今回は自分が共に10年以上読み続けてきたマンガ、「ジョジョの奇妙な冒険」と「ファイブスター物語」2つの名作について考察してみたいと思います。
<両作品の相違点>
両作品にはそれぞれ永きに渡る連載を支える主人公が存在します。
「ジョジョの奇妙な冒険」ではタイトル通り「ジョジョ」の名を継ぐ輝ける黄金の魂をもった人物達、「ファイブスター物語」では永遠の命を持つアマテラス(本物の神様)がその役を担います。
「ジョジョ」はロマンホラーにはじまりバトルアクションのジャンルに位置づけられ「波紋」、「スタンド」といった独特の設定で読者の度肝を抜く戦いが作品中で展開します。
かたや「ファイブスター」はスペース・群集劇というか(作者曰くごった煮だそうで)何でもあり、の世界ですがメインとしては乗り込み式巨大兵器「モーター・ヘッド」と人型コンピューター「ファティマ」によって彩られる星々の戦争を描いています。
他に類をみない個性的な絵柄と世界観でコアなファンの心をとりこにしてきた両作品ですが二つの世界の決定的な違いは「正義の在り方」です。
<ジョジョの場合>
具体的な例を挙げるとジョジョの1部で登場した「黒騎士ブラフォードとタルカス」です。
彼らは亡き女王・メアリーのため殉職した戦士でした。ブラフォードはジョナサンとの戦いの中で人としての心を取り戻しジョナサンに己の剣をたくして散っていきます。
その後に登場したタルカスは人間の体を絞って生き血を飲むような悪鬼として描かれジョナサンに倒されます。
ブラフォードはジョナサンが黄金の魂の持ち主だと言う事を読者に印象付け、タルカスはジョナサンが優しいだけではなく、強く頼もしい主人公としての器を持つ人物である事を読者に印象付け、対照的に描かれますがそれぞれ効果的に「ジョジョ」のキャラクターを浮き立たせています。
<ファイブスターの場合>
さて、これがFSSだとどうなるかと言うと、先ず先に登場するのがタルカスになります。(多分)
彼はジョジョの場合と同じく悪の権化として主人公側に倒されます。が、次に登場するブラフォードによって彼らは人間時、敬愛する女王のため自ら斬首台にのぞんだ誇りある騎士だったのだという設定が明かされ、ブラフォードが満足して眠りにつくにあたり「先に倒されたタルカスも女王の元に行けたかなあ」・・・と、暗に読者に思わせる。そんな演出になるのではないかと思います。
<二つの正義の場所>
「ジョジョの奇妙な冒険」における正義とは一貫して「主人公側」であり、主人公達<黄金の魂>を持つ者に対峙する相手は常に悪であり、倒されるべき存在として描かれます。
長い連載の中には魅力的な敵、作者自身愛着を持つ「吉良吉影」や生誕からの設定が描かれ、その主張に共感を持つ読者も少なくない「エンリコ・プッチ神父」などが登場しますが彼らもまた正義の名の下に排他される役割から外れる事はありませんでした。
「主人公=正義」という一貫した図式は少年漫画の王道であり、わかりやすく、同時に読者に安心感を与える構成だと思います。
反対に「ファイブスター」では読者の共感するべきアイ・カメラを持つキャラクターは主人公アマテラスではなく、むしろアマテラスと対峙する人間たちに存在します。
スポットをあてられる人物は章ごと、場面ごとに入れ替わり、作中では国、星を渡ってそれぞれの場所に生きる人物の感情、生き様が描かれます。当然読者の感情移入の先も定まらず、引いては「皆、色々な想いを抱えて生きているんだ。」=「悪い人なんかいないんだ」=「絶対的正義なんか無いんだ」・・・と、読者に思わせる構成になっています。(多分)
あえていうなら傍観者であり人の感情を超越した主人公アマテラスこそ「絶対的正義」の存在する場所なのでしょうが、作品を読めば読むほど読者はアマテラスでなく、むしろ主人公に対峙し、お互いも哀しい戦闘を繰り返す「人間たち」に魅力を感じていくはずです。
<両作品の相似点>
このように構成演出にはじまり、世界の描き方、絵柄、なにもかもが違う「ジョジョ」と「ファイブスター」ですが、では全く似ている部分がないのかというとそうではなく、作品世界が数百年、数千年、果ては宇宙何巡分(!)にもわたって展開される「魂の物語」である事や「運命や引力」をテーマにしている部分や「作者様が漫画家の域を超えたアーティスト」と呼ぶにふさわしい「天才」であることが同じだと思いますし、なによりも両作品に通じるのが「素晴らしく面白い」を・・・と言う事ではないかと思います。
二つの作品がより多くのファンに深く愛されることを願っています。を
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