託言伝道〜前編



 一年ぶりについたその場所は、変わったところは何一つなかった。子供たちの遊ぶ声も、木々を揺らす風の匂いも……もちろん、公園自体も。
「そろそろ変わったかなと思ったんだが」
 ――まあ、一年ごときで色々変わる今の時代が、おかしいのかもしれない。
 小さくつぶやいて足を踏み出せば、逆さまに持った花束が、かさりと音を立てる。
 もう一度、風が吹いた。顔に触れる、先程よりも強めのそれに、三谷晴彦(みたに・はるひこ)は目を細めた。
 三谷は外科医だ。そして今日は休日。人の出も多いが三谷も医者という職業にしては珍しく仕事がない日だった。
 しばらく歩くと、目的地が見えてくる。先程までの入り口付近ではなく、少し奥まった所。幼い子供たちは来ないだろう、木陰の下の休憩所だった。
 木と草の緑。天蓋からもれる日光。 
 影になれていた目に光が痛かった。数回まばたきをしてから木製のベンチを感慨深げに見つめると、三谷は優しく微笑んだ。
「……また来たよ」
 石畳をしっかりとした足取りで踏みしめながら、ベンチの側に近づく。
 ベンチには日を遮るための天蓋と、それを支える支柱が四本。シンプルな作りだが丈夫で、装飾にこって脆いよりもいい。
「あの子も、そう言ってたな……」
 懐かしさを覚えながら三谷は支柱の一つ、その根本に、あらかじめ持参してきた花束を供えた。そしてその前にゆっくりとしゃがみこむと、手をあわせ、黙祷をささげた。
「………………………………………………」
「え!? 嘘、誰かここで死んだの!?」
「!?」
 突如した声に、三谷は慌てて顔を上げた。驚いたように口を押さえていたのは、高校生らしき少女だった。学校帰りか、休みだというのに制服を着ている。
 お互いの、目があった。
「……君は?」
 やっとのこと出した問いに、少女が慌てふためく。
「ご、ごめんなさい。あ、怪しい者じゃ……」
「え……いや……」
 ――別に怪しいなど思っていない。
 むしろ、こんなところで座り込んでいるこちらが怪しいのではないかと言おうとするのを聞かず、少女は早口でまくし立てている。
「しまった、こんなこという方が怪しいですよね。でも、本当に私は……!」
 一生懸命というのがぴったり来る、そんな慌て方だった。
「……ぷっ」
「え?」
「くくっ、あはは、はははははは!!」
「え、え、ええ??」
 大笑いする三谷に、少女が目を見開いた。
「ご、ごめっ…あんまり、慌てるからっ……」
「そ、そんな笑われても……」
「ごめん、でも……つい……ははっ」


 しばらく。三谷は大笑いし続け、笑いが収まった頃も少女はまだ彼の前にいた。どうやら帰るタイミングを逃したらしい。
 少し話した結果、少女の名が北村佳恵(きたむら・よしえ)で、彼女が十七才であることがわかった。やがて彼女は、真剣な面持ちで問いかけてきた。
「で、ここで誰か死んだんですか?」
 若者らしい直球な問いに、少し苦笑いしながらも答えを返した。
「そうだね。『ここで死んだ』ではないけど、ここによく来てた子が、生死不明かな?」
 そういいながらも、三谷は知っている。友人が、高い確率でもうこの世にはいないことを。
「生死不明って……曖昧な。『不明』なのに花束を供えたりするんですか?」
 気が早いのではという不満げで率直な意見に、三谷は反論をしなかった。
 人に言って納得出来るものではない。あの子という人間をよく知っているからこそ、諦めに近い確信を持てるのだ。
 困ったような微笑みと沈黙で返した三谷に、佳恵はぺこりと頭を下げた。
「知りもしないのに、勝手な言い分でした」
 どこまでも素直なその態度に、三谷は好感を抱いた。そして、気づくと尋ねていた。
「……知りたいかい?」
「え?」
「単なる思い出話になってしまうだろう。それでも平気かな?」
 なんでそんな気になったのかわからない。ただ、未だまとまらない自分の気持ちに整理がつけたくて、そのための見届け人が欲しいだけなのかもしれない。
 選択は、見届け人に任せた。
 少女は三谷の視線を真っ向から受け止め、そしてうなずいた。
「教えていただけるなら。正直、気になったしかたがないんです。でも、いいんですか?」
「別に隠すような事じゃないし、ここで会えたのは、他でもない『あの子』の導きのような気もするしね」
 脳裏に数々の思い出が蘇る。それを整理しながら、三谷は独り言よろしく言った。
「さてと……どこから話そうか?」


 とりあえず名前からいこうか。まあ、下だけでいいよね。『景(けい)』……それがあの子の名前だった。
 高校生の僕はよく図書館に足を運んでいた。その日も本を選んでカウンターに行ったら、小さな体で山のように本を抱えている子がいた。ふらふらふらふら、それは重そうに。
 微笑ましいというか、危なっかしいというか……目立っていたね。それが景(けい)だった。
 僕も景も、毎週図書館に通っていたおかげか、お互い顔だけは見知ってたよ。よく目があったし、椅子数の関係で、毎回といっていいほど隣で本を読んでいたからね。
 でも実は、数年間僕たちは口をきかなかった。そう、一言もね。一瞬目があって、終わり。後は一緒に本を読むだけだった。
 ――全く、変な関係を続けたものだよ。もっと早くに話せばよかったと、今は思う。こんな未来がわかっていたなら……ね。
 え、恋人だったのかって? まさか! 景は六歳も下だった。兄のような気分だったし……恋愛感情はない、大切な友人だったから。
 それに、さっき『兄』とか言ったが……むしろ歳は関係なかったんだ。景の考え方は、僕にとって敬意に値した。それだけで十分だろう?
 でもまあ、景が中学生になったぐらいに、ようやく僕たちは言葉を交わした。きっかけは、普通ありえそうもない事だった。
 雨の日だったよ。閉館間際、景はわたわたと何かを探していた。自転車の鍵でも探してるんだろうと思った。
 話をしたことがないとはいえ、顔見知りの子が慌ててるんだ、ちょっとは気になった。けれど、声をかけるのは少しためらわれた。『今更』っていう気持ちが強かったんだね。
 でも、景は全て探し終わった後、少し途方にくれた顔をして、しばらく唸ったり考え込んだりしてたんだけど、急にこちらを向いて、真っ直ぐに僕を見た。
 なにかを決意したそれに、僕は息を呑んだよ。でも、次のセリフに大笑いしそうになった。図書館だからこらえたけど。
 僕を見た景は、それは恥ずかしそうに、言いにくそうに尋ねてきた。
「すいません……十円、持ってませんか?」
「じゅ、十円?」
 予想外どころじゃなかったよ。初めて交わす会話が十円。しかも相手はすごく真剣ときたもんだ。
「はい、十円です……」
 消えてしまいそうなその声に、僕は笑いを噛み殺しながら答えた。
「いいよ。ちょっと待って……はい、これで足りるかな?」
 とりあえず、財布から十円を二枚渡してやると、景はほっと肩をおろしたようだった。
「どうもすいません」
 そしてそのまま、電話をかけにいった。
 そこは古い型の電話……あのピンク色のやつね、あれを使っていて、十円以外は使えなかったんだ。だから十円こそが必要だったんだ。もちろん納得しても、僕の笑いの波は止まらなかったけどね。
 電話をし終わると、真っ直ぐに僕の所に戻ってきて、深く一礼した。
「助かりました。使った十円は、来週にでもお返ししますので……」
「いいよ、十円ぐらい」
「だめです」
 十円ぐらい、いいというのに、景は絶対に駄目だと言い張った。例えいくらでも、金は金なんだとね。そうして次の週に会った時、本当に十円を返してきたんだ。なんて律儀な子供なんだろうと思ったよ。
 でも、さらに驚いたのは次の日だった。その日も休日だったから、本を数冊持って、このベンチに来た。読書をしにね。
 ところが先客がいた……そう、景だ。驚いて立ち止まった僕の気配に気づき顔を上げ、景は僕以上に驚いた顔をしてたよ。
「あなたは……」
「今日は。昨日は十円をわざわざありがとう」
 その時初めて、今更ながらもお互い名乗ったんだ。


後編へ

戻る