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見どころいっぱい。 こんぴらさん。 | 【新着】(2005/09/23) | 改札口に貼られたシール |
高村光雲 (1852〜1934) |
江戸浅草出身の彫刻家。
文久3年(1863)、高村東雲の門に入って木彫を学び、後に師の姉の家を継いで高村姓となる。明治22年(1889)、東京美術学校木彫科の教師となり、翌年は帝室技藝員となり、東京美術学校教授となった。明治初期の木彫界衰退期に西洋画の写実を参考とした写生を取り入れ新風をまきおこし、近代木彫の発展に大きな業績を残した。 楠公銅像製作では製作主任となり、主に頭部を担当した。 |
後藤貞行 (1849〜1903) |
和歌山県出身の彫刻家。
和歌山藩士の家に生まれ、慶應2年(1866)、藩命によって騎馬術を学び、藩の騎兵となった。この期間に、図画及び画学・洋画・馬匹解剖学・種馬の研究による馬の外貌及び相馬学などを学んだ。理想的な馬を形象に留めるため、鋳造原型を学んだが吹き損じて形が失われてしまったので、木彫を始めた。この修行中に高村光雲と出合い、これが機会となって楠公の製作に携わった。 楠公銅像製作では、馬の部分を担当し、製作途中事故により片目を失いつつも完成させた。 |
山田鬼斎 (186〜1901) |
福井県坂井港出身の彫刻家。
代々仏師の家に生まれ、父に随って仏像彫刻を学んだ。その後、奈良で古い彫刻について研究し、明治29年(1896)東京美術学校教授となった。 楠公銅像製作では、甲冑その他身体部分を担当した。 |
石川光明 (1852〜1913) |
東京浅草出身の彫刻家。
狩野素川に就いて絵画を学ぶ傍ら父祖の業を継ぎ木彫を学んだ。更に菊川正光の門に入り牙角彫刻を習う。 明治24年(1891)、東京美術学校教授となった。 楠公銅像製作では、山田鬼斎を助け甲冑その他身体部分を担当した。 |
岡崎雪聲 (1851〜1932) |
京都府伏見出身の彫刻家。父は定甫と号する釜師であった。
その業を学んだ後、上京して鋳工を学んだ。関西古寺院の仏像について調査研究し、東京美術学校が楠公銅像製作に着手した明治23年(1890)に後藤貞行と前後して同校に入り、29年に教授となった。 楠公銅像製作では、鋳造を担当した。 |
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