@スロネフ
25-502
Aロ/A2
Aスロネ
25-502
Aロ/A2
Bスシ
24-2
食堂車
Cオハ
25-552
サロン
Dオハネ
25-524
B1/B2
Eオハネ
25-521
B1/B2
Fオハネ
25-512
B2
Gオハネ
25-562
B寝台
Hオハネフ
25-502
B寝台
Iカニ
24-14
荷物

サロンカーは日本海側に向かっての展望座席:(オハ25-552)
 18時55分夜の帳が下りた空に大輪の花がポンポンと打ち上がった。長岡の花火大会が信濃川の方角で行なわれていたのだった。19時38分新津から羽越本線に入ったトワイライト・エクスプレスはもう一度日本海の海岸に出て新潟と山形の県境を越えた。
 ダイナープレヤデスから一番近い個室に戻った私達は21時57分に鶴岡に到着、JR西日本の車掌が放送する最後のお休み案内を聞いて部屋のライトを消したのでした。
 快適な走行音に眼が覚めて時刻を見ると日付が替わって0時18分だった。窓の外を見上げると北斗七星が附いてくる。水平線に人家の灯が点在していて、列車は八郎潟の広大な干拓農地の脇を走っていた。暫らく眺めを楽しんでいた私も流石に睡魔には勝てなかった。
7号車の自販機・トイレ・公衆電話 7号車の談話室:(オハネ25-512)
サロンカーの自動販売機とシャワー室 Bコンパートの通路:(オハネフ25-502)
サロンカーは海底トンネル内で盛り上がる 青森で機関車を交換して海底トンネルへ
 ガタンときた衝撃で眼を擦ると青森駅に到着していた。午前2時32分、ここで津軽海峡線専用のED79型電気機関車を5分で交換して車掌さんもJR北海道函館車掌区にバトンタッチです。そして列車の進行は逆に荷物車を後尾にして世界最長の海底トンネルへと向かった。
 午前3時サロンカーには海底トンネル通過中に車掌さんの案内を聞くため真夜中にもかかわらず大勢が集まって来ていた。3時24分にトンネル突入、31分竜飛海底駅通過、46分吉岡海底駅通過して59分北海道に上陸、4時00分丁度に最初の知内駅を通過した。
 (世界最長の海底トンネル)
 本州と北海道を結ぶ青函トンネルは隧道建設技術の粋を集めて建設された世界最長53.9kmのトンネルで1988年3月13日に開通しました。その建設の歴史は古く1946年に地質調査が開始され、1954年9月の洞爺丸事故でトンネル建設の気運が一気に盛り上がり、1964年5月に調査斜坑掘削が開始され1971年9月から本格的な工事が着手された。その後に異常出水などの困難を克服して1988年の開通に至ったのでした。これにより本州と北海道が1本のレールで結ばれる事となりました。建設費(計画ベース)は青函トンネル自体が5384億円、津軽海峡線の青函トンネル以外の陸上部のアプローチ等も含めると6890億円で、1380万人/延を要した青函トンネルの建設は世紀のプロジェクトともいうべきものであった。 
北海道の夜明けは4時に始まった。そして4時25分最初の日の出を見る
4時34分の漁港 4時39分の太陽
4時52分、五稜郭でDD51型ディーゼル機関車の重連に交換して札幌まで走行します
 津軽海峡の夜明けを眺めて走ってきた電気機関車は五稜郭で最後のディーゼル機関車に交替、再びスイート展望室を後尾にして右に内浦湾を見ながら函館本線を一路札幌に向かいます。
 6時20分、長万部を過ぎた所で室蘭本線に入り車掌のお早うコールが流れた。ドアーの下には朝刊が差し込まれている。そしてダイナープレアデスからモーニングコーヒーが届いた。洞爺駅を過ぎて2年前から白煙を噴く有珠山と昭和新山が折からの霧雨に霞んでいた。
5時58分函館本線を走る車窓 DD51重連洞爺に差掛かる
6時50分洞爺駅に到着 7時02分昭和新山を望む
7時40分温泉の名所案内 8時09分苫小牧で室蘭本線と別れる
8時30分南千歳駅のスーパー十勝1号帯広行き
9時00分千歳線から再び函館本線に 9時08分札幌の市街地
9時09分札幌駅5番線ホームに到着したトワイライト・エクスプレス
 大阪を出発をして1500kmを21時間、東海道、湖西、北陸、信越、羽越、奥羽、津軽、海峡、江差、函館、室蘭、千歳の12路線をロングランしたが、一部軌道の改良を望まれる所があるとしても、世界最長の青函トンネルと北陸トンネルというJRで1番と2番に長いトンネルを潜って、琵琶湖、若狭湾、富山湾、日本海、津軽海峡、内浦湾そして太平洋を望んでの乗車は汽車旅の醍醐味である。
 今回トワイライト・エクスプレスの「札幌駅」は旅の終りではなく始まりであった為に、皆さんは汽車旅の余韻を楽しむ間も無く次の観光地に向かって行った。

2003年5月28日