月と共に 桐島上総 様
『月と共に』 最終話
小夜は、送って行くという龍之介の申し出を丁寧に断って、家路を急いでいた。
龍之介宅を出る際に噛んで含めるようにくどくどと、「貴様の所有権は俺にある」と言い聞かされた。あまりの剣幕に驚いて、思わず「はい」と是の意を示したら帰らせてくれた。
小夜は小走りで村へと急いでいる。
村の方角がなんだか騒がしい。・・・村に近付くにつれて大きくなる喧噪。合戦とは無縁の小さな村に起こり得るはずのない大事である。小夜は何事かと足を速めた。
息を切らして村に近付く。徐々に木陰から抜けて明るくなった。
「・・・っ!皆どうしたの?」
しかし、視界はひらけなかった。人だかりである。各々手に武器―――と言っても農具ばかりで、武器らしいものといえば精々鎌や斧くらいだけれども、どれもこれも十二分に凶器となり得る―――を持ち、森の出入り口を塞いでいる。
血走った目、歪んだ表情、数々の罵りや謗りの言葉。
小夜は最初、何のことだか理解出来ずに立ち尽くしていた。そうしている間が何秒だったか、何時間だったかは小夜自身分からない。
血のよく巡らない頭を必死に稼働させ、「殺せ!殺せ!」と叫ばれている対象が龍之介なのではないかという結論に達した。自分を囲んで騒ぐ村人達を見ているうちに、その考えは半分しか当たっていないことに気付いた。対象は龍之介ではない。自分と龍之介が化け物として殺される対象なのだ、と。
群衆の中央から哀れんだ視線を寄越す村長。ギラギラと脂っぽい目で自分を睨め付ける客人。遠巻きに泣きながら自分を見遣る両親と葵。
恐怖が身を包み、膝や歯がガクガクと震えた。
だが、村人達を見ているうちにそんな感覚はすうっと引いた。冷めたのだ。それと同時に周りの音が消えた。何を言われているのか分からないが、そんなことはどうでもよくなった。村人個々の判別がつかなくなった。区別する必要が無くなったのだ。どの人も、否、どれも、己に害する生物、とだけ認識していれば十分だ。
残ったのは軽い失望と喪失感。涙は出ない。
小夜は村の中央で手足を括られ、大人一人では到底抱えきれないような太い柱に躰を縛り付けられた。その間小夜は、表情の抜け落ちた顔を俯かせ、抵抗らしい抵抗は示さなかった。造形の整った顔と小柄な体型が手伝って、人形と化した小夜が其処に居た。
捕らわれた小夜の前に、生物集団から歩み出てきたある一匹―――夏山のことだ―――が、下卑た視線を寄越しながら叫ぶ。
「心配すんな!お仲間の化け物狼もすぐに殺してやるから!!」
―――・・・ころす?だれを?・・・龍之介さんを?・・・にんげんだろう、かれは。
「・・・ん、だろ・・みんな・・・」
―――にんげん、だろう?みんな。
コトコトと一定のリズムを刻んで火に掛かっていた鍋の中身が急激に噴き上がる。今にも噴きこぼれそうな鍋の上で、重い鍋蓋が役目を果たせずに踊る。
小夜の中で、ブツリと何かが音を立てて切れた。
「いやぁあぁぁっ!離せぇっ、誰が!誰が化け物だ!!アンタ達に殺されるいわれは無いっ!離せぇっ!!」
辺りには少女のものとは思い難い獣じみた咆吼が響き渡る。
小夜を取り囲んでいた獣の柵は、「やっぱり化け物だ」等と囁きつつ、さっと後退した。小夜との距離が少し広がった。
小夜はなおも暴れ続ける。縄が手足を擦り、赤いものが滲み出ている。
「何勝手に傷付けてくれてンだ?俺の所有物に」
決して大きな声だったわけではない。低く朗々としたその声は、少女の金切り声をものともせず、辺りに美しく響いた。
村人達は一斉に声のした方―――森の入り口の方である―――を向いた。
声の主らしき男は、遠目にもそれと分かる、上等な絹の小袖を着崩している。男は暇を持て余しているかのように、手にした扇で自身の掌を叩きながら、ゆったりと優雅な足取りで輪に近付いてくる。
男が近付くにつれて村人達は水を打ったように静まり返った。小夜の叫び声が一際大きく聞こえる。夏山は信じられないというように、目を皿のようにして男を凝視している。 男が輪のすぐ傍まで来ると、まるで十戒現象のようにザッと人が避けて道が出来た。
男は口の端だけで小さく笑い、小夜の頬に手を当て、
「小夜。もう大丈夫だ」
と、一言囁くと、小夜は嘘のように大人しくなり、
「・・・龍之介さん?」
と、泣き腫らした瞳で、男を見上げた。
男、龍之介が、化け物に魅入られた娘の縄を解いてゆくのを、夏山は止めねばならぬと思いつつも止められずにいた。無抵抗の化け物を捕らえ、絶対的な強者の立場に立てたのをいいことに大きくなっていた気は、今や急速に萎んでいる。
夏山はこの男に見覚えがあるのだ。記憶の中の、この男に酷似した男から放たれる高貴な威圧感は、忘れようとしても忘れられない。故に夏山は、此処に居るはずのない人物を思いだしてピクリとも動けずにいる。
ふい、と男が夏山の方を見た。目が、合った。琥珀の瞳が夏山を見下ろす。昨晩見た化け物の両眼と重なり、漸く夏山の呪縛は解けた。
―――こいつは化け物だ。
中身が、溢れ出した。
「皆何しているんだ!こいつらは化け物だ!逃がすな、殺せぇ!!」
夏山は刀身をすらりと抜き、眼前の男に向けた。それを合図に村人達が襲いかかる。
「うわあぁぁぁっ」
叫びながらやってくる村人達をさらりとかわし続け、時折蹴りを入れる。
男の鮮やかな動きが再び夏山に呪縛をかけた。
夏山は一歩も動いていないのに、汗が浮かんでくるのを感じた。
男が少女を抱きかかえたまま跳んだ。
夏山には男が何をしたのか全く分からなかったが、はっと気付くと、男は夏山の刀先に立っていた。
夏山の膝が震え、構えた刀も震える。
「そんなんじゃ俺は切れないぜ?勿論、小夜は傷付けさせねぇし」
男は腕の中で縮こまっている少女に、「なぁ?」と笑いかけた。
男と少女は未だ夏山の刀先に居る。
―――このまま突けばいい。そうだ・・・このまま
「ああああぁぁっ」
夏山は柄を握り締め、渾身の力で踏み込んだ。
―――バキッ
「これは俺の所有物を傷付けた罰だ」
そんな言葉が殺気と共に右横から投げ掛けられ、その言葉を認識した時には、もう視界全てが真昼の空だった。
―――ドサッ
夏山は背中から地面に落ちた。それから漸く状況を理解した。男に蹴り飛ばされたのだ。 しばし呆然としていると、青空と太陽を背負った男が夏山を覗き込んでいた。
「おい、お前。こいつは連れてくぜ?」
男は口角を上げてニヤリと笑った。
―――あのお方はこのように粗野な方ではなかった。人を小馬鹿にしたような笑い方などなさらない方だった。だがしかし・・・
「御上・・・」
夏山は逆光の中で笑う男にそう呟いた。
男は愉快そうに口を歪め、少女を抱え直して村の出口に向かった。
「小夜、挨拶はしなくていいのか?」
龍之介は抱きかかえたままの小夜に、顎で後方―――背後にある小夜の村の方―――を指し示して尋ねた。
小夜はするりと龍之介の腕から下り、村に向かって深々と頭を下げた後、龍之介の手をきつく握った。
龍之介はそんな小夜の手を握り返して、穏やかな笑みを刻んだ。
「じゃあ行くか」
「何処に?」
小夜が不安そうに龍之介を見上げる。龍之介の両眼に悪戯っぽい光が宿る。
「京に」
「ええええぇっ!?」
小夜の叫び声と、龍之介の笑い声が街道に木霊した。
二人の足跡は並んだまま何処までも続く。
『月と共に』了
2005/1/6 桐島 上総
***あとがき***
これは、刃流氏のお誕生日祝いに頂いたリクエスト作品だったはずです。世間は年を跨いでしまいましたけど。・・・遅れてしまって本当に申し訳ありません。
難産でした。第四話と最終話が。
中身も「どうして、何故こうなるの?」「これは何?」等々と思われる箇所が多いやもしれません。そのほとんどは伏線です。私が上手く書けていないせいで疑問が浮かぶ部分を除けば。
短編を創るはずだったのに何故か五話まで引き延ばしておいてまだ伏線をはる、この見上げた根性。イイ性格としか言えません。
こんな私に付き合ってくれる愛しい刃流氏へ、お誕生日おめでとうございました!!(九月の話)また、『春はタケノコ』も一周年ということで、おめでとうございました!!(七月の話)年も明けて目出度いです。今年も宜しくお願いします。
桐島 上総 拝
第四話へ
アリガトウノキモチ
上総ちゃん、毎度素敵な話をありがとう!!
私的にリクした設定は、いつか書いてみたい(読んでみたい)設定だっただけに、上総ちゃんに書いてもらえて感無量です。
だって、私じゃこんな素敵なお話にならないし、だいいち、龍之介さんがこんなにかっこよくなりません。私が書いたら、まず間違いなくへたれになります(爆)
上総ちゃん、素敵な和風狼男をありがとう!!