砂糖菓子人形〜後編
喫茶店を出て、表通りを真っ直ぐに歩く。このまま家に帰るべきか、それとも……と思いをはせながらの恭一の歩みは急くことがない。
見上げた西の空が、だんだんと朱に染まり始める。時刻は五時。家々から夕飯の支度をする音や、おいしそうな香りがただよってくる頃だ。
「五時か……これなら小夜のトコに寄っていっても平気だな」
そう一度考えてしまえば、今すぐにでも恋人に会いたくなるのは人の常だ。足は無意識に、恋人の家へ急ぐかたちになる。
そんな自分に苦笑しつつも、それがけして嫌ではない。むしろ嬉しいというのだから、自分はもうかなりいかれてしまっているのだろう。
「俺ともあろうモンが……」
そうつぶやきながらも、自然と顔がゆるんでゆく。
一刻も早く彼女の顔を見たくて、駆け足ぎりぎりまで、歩みを速めた。
どれだけ心が急いてもけして走らないのは、自分に残った唯一の理性というか、プライド――かっこつけだ。
出来るだけ急いで町並みを後ろにおくりながらも、ふと一軒の店屋が目にとまった。
「ケーキ、か……」
ショーウィンドウの中に散らばる色彩たち。色とりどりどりの菓子は、彼女の笑顔を思い出させた。
それが先程の、峰子の『教え』のせいなのか、それとも小夜の甘い物好きによるものなのかは、恭一には判断がつかなかったし、またつけなくてもよいことだと思った。
ただ、買ったら小夜の幸せそうな満面の笑みと、感謝の言葉が確実に聞ける。そう考えた数分後には、恭一はケーキの入った箱を抱えていた。
「俺ともあろうモンが……」
先程と同じセリフをくりかえし、もう一言つけ加えた。
「完璧に、いかれてるな」
再び歩き出してしばらく――目の前に小夜の部屋が見えたのは、時計の針が五時半を指す時だった。ケーキの箱を片手で抱えなおし、チャイムを鳴らす。
――ピンポーン
パタパタという足音が聞こえ、扉の前で止まる。
「どちら様ですかー?」
「俺だ、俺」
「恭一君!?」
驚いた声と共に、がちゃがちゃと鍵を開ける音。大きく扉が開かれた。ひょっこりと顔を出した小夜に、小さく笑んで見せた。
「よっ」
「どうしたの? 急に……」
「特に用事はないんだがな……なんとなくだ」
「そうなの? あ。こんなとこじゃなんだから、あがって」
「おう」
お邪魔しますと小さく言って、玄関にはいる。入って早々、鼻先を甘い香りがかすめていった。
「……甘いな」
くん、とひと嗅ぎすれば、蜂蜜や、バニラエッセンス……それらの香りが部屋中にただよっているのが目に見えるようだ。
「あ、わかっちゃった? さっきまで友達が来ててね、一緒にお菓子作ってたの」
「ふーん……」
先程までお菓子を作っていたならば、ケーキは無用のものだったろうかと、少し不安になる。その瞬間、小夜の目が白い箱を見つける。
「それ、なあに?」
「あー……ケーキだ」
首をかしげての質問に、思わず正直に答えてしまう。これで嫌な顔でもされたらたまらないと思ったが、それは杞憂に終わった。
「ケーキ!?」
パアッと、小夜の顔に光が満ちあふれた。期待でいっぱいの表情で、彼女は白い箱を見つめている。
……まるで子犬のようだ。
「……土産」
「――ありがとうっ!」
差し出された箱に、彼女は飛びついた。
もし小夜に尻尾があったなら、彼女のそれは、はち切れんばかりに大きく振られていただろう。
幸せそうな笑みと、感謝の言葉は、いつだって見てるものをも幸せにしてくれる。それが愛しい者のものなら、余計に。
箱を抱えて台所へと駆けてゆく小夜の後ろ姿を見ながら、恭一はゆるみそうになる顔を必死におさえていた。
小夜が用意してくれた紅茶をおともに、二人はケーキを食していた。目の前の少女は、ひどく嬉しそうにケーキにかぶりついている。
その様子は、買ってきた者として、とても嬉しいものではあったのだが……。
「小夜……」
「なに?」
答えながらも、ケーキを食べるのはやめない。
「……フォーク、使わないのか?」
「へ?」
――小夜は、手づかみでケーキを食べていた。もちろん、手づかみとはいっても、ケーキのアルミホイルで包んでではあるのだが、フォークなどは一切使われていない。
汚いとか、みっともないとか、そういうことは思わない。かえってその様子が可愛らしいと思えてしまうのは、やはり恋の魔法というか、惚れた弱みというか、まあそんなものなのだろう。
「……やっぱり、みっともない?」
「そうじゃねえけど。手づかみでケーキ食う女、初めて見たから」
「……どーせ、恭一君の今までの彼女とは違って、女らしさに欠けてるわよ」
「そうは言ってねえだろ!?」
ケーキから、なぜそんな方向へ話が行くのかと、慌てながら否定する。しかし小夜は納得しなかった。眉間にしわを寄せながら、ぼそぼそと言った。
「……峰子ちゃんが言ってた。恭一君の今までの彼女は、ナイスバディのオネーサマタイプだって」
「なっ!?」
余計なことをふきこみやがって、という思いを口に出しそうになるのを堪えつつ、どうやら機嫌を損ねてしまったらしい恋人への必死に言い訳を考える。
まあ確かに、今まで付き合った女たちは、そういう傾向にあったことを認めざるをえないわけだが。
もんもんと悩み続ける恭一を見て、何を勘違いしたのか小夜は、ケーキを置いて話し出した。
「そりゃあ私は、美人じゃないしっ、スタイルいいわけじゃないしっ……ケーキわしづかみにするような女だしっ!?」
どんどん暗くなってゆくその表情に、焦りを感じる。
――喧嘩したくて、ケーキを買ってきたわけじゃない。
――喜ぶ顔が、笑顔が見たくてここまでやってきたのに。
……これも自業自得なのだろうか?
目の前で小夜は、うつむいてしゃべり続けている。
泣きそうな表情に、どうしていいのかわからなくてまた悩んでしまった。
自分には悲しませることしか出来ないのか。
何も出来ず、時間だけが流れる中で、小夜が涙をこらえて顔を上げた。
「私は、恭一君のタイプじゃないかもしれないよ? ……でも、恭一君のこと、好きなんだから!」
「…………へ?」
間の抜けた声を上げると、やけくそのようにもう一度小夜が叫ぶ。
「好きだって言ったの! 今恭一君を一番好きなのは、私なんだからね!」
真っ赤なその表情に、なんだとやっと納得がいった。
――彼女は自分に怒っていたのではなく、自分の今までの彼女たちに、ちょっとした嫉妬を覚えていただけなのだ。
ふっと表情を和らげて小夜を見つめると、彼女はきょとんとした。
「……小夜」
「え……なに? って、わっ!」
腕を引っ張って、小夜を自分の胸に引き寄せた。その真っ赤な顔を見つめてため息を一つ。
「もうちょい色っぽい声出せないのかよ……『きゃっ』とか『やっ』とかさ」
「そ、そんなの出せるわけないでしょっ!」
鼻先に、バニラが香る。
脳裏に、先程の峰子の言葉が浮かんだ。
《女の子は砂糖菓子。砂糖で出来てる甘い甘いお人形よ。だけど注意なさい。甘くておいしそうな分、他の男(ひと)に狙われやすいし……とっても、もろいのよ》
「砂糖菓子……か。確かにな」
峰子が何を言いたかったのか、少しわかった気がする。
「なに、砂糖菓子って……?」
忍び笑いをする恭一を、小夜が不思議そうに見つめてくる。
彼女が動くたびに香るそれは、バニラ、蜂蜜、チョコレート。
――そう、砂糖菓子。甘い甘い、ほのかに香るおいしそうな。
「本当に、甘そうだ……」
誘われるように、小夜の右手に口づけた。
「恭一君? ……って、ちょっと」
小夜の声に焦りが生まれた。それを意に介さず、恭一は唇で小夜の手を指先までたどり……かるく、『味見』した。
――びくりと、砂糖菓子の人形が身を震わせた。
ほのかに甘くて、溶けるようなその感触に、恭一は目を細める。
「甘い……な」
指先を口に含んだまま小さく笑う恭一に、小夜が困惑と、羞恥の目を向ける。
「きょ……いちくん……」
指を口から離し、今度は手の平へ。指先よりもさらに柔らな感触に、また誘われた。
また一口。そして口の中に広がる甘み。
「本当に、砂糖菓子だな」
「は、蜂蜜がついてたのかもっ……!」
さっきお菓子を作ったからと、うわずった声を上げる小夜に、恭一の笑みはさらに深くなる。
「そうだな……だけどお前は、いつだって甘いだろう?」
「そ、そんなことないっ」
「いや、甘いさ」
バニラが、蜂蜜が、チョコレートが香るのではなく、彼女自身が甘く香っている。
そう、頭のてっぺんからつま先まで、たとえ髪の毛一本だろうとも。自分にとって、彼女はどこまでも甘い存在なのだから。
腕をつかんでいた手を頬に寄せ、もう一口だけ味見をする。
甘い感触とその味を確かめながら、恭一は耳元でささやいた。
「今日はツバ付けだ。とりあえずおあずけしといてやるよ……」
脳みそが恥ずかしさでショートしたらしい恋人は、「それはどうも」と自分でもよくわかっていない返事をする。
いたずら心が芽生え、もう少しだけと自分に言い訳し、軽く耳たぶをかむ。
舌には軽く溶けるような甘みが、歯には柔らかく砕けるような感触が残った。
口を離し、しっかり言った。
「いつか全部……食うからな」
腕の中で硬直した恋人を愛おしく思いながら、恭一はいつか来るだろう、本当の『おやつの時間』を待つことにした。
女の子は砂糖菓子。
甘くて、柔らかく、もろい。
女の子は砂糖菓子。
たった一人のための、極上品――砂糖で出来たお人形。
終
アトガキ
はい、こんにちは。毎度書くスピードがめたくた遅い刃流輝です。
難産でした。ええ、難産でしたとも!!
原因はあれですね、今回のテーマ(目標)だった『ラブラブバカップルが甘々なシーンを書こう』(笑)
やっぱりラブラブは難しいです……。これが限度でした。
――くっ、修行が足りないぜ!!精進しなければ!
初めは『強気で攻めな男を書こう!!』と誓っていたはずが、なんだかわからない人になりました。
――まあ、よくわからんのはいつものことか……。
『女の子は砂糖菓子』とゆーのは、何かの本かCMか、それともドラマかで聞いたセリフだったはずです。
当時甘いものが苦手だったワタクシは、自分が砂糖で出来てたらと想像して気持ち悪くなっておりました(バカ)
とりあえず、この話が少しでも楽しまれることを願って。
2003,04,11 刃流輝
前編へ
戻る