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船橋大神宮(意富比神社)由来 景行天皇の御代四十年に皇子日本武尊が東国御平定の途次此の地に到らせられ、伊勢皇大神宮の御分霊を奉斎なされ、同五十三年に、天皇御東行の砌、日本武尊の御事跡を御追憾意富比神社の称号を賜る。 後冷泉天皇御代天喜年間には源義家、頼義両朝臣当宮を修造せられ、亦、仁平元年には船橋六郷の地に御寄附の院宣を賜り、源頼朝之を奉じて当宮を再興、其の文書には船橋伊勢皇大神宮とある。 日蓮上人は宗旨の興隆発展成就の為当宮にて断食祈願を行い、徳川家康公は仕須を寄せられ奉行をして本殿、諸末社を御造営せしめ 近く明治天皇陛下には習志野、三里塚へ御幸の都度、勅使を以て幣帛料を御奉尊遊ばされる。 現在の御社殿は維新の戦火に罹災後、明治七年に本殿、同二十二年に拝殿が竣工し以後大正十二年、昭和三十八年、同五十年に各々 社殿、末社、鳥居、玉垣等に至る迄の大改修或いは御神泉の奉納、灯明台(県民族資料指定)の修復等を経ている。 昭和五十六年十月二十日 宮司 誌 |
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