ハングドマン HANGED MAN:吊られた男
Tarot-No.12

2009/03/21公開

本体名:J・ガイル

両右手の男、魔女エンヤ婆の息子

能力:鏡に映った風景の中で、鏡に映った者を攻撃する人型スタンド

スタンド形成法射程距離パワー射程・パワー増加法
身体・能力戦闘体 200〜300m 単化維持力中射程

告知

タロット解説

ジョジョ第3部に登場する22枚の「タロットカード」は、占いの道具としてよく知られ、それぞれのカードにはさまざまな解釈が与えられている。そしてその解釈には時に、『生命の樹』と呼ばれる図像が絡められる。生命の樹とは、宇宙・生命・人類・個人など、この世界の中で進化・成長する全てのものが、成長する際に辿る変化の共通性を図像化したものである。「セフィロトの樹」とも呼ばれるその図は、「状態」を表す10個の円形「セフィラ」と、円形同士を結び「変化」を表す22本の小径「パス」から成り、タロットはこのパスに対応している。そして22枚のタロットのうち、「結合せしもの」を暗示する「セト」のセフィラと、「卓越せしもの」を暗示する「アヌビス」のセフィラを結ぶ「吊られた男」は、「限界域への侵攻」を暗示するカードである。

成長体が、自身に結合された材料要素を使い卓越に至る方法には、大まかに2つのパターンがある。1つは、厳しい上下関係に支配された獣の群れの中で、ある一匹が上の者を倒してのし上がっていくように、まだ思いどおりにできていない材料要素を、力などで支配していく方法。もう1つは、料理などの作業の手間を、どの程度まで省いても作業結果の質を保てるかといったように、とりあえずは思いどおりにできている材料要素に対して、更なる効率化を試みる方法である。そしてこの2つに共通するのは、成長体が材料要素をより高いレベルで支配するためにより難易度の高い方向へと「攻めて」いること、しかしあまり攻め過ぎればその試みは失敗し却って損害を出してしまうこと、ゆえに成長体は支配の成功と失敗を分かつ境界に、なるべく近く且つ越えてしまわない「限界」までしか攻められない、という点である。そしてこのような性質の「侵攻」を行うのが、「吊られた男」のパスである。

ただし「吊られた男」のパスはそれ単独では、手法に工夫が無く単純であるがゆえに、あまり侵攻できないまま限界へと行き着いてしまう。そして「生命の樹」のパスは、それの暗示する変化が大きく深く行われるほどに、長く下へと伸びる性質の概念として扱われる。「吊られた男」のパスがさらに先へと伸びるには、成長体と材料要素とを絡み合わせ新たな手法を生成する「侵食」と、生成された手法の中から優れたものを既存の手法と置き換える「置換」とが必要になる。そしてこれらは、「セト」のセフィラから「生成せしもの」を暗示する「クヌム」のセフィラを経由して「アヌビス」のセフィラへと至る、「正義」「悪魔」のパスによって行われ、この2本のパスが伸びるほどに、3角形の残り1辺である「吊られた男」のパスも伸ばせることになる。

成長体とそれが出会う材料要素、それらの1つ1つには、各々が従う法則やルールなどの「理」が存在する。そして「吊られた男」による侵攻とは、それら異なる理を持つもの同士が接触・干渉することで起こる、「せめぎ合い」に他ならない。人間がすんなり侵攻・支配できるような理に作られた「道具」や、似た理を共有する「仲間」とは、せめぎ合いが生じる可能性は低く、同じ目的に向かい協力して進んでいける。その逆に「敵」などの攻略対象は真っ向からせめぎ合う関係となる。それは鏡映しに軍隊を向かい合わせる2つの国のようなものであり、自軍と敵軍がぶつかり合う最前線の向こうには敵の領土が存在し、自軍から見て侵攻すべき「外」であるそれは、敵軍からすれば守るべき「内」となる。そして場合によっては成長体側が攻略対象側から侵攻され、支配されるということも起こり得る。

そしてこの侵攻による支配では、相手側の機能をどの程度まで「破壊」し、どの程度まで「生かした」状態で残すかも重要となる。獣を狩りで手に入れようとする時、一番簡単な手段が獣を殺してしまうことであるように、攻略対象の機能を破壊し抵抗力を奪うほどに、それの支配は容易になる。しかし逆に相手側の機能を生かした状態のまま支配することができれば、それからは破壊してしまった場合に比べてより多くの利用価値を得られる。ただしそのような支配を行うには当然、こちら側に相手側より数段上の力や技や知恵が必要となる。また実際の支配ではこの折衷策として、相手側の邪魔な部分だけを破壊・除去した上で、こちら側で用意した別のものに挿げ替えるという手法も良く使われる。

また敵対する2者のせめぎ合いは、片方がもう片方を簡単に支配して終わる場合を除いて、力の逃げ場としての「新たな方向」への道を拓く。例えば机の上で2冊の本を、大陸プレートがぶつかり合うように互いに押し込むと、本は力の逃げ場を求めて机の上方へと隆起する。それは本を机の上という2次元方向から上方という3次元方向へといざなう力であり、せめぎ合いがあればこそ生まれる力である。そしてこの「新たな方向への広がり」は、大きな盾の方が敵の攻撃を防ぎやすいように、攻撃手段が多彩な方が相手を攻めやすいように、せめぎ合いを攻守両面において有利にする。またさらに、ライバル関係や企業のシェア争いなどでは、互いに相手の上、さらにその上へ行こうとする力は次々に「新たな方向」を生み出し、両者は対立しながらも協調し合うかのように、飛躍的に高い卓越の領域へと導かれていく。

人は赤子としてこの世に生まれ落ちた時には、無知ゆえの全能感により全ての物事は自分の思いどおりになるはずだと漠然と信じ込んでいる。それゆえに赤子は物事を知覚すると、それをまず自分の思いどおりになる「理想」的なものとして認知する。しかしそれらの物事は実際に接触して深く関わると、さまざまな限界に縛られたそれほど思いどおりにならないものだと分かり、そこで人はそれについての「現実」を知る。まず人が気付くのは自分自身の肉体と精神の限界であろう。伸ばせる手は何にでも届き掴めるわけではなく、走れる足はどこにでも行けるわけではなく、思考できる頭はどんなことでも理解できるわけではない。次いで人は自分を取り巻く世界にも、自分の思いどおりにならないものが無数に存在することを知るだろう。そうして一通り世界を知る頃には人は、世界での自分の思いどおりになる領域は非常に狭く、自分の理想を基準として見れば自分の自由など、さしずめ片足を縛られ逆さ吊りにされているがごとき程度のものでしかないことを思い知るだろう。そして自分は何かのきっかけでそれらの不自由さを意識させられるたびに、苛立ち・怒り・不快感を感じることになるだろう。

そこで人はより自分の思いどおりに生きるため、現実を理想へと近づけようとする、つまり自分の頭の中の理想の側から現実の側を攻略しようとする。しかしその攻略は、自分自身の力のちっぽけさ、それに対してあまりに大きく強すぎる現実という力関係がゆえに一筋縄ではいかず、必然的に創意工夫による「新たな手段」の発見に重点を置いたものとなる。例えば自分の足での移動に限界があるなら、交通機関という代替手段を見つけ、その使いこなしに卓越していけばいい。手に入れた道具が使いづらいなら、それを自分の技能が及ぶ範囲で自分に合うように改造すればいい。また思考と手段を尽くしてもどうにもならない事物に対しては、いったん諦めてしまうことで心理的負担を減らすのも一つの卓越した答えといえるだろう。

そして自分の人生全体の視点から見た、自分が人としてより深い卓越の領域へと侵攻していくための攻略ルートは、自分に与えられた環境、自分に先天的に与えられた力、自分が目指す方向、障害物に挑む中で後天的に獲得される力とによって大きく変わる。そこにはある程度なら手本や定石が存在し、また経験者などからの助言も役立つかもしれない。しかし自分に真に適した自分だけになじむ道は、自分を一番良く知っている自分自身の実践と努力でしか見つけ出せない。不自由さに満ちた生の苦悩は、それを自力で攻略し自由を獲得していく喜びによって和らげることができる。そしてその喜びは苦悩があればこその、不可分にして表裏一体の存在なのである。自分だけの境遇、自分だけの迷い、自分だけの苦悩の中から、自分だけの道、自分だけの光明、自分だけの救いを見つけ出していく「忍耐」強さ。それが人に対して「吊られた男」のタロットが示す重要な意味である。

スタンド解説

■「両右手」の魔女エンヤ婆の息子である、同じく「両右手」の男J・ガイルを本体とする人型スタンド。「鏡の中」に存在するという特殊な性質を持つそのスタンド体は、干上がった湿地のようにひび割れた体表を、頭部や手首など体の部分部分に帯状の布を巻き付け覆った姿を持ち、その顔は鼻の部分に大きな穴が開き、頬からは牙のような突起が数本垂直気味に突き出し、頭部の左上部は中身を見られる人体模型の殻を外したようになっており、中には脳らしき機械的な球体が収まっている。また本体と同じ両右手は金属で出来ているかのような質感を持ち、そして右腕手首の手のひら側からは、長さ20cm強の細身の刃をボールペンの芯のように出すことができる。

■J・ガイルとハングドマンのこの「両右手」は、母エンヤ婆から受け継いだ「魂の構造的異常」とでも呼ぶべきものが、肉体に現象したものである。エンヤ婆(あるいはさらにその先祖)にこの異常が生じた原因は不明だが、それはおそらく、通常の3次元空間を超えた「4次元空間への侵入」に関係している。1次元の直線上に置いたマッチ棒は、直線上で動かす限りはどうやっても前後を反転できないが、2次元の平面上で回せば簡単に反転できる。また、2次元の平面上に置いた左手のひらの形をした紙は、平面上で動かす限りはどうやっても右手のひらの形にはできないが、3次元空間内でひっくり返せば簡単に右手のひらの形にできる。これらと同様に3次元空間内での左手は、「4次元空間」という前後・左右・上下に「第4の空間方向」を追加した空間内でひっくり返せば、右手の形にできるという訳である。そしてこの、「4次元的に反転した左腕の右手」によりハングドマンは、限定的にではあるが「第4の空間方向」を操れる2つの力、「第4方向付与」と「第4方向連結」の力を得る。

■1つめの力「第4方向付与」とは、3次元空間内に「第4の空間方向」を付け加え作り出す力である。これを次元を1つ落した2次元と3次元で表すなら、それは紙の上に垂直に立てた棒のようなものである。もし仮に紙の上に紙の上しか認識・移動できない2次元生物が居たとしたら、その生物からは棒は、紙と接触している部分の円形の障害物としか認識できないだろう。そしてそこに3次元方向も認識・移動できる3次元生物が現れ、棒の上へ移動したなら、2次元生物からは3次元生物は消えたように見えるだろう。ただしもし棒の真上から光が当てられていれば、2次元生物は3次元生物が紙の上に落とす「影」だけなら認識できるだろう。

■ただしハングドマンはこの「第4方向付与」の力で、既存の3次元空間に何の補助も無く4次元空間を作り出すことはできない。これはJ・ガイル(というより人間自体)の認識能力が、4次元空間をイメージできない(もしくは非常に困難である)からである。このためハングドマンがこの力を使うには、一見奥行きがあるように見えて実際には無い、「まやかしの空間方向」をJ・ガイルに認識させる物質が必要となる。そしてこの解答としてハングドマンは、「鏡」「ガラス」「水面」といった「鏡面」を媒介として、そこに「第4の空間方向」を奥行きとして与え、「鏡の中の空間」を作り出す。

■いわゆる「精神エネルギー」であるスタンドエネルギーは、「素」の状態ではスタンド使いの目にも見えず、本体の意識の集中によって多少密度を高めて多少の力を発生させる程度の力しか持たない。しかしスタンドエネルギーまたはそれによって作られたスタンド体は、自らの能力により適した状態へと自らを「変化」「変質」させ、その状態に自らを固定している場合が多い。これによりそのスタンドは、自らの能力をより理想的に使えるようになる。ただしそれは反面、その変化変質した状態によって生じる「ルール」に、スタンドが強く縛られる代償を負うことにもなる。

■またスタンド体に宿るスタンドエネルギーは、空間的な一箇所、時間的な一瞬間、またはその両方においてエネルギーを「集中」させ、密度と結合力を高めることで、そのパワーを何倍にも増すことが可能である。そしてこれには本体・スタンド体の視覚などの知覚器官による「認識」の力が大きく影響する。例えば人型スタンドがある物体を殴る場合、本体またはスタンド体がその物体と、それを殴る自身のスタンドの拳を「見て」殴るのと、「見えない」状態で殴るのとでは、見てのほうが威力は大きくなる。それは拳の振り出しからインパクトの瞬間、そして殴り抜けるまでの力のかけ方・エネルギーの集中について、本能的・意識的に計画を立てられるからである。また人型スタンドが銃弾や敵スタンドの攻撃を防御する場合でも、それを「見て」受けるのと「見えない」状態で受けるのとでは、見てのほうがしっかり防御できる。(このためスタンド体や本体の「目」が目潰しや目隠しで塞がれれば、その間そのスタンドの攻撃力・防御力はかなり低下してしまう) 

■さらにスタンド体は、物質である本体肉体に比べて、より速く「意識」に近いスピードで動くことが可能である。神経伝達の速度や手足の重量など物理的限界に縛られる人間の肉体では、危険を察知し肉体動作で対処しようとしても間に合わないことが多い。それに比べて物理的限界に縛られないスタンド体は数段上のスピードで危険に対処でき、例えば近距離パワー型の人型スタンドであれば、2〜3m程度の距離から撃たれた拳銃の弾丸を拳で弾く程度は簡単である。ただしスタンド体のスピードもまた、意識のスピードとイコールとまでは行かない。そのスピードは基本的に、スタンド体とそれに宿るスタンドエネルギーの「量」が小さく軽いほど、意識のそれに近づけられる。(ただしエネルギー量が小さいと当然それが発揮できるパワーも低下してしまう) もっとも実際のスタンド体のスピードには、スタンドの筋肉による殴打動作など、身体の一部だけを弾き出す瞬発力や、スタンドの運動方向を頻繁に変えながら動かすスピードとしての小回り性能なども絡むため一概には言えないが、単純にエネルギーの塊としてのスタンド体を、本体の意思で一方向に直進させるだけなら、やはりエネルギー量が小さいほど有利である。

■ハングドマンが作り出す「鏡の中の空間」には、通常の物質やスタンドエネルギーは入ることができない。そこに唯一入れるのは、「4次元の産物」であるJ・ガイルの「左腕の右手」に対応するハングドマンの右手と、その右手と一緒に「鏡の中」に入るために、体構造の「擬似的反転」を行ったハングドマンのスタンド体だけである。この擬似的反転とは、左手用の手袋を裏返して右手用の形にするのと同じ手法、つまり「表裏」の反転による「内外」「左右」の反転である。物体がこのような反転を行うには、物体の中身が「芯」の無い「空洞」であり、また裏返すための「穴」が1箇所必要となる。ハングドマンもこれに従い、まず本体身体の「芯」の部分以外、体表に近い部分の筋肉や骨などだけに対応した人型スタンドを仮想し、次いでその頭部右上部に「穴」を設けて、そこからスタンド体を裏返している。(つまりハングドマンのスタンド体内(正確には外であるが)には、内臓などは入っていない。またハングドマンの顔の、突き出す逆に穴の開いた鼻部分・外側に突き出した牙は、この表裏反転の影響によるものであろう) そしてこの反転によって、ハングドマンの(鏡の中での)右半身はJ・ガイルの左半身に、左半身は本体の右半身に対応する、つまり左右が反転した状態になる。ただし上述したとおり、4次元の産物であるJ・ガイルの左腕の右手、つまりハングドマンの右腕の先に付く手は、反転の必要が無いため金属の質感を持ち右手のままである。またJ・ガイルの右腕の右手、つまりハングドマンの左腕の先に付く手も、4次元の右手と図形的に合同であるためその影響を受けるのか、4次元の右手と同じく金属の質感を持ち右手のままである。

■また、表裏の反転に伴いスタンド体の「内」と「外」も反転したハングドマンは、本来その「体内」に宿るべきスタンドエネルギーが、スタンド体の「外」に存在するという性質を持つ。このスタンドエネルギーは反転させられていない状態、つまり「鏡の中」に入れない状態であり、またスタンドエネルギーの「素」の状態であるそれは、不可視にして無定形であり、直立した人間の頭から布団を被せたくらいのサイズと形状で、現実世界側の空間に佇む。J・ガイルの「意識の集中」に反応して力を発生させる性質を持つこのエネルギーは、通常時の力は非常に弱く、仮にそれが佇む空間内を物質が通過しても、このエネルギーは物質を押し返すことも物質に押しのけられることも無く、物質を「透過」する。また仮に、他のスタンド使いがその空間内でスタンド攻撃を繰り出しても、この無定形のエネルギーはダメージを受けない。(ちなみにこのエネルギーは、少し意識を集中させれば雨粒程度なら弾くことができ、J・ガイルは雨天時にはこれを自身の周囲にまとわせ、傘代わりに使っていたようである) 

■そしてこのような理由でスタンドエネルギーと分離された「鏡の中」のハングドマンの体は、それなりの重量を感じさせる見た目とは裏腹に、乾燥した細胞壁だけから成るヘチマのタワシのように中がすかすかで、スタンドエネルギーの量としての「重さ」が非常に軽い。(ハングドマンの体表の干上がった湿地のような肌は、この影響によるものであろう) また、「鏡の中」での安定した存在に特化するために裏返しの状態で姿を固定されたハングドマンは、鏡の外では緩やかな反発力を受け、逆に周囲の他の鏡面からは強い吸引力を受ける。そしてハングドマンはこれらの力とスタンド体の軽さにより、鏡面から鏡面へと瞬間的に移動することを可能とする。ただし移動できる鏡面は、その時点でハングドマンが潜む「鏡の中」の、鏡面の向こうの現実世界に見える範囲のものでなくてはならない。またその移動は鏡面から鏡面へと完全に一直線であり、軌道を変えることはできない。そして、この移動は基本的にJ・ガイルの意思によって行われるが、それには移動先を「選ばない」方法と「選ぶ」方法とがある。前者では、今いる「鏡の中」から「出る」とJ・ガイルが念じることで、その鏡面からなるべく正面なるべく近く、なるべくこちらに正面を向けている鏡面へと自動的に移動する。一方後者では、鏡面の向こうの現実空間内に見える別の鏡面へと「移る」と念じることで移動を行う。

■本体J・ガイルから出現し手近な鏡面へと取り付いたハングドマンは、鏡面に映った光の反射像である2次元映像に、「第4の空間方向」を加えて3次元空間を作り出し、その中へと入り込む。「鏡の中」でハングドマンは、鏡面の向こうに現実世界を見、一方「鏡の中」には、鏡面を挟んで現実世界の物体が面対称に配置された、「反転した3次元空間」を認識する。(なおこの「鏡内空間」は、鏡面の真正面の領域だけでなく、外側プラス45度くらいの範囲もカバーされるようである) ただしこの空間では、鏡面に映った物体の向こう側の領域は認識できない。このため例えば鏡面の前にそれより一回り小さい球体が置かれていれば、鏡内空間には鏡面から向かって球体の背後に、円錐状に闇の領域が伸びることになる。(ただし15巻P159で、鏡内空間でのみ開けられた窓(これについては後述する)の、本来闇になっているべき窓枠の裏側がきちんと存在していたことから、物体の裏側が構造的に自明であれば、J・ガイルの認識により補完されるようである) なお、ハングドマンが鏡内空間を認識し作り出している力もまたスタンドエネルギーであり、ハングドマンに付属するそれは「光」のように発光する性質を持っている。そしてハングドマンが別の鏡面へと移動する際には、そのスタンドエネルギーもハングドマンとともに移動し、その軌道上には光が集束した筋が走ることになる。

■そして上述した2つの力のもう1つ「第4方向連結」は、鏡の内外に分かれた「ハングドマン」と「鏡外エネルギー」とを、「第4の空間方向」を通じて、鏡面を境に面対称の座標に連結させる力を持つ。これは次元を1つ落した2次元と3次元では、1枚の紙とそれに引かれた1本の直線、そして米粒大の磁石と鉄で例えることができる。1枚の紙を2次元空間に見立て、そこに一本の直線を引き、その線を折り目に紙を折った場合、折られた紙は3次元空間内で厚みを持って重なる。そして米粒大の磁石と鉄を、紙を挟む形で紙の上に置き、片方を紙の上で移動させれば当然もう片方も移動する。そしてこれを2次元空間の出来事、つまり紙が折られていることを無視した視点で見れば、磁石と鉄は紙の上で直線を挟んで線対称の座標を保ちながら動いているように見えるだろう。これと同様に鏡外エネルギーとハングドマンも、鏡面を挟んだ現実世界と「鏡内空間」とで、面対称の座標を常に保つことになる。そしてこの際には、現実世界側にある「鏡外エネルギー」を基準として、ハングドマンの「鏡内空間」側での座標が定められる。このため例えば、ハングドマンが潜む鏡面の1m前に鏡外エネルギーが佇む状態で、ハングドマンがその鏡面の真向かい10m先にある別の鏡面へと移れば、ハングドマンは移動先で作り出された「鏡内空間」の、鏡面から9m離れた奥に出現する。なお、鏡面の配置次第では、鏡外エネルギーが移動先で作り出される「鏡内空間」の範囲外となる場合があるが、その場合ハングドマンは作り出された「鏡内空間」の端っこ、鏡外エネルギーと面対称の座標に極力近い位置に出現し、そして鏡外エネルギーがハングドマンの座標に来るまで待機することになるようである。

■「鏡内空間」と現実世界を「重ねた」図で考えた場合、ハングドマンは自身より一回り大きい鏡外エネルギーの中にすっぽり収まる中心近くに常に位置しようとする。そしてハングドマンはこの状態で、自身の移動に併せて鏡外エネルギーを引っ張り移動させることが可能である。ただしその移動は通常の人型スタンドほど順調には行かない。ハングドマンは上述したとおり表裏が反転した特殊な筋肉構造であり、その動作にはどうしてもぎこちなさが伴う。また擬似的に重なっているに過ぎないハングドマンがあまり早く移動すると、ハングドマンは鏡外エネルギーからいったんすっぽ抜け、「第4方向連結」の力で引き戻されるだけに終わってしまう。このためハングドマンの移動には、紙の裏側の砂鉄を落さないように表側の鉄を動かすかのような忍耐強さが要求される。これらの理由により「鏡の中」でのハングドマンの移動スピードは、鏡面間の移動とは裏腹に非常に遅く、せいぜい秒速1m程度といったところである。ただしJ・ガイルの集中により鏡外エネルギーの結合力を一瞬高めれば、ハングドマンは鏡外エネルギーごと2mばかり跳躍することも可能なようである。もっともこれを行った後は、結合が解けて前方に散乱気味になった鏡外エネルギーが再び一まとまりに戻るまで、多少の時間を要すると思われる。

■また、鏡外エネルギーはそれ単独でも、ハングドマンが潜む鏡面へと自然に引き寄せられる性質を持っており、最終的に鏡面の前方間近の空間まで移動する。(そして当然これに合わせてハングドマンも、「鏡の中」で鏡面近くへと引っ張られていく) しかしこの場合の移動スピードは、ハングドマンの肉体動作を助けに移動する場合よりさらに遅く、おそらくは秒速数10cm程度である。ただしさらに、これに加えて鏡外エネルギーは、「鏡面」を基準にして自らの位置を保とうとする性質も持っている。そしてこの性質により、鏡面が動いた際の鏡外エネルギーは、例えるなら鏡面という獲物に噛み付いた蛇の尻尾のような挙動を取る。例えばハングドマンの取り付く鏡面が走行中の車のミラーであれば、鏡外エネルギーはロープで引きずられるかのように車との距離を維持し、上述した誘引力により少しずつ鏡面へと近づいていける。(ちなみにこのケースではハングドマンは、その肉体動作で鏡面に近づく速度に寄与したくとも、地面がルームランナーのように高速で後退する状況では足で地面を蹴っても無駄なため、結果として誘引力だけに任せるしかない) また、鏡面が灯台の反射鏡のようにくるくる向きの変わる状況では、鏡外エネルギーも鏡面の向きに合わせてその正面を維持しながら振り回されることになる。

■J・ガイルがハングドマンを使って敵を攻撃する際には、「両右手」という目立つ特徴を持つ自分本体が敵から発見されてしまわない程度の距離を置き、ハングドマンを鏡面から鏡面へと移動させて敵近くの鏡面まで辿り着かせ、それに遅れて鏡外エネルギーも少しずつ敵に近付かせていく。(そしてそれに併せて鏡面内のハングドマンは、鏡の中で「奥」から「手前」へと近付いてくる) そうして鏡外エネルギーと鏡の中のハングドマンが敵に触れられる位置まで近付くと、ようやく攻撃が可能となる。(そしてその時までには敵も高確率で、「鏡の中」のこのスタンドに気付いているだろう) 

■ハングドマンが「鏡の中」で、物体や敵の「立体化された鏡像」に触れたり殴ったりすると、鏡外エネルギーはその「認識の強さ」に応じて集中し密度と結合力を高め、現実世界の物体や敵に、「鏡の中」と同じ作用を与えようとする。このとき鏡外エネルギーは「第4方向連結」の効果により、「鏡の中」でハングドマンと作用対象が接触している部分に対応する、物体との接触面部分にしか力を発生させていない。このため例えばハングドマンがその手で敵の首を絞めている時に、敵が自分を絞めている手のあるべき首回りを探っても何にも触れられない。(ちなみに、ハングドマンが鏡の中の物体に接触する時、J・ガイルがそれを「認識」する力が弱すぎる、または意識的に弱めた場合、鏡外エネルギー側では充分な力を得られなかったスタンドエネルギーが物体を「透過」し、結果現実世界と「鏡の中」の映像とに食い違いが生じる) 

■ハングドマンがその両右手を使い敵に行える攻撃は、敵の首などを締め付けるか、近距離パワー型のスタンドに比べて遥かに弱い打撃かだけであり、これらだけでは一般人を倒すのにさえかなり手間取ってしまう。このためJ・ガイルは、ハングドマンの右腕手首にある「特異な箇所」の力を利用する。J・ガイル側での右手が付いた左腕手首に対応する箇所にして、表裏の反転により本来は左手が付いているべきにも拘らず実際には右手が付いているそこには、複雑な「4次元的ねじれ」が存在している。そしてJ・ガイルがハングドマンのその箇所、右腕手首の手のひら側に意識を集中させると、鏡外エネルギー側の対応位置では、ねじれによって二手に分かれたスタンドエネルギーがぶつかり合い、それらは対立しつつも協調し合って、スタンドエネルギーが高密度に結合した、刃状の(不可視の)突起を作り出す。そしてそのエネルギーの形はハングドマン側でも刃のビジョンとして視覚化され、J・ガイルはこれをハングドマンの主要攻撃手段として使う。もっともこの刃の攻撃力もまた、近距離パワー型のスタンドのそれに比べればかなり弱く、スタンド能力を持たない相手に対しては刃を振り回すだけで充分な殺傷力を発揮できるものの、スタンド能力への抵抗力を持つスタンド使いに対しては、刃で単純に切ったり刺したりするだけでは充分なダメージを与えられない。このためハングドマンが敵スタンド使いを攻撃する際には、敵の体の片側を左(腕の右)手で押さえながら、その反対側から右(腕の右)手の刃を突き刺す手法で攻撃力不足を補う。

■なお、ハングドマンがこれらの攻撃パワーを維持できる本体からの限界射程は、作中での描写からおそらく200〜300m程度と考えられる。等身人型のスタンドとしてはかなり長めのこの射程には、ハングドマン自体のパワーが低いことと、それに加えてハングドマンが上述したとおり身体の「芯」を持たず、その部分の構成要素を解体・エネルギー化する「単化」のパワー増幅効果が影響していると考えられる。またこれに加えてハングドマンの攻撃パワーは、ハングドマンと鏡外エネルギーの3次元空間内での距離が近いほど、つまり鏡外エネルギーが鏡面に近いほど高くなるらしく、こちらの面でハングドマンが敵スタンド使いに充分な攻撃パワーを発揮できる、鏡面からの限界射程は5m程度のようである。

■「鏡の中」に居る間のハングドマンは、鏡の外からの攻撃に対して完全に無敵であり、例えば敵スタンドがハングドマンの潜む鏡を攻撃しても、その攻撃は普通に鏡を砕いて鏡の裏側へと突き抜けてしまうだけである。ただし鏡が砕かれると「鏡内空間」は、ハングドマンが残留した1つの破片から作り出せる領域以外は、電源を消されたテレビの画面のように闇へと落ち込み、狭くなってしまう。そして例えば、鏡が粉々にされて「鏡内空間」が小さくなりすぎたり、または水面が大きくかき乱されたり、または鏡面が遮蔽物によって光が入ってこない状態にされるなどして、J・ガイルが「まやかしの空間方向」の認識を維持できなくなると、「第4方向付与」の能力は解除されてしまい、ハングドマンは鏡面から強制的にはじき出され、鏡面のなるべく正面なるべく近く、なるべくこちらに正面を向けている別の鏡面へと自動的に移動させられる。

■そしてハングドマンは、鏡面から鏡面へと「鏡の外」を一直線に移動するその瞬間だけ、敵スタンドから攻撃を受ける危険性が生じる。鏡外エネルギーとの連結が解除されているこの瞬間のハングドマンは、乾燥し縮まったレーズンのように10cm足らずのサイズにまで小さくなり、また蛇の抜け殻のようにエネルギー的に空っぽに近いその体は、スタンド攻撃を受ければゼロに近い防御力で、相手の攻撃力ほぼ100%のダメージを受けてしまう。もっとも、敵スタンド使いの通常のスタンド、スタンドエネルギーに満たされている分だけハングドマンより「重く」「のろい」敵スタンドには、どのタイミングでどの鏡面に移動するのか分からない超高速のハングドマンに攻撃を当てるのはまず不可能であり、光が走る移動の軌跡を目で追うのが限界であろう。