コラムる

徒然なるままに、愛しのキャラクター達へ思いを馳せる。
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 5     アナスイとウェザーの奇妙な関係(ジョジョ・ストーンオーシャンより)  
「ストーンオーシャン」の特徴の一つに「キャラクター同士の微妙な距離」があります。
6部は主人公「空条徐倫」の成長と生き様に焦点が絞られ、物語は彼女と敵・神父を中心に展開していきます。
故に主人公の視点を通して6部の世界が表現されるため(特に前半)、当然彼女が存在しない場所、彼女が認識していない登場人物が描かれる事は少なくなります。
 
更に舞台が刑務所という特殊な空間のため登場キャラクターは場所ごとに「鉄格子」という仕切りで隔てられ、新密度の高いキャラクター同士(例えば徐倫とエルメェス)でも一旦負傷などで生活空間を異にすると頻繁に交流を持てなくなり、主人公から遠ざかったキャラクターは自然と出番が少なくなってしまいます。
 
女同士でさえこのような状況ですから男性キャラクターが主人公と接点を持つ事は非常に難しく、当然描写される機会も少なくなり必然的に味方であっても主人公にとって、引いては読者にとって謎な部分が多いキャラクター達になるわけです。
 
そんなわけで味方男性キャラクター同士の交流ともなると「音楽室幽霊で一緒にいた仲」という設定がありながらアナスイとウェザーが話しをしている場面が描かれたのは、なんと単行本が12巻を数えてから。(嘘のような本当の話)
前置きが長くなりましたが、今回はそんな謎めいた男囚達二人について考察してみたいと思います。
 
アナスイとウェザーについて語りだすと長くなるので(爆)項目ごとに内容を分けて考察します。
 
『二人に友情はあったのか』
ぶっちゃけ先ず私個人が疑問に思う部分です。蓋を開けたらアナスイにとっては未来の御義父さんとウェザーがほとんど「タメ年」だった、という爆弾事実は置いておいて(アナスイは知らないし)、友情が二人の間にあったか否か。
・・・とりあえず作中の二人を見る限り意思の疎通は皆無だったと断言できそうです。
傍若無人で他人の話を聞いていなさそうなアナスイと、記憶喪失でついでに自己の感情も喪失してしまったようなウェザーのコンビですから、とにかく二人の「脱獄道中記」は珍妙を極めます。
先ずアナスイはウェザーに脱獄後の行き先を確認していません。アナスイは当然徐倫を追って外界に出たわけですがウェザーも同じように徐倫を追いかけていると思い込んで疑っていません。ウェザーは「俺も神父を追って脱獄するが」って言ってるのに・・・。
確かにウェザーが記憶を取り戻すまではそれでも不都合はなかったのですが・・。
 
一方ウェザーも相方の状況に関してとことん無関心です。と、いうより見ていません。アナスイの肉体がトラックの荷台から転げ落ちても気付くのはアナスイが大分引きずられてから。
再度アナスイの肉体と精神が分離した時も居眠りを決め込みます。あまりの・・・あまりのボケぶりに当時の私は「これはウェザーが意図してアナスイを葬ろうとしているのか?!」と変に勘ぐってしまった程です。
真実は素で天然だったみたいですが。
隣町(?)に着いてからやっと気がつくって貴方・・見ようよ、隣を・・・。
このような事実を見るにつけ、二人の間に友情はおろか仲間の意識さえあるのかどうか、はなはだ疑いたくなってくるのですが・・・。
 
『戦闘コンビとして』
二人の新密度について疑惑の根が深くなったところで(考察逆効果)
今度はバトルの面から二人の行動を追うことにします。
 
アナスイとウェザーが作中でタッグを組むのは「ボヘミアン・ラプソディー編」が初めてなのですがこの時は作者様が一体誰の活躍を描きたかったのか、単にキモ可愛い子ヤギや小人を描きたかっただけではないのか、という位バトル的な見せ場が二人になかったので(特にアナスイについては目を覆わんばかり)、実質的なコンビネーションは対プッチの「ホワイト・スネイク戦」が最初(で、最後・・泣)になります。
この時には既にウェザーの記憶が戻り、世界はへビー極まりない状況になってしまっています。
 
バトル編になると二人の関係は一変。お互いがお互いを意外な見方をしている事が発見できます。
先ずウェザーですが、記憶が戻ってからは「優しいウェザー」返上、一般人に対し非常に暴力的に振舞うのに対し、アナスイにはリラックスに誘ってみたり(爆)、自分とアナスイ用にギャルを二人ナンパしてみたり(超爆)、とにかく妙に友好的です。
理由は自分が神父を倒した後、最後の目的・・・自己の死をアナスイによって与えてもらうためだったのですが。ウェザーは死を望んでいますがスタンド「ウェザー・リポート」が無意識に防御してしまうため自殺ができません。他人に殺してもらうしかないのですが一般人では自分のスタンド防衛能力が邪魔をするかもしれません。スタンド使いならば可能でしょうが徐倫達には自分の望みを受け止めてはもらえない。(仲間意識が邪魔をして)
必要なのはもっと合理的に殺人もいとわず自分との取引に応じてくれるスタンド使い・・そういう意味でアナスイは大変適役だとウェザーには思えていたようです。
 
一方アナスイも人間がカタツムリ化してゆく状況と徐倫との再会のために「俺を殺せ」と言うウェザーに対し「いいだろう」とそれをアッサリ承諾。躊躇しようよ・・・
事が済んだら一方が一方を殺すという契約の元に二人は神父戦に挑みます。
あり得ない程ドライな二人の関係です。
固い友情で結ばれた徐倫とエルメェスのコンビと比べると正に対照的です。
 
こう見てゆくとアナスイとウェザーの二人は味方キャラという観点からすると「ジョジョシリーズ」の中ではとても異端である事がわかります。
5部の味方同士も3部や4部に比べるとお互いの距離を保ち、深入りし合わない様な大人な関係の雰囲気はありましたが、それぞれ素性は知っている仲ですし「自分を殺して」と言われて「はい、了解」と、即答する状況というのは・・・さすがに少々考えづらいです。
 
そんな乾いたアナスイとウェザーですが、ではお互いが死んでも全く構わないのか、というと意外な?ことにそうでもないようで、バトルが始まってすぐウェザーは神父によって片足を切断されてしまいますが、アナスイは彼の名を叫んでかけ寄ろうとします。(意外)
戦略の上でもかなりコンビネーションは良く、ウェザーを中心とした戦いをアナスイは上手くフォローしています。戦い終盤は解説役になっていましたが。
更にバトルの中盤、ウェザーがもう片足を切断されてしまった時にはアナスイは絶叫してカタツムリ化した体のまま神父に攻撃を仕掛けようとします。(このあたりはほとんどアナスイ的には“思わず”とった反射的な行動だったのでは、と推測します)更に更に直後、神父に反撃を受けてアナスイが殺されかけたのをウェザーが血の槍で救った形になるのも心憎い演出展開だと思います。
新密度は低いけれどお互いの能力は認め合い、命がけの戦いに際して背中を預ける事ができる、ウェザーとアナスイはそんなクールな仲間関係だったのではないでしょうか。
 
『遠くて近い二人の距離』
神父戦の決着は残念ながら悲劇的な形で幕を下ろします。
ウェザーの死に額前呆然とする徐倫に対し、アナスイはウェザーについて、そして自分について静かに語りだします。
多弁なわりに自分自身のことについてほとんど話さないアナスイが初めて自分を自分でどう思っているのか、またウェザーについてどう思っていたのかを伺う事のできる重要なシーンです。
 
アナスイは言います。
「オレにはわかる。彼はこの数日間幸せだった。」
「ウェザーは脱獄して生き返ったんだ。」
「ウェザーは既に救われていたんだ。」
また、こうもつぶやきます。
自分は両親にすら人間的な情がわかなかった。世間の自分に対する殺人鬼のレッテルもその通りだと思う。
ただ、「自分を生き返らせてくれた者のためには命を懸けられる」
・・・と。
この「生き返らせてくれた者」とは当然徐倫を指します。
ウェザーに関して言った一連のセリフはそのままアナスイ自身にスライドするのでしょう。
 
二人のけったいな珍道中が幸せだったのか・・という突っ込みは置いておいて、目的も希望もなくただ時間を浪費してゆくだけだった「水族館」での日々に徐倫の存在が息吹をふき込み、アナスイは彼女を守るという目的を、ウェザーは神父という倒すべき敵をそれぞれ得て、真に生きる意味を見出した。
徐倫が自分たちの心を、魂を生き返らせた。アナスイはそう言いたかったのではないでしょうか。
 
「アナスイが問題を起こさないようにウェザーが押さえつけている」と、以前エンポリオは言っていましたが、少年の目には二人がそう映っていたけれど、アナスイとウェザーの関係はごく対等なもので、ウェザーを認める部分があるからこそ、アナスイは彼の意見はそれなりに尊重したのでしょう。
アナスイにとってウェザーは確かに素性も本名すらわからない相手だったけれども
自分と同じく異質な能力を持ち、心に空洞を抱えた「似たもの同士」という解釈だったのではないでしょうか。
ゆえに言葉で話し合ったことはなくともウェザーの事は「わかる」と、アナスイは言ったのだと思います。
 
性格も生活パターンも正反対で意思の疎通もお互いへの思いやりもあまりないようでありながら、何故か行動を共にしていたアナスイとウェザー・リポート。
友情や馴れ合い事がなくともお互いが根底で望む事は理解をしている。・・彼らはそんな間柄だったのではないでしょうか。
 
冷たく不思議で奇妙な空間距離を持つ、味方キャラの関係がジョジョ6部にはありました。
そして私はそんな二人の関係がとても好きでした。
 
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