託言伝道〜後編



 そこから、僕たちの交流は本格的に始まった。毎週図書館で落ち合って、本を借りて、二人でここに来たよ。あっちもケイタイを持つようになると、お互い用事がある時は、先に連絡入れることも出来たし。
 話せば話すほど、景はいい意味で変な子だった。そして、驚きをもたらす景の言葉に、いつも僕は考えさせられた。本当に唐突に、聞いてきたりしたけどね。

「――三谷さん、生きるってなんだと思います?」
「……考えたこと無いな」
「私は、その意味を、答えを探すことこそが、生きることなんじゃないかと思います」
「答えを探す?」
「だって、はなからそれをわかってる人なんていないじゃないですか。自分の意味を見つける。それが、生きるってことだと思うんですよ」
「面白い考え方だね」
「そう考えなければ、悲しいから……綺麗事だと笑いますか?」
「少し思うけど、笑いやしないよ」

 時々、意味深な言葉をつぶやいてたけど、あの頃の僕に、それを問いつめる余裕はなかった。日々を過ごすのに忙しくて、ただ景との時間が安らぎだった。
 いつも本当にとりとめもなく、思いついたことを青空の下話し合った。

「ねえ、三谷さん。人はどうして、こんなにも皆違うんでしょうね」
「皆同じじゃ、つまらないからじゃないか?」
「誰がですか?」
「んー……神様かな?」
「そうだとしたら迷惑な話。……でもきっと、皆同じでは人は納得出来ない」
「だから、人間なのかもな」
「業というやつですか?」
「かもしれない」
「私も……それに縛られてる。満足出来ない、今に」
「満足したら、いけないんだろう」
「それが真実なら、どれだけ救われるだろう」

 自分がと言いたかったのか、人間がと言いたかったのか。後者だと思っていたけれど、今考えると前者だったのかもしれない。うなだれるような景の姿は自嘲めいていた。
 ある日、景が薬を飲んでいることに気づいた。好奇心の赴くままに聞いたことが景を傷つけなかったかと、今も少し心配だ。
「なんの薬だい?」
「持病です」
 簡潔に答え、慣れた様子で一口に飲み込む景に、僕は質問を重ねた。
「いつも?」
「はい。本当はめんどくさいんですけど」
 心底めんどくさそうな様子に、僕は少し勘違いをしていた。なんてことない病気なんだろうとね。それが大間違いだと気づくのに、時間はかからなかった。
 月日を重ねるごとに、景が具合が悪そうに沈み込むことが増えた。なんでもないを繰り返していたが、それが嘘なのは一目瞭然だった。
「景、無理してるんじゃないか?」
「いつものことですよ」
 そうさらりと言う景の膝の上には、『家庭の医学』に似た、分厚い病気の参考書みたいなものがあった。しかも、重病系列。
 僕は情けなくも、ゴクリとつばを飲み込んだ。そうしなければ、聞けなかった。
「――それは?」
「自分の病気、知っておこうと思って」
「知っておこうと思ってって……」
「いまいち、わからないんです、自分の病状が。誰も教えてくれないし、知りたくもなかった。知ったら、弱くなりそうで」
 そう言って、景は本の表紙をめくった。その指先が微かに震えていることに僕は気づいたけど、あえて何も言わなかった。
「でも、教えてくれないからこそ知らなきゃいけないかなって。そろそろ真っ正面から対決する時だろうと。勝手に手術される前に、二回目はちゃんと知っておきたいから」
 手術という言葉にドキリとしたよ。しかも二回目。ピースは全部揃った。景が、まぎれもない病人だっていうピースがね。
「……怖くないのかい?」
「そりゃ怖いです」
 やつれたような自嘲じみた笑みで、景は答えた。
「痛みが増えるたび、もう時間がないのかとドキリとします。昔は気にしてなかったのか、それとも忘れているだけなのか……この痛みが底知れぬ闇のようで。痛みを感じる度に、自分の弱さを自覚します」
 錆びついた喉を苦労しながらこじ開けた。
「……入院とか、しなくていいのかい?」
「入院は嫌い。自由が消え、動けなくなることが私は何より怖い。それに、まだ担当医が何も言わないということは平気なんでしょう。痛みはきっと、私が臆病なせい」
 言い聞かせるような口調だった。否、実際そうやって、言い聞かせてたんだろうね。自分は大丈夫だ、まだいけるんだ、と。
 その言葉で、僕はもう何も言えなくなった。言う資格はないと、思ったんだ。


 それからまた一年後ぐらいだった。いつものごとく本を読む僕の横で、景はつぶやいた。
「もし……」
 あまりにも小さく喧噪に潰されそうなその声に、僕は顔を上げた。
「――ん?」
「もし私が、連絡無しに一ヶ月以上ここへ来なかったらその時は……」
 続く言葉は風に消えた。
「景……!? 今……」
 背筋に冷たいものが走った。耳にした不吉な言葉を聞き返すよりも早く、景がいつもの謎かけをしてきた。
「後悔のない人生というものが、本当に存在すると思いますか?」
 もはや条件反射とも言うべきもので、僕は考え、答えを出した。
「あるかもしれない……と思うけど」
 そうですかとうなずいて、景はため息をついた。
「私はどうしても、あるとは思えません。だって、私には無理そうだから」
 どこか遠い眼差しに、儚さを感じた。先程の言葉と混じり合い、胸に不安が芽吹いた。
 止めなければと。何をかはわからないが、ただそれだけ思った。
「……答えを出すのが早すぎないか?」
 景が、小さく笑った。小さいけれど確かに、それは景の希望だった。
「でもね、こうも思うんです。後悔を一つもしない人生は送れないけど、それを払拭するぐらい満足に満ちた人生なら、私は送ることが出来るだろうって!」
「そうか……」
「ええ。後悔はいっぱいありますけどね、そんなものに負けるほど、私は暇じゃない……時間がないんですよ」
 一見前向きな言葉に目隠しされて、僕は景のセリフの意味に気づいてなかった。その横で景は時計を眺め、慌てるように立ち上がった。
「もうこんな時間……お先に失礼しますね」
「ああ、また来週」
 ニコリという笑顔で会釈する。
 ――それが、僕が見た景の最後の姿だ。次の週からぱったりと、景は消えてしまったんだ。
 一ヶ月、二ヶ月と時だけは過ぎ、僕は一人きりでベンチに座っていた。そして、やはりあの言葉は聞き違いじゃなかったのかと、切なくなったよ。
 あの子はこう言った。

“もし私が、連絡無しに一ヶ月以上ここへ来なかったらその時は……『もはやこの世にいない存在と、記憶から消し去ってくれて結構です』”

 風に消えた言葉は聞き違い、あの子は生きていると信じたかった。でもね……あの子の性格を考えれば考えるほど、無事の一言は遠ざかったんだ。
 変に律儀なあの子が、連絡をよこさずに消えるなんて、万に一つもない確率だった。例え僕のことを大嫌いになろうと、その旨を伝えるような性格だったから。
 景は、覚悟していたんだ。きっと、わかってたんだろう。だから最後に、あんな事を言ったんだと思う。


「……って、なんでそんな顔しているんだい!?」
 三谷は慌ててポケットからハンカチを出した。思い出の見届け人は、真剣な顔でボロボロ泣いていたのだ。
「だって……だって…」
 佳恵は自分でティッシュを出し、鼻を思い切りかんでいる。鼻の頭が赤かった。
「ぐすっ。あんまりじゃないですか、その子、私と同じぐらいの歳だったんでしょう!?」
「……そうだね、そのぐらいだった」
 そういえば、制服のまま来ていたこともあったなと、佳恵を見て思い出す。
「私なら、そんなの絶対嫌……!」
 責められるような目線で見られ、三谷は自分は悪くないと知りつつ、少し目をそらした。
「でも……少なくとも僕は信じてる」
「何をっ……ですか……?」
 鼻声に笑いつつも、三谷は自信を持って言った。
「あの子はきっと、満足した人生を送ったに違いないってね!」
 誰よりも意地っ張りで、変に律儀な年下の友人は、宣言した以上全力を持って言葉の成就を目指しただろう。だから……それだけは断言出来る。
「それだけであなたはいいんですか? 友人を失ったのに、それすら確かじゃないのに」
 そう。確かではない。だから。だからこそ。
「……だから、僕は外科医になったんだよ」
「え?」
「賭けだよ。会えるかもしれないし、救えるかもしれないだろう?」
 微笑んだ三谷に、佳恵が目を見開いた。
 まだ生きているなら、会えるかもしれない、救えるかもしれない。
 また、もうこの世にいないことが、どこからか伝わってくるかもしれない。そうじゃなくとも、あの子と同じ病の者を救うことだっていつかは……。
 今はまだ、自分の腕がそれほど良いとは言えない。それでも希望が欲しかった。
「その間、景の言葉を伝えるとするよ」
 たくさんの、あの子との会話。あの子と語った言葉を。
 切なく、強く、前を向き続けたあの子の言葉を。
 色々な人に伝えたい。知って欲しいのだ。
「悩んでたんだ。あの子の言葉を伝えてよいものか」
 あの言葉は景の心そのもので。自分の一存で語ってよいのか迷っていた。
「……でも、君に話して決心がついた」
 佳恵はこの話に、素直に泣いて肯定的にとらえてくれた。
 だからきっと、他の人の心にも響くだろう。
 すっきりしたとつぶやくと、佳恵がおずおずと聞いてきた。
「……私も、人に話していいですか?」
「どうぞ。著作権は貸しにしておこう」
 広がる輪。蒔かれる希望。
 ここに小さな芽が出たのだ。
 置いた花束を見つめ、三谷は宣言した。
「……忘れるなんて、絶対にしてやらないよ、景」
 生きているなら恥ずかしさで自分に挑みかかってきてしまうぐらいに。やはり満足して天に逝ったなら、かつての存在を皆に知らすために。広げよう、どこまでも。


 そう、どこまでも。自分が。



アトガキ
メッサー(外科医)晴彦が、なぜか某友人に気に入られてました。
そして友人間でこの話は『託言伝道』ではなく、『メッサー晴彦』がこの話の通称です(笑)
誰かきちんと呼んでやってください……。



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