番外編 逢い引き 前編

 今日、伸一(しんいち)はめずらしく一日を一人ですごすことになっていた。同志にして主たる少年はいない。
 東城真澄(とうじょう・ますみ)に出会い、そして共犯者になることを強制され、早数年。一応は真澄の護衛者兼監視者というかたちで――事実はまったく違うとしても――仕えている伸一は、よほどのことがないかぎりは真澄の側にいることを本家から義務づけられている。
 そのおかげで一年留年までさせられたと言えば、本家からの『義務』が、どれだけ厄介なものかわかってもらえるだろうか。
 現在いるのは全寮制の高校で、そこまできっちりしなくても平気なのではないかと言ってみたことも実は……ある。だがすぐに、「……馬鹿?」と冷笑で返された。
 あの日、ちょっぴり真澄への殺意がわいたと言っても、誰も自分をせめないに違いないと、伸一は勝手に考えている。
 しかし、「あの妖怪どもが全寮制だからというだけで、ほいほいと安心して気をぬくタマか? お前以外にも東城の手のものぐらいいるに決まっているだろう。もちろん、俺たちには気づかせないようにな」というセリフは、たしかに本家の妖怪――もとい、長老たちの思考パターンを考えれば、説得力がありすぎた。
 そんなわけで……いつでもかつでも、それこそ寮の自室でさえ一緒にすごす二人が別行動なのは、本当にまれなことなのだ。
 高校に入ってから、てんでお目にかからなかった『一人の時間』を、伸一は久しぶりに手にしたことになる。
 買い物とか、行きたいところがあるというわけではないが、伸一は街中に出てきた。一人中にこもっているよりマシな気がしたからだ。
 ふだん常に二人以上で行動しているせいか、一人で歩いていると隣がすーすーするような気がする。
 ……そんなこと、意地でも認めたくないのだが。それでも物足りなさはうまらない。
「まあそれでも、今日は大サービスだしな」
 そうつぶやいて、自分を納得させるように何度かうなずく。そうして「なんだったらそこらでナンパすりゃあいい」と続けた。
 主である真澄は文句なしの美形だが、伸一自身も違ったタイプの美形だった。ナンパなら、明るい性格と、見た目が『遊んでそう』なとっつきやすさで伸一の方が勝つだろう。
 今日こうやって一人きりでいることを選んだのは、真澄とその想い人である瀬川樹(せがわ・いつき)のためである。
 真澄に言わせれば「余計なお世話だ」なんだろうが、たまには二人きりにしてやりたかったのだ。
 樹と真澄が一緒に出かけることは多々ある。しかしもちろん、護衛である自分もいつもいる。
 その時の伸一は、正直言って時たま命の危険を感じたりする。樹とちょっと会話したり、ふれたりすると、背中にビシバシと殺意を感じるのだ。
「そんなに目の敵にするなら、さっさと告っちゃえばいいのにねえ?」
 しないのは、真澄の強情さゆえ。彼には彼なりの『美学』のようなものがあるらしい。
 まあたしかに、普通に告白したってあの樹相手にうまくいくとは思えない。樹には悪いが、真澄のやり方ぐらいでちょうどいいのかもしれない。
 ――ふと立ち止まり、時計を見る。時計の針は、十一時半を示していた。
 伸一が、一週間前に真澄に渡したのは遊園地のチケット二枚と、本家の監視の目がうすくなるであろう、今日という日の情報。
 この日を厳選するために、ここ一ヶ月ほど伸一は本家のスケジュールとにらめっこまでしたのだ。
 二人の待ち合わせは十時。もう、園内に入って楽しんでる頃だろう。
「……うまくやってるといいけど」
 空にはなった言葉は、人混みにかき消され気づく人はいない。
 太陽のまぶしさに目を細め、小さく口笛をふきながら、伸一は再び群衆の中にまぎれこんでいった。


 今日、真澄はめずらしく二人っきりですごすことになっていた。とは言っても、下僕にして共犯者たる少年はいない。代わりにいるのは、中性的な雰囲気をたたえた、真澄が愛しいと思う少女だ。
「――真澄、どうかしたか?」
 黙って自分を見つめ続ける真澄を不審に思ったらしく、少女は不思議そうに問いかけてきた。
「僕のどこかがおかしい? こんな服、久しぶりに着たし……変だったかな?」
 そう言って自分の服をちょいとつまむ彼女の手を、そっとはずしながら真澄はにっこりと笑う。つい先程まで呆然としていたことは、微塵も感じさせないつもりである。
 樹にしか見せたことのない、見せるつもりもない、彼自身の本当の笑みだった。
「そんなことないさ。……かわいいよ、樹」
 他の人間がきいたら赤面しそうなほどの甘い声で、それでもちゅうちょのかけらすら見せずにさらりと言い放つ。
 普通の少女ならばその声だけで照れるなりなんなりの反応がありそうなものだが、あいにくと真澄の想い人はそんな簡単な人ではない。
 顔色も変わることがなく、冷静な声のまま聞き返した。
「そうか?」
「ああ。俺はそう思うよ」
「……ありがとう」
 それでも感謝の言葉にはほんの少しだが、まぎれもなく照れているような響きがあった。誰も気づかないようなちょっとした変化を真澄はききとり、さらに笑みを深くする。
 そして、「ところで……」と何気なさをよそおい問いかける。
「その服、自分で買ったのか?」
 一瞬きょとんとした表情を見せた樹だが、すぐに首を横にふった。
「いいや。スカートはこの前母さんが送ってきたんだ。ブラウスと上着は……同室の綾(あや)が貸してくれた」
「そうか」
 やっぱりな、と心の中でつぶやきもう一度目の前の樹を上から下までながめ見る。
 待ち合わせ場所のここで、一瞬我が目をうたがった樹の姿が変わらずそこにあった。
 樹はめずらしくスカートをはいていたのだ。こうして出かけることは今まで何度もあった――もちろん伸一同伴――が、彼女はいつもズボン姿だった。
 何度出かけてもズボン以外はいてこないので、もしかしたら制服以外にスカートを持ってないのではと思い始めていたほどだ。
 なのに今日の姿と言えば。
 チェックの膝丈スカートと紺のソックスに、華美でないていどにフリルのついた真っ白なブラウス。そして上着は黒いごくシンプルなもの。
 中性的な樹の雰囲気と魅力を壊すことなく、しかしいつもよりも『少女らしいかわいらしさ』を増すようにコーディネートされていた。どう見ても、樹のセンスではない。
「その格好……宮小路(みやこうじ)さんがコーディネートしただろう」
 確信を持ってたずねれば、樹は「よくわかったな」とでも言うように目をみひらくと、こっくりとうなずいてみせた。
「綾には前から今日出かけることを教えてたんだけど、今日起きたら、これを着ていけと言ったんだ。遊園地に行くんだからズボンでいいって何度も言ったんだけど……」
 だめだったんだ、と大きくため息をつく樹を見つめながら、真澄は綾子に心底感謝していた。
 真澄もいる全寮制の高校で、樹と同室であるのは宮小路綾子(みやこうじ・あやこ)――樹は『綾』と呼んでいる――という少女だった。樹にとって中学時代からの親友であり、数少ない理解者でもある。
 しかし、それだけではないと真澄は気づいている。あの少女――綾子は、自分によく似ているのだ。境遇も、在り方も……胸に抱えている想いさえも。
 自分達は同じ――同種の人間だと、見た瞬間にわかった。
 知人以上、友人未満。あえて言うなら伸一とは違う意味での同志、そして恋敵。彼女は真澄にとってそんな存在だった。
 それは、あちらも同じなのだろう。綾子は自分と会う時、いつも敵意とも共感ともつかぬ視線をこちらに投げかけてくる。
 だからだろう。今日わざわざ強硬に樹にスカートをはかせ、コーディネートまでしてくれたのは。
「敵に塩を送るってやつか……?」
 くっと笑いがこみ上げる。同時に綾子の「貸し一よ」という声も聞こえる気がした。
 貸しを作るのは、趣味ではない。だが、今回はよしすることにした。
 なんといっても、樹にスカートをはかせるなんて、綾子でもないと出来ない。ありがたく心づかいを受け取ろうではないか。
 そんなことをつらつらと考えながら、真澄はひどくかわいらしい姿の想い人に手をさしだした。
「さあ、そろそろ入ろうか?」
 さしだされた手に、樹は困ったように真澄の手と顔を交互に見た。そのまま手をとろうとしない少女に、真澄はわざと悲しげな顔を作ってみせる。
「ん? ……嫌、か?」
 そういえば樹が断れない、自分の手を取らないでいられないことを真澄は知っていた。伊達や酔狂で、側にいるわけではない。彼女の行動パターンは把握している。
 必ず手に入れる。そう、誓っているのだから。
「嫌なんかじゃない」
 思った通り、樹は慌てたように首をふると、しっかりと真澄の手を握ってきた。
 こぼれそうな微笑みをなんとか抑えつつその手をそっと握り返し、真澄は樹にあわせた歩調で入り口のゲートに向かって歩き出した。


「ちょっと待って、東城君」
 どこからか名を呼ばれ、思わず声がした方に伸一は振り向いた。
 そこに立っていたのは、意志の強そうな瞳をしたかなりの美少女だった。自信に満ちあふれたその表情は、自分の主を思い出させる。
「宮小路……? なんで、ここに」
 いぶかしげにたずねた伸一に答えることなく、綾子は口の端をくいっとあげた。
「あなたこそ、一人でお散歩? 珍しいじゃない」
「まあな」
「……まあ、だからこそ樹にスカートをはかせたんだけど」
「はあ?」
 いまいち真意のはかれないセリフに、伸一はとまどった。それを見た綾子は、クスクスと笑うだけである。
 やがてとても魅力的な微笑を浮かべると、一つの提案をしてきた。
「どう、あぶれもの同士でデートでも。詳しい話もしてあげるわよ?」
 なぜ、という疑問が顔に出ていたのだろうか。綾はつけたすように「暇なのよ」とだけ言った。
 提案に、しばし考え込む。このまま街をぶらつくのも悪くはないが、なにせ目的がない。それならば、綾子の提案に乗った方が有意義そうに思えた。
「そうだな。俺も久しぶりの『自由時間』をもてあましていたところだ。あんたみたいな美人サンとすごすのもいいかもしれねえな」
「お褒めにあずかり光栄だわ」
 そう『美人』という言葉をさらりと受け止める様子は、なれた者特有の余裕と自信――否、確信が見て取れた。
 前から思っていたことだが、真澄と同じくこの少女は自分の美貌を熟知し、利用の仕方もよく知っている。
 目的のためならそれすら武器にする、したたかとさえ言える強さ。そんなところまで彼に似ている。
「さっきからこっちを見て……なにかしら?」
 近場のオープンテラスまでの道を歩きながら、そんなことを考え続けていた伸一に、綾子は華がほころぶような笑みを見せる。
 この笑みにだまされて近づくと、絶対に痛い目を見る。
 伸一は、そう心の底から確信している。
「ああいや、気を悪くするかもしれないが……あんたを見てると、本当に真澄を思い出すな、と」
 答えた次の瞬間、伸一は「やっぱり言うべきではなかったか……?」と冷や汗をかくはめにおちいった。綾子のがあきらかに不快げに顔を歪めたからだ。
 それでもすぐに、綾子は仕方がないといった感じに肩をすくめて見せた。
「……そうね。あの男と私は、同類だもの」
 すごく、不本意だけれど。
 そんな心の内が聞こえてきそうなため息を一つ。
「あの男が仮面をかぶっていることにも、樹をどう思っているのかもすぐにわかったわ。私も、同じだから」
 そういえば、綾子もかなりの名家の一人娘だった。
 その美貌といつか受け継ぐ財産ゆえに、求婚者は後を絶たないというが……全てきっぱりと断ってると聞く。
「初めてあの男と顔を合わせた時、見えたのは『東城真澄』ではなくて、鏡に映った『宮小路綾子』だったわ。親しさも感慨もなく、むしろ逆の感情が湧き上がった……こういうの、同属嫌悪、って言うのだったかしら?」
 だからあんなにも真澄にけんかを売ったというのだろうか。
 樹が真澄に誘われて生徒会に入ってすぐのことだ。綾子は樹や他の役員がいない時を狙ってやって来て、真澄と冷戦を繰り広げたことがある。
 話の内容は色々あった気もするが、結局は樹の争奪戦だったと記憶している。お互いににこやかな笑みを浮かべたまま、嫌味と皮肉の応酬が続いた。
 あの時の恐怖を、伸一は忘れられない。
「樹に一目会って、感じたのよ。ああ、私はこの子を待ってたんだな、って。理屈なんてなかった。それは、あの男も同じでしょう?」
 否定も肯定もせずにいたが、綾子は一人「本当に嫌になるわね、これだけ同じだと」とつぶやいた。
「……だからこそ、私はあの男が嫌いなのよ。ほとんど同じなのに、私が欲しくて欲しくてたまらなくて、でも絶対に手に入らないものを持っているんですもの」
「絶対に……手に入らないもの?」
 そこまでいうならば、綾子はなんとしてでも手に入れようとするはずだ。それこそ手段を選ばずに。
 だが、宮小路家の力を使っても、手に入らないもの。
 それはいったい……。
「――性別よ」
「へ?」
「性別。『男』だってこと。樹の側に、一生いても許される性別。それが、私は欲しかったわ」
「それは確かに……」
 手に入れようとしても、手に入るものではない。
「男になりたいと言ってもね、あの子を抱きたいとか、そんな欲はないの」
 それでも、と綾子は続けた。
「初めて本気で『欲しい』と、『側にいたい』と思えた。もし私が男だったなら、『結婚』という形がある。世間からも認められた、あの子をつなぐ鎖ができるでしょう?」
 どこか遠いところを見つめながら、切ないと息とともに最後の一語を吐き出した後、綾子はなんとも言えない顔をしていた伸一に向かい、今までと少し違う、いたずらめいた笑みを浮かべた。
「……なんてね。今のままでも十分よ。なんたって、私はあの男より先に樹に出会ったんだもの。あの男の知らない樹をめいいっぱい知ってるわ。それに、あの子の『親友』は、私だけよ」
 それは、綾子が自分自身に言い聞かせてるように伸一は聞こえた。
 今言ったことも本音だろうが、さきほど語ったことも、まぎれもなく彼女の本心であろうことは簡単に予想がつく。
 伸一は、横で機嫌よさげに鼻歌をかなではじめた綾子を見、そして次に大空を見上げ疲れたように顔に手をあてながらぼやいた。
「なんだって、樹はこーゆー奴ばっかひきよせるんだかなあ」
 真澄しかり、綾子しかり。
「運命、宿命……そんなものよ、きっと。もしかしたら、樹は私やあの男みたいな人間だけにきくフェロモンでも持っているのかもね」
 当たらずとも遠からず。思わず納得しそうになる答えである。
「シャレになんねえよ」
「あなただって、私たちのこと言えないでしょう?」
「あ?」
 顔をしかめたままの伸一に、綾子はすましたように言う。
「あなただって、樹を想ってるくせに」
「…………」
 なんと答えればいいのか迷ううちに沈黙が降りて、綾子が小さく笑ったのが見えた。
「やっぱりね。でもそのわりに、樹とあの男の応援ばっかりしてるわよね」
 それでいいのだ、と心でつぶやく。
 たしかに自分にも、あの少女を想う心はある。愛しいし、守りたいとも、少なからず思っている。
 でも、狂うほどの想いではない。
 樹は、真澄しか見ていないし、真澄も、樹しか見ていない。
 ……ならば、自分はあの二人に幸せになって欲しい。
「今日の遊園地のチケットだって、用意したのあなたでしょう? 邪魔してくれると思ったのに」
 目線で「なんで邪魔しなかったの?」と問いかけられる。
 あのチケットは、正確に言えば伸一が用意したのではなく、友人からのもらい物で、それで今回の計画を思いついたのだが、それはこの際いいだろう。
「理由は……きっとあんたの考えてることと同じだよ。あんたのセリフじゃないが、それこそ『宿命』だからだ。おもしろく、ないけどな」
「……本当におもしろくないわね」
 拗ねたようなつぶやきだったが、それでも顔には苦笑に近いものが広がっていた。やはり彼女も、同じことを感じていたのだろう。
 あの二人が出会ったのは、宿命だと。

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