徒雪 前編


 
 その日、世界は季節外れの雪が降った。
「終わったね」
 剣を鞘に戻し、そう言ってただ微笑んだ金の髪の少女。
 その頬を流れる涙に、仲間は皆気づいていた。
「やっと、終わった」
 安堵したように空を見上げた碧の瞳。
 そこに今はもう明るい未来が映らないことにも、皆気づいていた。
 それでも自分は言うしかなかった。それしか選択肢はなかった。
「……そうだな」
 どこか諦めたような声音になってしまったのは仕方ないだろうと投げやりに思う。だってこんな結末、望んでなかったのだから。
 凱旋後、英雄と讃えられるであろう少女が振り向きひび割れた笑いを見せた。
「うん、やっと肩の荷が降りたよ」
 ああもう、見られた顔じゃない。そういう顔は、ブスに見えるだけだって教えただろう?
「――シア」
「え?」
 苛立ちのまま、ついその名を呼んだ。
「シア」
「だから、なぁに?」
 腫れぼったい目で、それでも何事もなかったかのように振る舞う。そんな彼女の望みはわかっていた。
 だからこの問いは一回だけだ。最初で最後の問いを彼女に向ける。
「これで、よかったんだな?」
 動揺は一瞬。たった一言の問いかけから、こちらの言いたいことを全て読み取って彼女はどこかかたく笑う。
「――何が?」
 それは拒絶。
 優しすぎる少女の精一杯にして過去最大の。
 シアが求めるのは自らの行為への肯定でも、ましてや慰めの言葉でもない。何も聞かないこと、ふれないこと……彼女の痛みを分かち合おうとしないこと。それだけだ。
 それを確認して、首を振った。
「なんでもない」
 自分は、もう何も言わない。
 口に出さなかった台詞にすら聡い彼女は気がついた。いつものような暖かで、儚げな表情を浮かべるとふふっと笑む。
「変なサイラス」
 それが「ありがとう」に聞こえたのは、自分の思いこみではあるまい。
「さぁみんな、帰ろうか」
 嘆きも怒りも呑み込んで、『いつもの自分』を振る舞う少女に願うのはただ一つだけ。
 どうか。どうかその心が壊れぬように、と――。


 どこで間違ったのか。なにを間違ったのか。それともはなから何も間違ってなぞいないのか。全ては神の謀り事で、手の平の上で踊らされていただけだったのか。
 そう考えるたびに、はらわたが煮えくりかえる。
 かつてシア――レティーシア・ウォーレンには相棒と呼べる存在があった。それは友であり家族であり……そして多分恋人だった。
 青年の名はライアード。二人が出会ったのは十年以上前。一緒に旅をしていた隊商が盗賊に襲われ一人生き延びたところを、たまたま通りかかったシアの父に助けられ、そのままシアの側で兄のように生きてきたという。
 シアが旅に出ると決めたときも、当然のようについてきたらしい。シア自身それに疑問をはさむ余地がなかったというんだから、お互いにとっての存在がそれだけ大きかったということなのだろう。
 うっとうしいぐらいに想い合ってるのに、サイラスが二人に出会った頃、改めて恋人なのかと聞けば違うと答えた。
 その後も側で見てたサイラスが焦れてイライラするぐらいに二人はなかなかくっつかなかった。だから自分は叶うはずのない願いを持ってしまったのだから責任を取れと八つ当たり気味に思う。
 けれど長く旅をした今ならわかる。きっと近すぎて、お互いの想いに気づけなかったのだ。……むかつくことは変わらないけれど。
 二人の想いが通じ合ったのは大分たってからだ。シアが元からあった才能を伸ばし、冒険者として名が通るようになってしばらくした頃だったと思う。
 それだって結局は、自分を含むパーティメンバーがお膳立てやらなにやらしてようやく、といった感じだった。気をもみすぎて疲れたというのが正直な感想だったりする。
 それでも、今まで見たことがないようなシアの可愛らしい笑顔と、幸薄そうなライアードがようやく見せた『掛け値なしの幸福そうな笑み』、それでお釣りが来ると思っていた。
 けれどある日、それが全て崩れたのだ。


 たまたま旅の途中立ち寄った宿屋の一室で異変は起こった。その日ライアードは少し具合が悪いからと朝から部屋にこもっていた。
 夕食時になっても彼は部屋から出てこず、心配したシアが様子を見に行くというのでサイラスも軽く食べられるものを手にして彼の元へ向かった。
 部屋の前に到着しノックをしようとした瞬間のことだ。中から床に重いものが落ちたような音がした。
「――!? ライアード、開けるぞっ?!」
 もしや具合の悪さがたたって床にでも倒れたかと思い、返事も聞かずに急いで扉を開く。開け放たれた扉の先にあったのは、予想通りと言えばそうである倒れた青年の姿だった。
「え……ラ、イ……?」
 目の前にあるものが信じられない、信じたくないと言った風情で、シアがかすれた声で恋人の名をつぶやく。
「……っ! 馬鹿っ!!」
 ふらりと一歩部屋へと足を踏み出すシアを、サイラスは慌てて後ろからつかんだ。手に持っていた軽食が落ち、廊下にけたたましく音を響き渡らせたがそんなことはどうでもいい。
「離してサイラス! ライが、ライが……!」
 半狂乱になる少女をとりあえず離さないようにしながらも、サイラス自身目を疑った。
「何の冗談だ……?」
 そこにいたのは、ライアードであって、もはやライアードではなかった。
 まず目に映るのは羽。まるでコウモリか何かのように皮膜のはった、けれど色だけは真っ白な大振りの翼が倒れている青年の背から生えていた。
 次に爪。肉食獣のかぎ爪のようにのびたそれは、木をはった床にささり柔らかい土かなにかのようにえぐっている。
 手の甲や銀髪の隙間から見える首筋にすら変化は現れていた。光の反射でところどころ光っているのは、は虫類のような鱗に思える。
 そして何より恐ろしいのは、その変化ですらまだ途中だったことだ。
 そう、未だ彼の身体は変化を起こし続けている。骨が歪むような、折れるような低い耳障りな音は止まることなく始終彼の身体の中から聞こえているし、それにあわせ翼はどんどん大きく成長し、爪も鋭利さを増してゆく。
「ライ、ライッ……!」
 これはなんだ。いったい何があったんだ。これは本当にライアードなのか。
 必死に手を伸ばすシアを羽交い締めにしながら、サイラスは混乱する頭で必死に状況を把握しようとしていた。だが、あまりに異様な光景に脳みそがうまく動かない。
《ぐ……ァ……っ》
「――ライ!」
 痙攣するように床で身もだえていたライらしき何かが声を漏らした。かすかに面影があるものの、いつもの彼よりも数段低い獣のようなそれに思わず構える。
 すぐに側に行きたいだろう少女の心情はわかったが、警戒せざるを得ない状況に彼女を自由にするわけにはいかなかった。
「サイラス、離して!」
「離せるか!!」
 離せ、離せないを繰り返していると、もめている人間がいることに気づいたらしいライアードが、どうにか視線だけをこちらによこした。息をするのもやっとというその様子に、本当に何が起きたんだと問いかけたい衝動に駆られる。
 シアとサイラスの姿を認め、ぼんやりとしていたライアードの目に一瞬光がともった。
《し、あ……。さい……ら、す。きてシまった、カ》
 呼びかけとともにヒュウと喉からもれる息。口元には発達した犬歯が見え隠れし、瞳孔が爬虫類のように縦長になっているのが見て取れた。
 成長し続ける翼に振り回されながら、ライアードはゆっくりと立ち上がる。そして重そうに片腕をあげると、とんと軽くサイラスごとシアを突き放した。そして自らも窓の方へとずりさがる。
 月の光の下にさらされた彼は、異形のものとしか言えなかった。それなのになぜか、サイラスはその姿に邪悪なものは感じなかった。むしろ神々しささえ感じた。その理由は、後にわかる。
《とめラれな、い。はジまって、しま……っタ》
 口を開くのも辛いだろう痛みを伴う変化の中、ライアードは何かを伝えようとしていた。痛みに顔を引きつらせながらも、必死に言葉をつむぐ。
《シロ……だいこ、にん。かみノ、ハコニワ……せんていスべきと、はんだん……》
 やがて翼が成長を止める。ばさりと翼がはばたき、突風を巻き起こす。風の中、ライアードは最後まで真実を語っていた。
《りゅう……も、うむり。ころ、しテ……おれ、おわラせ……ぐぁっ》
「ライ!!」
 手を伸ばした恋人に小さく微笑む。それはかつてのライアードそのままのもので。
《しあ、ごめ……》
 もう一度突風。
 あまりの風の強さに二人が目をつぶるのと、窓ガラスが割れる音がしたのはほぼ同時だった。
 風が収まり目を開けたとき、すでにライアードの姿はなく。そのまま彼は姿を消した――。 


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