環〜前編



 国王の住む城から少し離れた場所にある森に、人目につかないよう細心の注意を払って行動する男たちの姿があった。
 その中で一番年若いだろう、二十代と見える金髪の青年は、何をするでもなく腕を組んで他の男たちの様子を見て――いや、何かをしようとするとまわりの者に止められていた。
「なんだよ、俺だけ仲間はずれかよ。いじめだ、いじめ。いじめはんたーい」
 青年のおどけた口調に、まわりの男たちは苦笑した。
 聞けば思わず脱力してしまいそうな口調はその場の緊張をほぐすためのものだった。ただ、言っている内容は、青年が本気で手伝おうとしていることがわるもので、男たちはあわてて言う。
「頭領〜。勘弁してくださいよ」
 計画の要である青年が疲れて失敗でもしたらどうにもならない。だからここは自分たちがやる。どうか体力を温存しておいてほしいというまわりの声に、頭領と呼ばれた青年はしぶしぶ腰を下ろす。
 とは言ってもまだ不満なのか、その顔にはすねたような表情が浮かんでいる。しかし男たちの言い分がもっともだとわかっているから、黙って動こうとはしなかった。
 しばらくたち、準備をしていた男たちが青年を振り返った。
「頭領。準備はできましたぜ」
「あいよ」
 部下に声をかけられ、青年は木々の向こうにあるくすんだ色の塔を見つめた。
 塔の頂上には、一人の少女がいるはずだ。彼女はこの世界ではひどく珍しい、黒髪と同色の瞳を持っているという。
 これが意味することはただ一つ。少女が、この世界ではない場所――いわゆる、異世界からきた人間であること。つまり、世界を思うままに動かす力を持っていること。


 この世界では、異世界からの来訪者は、さほど珍しいものではない。
 とは言っても、そのへんに来訪者がいるわけではない。ただ、歴史などに残るていどにはひんぱんに来訪者が現れる。
 それは戦いを終わらせるためにとも、人々を楽園に導くためにとも言われている。
 そう言われるようになったのには理由がある。来訪者を迎え入れた国は、ほとんどが栄えるのだ。
 なぜかと正確な理論はわかっていないが、異世界の者だけがまとう波動により、その者が望むことはたいがい叶う――叶いやすい状況に世界自身が動いている、というのが一般の説だ。
 常識も、なにかもかもうちすえて、世界は来訪者の望むことをかなえ続ける。
 過去には、来訪者を手に入れた辺境の小国が、大陸でもトップクラスの軍事大国を打ち破ったということまであったらしい。
 よって各国では来訪者――今では一般的に『鍵(かぎ)』とよばれるのだが――を求め、手にすれば、御輿にかつぎあげ機嫌を取る。『鍵』が国を護りたいと願えば、世界がそう動き、国は安泰だからだ。
 諸刃の刃と言えばそうである。『鍵』が国の滅亡を願えば、それは近い未来確実に起こるのだから。
 しかし、そのマイナス面を除いてもなお、『鍵』とは有益なものなのだ。使い方さえ誤らなければ、国を護るには、この上ない刃となる。
 塔にいるであろう少女もやはり『鍵』だった。
 そう、『敵』の手に渡った、最終兵器だ。
 青年の敵――それは、かつては自らのすべてを捧げた祖国だ。
 家族も、親友も、未来も、あって当たり前と思っていた頃に受けた手ひどい裏切り。
 脳裏に浮かぶのは自分をおとしいれた大臣と、それにいうなりの若き王。そして、いまだ大臣の本意を知らない親友。
 いまや、祖国は彼の大臣の思うがまま。青年は国賊、反逆者のそしりを受け追放された。
 このままですますものかと、似た境遇の者、自分を信じついてきてくれた部下たちとともに反乱軍をつくったが、急ごしらえの部隊では正規の軍に勝てるはずもない。壊滅的な打撃を受けていない現在は、まさに奇跡といえるだろう。
 だが、『鍵』があちらにある限り、反乱軍に勝利などとうていもたらされない。『鍵』をどうにかするのが先決か。そう思い始めた矢先に仲間の一人が言い出したのだ。あの少女は味方かもしれない、と。

 ――少女は、今まで自分たちが不利になるようなことはしていない。
 ――むしろ、助けとなるように事を進めている。
 ――彼女の助けで、何人の同志が救われたか。

 馬鹿なという反対派と、可能性はあるという賛成派で仲間たちは真っ二つに分かれた。
 賛成派は、全員が直接少女にあったことがある者たちだった。
 会わなければわからないという見方と、『鍵』の力でそう思わされてるだけという見方があった。
 だが、賛成派には青年が特に信頼する者たちも含まれていた。その彼らの話を聞くにつれ、興味がわいた。彼らにそこまで言わしめた少女は、本当に味方なのかどうか。
 だから今日、青年は一人で城の外れにある古ぼけた塔に忍び込む算段をたてたのだ。


「本当に、あなた一人で忍び込むつもりなんですか……?」
 隣に立った銀髪の参謀役に、青年は小さく笑う。
「大勢でぞろぞろ行く方がいいってか?」
「そうは言ってません。けれど、立場というものを考えてください。あなたは私たちにとってかけがえのない『頭領』なんですよ?」
 頭領、の部分に力を込めて言われ、青年は顔をしかめる。
「……一応、反乱『軍』なのに、なんで『頭領』なんだか」
 それではまるで、盗賊や山賊のたぐいではないか。
 そんな心の中だけでとどめたはずのセリフに、読んだようなタイミングで参謀役は目を細めた。
「そりゃあ、あなたにそんなオキレイで高級なイメージがないからでしょう?」
 ええ、なにせ外れにある塔とはいえ、一人で敵の本陣に乗り込むような呆れたお馬鹿さ、無謀っぷりですから。
 青年のぼやきは、参謀役のきれいな笑みとそんなちょっとした嫌みで返された。
 やぶへびだと気づき、青年はあわてて口をつぐむ。その様子に、参謀役は疲れたようにため息をついた。
「まあ、一度あなたが決めたことを簡単にひるがえさないのは知ってますから、もうあきらめましたけど。……必ず、戻ってきてくださいね」
「わかってるさ」
 たくさんの部下をおいたまま、自分はまだ死ねない。
 言外の誓いを参謀もまた知っているからこそ、それ以上何も言わなかった。
 あとはただ、森のざわめきだけが続いていた。
「頭領、時間だ……!」
 城の動きを見張り、時間を計っていた部下の一人が、鋭い声を発した。
 それまでのほほんとしていた青年の表情が、きりりとした厳しいものに変わった。そして部下たちへと簡潔で的確な指示を残す。
「よし。全員持ち場へ、後は頼むぞ」
 その場にいる全員が力強くうなずいた。
 それを確かめ、青年はズボンのポケットにしまっておいた黒の革手袋を取り出し、身につけ始めた。手袋のはしをつかみ、ぎゅっと指先まで密着させる。
 その行為だけで、緊張感が高まった。もし潜入中に見つかれば、ただでは帰れない。いや、帰れるかさえわからない。
「――行ってくる」
 激しくなる心臓の音に気づかないふりをして、一言だけ簡潔につぶやいた青年が通り過ぎる瞬間、参謀役がささやいた。
「……彼女に、よろしく伝えてください」
 声は出さず、うなずくだけで肯定の合図とした。それだけで、彼には十分なはずだ。


 気配を殺しながら、城に潜入した。
 普通の者なら迷い、焦るであろうその道程を、青年は冷静にすり抜けていった。
 青年と親友の父親は前王の信頼が厚く、二人が城にいることも多かった。ゆえに、中庭も含め、城は幼い頃の二人にとってはかっこうの遊び場だった。おかげで抜け道や死角などの知識は誰よりも豊富に持っている。
 誰にも見つからない、しかし塔まで短時間で行ける道を選んで進む青年にじゃまはいない。あっという間に塔の前につく。
 くすんだ色の塔が、圧迫するような雰囲気で青年を見下ろしていた。
「あいかわらず、辛気くせえ場所だな」
 この塔だけは、親友と城中を走り回っていた昔から好きになれなかった。
 塔の前には、さすがに衛兵の姿があった。どうやら数人で見張りをしているようだが、どうにも雰囲気は重々しい。衛兵の後ろの扉は、ごたいそうなかんぬきで封鎖してあった。
「……どう見ても、監禁だねえ、これは。調べ通りか」
 部下たちの調査で、少女が監禁同然の扱いを受けていることはすでに知っていた。そして、少女がその扱いを甘んじて受けていることもわかっていた。
 しかし青年は、どうにも納得がいかなかった。
 世界を動かす『鍵』にこんな扱いをする大臣の思惑も、それを享受する少女の考えも、とんと見当がつかない。
 本来ならば機嫌をそこねぬよう、大事に扱われるはずの少女がなぜこんな風に監禁されているのか。
 国から逃げ出さぬようにと言うのはわかる。しかしそれなら、城の奥深くの豪奢な部屋に閉じこめておけばいい。なのに、わざわざこんな気味の悪いところに閉じこめるとは。
「まるで、『鍵』に嫉妬してるみたいだ……」
 わざと冷遇してるようにしか見えない。八つ当たりといってもいい。
 それに、少女も少女だ。世界を動かす力があるのだから、こんなところからでるのは簡単なはずなのに、逃げ出そうとするふしは見えない。
「ほんと、わかんねえ」
 だが、今はそんなことに気をとられているわけにはいかない。
 青年は衛兵に見つからないように塔の裏に回ると、周辺を探索し始めた。
「確かこの辺に……あった」
 秘密の抜け口。本来なら、塔から脱出するために使われるはずの存在。昔遊んでいたときに偶然見つけた代物だ。
 ぽっかりと空いたその口は暗く、もれでる空気は湿っぽくかびくさい。今からここへはいるのかと思うと暗鬱な気分にさせられる。
 それでも他に手段がないから、一つため息をついて足を踏み入れた。
「お邪魔しますよ、っと」  


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