2007年2月21日(水)
   「しばらくお休みします」

 先週、突然、右目が霞みました。
 さらに、目の前に黒いアメーバーのようなものが見えました。
 念のために18日の日曜日に病院へ。
 検査の結果、網膜剥離と判明。
 直ちに手術をしないと危ない状態だったため、そのままレーザーによる緊急手術に。
 医師のそれまでの優しい口調から、急に緊張した口調に変わった状況から、私にも事は重大であることが分かりました。

 何という展開でしょう。予想もしていなかった事態に、「まぁ、悪くても、頭の血管が少し詰まった程度のものかもしれない。」と楽観的に軽く考えて病院に行った私の衝撃は大きく、「下手すれば失明です。」との医師の追い打ちに動揺しました。
 手術は、目にレーザー光線を当てて、目の奥にある剥離した網膜の周囲を焼き、それ以上剥離しないように固める手術です。
 
 これからレーザーで目の奥を焼く直前、医師の「痛いですよ、奥歯を噛んで。」の指示には、正直なところ覚悟を決め、全身に力を入れました。
 でも、痛みは小さく「何だ、こんなもんか」とホッとしました。
 しかし、安心したのは早かったです。地獄はこの後、訪れました。
 5〜10分程度で終わる眼球のレーザー手術なら、それほど苦痛はないらしいですが、この時は30分にも及ぶ手術になりました。剥離した箇所に加え、網膜剥離の原因となる裂孔剥離も複数見つかったからです。
 10分ほど過ぎた頃から、徐々に痛みが増してきました。
 重い痛みです。一つ一つの痛みは小さいけど、それが積み重なってきて、どんどん痛くなっていくのです。
 
 途中で、痛みに耐えきれず「先生、痛いです。」と言ってしまいました。
 人に対して「痛い」と言うのは男の恥だと思っていましたが、このときは恥も外聞も無かったです。眼球の中を焼かれるのはそのような痛みなのです。
 しかし、手術はまだ終わっていません。
 これが本土なら「これ以上やったら体がもたないから、続きは明日。」ということになるのですが、ここは屋久島です。
 眼科の先生は週に1回しか屋久島に来ません。兎に角、出来るところまで手術をしないと、網膜剥離は急激に悪化してしまうので、やれるところまでやろうということになりました。
 私の体は、既に苦痛のために脂汗が出ていましたが耐えるしかありません。

 数分間の中断の後、手術が再開されました。
 痛みのために脂汗が更に出て、意識が次第にもうろうとなり、吐き気までが襲ってきました。
 ここに至って、さすがにこれ以上は無理と医師が判断して、日曜日の手術は終わりました。
 この日は786発のレーザーを当てたそうです。こんなにやったのは初めてだと先生が言っていました。長い手術のために先生も足やらどこやらが痺れてしまったそうです。 

 残りの手術は、できれば早くした方が良いですが、先ほど書いたように、屋久島には眼科の医師は週に一回しか来ません。だから次は1週間後ということです。
 手術後の注意として、先生から、

  次の手術までの1週間は絶対に安静。でないとレーザーで焼いて固めた箇所がまた剥がれてしまう。
  振動する乗り物はだめ。顔を出来るだけ固定しておくこと。下は見ない。お辞儀もだめ。
  仕事は1週間休むこと。
  アルコールはだめ。

と、そのような指示を受けました。
 要は動くな、安静にしていろ、ということです。 
 動いて悪化したら、次の手術は困難な手術になる、下手すると失明することになると脅されました。

 妻からも絶対に休みなさいと言われ、仕方なく、翌日の月曜日は仕事を休みました。
 ところが、その日の夜9時になって職場から「遭難発生!」の連絡が入り、やむを得ず仕事に行きました。昼間、仕事を休んだ意味がありませんが、人命にかかわることです。自宅でくつろいでいる同僚達を非常招集して救助隊を編成し捜索を開始しました。
 そして、捜索中の同僚が、午前0時直前に遭難者を発見、無事に保護。屋久島の山を甘く見てはいけません。この10年余りで死者・行方不明が20人です。
 無事に保護したことはしたのですが、地図を見るために下を見続けたり、動き回ったりと、医師の注意に背くことをしていました。 
 
 翌日火曜日、今日になりますが、どうしても休めない仕事があって、やむを得ず今日も仕事に行きました。
 それに明日も含め今週は休めそうにありません。
 こうなれば、少しでも動きを少なく小さくするように注意するしかありません。
 
 次の手術は今度の土曜日。
 あの痛みがまたかと思うと暗い気持ちになりますが、妻が来てくれるそうなので心強いです。手術の間、妻の手を握っていようかな(笑)

 当面は可能な限り安静にします。
 そんなことで、しばらく日記をお休みします。






  












2007年2月18日(日)
   「尻尾が下がる訳って?」

 セーラ「ねぇねぇ、お姉ちゃん、何か臭うね。」
 リリー「どこ?」
 セーラ「ここ」
 リリー「ほんとだね、何だろうね。」
 リリー「でも、どうして尻尾が下がっているの?」
 セーラ「うん、高いところが苦手なの。」
 リリー「ふ〜ん、意外だね。セーラに苦手なものがあるなんて。」
 セーラ「どうして?」
 リリー「だって、お父さんは「セーラの頭の中は空っぽだ、何も考えていない。」と言っているもん。」
 セーラ「違うよ、セーラも色々と考えているんだよ。」
 リリー「ふ〜ん、じゃぁ、どうして猫を見たら追いかけようとするの?」
 セーラ「だって体が言うことを聞かなくなるんだもん。」
 リリー「だからお父さんに何も考えていないって言われるんだよ。
     もう、お父さんのところに戻ろうか。」
 セーラ「うん、そうしよう!」

  















2007年2月16日(金)
   「暖冬だっちゅうの!」

 おい、おい、セーラたんよ、今年は暖冬なんだよ。
 世間から「過保護だぁ〜」と言われるのを覚悟の上で部屋の中でフリーズを着せてあげているのに、顔までフリーズの中に突っ込んじゃって!
 しかもマットをぐしゃぐしゃに折り畳んで厚くするなんて、北国に住んでいる犬から笑われるぞ。アンタが住んでいるところは南国の鹿児島なんだからぁ〜。
 

       
            「マットを折り畳むと暖かいんですよ〜。」












2007年2月14日(水)
   「屋久島ではサルがシカに乗っている」

 数日前の休日に屋久島の西側に行って来ました。
 北が上の地図で見れば、丸い屋久島の左側になります。
 
 写真は、その屋久島の西部にある大川(「おおこ」と読みます)の滝近くの海岸です。
 海の向こうに見える島影は口永良部島。人口150人余りです。

 写真の右側にある山の斜面には西部林道が永田方向に向かって走っています。
 林道は20キロほどで、手つかずの原生林が続きます。
 夏は樹木が生い茂って、緑のトンネルになります。その中をウォーキングする観光客も多いです。自転車で通り抜ける外人さんも結構います。
 林道にはヤクザルとヤクシカがいます。必ず会えます。それだけ数が多いのでしょう。
 以前、同僚が、シカの背中に乗ったヤクザルを見ましたので、それを写真に撮ろうと思ってここに来たのですが、残念ながら今回も遭遇できませんでした。いつか必ず撮ってやろうと思っています。

 この後、夕日を見るために永田の屋久島灯台に行きました。
 でも、こちらも残念ながら、急に雲が厚くなって夕日を見ることが出来ませんでした。ガックリ。
 

     
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2007年2月13日(火)
   「歳のことは言わないで!」

 写真は、9歳の誕生日から4日目のリリー。
 このサイズの犬だと、人間の年齢に換算したら60歳近い歳になるのかも知れません。
 なのに、ボールを見ると夢中になって遊びます。
 すっかり自分の年齢のことなんか忘れてしまってます。
 飼い主としては、心配するやら、嬉しいやらです。
 
 昨年、8歳の誕生日の時、家族が「リリーちゃん、8歳おめでとう」と言ったら「ウ〜」と唸って怒り、家族をびっくりさせたものです。
 私にも唸りました。そんなことは今まで無かったので、本当に驚きました。
 よっぽど歳のことを言われるのがイヤだったのでしょう。女の子ですから。
 でも、今年は「9歳、おめでとう」と言われても怒りませんでした。
 開き直ったか、悟ったか、あるいは諦めたか、いずれかでしょう(笑)

 これからも家族と絆を深めながら歳を重ねていって欲しいものです。


   















2007年2月10日(土)
   「屋久島は春です」

 気温20度ほどの暖かい日が何日か続いていると思ったら、庭のツツジのつぼみが開きました。
 暖冬のせいもあると思いますが、それでも、やっぱり屋久島は南国の島なんですね。
 今、夜の11時前。室内温度は20度。暖房はかけていません。外も寒くありません。庭猫のシロ親子ものんびりと庭でくつろいでいます。
 冬らしい冬がないまま春が来た、そんな屋久島です。
 

     
                 早くも咲いた庭のツツジ。
















2007年2月9日(金)
   「お姉ちゃん、どいて下さい」

 正月にリリーとセーラが屋久島に来たときの夜、少し冷えました。
 私とリリーはそんなに寒くは無かったのですが、セーラがガタガタ震えて寒がるので、仕方なくファンヒーターを点けてあげました。
 ところがファンヒーターの前に寝込んだのはリリー。
 ファンヒーターの前にいけなくなったセーラは、恨めしそうにリリーを見つめているだけ。 
 リリーがその場所からいなくなるまで黙って我慢しているセーラが健気に見えました。いつもはおバカさんにしか見えないのに(笑)

      
      「ねぇ、お姉ちゃん、どいて下さい」という顔でリリーを見つめるセーラ。









2007年2月7日(水)
   「永久の別れ」

 友人の秋田犬が永久の旅に旅立ちました。
 12歳。
 食事をまったく受け付けなくなり、動物病院に入院して点滴治療を続けましたが、様態は悪くなる一方。
 愛犬が苦しむ姿を見て、友人は何日も悩み抜いた末、安楽死を選択しました。
 明日、自分の腕の中で安楽死させることを決めたその夜、仔犬の頃のあどけない姿や、楽しそうに走り回る姿が次々に目に浮かび、涙が止まらず、食事も食べられなかったそうです。
 そして、その夜、愛する犬は静かに息を引き取りました。
 友人は言いました。「きっと、飼い主に辛い思いをさせたくなくて、自ら別れを告げたんだろう。」と。

 今、友人は、深い悲しみに耐えています。そして、同時に、家族に多くの思い出を残してくれた「リュウ」に感謝の気持ちで一杯です。

 さようなら、リュウ
 


 












2007年2月6日(火)
   「海から見た開聞岳」

 写真は、先日帰省したときに、高速ジェットフォイル船「トッピー」から見た開聞岳。
 屋久島から鹿児島市に向かっている途中に撮りました。写真の左側(南)が屋久島、右側(北)が鹿児島市になります。
 開聞岳は薩摩富士とも呼ばれ、その姿は優雅そのもの。
 どの方向から見ても良いのですが、海から見る姿は一段と美しく、ほれぼれします。

 開聞岳の麓には芝生のきれいなオートキャンプ場があって、数年前までは、そこに時々行ったものです。
 もちろんリリーとセーラも一緒に。大喜びで走り回っていました。
 でも、キャンプ場のテントの中でもガードドッグのDNAをフルに発揮するセーラのために、夜中に何回起こされたことか(笑)
 お陰で翌日はいつも寝不足でした。

 開聞岳の下を屋久島方向に走っているのはトッピーです。屋久島〜種子島〜鹿児島市の航路に就航している高速ジェットフォイル船は全部で確か6隻。見えているのはそのうちの一隻です。時速80キロで走っていますから高速道路並のスピードになります。
  

 














2007年2月5日(月)
   「再び屋久島」

 今日、帰省から屋久島に帰ってきました。
 リリーとセーラに「また屋久島に行って来るからね。お利口さんにしているんだよ。」といつものように言って家を出てきましたが、毎回、別れは寂しいものです。
 
 帰省したときの楽しみは犬達との散歩。
 今回も近くの海まで散歩に行ってきました。それが下の写真。
 あれれ、セーラが口の周りを舐めています。どこにいても食い物のことしか考えられないのでしょうか。さすがはセーラです。

 さて、次はいつ会えるかな。


    














2007年2月2日(金)
   「今夜、鬼が来た&明日は会える」

 今夜、我が家に赤と青の鬼が来ました。
 1日早い節分でした。
 写真を陸上の日記にアップしています。

 
 良いニュースです。急きょ鹿児島市への出張が入りました。
 明日、5時半に起きて始発のトッピーに乗って鹿児島市に行きます。
 ということは・・・そうです、リリーとセーラに会えるのです。
 今年は早くも2回目の帰省です。
 良い調子で会えています。明日会えるのが楽しみです。











2007年2月1日(木)
   「DNAがそうさせる」

 窓際でガラス越しに外を見ているセーラ。
 ただ見ているだけです。何も考えていません。頭の中は空っぽです。
 ルイス・ドーベルマンが作り出したDNAの本能が外の警戒をさせているだけです。セーラには「警戒中」の意識はありません。 
 そして、前の道路を猫が通れば「ピーピー」鳴き、不審者が通れば「ウゥ〜、ウォン!」と吠える、夜になれば寝る、その繰り返しでセーラの1日は過ぎていきます。
 それを365日、もう7年4ヶ月続けているのですから、幸せなヤツです


   
        今日も外の警戒をするセーラ。鼻がガラスにくっついています(笑)













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