ツボツボ、わーを

考えるのである、
考えるのである。
ではないかと問う、そのことが
生きていることであるのではないかと
つまり、生きているということを知るには
生きていることを映す鏡が必要であって、
それは人間にとっては知覚の反射体としての言語に
あたるのではないかと

また考えるのである、
考えるのである。
ではないかと問いかけて、
であると答えてしまうそのいきさつのなかで
生きているということ、そのものは閉じられて
すこしずつ生きていないものを
生み出してしまうのではないかと
なんて

ノホホンなやつにしては今日は上出来だ
思ったよりもずっとぼんやりはしていなかったぞ、ぼくは
物事がはっきりしなくても
ぼくの食事はまずくならない
問題が解決できなくては眠れないほど
寝つきの悪い人間ではないのだ、ぼくは
睡眠と生きる上での困難は分割可能である。
さらにいえば困難と悩みともまた分割可能である。
わーを、
未解決に耐えられるのも人徳のなせるわざと
太っ腹をアピールできるアンチ繊細も
若い頃にはできなかったワザ
生きていればなにか思いがけないことが
起きてしまうものなのだよ、
もっと長生きすると
もっと図々しくなれるかな
生きていることが苦しくないほど

できることなら

風の触手のようになって
ざわざわモノをなでているだけでいい
わざわざモノにならなくてもいい
人体はもうあきた
このさい
一挙に楽天派から極楽派へと改宗してしまってもいい
ぼくが死んでも泣いてくれなくていいぞ
ぼくは極楽に行くだけなんだから
極楽でも詩、書いているだけだから
極楽は人体のなかにいなくてもいいから楽だぞ
わーを、そうだ
極楽では恋愛もしたいなあ
婚姻とともに封じられてしまった能力を
のびのびと発揮したいなあ
極楽の恋愛は
地上の恋愛とちょっと違ったものであってほしいなあ
敬意と美とが統合されたようなものであってほしいなあ、って
それをここで求めればいいのか
いやいや、そうではないよ、
愛は求めるものではなく、あげるものでしょ
もらってばっかじゃ強欲になるだけでしょ

こんなことを考えていられることが

まさしくノホホンなやつの証明なのだが、
このように生きていてぼくには全く不都合がない、どころか
思うツボだ、
このツボを抱えたままで生きていくんだ
わーを、
跳びはねたり転んだりしても大丈夫なんだ、
このつぼは形態記憶粒子でできているから
ガッカリするでしょ、
自分って意味ないなと思うでしょ
あーあ、早く死んでしまいたいと思うでしょ
そのとき割れるツボなんだけど、
また、瞬く間に、ツボは再生するわけなのよ
そのあまりのはやさに
ツボは割れないとぼくは勘違いしたりなんかなんかするわけさ
疲れたら休めばいいさ
横になればいいじゃないか、
寝るときには毛布をかけてやろう
歯ブラシを貸してやろう
もちろん風呂にもいっしょにはいって
ぼくがツボにしてあげることは
ぼくがぼくにしてあげることとおなじさ
そんなふうに生きることは
ひょっとすると
ベストな生き方なのかもしれない、
なんていうのは見え透いた謙遜で
ぼくは言葉で人生を換算してしまうから
ベストなのは言葉といっしょにいるときなのさ、
こんなふうに

back← now&here →go

【青空/揮発】へ戻る 【HOME】へ戻る