徒雪 後編


 
 ライアードが残した言葉から状況を判断するのは難しくなかった。彼が残してくれたヒントは的確で、あんな状態になりながらもひどく冷静だったことがうかがえる。

 止められない、始まってしまった。
 白き代行人。
 神の箱庭。剪定すべきと判断された。
 竜。

 途切れ途切れだったものの、サイラスの変換は間違っていないはずだ。そしてそれらの単語からは、とある一つの伝説に行き当たる。
 気の遠くなるほど昔に、神はこの世界を作った。その時神は一つの仕掛けをほどこしたという。この世界が常に波乱で満ちあふれるように、大なり小なり常に世界が戦乱を残すように。
 それは神の作った進化へのきっかけだと言われている。常に争い続けることでより自らを高めていくようにとの意図だったと。
 まったくもって冗談じゃないと思う。神というのは頭は良さそうなのによほど性格が悪いのか、それともよほど暇なのかどちらかなのに違いない。……もしかしたら両方か。
 神の意図通り世界は争いながら進化を続けた。何かに傾くことなく、破壊と再生を繰り返した。世界はそのまま混沌としたまま戦いを繰り返すはずだったのだ。
 しかし、その神にも一つの誤算があった。それが人間だ。
 人間は神の作ったものの中で一番貧弱で、それでいて生きるということに貪欲だった。その結果なのか、忘れた頃に突然変異のように人間以上の人間が現れるようになった。
 人の中から現れて、人以上の力を持ち、人のために成長し続ける化け物。
 ただの剣一振りで幾千もの敵を滅し、微笑み一つで何万もの人を救う、進化の果てにある存在。
 人はそれを、英雄と呼ぶ。
 英雄は世界を平和へ導く、人がそれを望むから。世界が平穏というぬるま湯につかってしまうことは、変化を望む神にとってあってはならぬことだった。
 だが、それが起きてしまうかもしれない。たった一つの異物のために。自分に都合の良い箱庭を守るためにどうしたらよいかと悩んだ神は、一つの結論を出した。
 『英雄』は神にとってイレギュラーだった。せっかく美しく整えた箱庭に入り込んだ害虫だった。異常は普通へと直せばいい。害虫は、駆除すればいい。
 しかし神自ら手をくだすには、箱庭は少しもろかった。害虫のために箱庭全体を荒らすのは忍びない。
 そこで考えついたのが代行人という存在だった。神の意のままに動く、英雄よりも力を持ち神よりは弱い、そんな存在。
 どこまでも飛んでいける翼と、鋼をも切り裂く爪と牙、どんなものも跳ね返す表皮を与えられたそれは、便宜上『白竜』という名をつけられた。
 すでに世界に生まれていた『竜』とは格が違う、神の意志の代行人。邪魔なものを箱庭から剪定する役目を担った白き神の使い。
 神は世界を平定させそうなほどの力を持つ『英雄』が現れた時、『白竜』を使うことに決めた。英雄さえいなくなれば、人など無力な存在に過ぎない。箱庭は守られる。
 そうして過去何度も『英雄』は『神の代行人』によって『剪定』されてきた。それは歴史の影に埋もれた真実だ。
 シアは、間違いなく神の言うところの『英雄』だった。ただの人から生まれ、愛しいものを守るために人以上のものになってしまった哀れな娘だ。
 実際今回のことがあるまで、サイラスはこの話をはあくまで伝説だと思っていた。人以上のものである英雄が、後にあっさりと死んでしまう、そのことに対する疑問がそんな形となっただけだろうと。
 だが違った。あの異形のものとなったライアードの姿は、伝説に残る『白竜』そのままだった。
 ライアードがいずこかへ飛び去った後彼の荷物を改めると、白竜の伝説に関わる書物がいくつか発見された。彼は、薄々気づいてたのだろう。いつか自分が白竜になることに。それとも、最初から白竜だったのだろうか。
 ……それはどちらでもいいことだとサイラスは思う。彼は英雄を愛して、最後まで運命にあらがおうとした。それがゆるぎない真実だ。 


 たどり着いた白竜を前に、英雄は泣いた。
 その姿はただの少女で、そして女だった。
《しあ、おレを、コロせ……っ。まだ、イシキ、のコって、るうちニ……!》
 人の姿から獣の姿へと完璧に移行したライアードが、咆哮の合間にそう叫んだ。
「やだ! ライ、ずっと一緒にいるって言ったじゃない! 一人にしないって言ったじゃない!!」
 子どものように駄々をこねるその姿を、仲間は初めて見た。
 いつも一歩下がって、人のことばかり考える少女の唯一のわがまま。だけどそれは、決して叶えられることのない願いだった。
《しあ、すまナい……だ、ガ。がっ。オレが、おわらせルっ。かみノ、かってなしょぎょ、うを……おレデ、おわリに……グアっ》
「ライ、ライ……ライアード、いやああああああああ!!」
 空を駆け上り、地にまで響く咆哮。人と獣を行ったり来たりする瞳に、『ライアード』としての終わりの時が近いことを悟る。
 ぎりりと唇をかみ、サイラスはやけくそ気味に叫んだ。
「……ライアード、てめえでこの腐れた因習は終わるんだな!? お前が、止めてくれるんだな!?」
《そう、ダ……だから》
 ――頼む。
 懇願の目で見られ、サイラスは舌打ちをするのを止められない。
「……くそったれがっ」
 なぜ、こんな悲劇が行わなければならなかった。
 シアが何をした。
 ライアードが何をした。
 ただ二人、人々の幸せを願っていただけなのに――!
「わかった。てめえの最期の願い、聞き届けてやるよ」
 手に持っていた剣を正眼に構え、小さく呪をつむいだ。
 シアのような人を越えた人ではない自分は、普通にやったところで竜に傷一つ負わせられないだろう。だからいちかばちか、剣にありったけの魔力を注いでたたきつけるくらいしか方法はない。
 それで片が付くかと言われれば、勝算は五分どころの話じゃない。負けることが分かってる、賭にもならない賭だ。それでも今はこれしかないのだ。
 身勝手なクソ神に一矢報いなければ、あまりに悔しいではないか!
「……行くぜ」
 サイラスが言って駆け出そうとしたのと、ほぼ同時だったと思う。
 それまでただひたすらに泣いていたシアが、仲間の腕から飛び出しライアードに向かっていったのは。
「――シア!?」
 焦った声は、仲間から出たのか自分から出たのかわからない。
 しかし、シアが手にした剣とライアードの安らいだ瞳で皆一瞬にして全てが分かってしまった。
 ――ああ、覚悟を決めてしまったんだ。
 白竜を殺せる人間などほとんどいるはずがなく、いるとしたらシアだけで。そして白竜たるライアードはシアの手にかかることを望んでいた。そしてシア自身も、人の手で恋人を殺されることが切なすぎた。
 自ら、全ての荷を背負って血の道を歩くことを決めたのだあの娘は。
「……馬鹿野郎」
 剣から魔力を抜き取る。そしてただ、少女を見守った。彼女が動き出した今、目をそらさず見届けることだけが自分たちに出来る最大のことだったから。
 駆ける、飛ぶ、恋人の元へ。そして彼女は剣を振りかざす。涙を流しながら、身を切り裂かれるような悲鳴を上げて。
「う、ああああああああああああああああああっっ!!」
 剣がたたきつけられた次の瞬間、世界は光に包まれそして――。
《……ありがとう、シア》
 昔のままのライアードの声を残し、世界は季節はずれの雪を降らせた。


 雪からは、ライアードの気配がした。
 白竜の力を昇華させるために雪へと変えたらしい。宣言通り、ライアードは世界中に白竜の力をまくことで因習を打ち破ったのだ。
 それがうまくいくのかはまだよくわからない。
 いつか答えが出る日もくるだろうが、いつになるかもはっきりと言えない。
 それでも神への反撃の狼煙にはなっただろう。人はただ、箱庭で飼われるだけではないのだと。愛しい者のために牙を剥くことがあるのだと。
 雪の中で英雄は笑う。長い人の歴史の中で、初めて呪縛から解き放たれた英雄が。
 いつかこの悲しい英雄が、再び本当に笑える日が来ればいいとサイラスは願っている。


    ― 徒雪 終 ―




アトガキ
こんにちは、刃流輝(ハル・アキラ)です。
 なんというか……これまた趣味を貫いた作品になった気がします。
 悲恋、好きです。ハッピーエンドが好きだけど、たまに読みたくなるし書きたくなるんですよね。そんなわけで満足満足。
 しかし、ライアードがどんな人間だったか全然書けなかったのが少し悔しいかも。サイラスがクール(ぶってる)な(本当は)熱血漢タイプの人間なら、ライアードは完璧冷静で大人な感じの人です。策士タイプ? でも実際に書いたら違ったのかもしれない。

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