東人の出戻り生活出戻り見聞録出戻り見聞録(3)

満員電車の中で

吊革
 満員の通勤電車の中で吊革につかまっていると、乗ってくる乗客に押される。
 体が吊革から遠い所に押し出され、腕が引っ張られる。
 とうとう、吊革につかまっていられず、手を離す。
 手の届くところには吊革が無い。
 今まで吊革につかまっていた腕を下ろす場所もない。
 頭の上にでも手を置くしかなかった。
 
吊革(2)
 吊革につかまっている時に、乗客に押される。
 体は押されるが、足下には他人の足があり、移動できない。
 体だけ斜めになる。ここで吊革の手を離したら倒れてしまう。
 足を上げたら下ろす場所が無く、もっと悲惨な状態になったろう。
 次の駅で、一部の乗客が降りるまでの間、この状態であった。
 
スリ
 通勤電車に乗っている間に、財布をすられてしまった。
 毎朝の満員電車では身動きもできない程の混雑であり、こんな中では安全であろうと思っていたが逆であった。
 他人と体が触れあうことが当然の満員電車では、他人からポケットのあたりを探られていても気がつかない。
 会社についてから、ポケットに財布が無いことに気がついた。家に忘れてきたかとも思ったが、帰宅して探しても無かった。
 やはり紛失していたことを確認した。
カード類の停止
 早速、銀行やカード会社に電話で連絡をとり、財布に入っていたカード類を無効にする手配をした。
 銀行やカード会社は、夜間でも受け付けていて、すぐに対応がとれた。
 カードの再発行にあたっては多くの所で手数料を取られたが、ジャスコのイオンカードだけは手数料無料で再発行してくれた。
 クレジットカード会社に再発行を依頼した後であったが、考えてみるとイオンカードもクレジットカードとしても使えるため、クレジットカードの再発行は要らなかったかなとも思った。
 
 カード会社から、「どこの交番でも良いので、警察に被害届を出して下さい。」と言われた。
 
交番
 翌日、船橋駅前の交番に立ち寄った。
 事情を話したところ、「気がついたのは電車を降りた後であるので、紛失したのは降車駅となる。降車した新日本橋駅の近くの交番に行ってくれ」とのこと。

 新日本橋駅に行き、交番を探しながら歩いたが、交番が見あたらない。
 交番がどこにあるか、交番に聞きに行きたいと思うほどであった。
 地下鉄の小伝馬町駅までいったが、この辺りにも交番は無かった。

 先に銀行に立ち寄り、キャッシュカードの再発行手続きなどをした。対応した銀行員に交番はどこか聞いてみた。銀行員も分からず、別の人に問い合わせて、教えてもらった。一番近い交番でも、馬喰町の方にあるらしい。

 さらに歩いて5分ほどの所とのこと。これが最寄りの交番で、次に近いところは秋葉原になるという。
 東京は交番の少ない所のようだ。コンビニエンスストアは至る所で見かけるが、その1/10ぐらいはあっても良いと思う。

 交番は目立たない所にあった。
 ここでも事情を説明すると、交番の警官は「自分には権限が無いので警察署に行ってくれ」とのこと。さらに歩いて5分位の所に警察署があった。
 
警察署
 警察署では受け付けてくれたが、新日本橋が降車駅だということで、管轄外とのこと。
 調書は管轄の警察署に回すという。
 それでも、事情を聞いて調書を作成したが、何とも効率の悪い仕事であった。
 管轄外とは言え、担当した人は新日本橋の駅も知らなかった。
 新日本橋の駅の住所は?、船橋駅の住所は?、JR東日本の正式名称は? と調べながら調書の下書きを手書きで作成した。
 次にもまた手書きで調書に清書していく。何とも効率の悪い作業かと思った。
 
財布の発見
 財布の紛失に気がついて警察に届けてからも、家の中の意外なところから出てくるのでは?・・・と思っていた。
 
 紛失してから1週間ほどして、自宅に警察から連絡が入った。
 紛失届けからの連絡では無く、財布に入っていたキャッシュカードから持ち主を捜し出したものであった。
 やはり、外で無くしたものであった。
 
 財布は紛失した日の朝9時頃に東京駅に遺失物として届けられていたとのこと。
 1週間は東京駅遺失物取扱所で保管され、その後に飯田橋の警視庁遺失物センターに移されて、持ち主を調べたものであった。
 
 警察署では鉄道の遺失物取扱所に問い合わすことについては何も教えてくれなかった。教えてくれたらもっと早くに財布が戻ってきたのに・・・。
 
遺失物センター
 連絡があった翌日に飯田橋の遺失物センターに出かけた。
 紛失した財布と千円札が1枚出てきた。入っていたのはこれだけだという。
 そんなことはない。もっと入っていたはずだが・・・・。
 これで、財布がスラれたものであることがはっきりした。札を一枚だけ残して、空の財布で無いと見せかけて放置したのだろう。
 入っていたカード類の配置が違っていたが、これは持ち主を調べるために出したものであろう。
 出てきた財布を見て、「現金が殆ど抜かれている」と言っても、担当の警察官は何の反応も示さない。自分は遺失物の担当であるから無関係といった雰囲気。それでも警察官か?。
 警察署に紛失届けを出していることを告げたが、「電話を入れておけばいいでしょ」との答え。
 
 遺失物センターで中身を出して調べたので、後で指紋を調べるのもできない状態になっていた。
 
警察署(2)
 紛失届の調書が回ったという警察署に連絡をとり、財布が戻ったことを伝えた。
 警察署では、「その財布は重要な遺留品であるから持ってきてくれ」とのことで、「電話を入れておけばいいでしょ」の遺失物センターとは大違いであった。
 
 その財布を持って警察署にでかけた。
 ここでは、2名の担当官が調書を元に別の書類を作っていた。ここでも手書きでの作業。一人はパソコンに入力しながら話を聞いていたが、これも一枚の書類を作るだけの作業であった。
 最初からデータベース化していれば、書類の作成も楽であったろうにと思う。
 財布の状態を見て、指紋を検出するのは不可能と言われた。
 
遺失物取扱所
 東京駅の遺失物取扱所にどのように届けられたか気になった。
 現金の抜かれた後の財布を誰かが見つけて届けてくれたのだろうか?。
 東京駅には紛失した直後の9時頃に届けられたとの話であった。
 現金を抜いた財布を電車の中や駅のホームで捨てても、誰かに見られるだろう。
 もしかしたら、スリの犯人が現金を抜いた後に届けたのかも知れない。千円札一枚だけ残していたのも、現金が入っていると見せかけるための細工だったのかも知れない。
 
 善意の人か、スリかもしれないが、誰が届けたのか気になり、東京駅の遺失物取扱所に行ってみた。
 遺失物取扱所では記録を探してもらい、その記録が出てきた。
 届けられてから、財布の中身を確認し、キャッシュカードに書かれた名前も記録されていたが、持ち主を調べるまではしなかったようだ。
 また、どのように誰が届けたかの記録は無かった。
 


黄色い線

   JRの駅では電車が来る時には、「黄色い線の内側までお下がり下さい」とのアナウンスがある。
 黄色い線とは、黄色く塗られた点字ブロックであるが、これを線と呼ぶには幅が広いと感じる。
 点字ブロックが設置される前の昔は、白い線や白いブロックが埋め込まれていて、「白線の内側までお下がり下さい」と言っていた。
 
 今でも、点字ブロック以外に昔の白線の名残のある所や、点字ブロックに白線が引かれている所も見かけるが、アナウンスでは「黄色い線」と言っている。
  
 大阪の地下鉄に乗った時、アナウンスで、「白線の内側までお下がり下さい」と言っていた。見ると確かに点字ブロックの外側に白線が引かれていた。
 健常者は白線の内側、視覚障害者は点字ブロックの内側まで下がるようにする大阪の地下鉄の方が合理的かも知れない。
 
  
 


国立科学博物館

 家族を連れて上野の国立科学博物館に出かけた。
 国立博物館については、2000年の年末に帰省したときに娘をつれて行こうとしたが、年末で休館であったことがあった。
 今回は入館できた。
 
 科学博物館については、東人も中学生の頃に何度か出かけたことがあった。
 旧館は昔と余り変わらず、恐竜等の骨格標本が多数展示されていた。
 生物の進化や宇宙についての展示は、昔と同じように感じた。
 
 旧館の裏側に新館ができていた。
 科学博物館には、これとは別の建物が有ったようにも記憶しているが定かでない。
 この新館は最近できた物であろう。
 地下には恐竜の骨格標本があり、その他のフロアには物理実験を体験できるようなコーナーもあった。
 どれも「お子様向け」の企画で、主に子供達が遊んでいた。
 上階には、池などの自然の模型があり、ここでも子供達が遊んでいた。
 
 このフロアを見て、少し不快な気持ちになった。
 こんな自然の風景は新居浜に住んでいた頃には住まいの近くで本当の自然に触れられたものである。
 都会の子供達がこのような模型の自然で喜んでいる姿は、可哀想にも思え、見るに堪えなかった。   
 


姉崎

  
 千葉県の姉ヶ崎は、現在は埋め立てられて臨海工業地帯となっていて、昔の海岸線がどうなっているか分からず、ここに岬があったかどうかは不明である。
 
 仕事で姉ヶ崎に出かけた時に聞いた話。
 
 姉ヶ崎(あねがさき)は市原市にある駅名であるが、地名は姉崎(あねさき)であるとのこと。駅名だけが「姉ヶ崎」となっている。
 
 昔、川崎の方から姉妹が逃げてきた。途中離ればなれになり、姉はこの姉崎の地に辿り着いたが、いくら待てども、妹は来なかったという言い伝えがあるという。*
 この言い伝えにより「姉前」と記されていたものが、「前」→「埼」→「崎」に変化したとのこと。
 
 姉崎ではこの言い伝えがあるため、「待つ」ことを嫌い、正月でも門松(待つ)を飾らないとのこと。また、姉崎では松の木も殆どみかけないとのことであった。
 
 * この言い伝えについては、昔、姉弟の神様がいて姉の神様が先にこの地に着いたので「あねさき」となったという話もあるようだ。
 


ポスト

    
 青森県の八戸市街でこんなポストを見かけた。
 普通のポストとは色彩が少し違っていた。
 
  「普通のポストでは無いか?」と思うかも知れないが、書かれている文字が違う。
 
 以前に、ポストの形と文字の関係を調べたことがあった。

便
POST

郵便
POST

郵便

POST

丸いポスト

四角いポスト

四角いポスト


郵便差出箱1号丸型
1949年〜

郵便差出箱7号角型
1962年〜

郵便差出箱10号角型
1996年〜
このようになっているはずであるが、このポストは角型であるが、

便
POST

となっている。
 
 丸いポストから四角いポストに変わった初期のものでは無いだろうか?
 
 
 
 その後、自宅の近くでもこんなポストを見つけた。
 角型でこのような文字配列のポストは少なくとも愛媛では見かけなかった。
 この文字配列の角形ポストがどの地域に分布しているものか、知りたくなった。
 
 それにしても、右のポストは公道に設置されているものであるが「私設」と書いてある。この文字の入ったポストも珍しい。


チンドン屋

    
  津田沼のパチンコ屋の前でチンドン屋さんが宣伝しているのを見かけた。
 今ではチンドン屋さんは珍しいものとなってしまった。
 独特のクラリネットの音階と鐘や太鼓の音。
  これも失われつつある、日本の伝統の一つであろう。
 


    
 船橋市に移ってから、春が来て桜の季節となった。
 しかし、通勤の経路には桜の木は無く、季節を感じることが無い。
 
 近くの公園には桜の木があり、花見をしている人が多くいた。
 しかし、ここの公園でも、数本の桜を多くの人が見に来ている。
 
 新居浜に居た頃は、桜の名所が多くあり、花見にはよく出かけた。
 都会では花見ができるような桜の名所は少ないようだ。
 
 
 出張で冬に雪国に出かけることがあった。
 雪国では、木々が雪で白くなっている風景を見かけた。
 雪国では、この雪で白くなった木々が無くなり、桜で白くなった木々を見て、春の訪れを実感するのだろうと思った。
 


オートバイ通行禁止

    
 近所にこのような看板がある。
 近くの川に沿って遊歩道ができているが、その川に架かる橋を渡る場合は遊歩道を横切ることになる。
 遊歩道へのバイクの進入防止の意味もあるのだろうが、この橋は本来はオートバイは通れないはずである。
 しかし、多くのオートバイがこの看板を無視して通行している。
 バイクで通勤する人の多くがここを通っているが、ピザの宅配や郵便配達のバイクも通っているのを見かけた。
 
 ここばかりでは無く、一般の歩道を走っているバイクも見かける。
 歩道を走る自転車も問題であるが、バイクのマナーの悪さも都会の特色の一つだろう。
 


風呂敷

 仕事での出張が多くなったが、連続して出張する場合に複数の資料を持ち歩くことになる。
 カバンの中に資料を入れていたが、当面使う資料とその他の資料との仕分けに苦労することがあった。
 資料をまとめるのに、大封筒なども使ったが使い勝手が悪い。
 この目的には風呂敷が良いのでは・・・と思い、風呂敷を入手しようとした。
 
 どこに行けば売っているのだろうか?。
 旅行用品、風呂用品、カバン売り場と探したが風呂敷は置いていない。
 \100ショップも探し回ったが見あたらない。
 最後に、和服売り場で和装小物として置いてあるのを見つけた。
 
 購入して、資料の整理に使っている。
 出張先によっては、宿や近くに温泉等の入浴施設のある所もあった。宿の部屋から入浴に出かける時にも衣類を持ち歩くのに使えた。
 やはり便利なものであった。
 
 今は利用することが少なくなった風呂敷というものも、見直されてもいいだろうと思う。