2007年1月31日(水)
    「痩せゆく中年スプリンター」

 悲しいことです。
 屋久島に来てからどんどん筋肉が落ちています。
 この10ヶ月で遂に体重が5キロも落ちてしまいました。77キロあったのが72キロです。
 脂肪が付き過ぎないように食事管理をしていますので、体脂肪は17〜18で変わっていません。だから落ちた5キロは筋肉ということです。
 やはり「単独・孤独・気の毒」の3ドク環境の練習では致し方のないことなのでしょうか。
 腰方形筋の肉離れを起こしてから半月の間、何の練習もできずにいましたが、このため減っていた体重が更に減りました。
 筋肉をつけるのは大変なのに、落ちるのはアッという間です。
 先細りの我が人生にも似て、体まで痩せ細っています。だはは・・・(悲)


 
 
 足掛け3年がかりになってしまった「日本列島徒歩縦断記」がやっとこさ完結しました。











2007年1月30日(火)
    「良き夜はバローロで」

 SCCのある人からいただいたバローロのワイン
 イタリアのワインの中でもワインの王様と呼ばれるバローロのワイン。
 
 ここぞというときに飲もうと思っていたら、いつの間にか屋久島に持ってきていました。
 
 そして、何故か、今夜、無性にワインを飲みたくなって、ついにコルクを抜きました。
 いや〜、良いです。
 良いワインはやっぱり良いです。
 あれ、誰ですか、ハッピードッグにはアルコールだったら何でも良いんだって言ってる人は。
 ま、そうですけどね。
 そうですけど、やっぱりバローロは美味しいです。
 肉離れの早期回復を願いながら飲みました。
 あっという間に1本空きました。妻に「飲み過ぎっ!」と怒られそうです。

 でも、一人で飲むのは、ちょっと寂しいですね。
 やっぱりSCCの皆さんとわぁわぁ言いながら飲みたいと思った夜でした。
 












2007年1月29日(月)
    「屋久島に雪」

 年間平均気温19度の屋久島に雪が降ると聞いて驚いた人がいましたが、もちろん雪が降るのは山岳地帯です。
 標高1800m以上になると亜寒帯と同じ気候ですから、多い年は4メートルも積もることがあるそうです。
 そのような屋久島の奥にある高い山は、奥岳と呼ばれています。
 その奥岳と対比して、里近くにある山を前岳と呼んでいます。屋久島の奥岳は、この前岳に囲まれていますので、一つの例外を除いて、里から奥岳は見えません。例外は永田岳です。永田岳は奥岳ですが、永田の集落から見ることが出来ます。

 今朝、出勤のために玄関を出てびっくりしました。
 前岳に雪が積もって白くなっているではありませんか。冷えたはずです。
 昼休み時間に写真を撮ろうと思っていたら、残念ながら溶けてしまっていました。
 しかし、奥岳の方はかなり積もった模様です。登山道に行く道は積雪で通行止めになりました。
 腰に肉離れさえなければ、雪山に行く予定だったのですが、残念!

 今日で2週間になる肉離れ。思うように回復しません。
 でも、ここで焦っては、これまでの辛抱が水の泡。じっくりと構えることにします。


 今日の血圧と脈拍。
  血圧  108−77
  脈拍  49
 
 原因はわかりませんが、屋久島に来てから、血圧の上が常時110前後あります。私にとっては高いです。
 その前は、100を超えることはほとんどなかったのに。仕事のストレスでしょうか(笑)
 ちなみに、健康診断では、計測してくれる看護師さんが、血圧が低いことと脈が少ないことにいつも首をかしげます。そのたびに、これが私の正常値ですと説明しますが、納得せずに何回も測り直す人がいて困ります。











2007年1月28(日)
    「パソコンもたまには大掃除」

 腰方形筋の肉離れの回復は思っていたよりも悪いようです。
 明日で2週間。しかし、朝起きたとき、患部に痛みがあります。「ピリッ」という痛みです。
 動いているうちに痛みは消えます。でも、まだ慎重に動かなければならないというシグナルでしょう。
 ウォーキングは痛みが消えてから始めることにします。

 こんなことで、せっかくの休みも陸上の練習や登山はおろか、堤防の魚釣りにも行けず、今は家で安静にしているしかありません。
 いつもは時間が足りないのに、今は時間が有り余っています。
 そこで、普段は忙しくて出来ないパソコンの大掃除をすることにしました。

 パソコンのケースを開けてみたら、やはりホコリがかなり付着していました。パソコンにはケースの中の熱気を外に強制排出するファンが付いていて、さらに、本体の中にもCPUやハードディスクにクーラーが付いていますから、外の空気がパソコンの中に吸い込まれて入ってきます。この時、ホコリも一緒に入りますから、1年に1回ぐらいは中のホコリをとってやらないと、PC内にホコリが付着して冷却効果悪化によるパフォーマンス低下、熱暴走、回線のショートにつながりかねません。
 ところで、パソコンをいじるのは楽しいですね。子どもがおもちゃで遊ぶのと同じ感覚です。
 以前は時々パソコンを開いては色々いじっていました。でもCPUを換装するためにハンダゴテを使って配線を変えていたら、ハンダゴテを間違って基盤に当ててしまって、一瞬にしてPCをパーにしてしまいました。それに懲りて今は、メモリーとHDDを交換や増設するときぐらいしか開かなくなりました。だから、なおさらホコリが溜まるんですね。
 最近困るのがHDDですね。これまでのIDE接続に換わって、SATAが出てきました。従来のIDEのHDDを新しいPCに搭載しようとしてもインターフェイスが合いません。ま、変換器が出ていることは出ていますが、余計な出費になります。

 さて、ケースをつけて元通りした後、今度はデータのバックアップとハードディスクの大掃除。
 ついでにハードディスクのパーティーションを変更。
 
 次に、このHPをアップしているサーバーの大掃除。サーバー上のデータをいったんすべて消して、PC上で再構築したHPをサーバーにアップ。
 こんなことをした理由は、不要なファイルがサーバー上に溜まってきてサーバー容量を圧迫してきていたからです。
 でも時間が掛かった割にはあまり効果がなくてがっくり。

 土曜日のSCCの練習はものすごく楽しかったらしいです。
 42秒走を3本もしたそうですから。うらやましい!

 今年も仕事の関係で50mダッシュ王に出られないかもしれません。
 しかし、場合によっては出られる可能性が、ほんのちょっとですが残っていますので、希望はまだ捨てていません。
 簡単には諦めきれないのです、一昨年のディフェンディングチャンピオンは(笑)
 













2007年1月25(木)
    「関東軍は関東の部隊にあらず」

 子どもの頃から,知らないことをそのままにしておくのは恥ずかしいことだと思っていました。 
 学校の先生や親から「聞くは一瞬の恥,知らぬは一生の恥」なんてこともよく言い聞かされ,「そうか,知らないことをそのままにしておくのは,一生の恥なんだ。」と子供心ながら妙に納得したものです。

 でも,今の世の中,すごいですね。知らないことは恥でもなんでもない,逆に「そんなことを知ってどうするんだ,何の役に立つんだ。」といった,厚かましい恥知らずの品性のない人間が幅をきかせています。テレビに出てくる人達の話ですが。
 昔なら厚顔無恥と言われた,そんな人間が毎日のようにテレビに出て,無知をさらけ出しても恥じ入る様子はありません。私も知らないことばかりですから,人のことを言えた義理ではありませんが,知らなかったら知らなかったで,そのことを恥じて,謙虚に知ろうとする気持ちが必要なのではないかと思います。
 知らないことが恥なのではなくて,知らないことを恥じないことが恥,ということです。
 人は誰でも,自分の欠点や無知を簡単には認めたくはありません。誰でもそれなりの自己顕示欲や(変な)プライドを持っていますから。
 でも,それに縛られていては,いつまで経っても厚顔無恥のままで終わります。ベストセラーになった「バカの壁」もそれに近いことを言っていたように思います。
 今の社会風潮による恥の価値観がいかほどのものか,私にはよく分からないけど,私に恥の哲学を教えてくれた先生,そして親には,とても良い教えをたたき込んでもらったと,50歳になった今,改めて感謝し,同時に,これからもその気持ちを大切にしていきたいと思っています。
 あれ,なんだか小学生の作文みたいですね(恥)

 今日は私の恥の話です。
 いや〜,本当に赤っ恥でした。こんなことも知らなかったとは。
 何かって?
 ええ,タイトルにある関東軍のことです。
 関東軍と言えば,旧日本陸軍の関東軍です。日本の満州支配の中核となった部隊で,軍部暴走の元凶となった部隊として良く知られています。もしかしたら,関東軍に自制心があったら,満州事変,それに続く日中戦争,更には太平洋戦争という悲劇は起こらなかったのかもしれません。
 
 その関東軍ですが,何故関東軍と呼ばれていたのでしょう?
 ここからが私の恥です。
 関東軍というのは,日本の関東方面の部隊で編成されていたから関東軍と呼ばれていた,今までそのように信じていました。
 ところが,それが全く違うことを今頃になって知りました。普通に勉強をした人なら関東軍のことは知っているかも知れませんが,そうでなかった私は,関東軍の名前の正しい由来を知りませんでした。

 正しくは,日露戦争後、中国に設置された関東都督府が1919年,関東庁に改組された際,その陸軍部が独立して「関東軍」と名付けられたのが関東軍の名前の由来でした。ですから,日本の関東地方とは全く関係がありません。
 今まで関東地方の部隊とばっかり思っていたのに,全く違いました。50歳になるまで知らなかったのですから赤面の至りです。
 白状しますと,関東地方の部隊は悪いことをしたものだと思っていました。関東地方の皆さん,ごめんなさいです。

 ところで,何故,満州に「関東」という名前があるのでしょう?
 関東都督府が置かれていたところは中国の遼東半島南部で,ここは関東州になります。
 「はは〜ん,だから関東なのか。」と思った人,チッチッ,ここで納得するのは早いですよ。
 肉離れのため陸上の練習が出来ずに欲求不満が溜まって爆発寸前の私は,そのエネルギーを普段使わない頭の方にちょこっと回して,もう一歩突っ込んで,どうして関東州と呼ばれていたのか?それを調べてみました。
 で,関東州があるのは遼東半島の南部。そこは漢民族の国土防衛ラインであった万里の長城の東端である山海関の東になります。関の東にあるから関東,うん,うん,なるほど,それで「関東州」と呼ばれていたんですね。

 「ふ〜ん,だからどうした。」なんて言わないで下さい。私としては恥を一つ取り払って気分爽快なのですから(笑)
 それと,日本の関東の名前の由来は聞かないでくださいね(笑)
  




【お知らせ】
 気が付いたら陸上板の掲示板のカウンターがもうすぐ77777になりそうです。
 77777を踏まれた方は数字をハードコピーなどしてお知らせください。
 屋久島の銘酒をお送りします。なかなか手に入らないヤツです。
 是非、是非お知らせを。
 ここの掲示板でも、メールでも、トップページのポップアップメールでも何でも構いません



















2007年1月24(水)
    「愛の賛歌」



愛は寛容にして慈愛あり,

 愛はねたまず,

 愛は誇らず,

高ぶらず,非礼を行わず,おのれの利を求めず,憤らず,

 人の悪を思わず,不義を喜ばずして,まことの喜ぶところを喜び,

 おおよそ事忍び,おおよそ事信じ,おおよそ事望み,おおよそ事耐うるなり,

 愛はいつまでも絶ゆることなし。

    

                            聖書 コリント前書13章


 今週の某日,妻の誕生日でした。
 











2007年1月22日(月)
    「超越の縄文杉」

 世界自然遺産の島,屋久島。
 その屋久島のシンボルなのが,この縄文杉と名付けられたヤクスギです。 
 高さ25.3m,周囲16.4m,直径5.1m,標高1,300m。

 樹齢は7,200年と2千数百年という二つの説があります。
 7千年余りの寿命の説は,木の太さから出たものです。
 確かに,屋久島には2千年とか3千年といったヤクスギがありますが,縄文杉はそれらよりもはるかに大きいです。

 2千数百年という説は放射線炭素を使った計算によるものです。でも,計測に使ったのは,縄文杉の空洞から採取したサンプルで,木の中心のものではないので,2千数百年説に異を唱える人は多いです。
 切り倒して中心部のサンプルで測定すれば正確な数値がでるのでしょうが,自然倒木しない限り,それは不可能です。

 また,こんなに太くなったのは,複数のヤクスギが合体したためという説もありますが,私の目にはどう見ても合体した木には見えませんし,鹿児島大学農学部の林助教授のパーオキシダーゼ・アイソザイム分析の結果、縄文杉は一つの木であることが証明されています。

  
 これらのほかにも縄文杉の樹齢に関する説があります。しかし,どれも決定的なものではなく,だとすれば,木の太さから算出した7,200年説も決して外れているとは言えません。
 樹齢が未だに謎,それが更に縄文杉の神秘性を高めているのでしょう。

 ま,それはともかく,縄文杉は見る者を圧倒します。
 登山口から5時間ほどかけて登山道をあえぎながら登ると,突然,巨大な縄文杉が目の前に現れ,その超越した存在感に人は息を呑みます。
 「やっと会えた」という人がいました。「見た」ではありません。「会えた」です。その言葉に縄文杉への想いがにじみ出ています。
 大きさもさることながら,時を超えて,原生林に悠然と生き続けるその姿が不思議な感動を与えてくれます。

 昨年の冬,縄文杉の枝が雪の重みで折れて落ちました。
 その枝を放射性炭素同位年代測定法や成長錘測定法で解析した結果、この枝は1,000年近いものであることが確認されました。その枝は,ヘリコプターで運び出されて今月から「屋久杉自然館」に「命の枝」と名付けられて展示してあります。
 職場の私の部屋に輪切りにしたヤクスギが飾ってあります。とても大きくて初めて来た人は驚きます。輪切りのヤクスギの年輪は1,000個あります。すなわち千年のヤクスギということです。これだけでも価値があります。
 そんなのが縄文杉には一つの枝として生えていたのですから,縄文杉がいかに大きいか分かります。  
 

             
                   クリック→拡大画像 
 縄文杉の大きさが分かるように人間を入れた写真を貼りました。あ,誰ですか,アゴが長いなんて言っている人は!

 
 普通,杉の平均的な樹齢は500年ほどですから,1千年を過ぎたヤクスギが今も尚多く残る屋久島。この貴重な自然を大切にしなければなりません。
 ちなみに,樹齢が千年を超えたものがヤクスギ,それ以下のものはコスギと呼びます。
 



 今日の血圧と脈拍。
 血圧  115−71
 脈拍  50

 肉離れの痛みは順調に和らいできています。しかし油断大敵。と言いながら焼酎「三岳」だけはしっかりと続けているのはイカガナモノカ(笑)












2007年1月21日(日)その2
    「納豆は悪くない,嘘つき野郎が悪い」

 私の大好きな納豆が店頭から突然売り切れのために消えましたが,これはテレビの「あるある大辞典」が「納豆にはダイエット効果がある」と放送したためだと聞いて,「何で普段買わない人がテレビを見ただけで買うんだ,お陰で普段から買っている客が買えなくなったじゃないか!」と怒っていたら,何のことはない,ねつ造のデータに騙されて買っていたんですね。
 食事の質・摂取量を調整するならまだしも,食べればダイエット効果があるなんて,融資名下詐欺や投資名下詐欺と同じで,世の中にそんなうまい話はありません。
 <あるある大事典>「納豆ダイエット」はねつ造 関西テレビ
 これでまた店頭に納豆が戻ってくるでしょう。

 真実,虚偽,空想,あらゆる情報が乱れ飛ぶこの時代こそ,情報を正しく読み取る能力,情報に惑わされないリテラシーを持つことが求められるのかも知れません。 
 以前,おおたさんが職業病の話をしていましたが,私の職業病は物事を懐疑的に見ることです。
 その話の出所はどこか,根拠は何か,誰が,どのようにして出したものか,確認はどのようにしたか,口だけではダメだ,それを裏付ける資料を示せるか,そのようなことを複眼的に検証します。良い話には大抵の場合裏があります。だから良い話には飛びつきません。 
 あ,私生活はルンルンしている私ですが,仕事はシビアです。ん?当然か(笑)

 それにしても企業の規範意識の無さをさらけ出したこのようなことが起きると「またか」という気持ちになります。
 コンプライアンス無くして組織は成り立ちません。その時はごまかせても不正はいつか必ず発覚します。
 自分の利益のためなら手段を選ばない,そのような倫理を国民が許すはずはありません。
 

 





2007年1月21日(日)
    「自己抑制のための肉離れ回復プログラム」
 
 今日の屋久島は朝から雨。
 肉離れで安静中の私には晴れても降っても関係はありませんが,雨だと精神的には落ち着きます。
 晴れれば「怪我さえなければ練習に行けたのに!」と思うけど,雨が降れば「怪我をしていなくても練習は出来なかった。」と諦めもつきますから。
 
 痛み止めを飲んでいることもあると思いますが,肉離れは少しずつ痛みが消えています。
 今日で6日目ですから,こんなものでしょう。
 でも,肉離れの治療で一番危険な時期になりつつあります。痛みが消えたからと言って不用意に動くと再発をしています。破壊された筋肉繊維は簡単には元通りになりません。痛みが消えてからが本当の治療です。

 今回の回復プログラムは次のようにしようと思っています。あくまでも目安ですから,回復の状態を見ながら調整していきます。このプログラムより遅くなることはあっても早くなることがないようにします。急がば回れ,急いては事をし損じる,そのための荒ぶる自分を押さえるためのプログラムです。

 10日間は完全安静。
 11日目からをウォーキング開始。最初はゆっくり数分だけ。ただし様子を見ながら。
 2週間目から血行を促す程度の軽いストレッチ。ただし少しでも痛みがあるときは中止。
 3週間目から軽いジョグ。
 4週目から普通のジョグと自体重を使った軽い筋力トレーニング。
 5週目から5〜6割程度の走練習と強度を上げた筋力トレーニング(自体重)
 6週目から7〜8割程度の走練習
 7週目から制限なしの練習
 
 
 











2007年1月19日(金)
    「ザ・オナガ」

 屋久島の我が家の台所のシンクにやっと収まっている下の写真の魚は尾長と呼ばれている魚です。
 和名はクロメジナ。
 関西では尾長グレ,九州では尾長グロ。鹿児島ではワカナと呼ばれていますが,普通,オナガと言えば釣り人なら誰でも分かります。上物釣りの究極のターゲットですから。
 私も若い頃からオナガを狙って,草垣群島や宇治群島に遠征していました。草垣群島は串木野港から高速船で5時間半です。それでも通っていました。それほどにオナガは魅力ある魚です。
 一度そのパワーに出会ったら,たちまちとりこになります。もの凄いパワーとスピードです。例えて言うなら,オリンピックの100mの選手でしょうか。
 姿も名前も似た魚に和名でメジナ,九州でクロ,関西でグレと呼ばれる魚がいます。これも美味しい魚ですが,しかし,オナガにはとても太刀打ちできません。
 オナガは驚くほど美味しい魚です。
 数が少ないのでまとまった数が捕れない,捕れるかどうかそのときにならないと分からない,そんなことから市場には出回りにくい魚ですが,こんなに美味しい魚はそんなにいません。
 これまで食べた魚の中で一番美味しいのはシマアジだと思っていますが,それに勝るとも劣らないのがオナガです。
 高級魚である天然の鯛やヒラメ,それらはまだ何とか市場に出回りますので,料亭などで食べる機会もありますが,オナガは余程運が良くないと手に入りません。そういう意味でも貴重な魚です。
 刺身でも煮付けでも,鍋でも,何でもいけます。

 そんな貴重なオナガが我が家の台所にある,がははは,もう嬉しくて笑いが止まりません。
 屋久島に住んでいなければ絶対にこんなことはありません。屋久島に住んでいるからこその幸せです♪
 オナガを食べてみたい人,屋久島に来ましょう。


      
 57センチ,約3キロの堂々たるオナガです。30分前まで生きていました。まな板から完全にはみ出しています。



 腰方形筋の肉離れの痛みは徐々に薄れています。
 でも,痛みが消えたころが一番危険です。細心の注意を払って行動します。













2007年1月18日(木)
    「今日は何とか出勤」

 二日続けて仕事を休む訳にもいかず,今日は無理して仕事に行きました。
 いつもなら38歩で行ける距離を,尺取り虫のように,少しずつ,少しずつ進み,やっとの思いで職場に到着(笑)
 
 肉離れを起こして今日で3日目。アイシングは今日まで。

 肉離れはその程度によって,軽度,中度,重度の3ランクに分けられていますが,この痛みからして,今回は残念ながら重度に近いのではないかと思います。
 このようにひどくなったのは,1年半前の同じ部位の肉離れの時,診察ミスのために,肉離れで最も大切な初期治療を間違ってしまったこともあるのではないでしょうか。
 二度と再発しないように,今回はじっくりと治します。





◇◇◇◇◇◇◇◇   以下,犬板のDIARYと同記事   ◇◇◇◇◇◇◇◇

 不二家のミルキー
 実は大好きです。変なおじさんです。だはは。
 子供の頃からの慣れ親しんだ味。いつ食べても美味しいです。
 しかし,賞味期限を過ぎた加工品を材料に使ったことで連日のように不二家の不祥事がニュースで流れています。
 ミルキー好きには悲しい出来事です。
 大人になってからも,東京に住んでいたとき,三軒茶屋にあった不二家の店で子供達におみやげを買っていました。妻の実家の近くにも不二家の店があって,実家に行くときはそこでケーキを買ったものです。
 その不二家のフランチャイズ店は店を閉め,スーパーなどの小売店からは不二家の製品が撤去されているとか・・・
 早く問題が解決して欲しいですね。

 このような問題が発生したときに思うのですが,今の時代,いや,昔から同じですが,企業でも官公庁でも,どんな組織であろうとも組織のトップに「説明責任の意識」と「コンプライアンスの精神」がなければ,その組織はタガが緩んで,なれ合いと隠蔽体質が増殖して行きます。
 今回もまさに,問題の根元として,その2点が大きく欠けていたのではないかと,連日の報道を見て感じます。
 そして,トップに「説明責任の意識」と「コンプライアンスの精神」が欠けていた結果が,従業員とその家族が路頭に迷いかねない事態を生んでしまったのだろうと思います。
 組織のトップは,いかなることがあろうとも,「説明責任の意識」と「コンプライアンスの精神」,これを忘れてはいけません。

          
 私の家には,常時,不二家のお菓子があります。特に,飴のミルキーは登山の時の補助食として欠かせませんので,いつでも山に持っていけるように常備しています。疲れたらミルキーを口に入れると再び元気が出ます。不二家のホームパイは美味しいし,安いし,食べやすい大きさだし,気に入っています。もう,これも店頭から消えたのかな?














2007年1月17日(水)
    「出勤できず!」

 今朝,何とか起き上がって仕事に行こうとしましたが,肉離れの痛みが激しく,やむなく仕事を休むことに。
 1日中,家で安静にしていました。
 休んだと言っても,立場上,仕事の電話が何回も掛かってきます。その度に布団から手を伸ばし受話器を取って打ち合わせ。
 今回の腰の肉離れは,寝返りを打つとき,ガツーンと痛みが走ります。上半身の屈伸,ねじり,そのような機能を持つ腰方形筋の肉離れですからそうなるのでしょう。電話に出るのも大変です。
 このため完全安静にはなりませんでした。

 飲み薬の痛み止めのお陰でしょうか,まだまだ痛みはありますが,少しずつ和らいでいます。布団から出るのに時間が掛からなくなってきましたから。
 痛みのピークは過ぎたようです。これで坐薬の痛み止めは使わなくて済みました。良かった。
 アイシングだけはしっかりとやっています。明日まで続けます。


 
 昨日病院に行ったときの,受付の女性との会話

 女性 「あら,○長さん,今日はどうしました?」
 私  「腰の肉離れです。よろしくお願いします。」
 女性「まぁ〜,走り過ぎですね!」
 私  「・・・」
 私の怪我は,どんな怪我でも陸上の練習が原因だと皆さんに思われているようです(笑)



 阪神・淡路大震災から12年。
 被災に遭った何人もの人達からその時の状況を聞きました。
 実際に神戸の現場にも行きました。
 忘れることのできない災害です。













2007年1月16日(火)
    「肉離れで元気ダウン」

 私は今日,お昼までは元気でした。
 昨日の日記にも書いたように,先週SCCの練習に参加できたことで,今年のシーズンに向けた練習のモチベーションが大いに高まっていました。今日のお昼までは。
 しかし,午後,職場の体力強化訓練の時に悲劇が・・・
 再びやってしまったのです。肉離れを。
 やってしまったのは左腰の背中側。詳しく言うと腰椎(脊柱)と骨盤が接する辺りの,腰椎の左側にある腰方形筋。
 腰の肉離れ,いわゆるぎっくり腰です(笑)
 
 今日のNHKテレビのローカルニュースに,私がちょこっと出ていたのを見た人は「え?元気そうだったのに」と思われるかもしれませんが,そのニュースが取り上げたイベントの後にやってしまいました。

 病院に行きましたが,何しろインナーマッスルですので,アイシングもテーピングも効きにくい困った部位です。
 痛み止めの注射は,ブロック注射と血管注射のどちらがよいかを医師に聞かれ,迷わず血管注射を選びました。何故って?
 ブロック注射は痛そうですから。

 この部位は,1年半前にも肉離れを起こしましたが,当時治療に行った二つの病院が診断を間違って,本来はアイシングをして冷やさなければならないのに,よりによって加温治療をしたりしたために更に悪化したところです。まさに医療過誤です。
 その後,わらにもすがる思いで行った整骨院で無茶苦茶なことをされ,帰るときにはもっと痛くなっていたり,散々な目に遭っいます。
 その時の学習がありましたので,今回は同じ轍を踏まないように,問診の時,先生に「先生,腰の肉離れを起こしました!」と最初に言いました(笑)

 新年早々,1メートル進むのにも5秒はかかる実に情けないことになってしまって,残念で元気がありません。
 ぱ〜と焼酎でも飲んで景気付けでもすれば良いのでしょうが,飲む気さえ起こりません。もちろん飲んだらイカンですが。
 腰方形筋などの深いインナーマッスルの肉離れは,これといった効果的な治療措置が無く,時間薬に頼るしかないようです。しかも治りにくい筋肉だとか(涙)
 起きたものは仕方がありませんので,治るまでは練習を休むことにします。これが一番辛いんだな〜。

 痛みに耐えられないときはこれを使うようにと,先生が坐薬の痛み止めも処方してくれました。坐薬です!本当にこれは苦手です。「先生,坐薬はイヤです」と抵抗しましたが簡単に却下されました(笑)
  

















2007年1月15日(月)
    「SCCの練習で元気アップ」

 先週は鹿児島市の自宅に帰省。
 土曜日はもちろんSCCの練習に参加しました。一月半振りです。
 1月にしては寒さがそれほど厳しくありませんでした。量を走り込む冬季練習には丁度良い季候ではなかったでしょうか。
 アップの後、更にアップ代わりのサーキットトレーニング。
 その後、300m+200m+100m×2セット。
 つなぎは次に走る距離をウォーク。セット間は10分。
 各距離のタイムの目安は、自分の100mのタイム+2×(300mなら3,200mなら2)。これが9割の走りということになるそうですが、そのタイムでは、とても2セットを走ることはできませんでした。ぶっ倒れました。
 最後は腹筋、背筋、腕立て伏せの補強で仕上げ。途中から声も出なくなり(笑)、かなりきつい補強になりました。
 でも、久し振りにみんなと一緒に練習が出来て楽しかったです。そして元気が出ました。
 やはり良いですね、仲間と練習をするのは。
 
 今日、屋久島に戻ってきました。
 さぁ、再び一人での練習に耐えなければなりません。
 みんなが練習をする姿を思い浮かべながら頑張ります。 
 













2007年1月10日(水)
    「坂道バウンディング」

 明日から呑み会が二日続くので,今日は陸上の練習を無理してでもやることにしました。
 と言っても,今のところ大きな事件事故も無く,何も無理をするものはないのですが。
 まぁ,敢えて言えば,「単独・孤独・気の毒」環境からくるモチベーションの低下を無理してでも振り払って練習に行く,ということです。
 
 昨日に引き続き連続二日の練習になる今日は,バウンディング主体の練習をすることにしました。
 問題は場所です。いつもの安房川沿いの歩道はコンクリートであるため,脚に大きな負担が掛かります。
 土や芝のグラウンド,あるいは広場が一番良いのですが,どこも照明が無く真っ暗闇で練習ができません。
 
 でも,良い場所がありました。
 職場の横の県道沿いの歩道です。ここの歩道は街灯があり,長さ150mほどがオールウェザーで舗装されていて,程良い弾力があります。脚への負担が少なそうです。
 県道沿いのために,車の通行が多いことを除けば,これ以上はない練習場所です。しかも登り坂です。何か突発事件事故があっても職場の横ですから直ぐに行けます。最高の場所です。
 下の写真がその場所です。写真の左側には私の職場,右側には県道があります。

        


 アップを兼ねた10分ジョグ,流し2本の後,バウンディング50m+ダッシュ50m×5本×2セット。
 さすがに上り坂のバウンディングとダッシュはきつかったです。
 しかし,良い練習場所をまた見つけました。明るい時間帯はちょっと恥ずかしくて出来ませんが。

 今日の練習が脚に相当効いていることに,帰りに気付きました。
 ダウンのジョグをしようとしても脚がパンパンに張っていて,走る余力がないのです。
 仕方なく寒風の中をゆっくりと歩いて帰りました。良い練習が出来ました。

 明後日は出張で鹿児島市に行きます。
 時間があれば,いや,何としてでも時間を作って,土曜日のSCCの練習に行きたいと思っています。
 
                    











2007年1月9日(火)
    「練習始め」

 今日,今年の陸上の練習を開始しました。
 実に16日振りの練習再開。
 このため,今日の練習メニューは軽めにすることにしました。無理をしないように,いつも持参するストップウォッチは敢えて持たないことに。
 場所はいつもの安房川沿いの歩道。

 15分のジョグの後,90mの流し2本。6割程度の力で210m走×3本。もう1セットしようとかと思っていましたが,左のふくらはぎがつってしまいましたので,しばらく休憩とストレッチ。
 その後にフォームのみを意識した60m走×5本。
 走練習はこれで打ち止めにし,腕立て伏せ30×2,腿上げ左右各30×2の補強をして練習を終えました。

 16日振りの練習ということで,体の状態を見ながらの調整的な練習でしたが,やはり直ぐに脚がつったり,息が上がったりしました。年末年始で不摂生を続けたのですから,ま,こんなもんでしょう。
 これから徐々に強度を上げていきます。
 
 











2007年1月8日(月)
    「銅板のオルゴール」


         

 屋久島に単身勤務になって9ヶ月半。
 今日,初めて昼食を外で食べました。

 住宅ローンに子供の学費。長引く給与カット,しかも今年からは更に10%カット。これには驚きましたが,何も言いません。黙って受け入れるだけです。
 一方で部外との仕事関係の呑み会が立場上増えていきます。仕事に関係していますから,それらは断れません。
 こんなですから節約が必要です。だから外食はできません。朝夕はもちろん自炊。お昼も手作りの弁当です。頑張っています(笑)

 そんな節約生活ですが,正月ぐらい贅沢をしようということで,妻と昼食を外で食べることにしたのです。
 屋久島で初めての外食のランチということになりました。
 
 入ったお店に置いてあったのが上の写真のオルゴール。
 シンプルな造りの店にマッチしていました。料理と同じように,オーナーのセンスの良さが伝わります。
 













2007年1月7日(日)
    「屋久島の鬼火焚き」

 今日は,屋久島の各地区で「鬼火焚き」がありました。
 
 門松などの正月飾りを各家庭から持ち寄って,それを竹のやぐらに置いて鬼と一緒に燃やし,一年の厄払いをして無病息災を祈願する行事です。

 鬼火焚き(鬼火焼きと言う時もあるようです。)が行われるのは1月7日。これは全国どこでもほぼ同じではないでしょうか。
 ただ,屋久島ではどこの地区も7日ですが,時間はまちまちです。昼間に行うところもあれば,夕方のところもあります。
 私が住んでいる屋久島の安房では夕方に行われています。場所は安房川の河原。

 正月飾りと一緒に燃やす「鬼」は赤鬼です(笑)↓
        


 竹で組まれたやぐらはこんな風になっています(左側)↓
         


 午後4時頃から準備が始まり,5時頃に火がつけられる,そのように例年は行われているそうですが,今年は寒風が強く,しかも雨がポツリポツリ降る怪しい雲行きだったことから,午後4時40分に火が入りました。
 夕暮れの中,勢いよく真っ赤な炎を上げて燃えるやぐらに向かって,私も今年の無病息災を願いました。もちろん陸上で良い記録が出ることも忘れずにお祈りしました。
        


 そして夜には、門松がとれた家々に子供たちが「門参り」をして回ってきました。
 祝い歌を歌って福を招き入れるのだそうです。
 回ってくるまでは「門参り」があることを知らなかったので,突然の子供たちの訪問にビックリ。
 玄関で子供達が元気良く祝い歌を歌ってくれました。こんな行事があるなんて嬉しいですね。
            

 門参りをしてくれた子供達にはご祝儀を渡すのが風習らしく,僅かばかりの寸志を渡しました。
  

 このような伝統行事がしっかりと受け継がれている屋久島の地域性を,改めて素晴らしいと感じました。
 私は転勤族ですから鹿児島県内や東京などあちこちに住んできましたが,感じるのは,このような地域の伝統行事に対する取り組みに温度差があり,そして,それが地域の連帯感や子供の人間形成に少なからず影響を与えているということです。
 地域行事が盛んなところは,やはり地域の連帯感があります。そこの地域の子供は,そのような行事を通じて自分の住んでいる町の良さ,人のつながりの大切さを自然に学ぶことができます。だから豊かな人間性を育むことができます。
 その反対が振興住宅街やアパートの多い地域。そこに住む人達を結びつける伝統行事がないから,なかなか地域の連帯感が育たない。伝統行事でなくても地域の行事であれば何でもいいのですが,そのような地域の行事が無い。誰か企画しても参加者が少ない。そのような地域は,仕事の経験からも事件事故が多いと感じます。
 でも,伝統行事が脈々と受け継がれ,それに子供も大人も参加している,そんな地域は,他者への思いやりがありますね。
 だからイジメだって,全く無いということはないでしょうが,あっても少ないし,それほど陰湿ではない。
 もちろんどんな地域にも色々な人間がいますので,伝統行事が盛んな地域の人間が良くて,そうではない地域の人間は悪いということは全く無く,あくまでも私の経験を通じての感想です。でも犯罪統計を見ても大体そのようになっていますから,やはり伝統行事などを大切にしている地域は,思いやりのある人間が育ちやすい地域ということが言えるのかもしれません。
 各地で失われつつある地域の文化,大切にしていきたいものです。

 ということで,七草がゆの日に「鬼火焚き」と「門参り」をして,正月は終わります。
 さて,そろそろ陸上の練習を再開しなければなりません。
 一昨日のSCCの練習で「脚が筋肉痛〜!」と喜んでいる妻に,既に遅れをとってしまっていますから,やや焦っています(笑)

 
















2007年1月5日(金)
    「SCCコーチの成人祝い」

 今夜は,SCCのダイスケコーチの成人祝いにお招きをいただきました。
 ダイスケコーチの実家は屋久島。そんな訳でダイスケコーチの実家で開かれた成人祝いにご招待された次第です。
 このようなお目出度い席を断る理由はありません。喜んで出席しました。

 その前に。
 ダイスケコーチの出身地の町長さんとは,仕事柄よくお会いする間柄です。
 その町長さんに「実はここの出身のダイスケはSCCで一緒でして・・・」などと話をしたら,町長さんもダイスケコーチのことをとても良く知っていました。それもそのはず,ダイスケコーチがまだヨチヨチ歩きのころから可愛がっていて,ジュニアオリンピックに出たりしたダイスケコーチを,こんな少年が地元から出ることはそんなにあることではないと言って,いつも激励をしてくれていたそうです。
 いや〜,地元では良く知られた人間だったんですね。

 成人祝いには親戚の人達も沢山集まっていて,とても楽しいお祝いでした。
 二十歳という年齢,無限の可能性を秘めています。
 ただし,それは自分の努力次第。
 ダイスケコーチのこれからの大いなる成長を願いながら,やはり銘酒「三岳」を美味しく,かつ,タンマリ飲みました。
 いや〜,めでたい,めでたい!!

 
       
 成人祝いに出た刺身。なんと超高級魚のシマアジです。時価5万円相当のシマアジでした。直ぐにお金に換算したがるのが情けないですが,刺身大好きの私にとって,シマアジは格別な存在です。もちろん,たっぷりと堪能させていただきました。こんなにシマアジの刺身を食べることが出来るなんて屋久島に住んでいないと絶対にあり得ないことです。訂正,屋久島に住んでいても,めったにないことです。















2007年元旦(月)
    「屋久島から謹賀新年」

 皆さん,明けましておめでとうございます。
 昨年は,おおた理事長を始めSCCの各スタッフの皆さん,そして,陸上中毒から抜け出せないSCC会員の皆さんには,多くのご指導を頂きまして本当にありがとうございました。
 現在,単身先の屋久島で3ドク環境を乗り越えながら練習を続けられているのも,皆さんの温かい励ましのお陰だと感謝しております。
 
 今年の全日本マスターズ陸上大会は山口県での開催です。
 仕事柄,あまり遠方の大会に行くことが出来ない私にとっては,何とか行ける場所ですので,今年は全日本出場を目標にして練習に力を入れたいと思っています。
 ということで,飲んで食って寝ての正月の大不摂生は問題もありますが,まあ,良しとしましょう。正月が終わってから猪突猛進します(笑)

 SCCの皆さんが怪我などせずに素晴らしい記録が出る年になりますように。
 それから,堅苦しくて地味なこのHPを,飽きもせずに訪問して下さる皆様の今年の御多幸を祈念申し上げます。

 どうぞ,今年もよろしくお願い致します。
 

  















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(2007年1月分)
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