ではなく、ちゃんと給金がもらえる立場なのである。
 元々、『ドレイ』は事故や諸々の事情で孤児となった子供への安心出来る仕事、居場所としてできたもの。だから、『ドレイ』は主人の家で住み込みで働くこと出来るよう、国で保証されているのだ。
 雇い主が『ドレイ』を受け入れたことの証明として、ブレスレットは存在する。
 それに刻まれた番号が、国で管理されている。しかし、例えこの国の人間でも『ドレイ』を『奴隷』と勘違いしてるとしか思えない金持ちが存在してしまう。
 オモチャか何かのように家にいる『ドレイ』を入れ替え、あきた『ドレイ』はブレスの番号を削って証拠を隠滅しどこかへ放り出す……汚い方法だ。
 『ドレイ』という言葉が悪いのだというお偉いさんもいるが……それだけではないと、俺は思う。


「これからどうするかだな……」
 やっと家について、俺は少女を背からおろすと自分の布団に寝かせた。
 よほど疲れていたのか、彼女は次の日、俺が仕事から帰っても目覚めようとはしなかった。
「園長に頼むか……」
 呟いて、それは出来ないと考え直した。
 何を隠そう俺も孤児で、施設で育った。
 園長にはよくしてもらい、俺は(他の自立した奴等も自主的に)恩返しとして寄付をしている。
 だから金がいるのだ。
 寄付があっても、施設は火の車。これ以上人が増えたらどんなことになるか。
「仕方ない……か」
 警察に頼んでも、かんばしい答えは期待出来ない。こんな話はその辺に転がっているから。
 ドレイということは、この少女も孤児だったのだろう。これも何かの縁だと、俺は自分を無理矢理納得させた。
「ぅ……ん……」
「……!」
 少女が、身じろぎした。睫毛が震え、瞳が開かれる。
 ――きれいな茶色だ。……なぜこんな事が、嬉しく感じるのだろう?
 ぱちぱちと、まばたきを二回。
「気がついたか?」
 ゆっくりと俺の顔を見て、驚いたように目を見開く。
 怯えたように、後ろに後ずさった。下手に近づかない方が賢明のようだ。
「……危害は加えない。お前は……」
 正直に言うべきか迷い、少し嘘を言った。
「――主人とはぐれたらしい。覚えているか?」
 泣きそうな顔で、少女は首を横に振った。すがりつくような瞳で俺を見る。
「そうか……俺は、倒れているお前を見つけた。主人の行方はわからん」
 がっくりと落とした肩が、消沈を何より表していた。
「俺の名前は寺井宏和。お前は?」
 きょとんとした顔で、少女が俺を見た。
「名前だ。お前の、名前」
「ナマエ、ワタシの……ない」
「では、主人にはなんと呼ばれてた?」
 困ったように首をかしげると、彼女はたどたどしく言い始めた。
「『お前』トカ、『そこの』トカ、『のろま』、『グズ』ッテ、あの方は呼んでいた」
「………………………………………………………」
 他はないと、彼女は言った。
 俺の沈黙に、少女が不安そうに黙る。
 なんてことだ。予想以上に、この少女は『奴隷』として見られていたらしい。
 これはかえって、捨てられて幸せだったのかもしれない。
「明日、俺が名をやる。不便だからな、期待はするな」
 こくこくと素直に頷く少女の頭に、そっと手を置いた。
「お前の主人が見つかるまで、ここで暮らせばいい」
 本当は、ちゃんとした身の振り方が決まるまでだが。それを言うのは、この少女にはあまりに非道に思われる。
 ――こうして、俺と少女の微妙な共同生活が始まった。


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