環〜後編


 
 これは違う、とその時感じた。
 これがここにいるはずがない。
 これは自分たちの側にいるはずで、またそうであるべきなのに、と……。
 それは、理想や希望などではなく――まぎれもない、確信。

 青年の目の前に少女がいる。黒髪と、黒瞳の少女だ。城下でいわれているような神秘的などの様子はなく、髪と瞳の色以外、これといって普通の少女とは変わらなかった。言葉は悪いが、ごく一般的な、平凡な少女に見える。
 それでも青年は思ってしまったのだ。
 これは自分たちに近い者のはずなのに、側にいるのが当然なのに、と。
 ――これも『鍵』の能力だというのか。
 そこまで考えて青年は首を振った。違う、そんなんじゃない。
 自分がそう思ってしまうのは、少女があまりに無防備に自分を見つめるからだ。ずっと待っていた恋人に見せるような、とろけるような甘い笑顔を見せるからだ。
 無意識に、ふらりと一歩近づいた。
 幸せそうに自分を見つめる少女。なぜかわかる。少女が、ずっと自分を待っていたことを。
「このまま……連れて帰ってしまおうか」
 我知らずつぶやき、そっとほおに手を寄せた。少女は、気持ちよさそうに目を閉じる。
「お前は実はスパイで、俺たちのために潜入してた……この塔の警備もそれがばれたから。それでみんな納得するはずだ」
 こんな言い訳、冗談にも使えない。それでもきっと、納得する。あの参謀役だって、この嘘に気づかないふりをするだろう。
「……だって、みんな待っているんだから。お前の帰りを、今か今かって」
 そう、自分たちはずっとずっと待っていた。少女の帰還を待っていた。
 自分はこの少女を知っている。会ったこともないはずだという記憶の一方で、それでも心のどこかが叫んでいる。愛しくて、愛しくて、ずっとこの存在に焦がれていたんだと。
「行こう、いや、帰ろう……。約束、だったろう?」
 泣きそうになりながら、我知らずつぶやいた言葉にはっとした。
 
 ――約束? それは、なに。

 わからない。でも、約束したのだ。忘れてはいけないなにかを、約束したのだ。

 ――忘れているのは、それだけ?

 違う。それだけじゃない。

 記憶が、ぴしぴしと音を立てる。
 同じ季節、同じ日の記憶があるのは、なぜだ。
 われてゆく現在の記憶の奥深く、幻のようなぼやけた光景は、いったいなんだ。


 自分の中に眠るもう一つの記憶。それにとまどう青年に、少女が笑った。切ないような、苦しいような、笑み。それでも心の底からの喜びも感じられる涙がつたった。
 声は出てなかった。かすれて、音声としてはきこえなかった。それれも少女が『ありがとう』をくりかえしているのはなぜか理解できた。
 泣いている少女を見るのはいやだ。泣かせたくないと、思う。
 だから、泣きじゃくる少女を抱きしめる。見た目以上に、少女は柔く、細かった。
 ――いつか……こんなことがあった。
 そう、記憶の底でちりちりする何かがある。今まで少女に会えた機会はなかったはずなのに。これが初めてのはずなのに。こんなにも懐かしく、愛おしい。
 ああ、頭が痛い。
 音と共にもう一つの記憶が、幻の日々がよみがえる。
 少女と自分たち反乱軍が共にあったという記憶。同じ季節、同じ日々。少女の立場だけが違う。
 これは夢か、願望なのか。
 そうも考えたが、幻の記憶も間違いない真実だと、なぜだか解している自分がいる。同じ日々など、巡るはずはないと知っているのに。
 矛盾に悩む青年の胸元で、少女はかき抱かれたまま動かなかった。嫌がるそぶりはなく、むしろさらに近くに寄ろうと、自らすり寄ってきてるようにも思える。
「帰れたら、いいね。帰れたら……いいね。みんなに、会いたいよ……」
 少女の瞳から涙はもうでてなかったが、声はまだかすれたままだった。
 しぼり出すように言われた『会いたい』という言葉が、まるで『さびしい』と言ってるように聞こえて、青年はいたたまれない気持ちになる。
「帰ればいい。一緒に……帰ろう?」
 自分が守るから。そういうと、少女はびくりと体を震わせた後、ぎゅっと青年を抱きしめ名残惜しそうに体を離した。
「あ……」
 離れていく体温が、ひどくもの悲しい。引き留めようと伸ばした腕は、やんわりと少女に止められた。
「…………」
「――まだ、だめなの。会いたいけど、帰りたいけど、だめなの……っ」
「なぜ!?」
「まだ、時じゃない。私の役目は終わっていない。でも……でもいつか」
 帰りたいと、少女の唇が動きかけた。
 その時、はっと少女が顔を上げる。確かめるように辺りを見回し、そして青年に早口でささやいた。
「――逃げて」
「なにを……」
「あの人が来る」
「あの人?」
「あの人……大臣が来る。あなただけじゃ太刀打ちできない。だから逃げて」
 敵に背を向けるなど出来ないなどと、馬鹿げたことを言うつもりはない。反乱軍たる今の自分にとって、逃げるくらい、なんともない。敵前逃亡だって戦略のうちだ。恥などとは思わない。だが、問題があった。
「だが、お前はっ……!」
 置いていけないではない。置いていきたくなかった。
 少女を一人で泣かせたくなかった。
 青年の言いたいことはわかっているだろうに、少女の瞳は否と言っていた。
「私は大丈夫。あの人は、私を閉じこめることはできても害は加えられないから。だから、はやく!」
 懸命に背を押す姿に後ろ髪を引かれながら、それでもあまりの必死さにうなずいた。
「……わかった」
 少女がほっと息をつき、はかなく笑んだ。
「気をつけて、ね?」
 見送られる自分。
 見送る少女。
 今は、まだつれて帰れない。
 でもいつか。
「いつか帰ろう。一緒に」
 少女の瞳の中、その言葉に驚きはあっても否やの気配はない。
 やがて少女がゆっくりと、でも大きくうなずいた。
「……うん!」
 もう一度その感触を確かめるように抱きしめる。今度は少女も止めなかった。ほんの一時の抱擁の後、青年は身をひるがえした。
 いつかまた会う時がくる。そしてそれは、今度こそ少女を連れ帰るときだと決意しているから、青年は振り向かない。そのまま来た道を必死に走り抜けた。
 ――だから青年は気づかなかった。少女が愛おしそうに、青年の名を唇だけで呼んだのを。

 いつか迎えにこよう。この牢獄から助け出すために。みんなで少女に「おかえり」と言うために。
 幻の記憶を、真実の記憶に変えて。



アトガキ
元はいつか作りたいと思っていた(いる)恋愛シミュレーションゲームから。
『少女』が主人公ですね。でも、どう考えても作れそうにないので小説形式で。
もしかしたら、これでまたなんか作るかもしれません。
ここまでよんでいただき、ありがとうございました。

2004,04,09  刃流輝


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