第4章  自己の関わりを振り返って(2)
 
自我状態の在り方―エゴグラム―
 
1 自我状態を測るためのエゴグラム
 
  杉田(2000)によると、「交流分析とは、自分の性格上の問題を 自己分析によって気 付き、他人との人間関係を自分でうまくコントロールできるように学習していく方法である。」とし、また具体的には、「@自分の性格の中の諸力に気づきやすくするために、それらをP、A、Cと記号化する。A自分の性格上の問題点を図やグラフで表すことによって、自己をよく知り、より望ましい自分を作るように工夫する。」と書かれている。
 
    Pとは Parent の略で親の自我状態。これは自分の父親、母親など自分を
   育ててくれた人たちの考え方や行動や感じ方を、知らずに真似している部分
   である。Aとは Adultの略で大人の自我状態。これは物事を自分で冷静に判
   断して行動するコンピュータのような働きである。Cとは Childの略で子ど
   もの自我状態。これは自分の幼い頃にしたのと同じように、今ここで行動し
    た り、感じたりしている状態である。(杉田,
2000
 
  杉田(2000)は、「交流分析では、人間の様々な悩みや対人関係のトラブルは、私たちがこれら3つの状態があることに気づいていないこと、あるいはそれらのバランスが大きく崩れていること、したがってそれらを使い分けて自己コントロールする手段を身につけていないことが原因で起こるものと考えている。」と指摘している。
  筆者の児童指導上の失敗例も対人関係のトラブルとしてとらえれば、まず3つの自我状態を知ることは有意義なことであると考える。
  東京大学医学部心療内科(1995)によると、PやCはさらにそれぞれ細かく次のように分けられている。
 
    CP(Critical Parent)の略で批判的な親。理想、良心、責任、批判などの価値判断や倫理観など父親的な厳しい部分。「〜すべきである」「〜するのは当然である」などと強い言葉をはく。
    NP(Nurturing Parent)の略で養育的な親。共感、思いやり、保護、受容などの子どもの成長を促進するような母親的な部分。「よかったね」「えらかったね」などのほめ言葉が多く、同情的で愛情が深い。
    FC(Free Child)の略で自由な子ども。生まれながらの部分。直観的な感覚や創造性の源であり、豊かな表現力が備わる。「ワーかっこいい」「ウッソー」「うれしい」などと感嘆詞を多く発し、よく笑ったり、泣いたりして大騒ぎする。
    AC(Adapted Child)の略で順応した子ども。周囲の期待にそうように、常に周囲に気がねをし自由な感情を抑える「イイ子」の部分。「〜してよろしいでしょうか」「どうしたらよいかわかりません」「どうせ私なんか」などの言葉を吐いて周囲からの同情を得ようとしたり、おどおどした話し方ではっきりものを言わなかったりする。
 
  筆者が児童指導をしているときのこころの状態、その時の子どものこころの状態を知ることで、今までの失敗事例をよい方向に向けることができるかもしれないし、こころの状態を知っておくこと自体とても重要なことではないかと考える。また、杉田氏が指摘しているように、「自分のこころの状態に気づき、それらを使い分けて自己コントロールする手段」を身につけたいと思う。そのためには性格分析をしておく必要がある。
 
2 筆者自身のエゴグラム結果
 
  TEG(東大式エゴグラム)第2版検査用紙に答えることで、自分の性格を分析することができる。前節で説明したCP、NP、A、FC,ACをそれぞれ得点化しグラフにしたものが、エゴグラムと呼ばれるものである。エゴグラムは5つのこころのバランスが折れ線グラフとなって表れているが、得点が高いから良い、低いから悪いという意味ではないそうである。それぞれのこころにはそれぞれに長所(プラス面)や短所(マイナス面)がある。それは、どのような性格でも、時と場合によって長所になったり短所になったりすることからも分かると思う。
  そこで重要になってくるのが、前節でも述べたように、それぞれのこころのプラス面、マイナス面を理解し、今のこころの状態を知るとともに、これからの人間関係(児童指導)に役立てることなのである。
  次のページに示してあるグラフが筆者自身のエゴグラムの結果である。
 
    グラフ 略                            
                         
  現状の得点の意味を探るため、「理想の教師像」というものを設定して質問を行った。
  実線が自分の性格分析、点線が「自分の理想」の教師像を表している。
  左端のパーセンタイルは、50が全国平均を表す。      
 
    グラフ 略
 
  筆者の場合、父親の役割である厳格なCPと自由奔放な子どものこころFCが他と比較して低く、母親的役割である養育的なNP、大人のA、周囲との協調を優先するACが高い形になっている。このグラフから考えられる性格を、伊藤(1999)を参考にして分析してみると、「自分を抑える気持ちが強く、自分の自然な感情を素直に出しきれていない。そのため優柔不断な傾向があり、自分の意志とは反対の行動をとらざるを得ないことがある。」ということになる。
  自分の理想の教師像と自分の性格をエゴグラムで比較してみると、ACの差が他と比較して顕著であることがわかる。東京大学医学部心療内科(1995)によると、ACの得点が高い場合のマイナス面(短所)として《遠慮がちである、依存心が強い、我慢してしまう、おどおどしている》という特徴をあげている。つまり筆者は、理想の教師像に近づくために、そのACの得点を下げた場合のプラス面(長所)にしようと思っている。その特徴としてあげられているのが、《自分のペースを守る、自主性に富む、積極的である》などである。
  今までの児童指導を振り返ってみると、CPの得点が高い場合のプラス面《理想を追求する、良心に従う、ルールを守る、筋を通す、義務感・責任感が強い》が前面に出ている点に気づかされる。例えば、「教室では暴れるべきではない。」「係の仕事は責任を持ってやりなさい。」「友達には優しくすべきである。」などである。
  筆者の性格分析結果では、CPの値はほぼ平均的で、自己認知は低いにもかかわらず、児童指導となると強く出てしまうのは、教師という役割行動が自分の性格を抑えつけ、たてまえの行動を強く押しだしていたのかもしれない。
 しかし、このような指導では、その時は一時的に指導の効果はあるが、長続きはしないことが多い。これをエゴグラム上で分析してみると、CPの得点が高い場合のマイナス面《タテマエにこだわる、中途半端を許さない、批判的である、自分の価値観を絶対と思う》のこころの状態が表れた結果になっている。これをうまく導かせるためには、NPの得点が高い場合のプラス面《相手に共感・同情する、相手を受け入れる》のこころの状態になる必要がある。自己認知ではNPの得点は高いはずなのに、実際の指導で生かしきれていないのは、指導中に相手(子ども)のこころの状態を理解しようとせず、自分の価値観を前面に押し出しすぎていた結果なのかもしれない。また、指導中自分の思うようにならないとすぐに感情的になり、怒鳴ってしまいうまくいかなかったこともあった。これはFCの得点が高い場合のマイナス面《自己中心的である、感情的である》のこころの状態の表れである。この点も性格分析の結果では、FCの値はほぼ平均的であり、自己認知の結果と比べずれている。冷静に事に当たるためには、Aの得点が高い場合のプラス面《理性的である、沈着冷静である》のこころの状態になる必要がある。このAに関しても自己認知の結果では高い得点を示しているにも関わらず、実際の指導では、生かされていないことがあったと、いうことになる。その時の気分や感情で行動せずに、一呼吸おいて行動ができるように心掛けていきたいと思う。                            うまくいかなかった指導をエゴグラム上で分析した結果でまとめてみると、そのほとんどが、CP、FCの得点が高い場合のマイナス面のこころの状態の表れであるということが分かった。しかしこれは、自己認知の結果と比べずれていた。ということは、普段のこころの状態で、指導に当たれるように、自分自身をうまくコントロールしていく必要があるということになる。子どもの反応を見ながら、自分が今どんなこころの状態にあるか、自分自身にフィードバックしながら、指導に当たっていければ、子どもと教師のよりよい関係を保ちながら指導を進めていくことができように思う。
 
 
3 肯定的・否定的両側面を強調した質問事項による  教師―児童間の認知の差
 
  自分自身の認知は前節の通りだが、一方で児童の方は筆者自身をどのように見ているのだろうか。エゴグラムの質問事項を若干改変したものを、児童に対して質問した。尚、調査にあたっては、子どもの回答に構えが生じないよう、筆者以外の人物によって実施された。質問は、川原(2000)の巻末に書かれている質問事項を子ども用に修正したものを使用した。
 
 質問事項は分類上、「厳しさ」「優しさ」「合理性・論理性」「自由闊達さ・率直さ」「遠慮深さ・おとなしさ」の5つの領域に分けられており(この5つの領域は交流分析の中で出てきた、CP、NP、A、FC、ACとそれぞれ関連性がある)、それぞれの領域において「肯定的側面」と「否定的側面」の両面から調査を行っている。例えば「厳しさ」という領域において「物事のけじめを大切にする」といった要素は肯定的にとらえやすいのが、「言葉が押しつけがましく、無理やりな言い方になる」といった要素は否定的にとらえやすいということであり、そのような2側面からの質問になっている。(川原,2000
 
  さらに、担任教師としての行動や態度の具体性が増すように、担任の言動で心の残っていることを思い出し、その時の様子を「〜ときに〜」という書き方で詳しく書いてもらうことにした。
  この2つの結果をもとにして、子どもから見た教師像を検討していきたい。
 
(1)質問事項に対する回答結果からの検討
  子どもたちの回答を分析してみると、5つの領域の肯定的側面については、ほとんどの児童が「とてもあてはまる」「あてはまる」と肯定的に答えており、否定的側面についても「あまりあてはまらない」「全くあてはまらない」と否定的に答えている。
  この結果から昨年担任した児童は、筆者を良いイメージで見ていたことが分かる。実際、学級経営もやりやすく楽しくやり甲斐のある学級であった。そのような肯定的な学級風土の中での担任評価がよい点は、今後も見逃してはならない。
  しかし、いくつかの質問事項の中で、筆者の自己認識と若干ずれていた点や指導上気をつけなければならないなと感じた点があったのでいくつか検討してみたい。
  まず、「厳しさ」(CP)の否定的側面で、「全てのことを完璧にしようとしすぎる」という項目に「少しあてはまる」と5人答えている。思い出される事象としては、算数のノート指導で、ミニ定規を使っていないと書き直しを命じたり、ソフトの練習試合でサインを徹底させるためにサインを見逃した子は交代させたりしたことが考えられる。また、「『何でこれがわからないの』という言い方をする」という項目に「あてはまる」「少しあてはまる」と答えた子がそれぞれ1人ずついた。授業中や児童指導中などにつ い言ってしまった一言が、長い間子どもには悪い印象として残っていたと考えられる。
  次に、「優しさ」(NP)の肯定的側面で「人のことにとても気を配る」という項目に「あまりあてはまらない」と答えた子が6人、「全くあてはまらない」と答えた子が1人いた。筆者としては子どもに気を配っているという自己認識があったのでこの結果には少々衝撃を受けた。「人のことに気を配らない」というこころの状態は、エゴグラムによる性格分析では、NP(養育的な親)の得点が低い場合のマイナス面の特徴である。子どもに対してどのようなことが無関心・無配慮に映るのか考えてみると、相手の気持ちを理解しようとせず、自分勝手な解釈で問題に対処しようとしていたことに気づく。子どもの側はそんな筆者に対して、強引だとか勝手だとか言う印象をもったことで あろう。筆者自身に自分の価値観はまず脇に置き、相手も気持ちをもう少しかんがえてみる「待つ」という要素が足りなかったのかもしれない。
  「合理性・論理性」(A)の否定的側面で「細かいところまでこだわって、理屈っぽくなる」という項目に「あてまはる」と答えた子が4人、「少しあてはまる」と答えた子が6人いた。これは算数のノート指導におけるていねいさと、細々としたこととのバランスが、影響したものと思われる。筆者は、筆算を書くときには必ず2問目は指2本分開けて書くことを何度も言い続けていたのが原因かもしれない。このことは、ていねいなノート作りが学力アップにつながるという考えがあるので、特に意識して指導していたことである。また、「かけひきを考え、損か得かだけを考えている」という項目に、「あてはまる」と答えた子が2人。「少しあてはまる」と答えた子が4人いた。この結 果も自己認知とずれていた。損か得かだけを考えているということは、言葉を換えると、 打算的であるとか、機械的であるということである。時として冷たく割り切って、相手 の気持ちに目を向けず物事を処理していたことがあった。算数のノート指導で教師の言 ったとおりに書いてこなかったときは一言「書き直し。」と指導していたことが影響し ているのかもしれない。
  「自由闊達さ・率直さ」(FC)の否定的側面で、「自分の機嫌にまかせて、相手に接している」という項目に「あてはまる」と答えた子が5人いた。自分の失敗した児童指導を振り返ってみると、必ず子どもに対して自分の感情をぶつけてしまい、気まずい雰囲気になり後悔することがあった。問題をすぐに解決しようと焦るあまり、なぜそんなことをするのだろうと、子どもの気持ちを考えようとはせずに、筆者のペースで指導を進めていく。そこで事が思うように進まない事に腹を立ててしまうのであるから、子どもの方は、自分の気持ちが押しつぶされ、どうしようもないくらい辛い気持ちなってしまうであろう。筆者自身がまず相手の話を聞こう、受容しようという気持ちになって、一呼吸おいて行動できるようになれば、もう少しよりよい指導ができるようになると思う。
  「遠慮深さ・おとなしさ」(AC)の否定的側面で「ああすればよかったと、よく後悔している」という項目に「あてはまる」と答えた子が1人、「少しあてはまる」と答えた子が4人いた。これは自己認知と合致しているが、どんな言動が子どもに映っていたのか考えてみると、テストの点数が悪かったときに「先生の教え方が悪かったんだ。」と言ったり、ソフトボールの試合で負けたときに「先生の指導が悪かったからだ。」と言ったりしたことが心に残っていたのかもしれない。
  「遠慮深さ・おとなしさ」の肯定的側面で「自分のことを強く言いすぎず、人の指示に素直に従う」という項目に「あまりあてはまらない」と答えた子が5人、「全くあてはまらない」と答えた子が4人いた。さらに「おとなしく、ひかえめにふるまっている」という項目に「あまりあてはまらない」と答えた子が7人、「全くあてはまらない」と答えた子が8人もいた。この2項目は自己認知と比べずれていた点である。肯定的側面の中でも、このACに対しての子どもの答えは他のCPやNPなどと比較 すると、やや低い得点にとどまっていた。自己認知では、ACの得点は高いのであるから当然プラス面《協調性・妥協性・従順・慎重》が子どもに評価されてもよさそうなものである。大人との関わりの中では、プラス面を意識した行動が多いのでそれなりの評 価は受けていると思う。しかし子どもとの関わりの中では、意識しにくい面である。筆 者の「理想の教師像」からもそのことは伺える。ACの得点が極端に低くなっているからである。筆者は「理想の教師像」として、「自主性に富む」「積極的である」という一面を求めている。このことは一方では、「相手の言うことを聞かない」「一方的であ る」というマイナス面を含んでいることにもなるわけである。エゴグラムでは得点が高いから良い、低いから悪いという意味ではないことは以前にも述べた。大切なこととしては、まず得点が高い場合、低い場合のプラス・マイナス両面のこころの状態を知っておくことである。次に、子どもと関わっている際、どうもうまくかみ合わないと感じたときに、自分のこころの状態を振り返ってみて自己コントロールし、子どもとの関係を改善していくように心がけていくことだと思う。
  各質問事項に対する5つの領域について、それぞれ得点化したものの合計を分析してみると、男女の差はほとんどなかった。「子ども認知図」の男女の位置関係の検討でそれほど特徴が見られなかったことと一致する結果である。
  しかし、個人の得点合計をみていくと、気になる子が何人かいた。例えば質問事項に対する5つの領域の否定的側面の合計点が、他の子に比べやや高い子である。つまり、筆者の否定的な側面に対して「あてはまる」と答えている項目が多かった子である。この子はおとなしく動植物が好きな子である。この子に対して筆者はどんな対応をしていたのか振り返ってみると、自分からはあまり話しかけてこないので、できるだけ筆者の方から声をかけるようにしてきた。その時なるべく良いところを見つけては、ほめることを心掛けていた。この子の筆者に対する肯定的側面の合計得点は他の子と同じ高い得点であったので、筆者の関わり方はそれほど悪くはなかったと考えていいと思うが、教師の言動をこの子は割合冷静な目で影の部分を見ていたのかもしれない。
 
(2)教師の言動に対して印象に残っている場面の記述面からの検討
  @肯定的な記述からの検討
    記述面で多かった内容は、算数の授業、ソフトボール部、休み時間に関すること であった。
    算数の授業に関する記述には次のようなものがあった。
    ・授業中算数がわからないときに、先生が「ここはこうするんだよ」と教えてくれた。」
    ・算数の授業のときに、「まちがっている」といってくれた。
    ・算数の問題がわからなかったときに、やさしくわかりやすく教えてくれた。
    ・算数の問題が一番早く終わったときに、「すごいねー」とほめてくれた。
    ・算数の問題ができたときに、「よし!○○よくできた!」と言ってくれた。
 
    授業の中では算数に関する記述が圧倒的に多かった。算数は筆者が小学生の頃最 も苦手な科目であった。今でも苦手意識は残っている。そこで子どもたちには、自分のような思いを経験させたくないという気持ちが強く、何とか楽しく力をつけることはできないものかと、あれこれ考えて指導してきた。特にノートの書き方はていねいに見やすいノート作りが学力アップにつながることを子どもに伝え、徹底させてきた。子どもにとっては、筆者のこのような指導の仕方が強く印象に残っていたのだと思う。マイナスのイメージではなくプラスのイメージで記述してあることが筆者にとっては嬉しかった。今後もこの指導は、続けていきたいと思う。
 
    ソフトボール部に関する記述には次のようなものがあった。
    ・ソフトボールの公式戦で負けて泣いたときに、「みんなのせいじゃなくて、先生のせいだから。」といってなぐさめてくれた。
    ・ソフトボール部の部活の練習のときに、とてもていねいに教えてくれた。
    ・ソフトの大会のときに、負けそうになっても最後までみんなを励まし続けてくれた。
    ・ソフト部の部活をしているときに、「こう取るんだよ。」と教えてくれた。
    ・部活でバッティングをやっているときに、「うまいなー!!」と言われてすご くうれしかった。
    ・ソフトの練習試合のときに、初めてヒットを打ったときに、ほめられてすごくうれしかった。
    ・ソフト部のときに、いろいろおこられたけど楽しかった。
    ・ソフトの試合でボールを取ったときに、「ナーイス!」と声をかけてくれた。
 
    部活動は、4年生から希望者が参加する。筆者は子どもたちを5年から6年の9月まで指導した。特に6年生で彼女たちがレギュラーになったときには監督として、スポーツすることの楽しさ、人間関係(チームワーク)、礼儀などを中心に指導に当たった。県大会出場を目標にしていたが、残念ながらその夢を果たすことはできなかった。しかし、悔しさばかりで、あまりよい思い出がなかったわけではないということが上の記述から伺える。筆者は練習中は厳しく、試合中は穏やかにをモットーに指導してきた。子どもたちは筆者の気持ちを十分理解してくれていたと思う。今後もこのような指導方針は続けていきたいと考えている。
 
    休み時間や昼休みに関する記述には次のようなものがあった。
    ・みんなで遊ぶ日のときに、楽しくやっていたから全力で戦えた。
    ・昼休みのときに、先生とドッジボールをして楽しかった。
    ・昼休みやみんなで遊んでいるときに、みんなと楽しく遊んでいた。
    ・昼休みにドッジボールをしているときに、私の顔にボールが当たったとき「大     丈夫?」と声をかけてくれた。
    ・ドッジボールであまりボールが取れなかったときに、ぼくにパスしてくれた。
・昼休みにドッジボールをやっているときに、いっしょに入れてくれた。
 
    筆者は休み時間や昼休みには、なるべく外に出て子どもたちと一緒に遊んだ。本気になってドッジボールをすると、子どもたちも喜んだし、筆者の気持ちもすがすがしくなった。元気で、子どもを引っ張っていくことが自分の指導の強みであると思う。元気でノリのいい子は教師につられていき、学級での雰囲気も明るくなっていったように思う。しかしここで考えておかなければならないことは、教師にぐいぐい引っ張られることを良しとしない子への対応の仕方である。元気いっぱいに外で遊ぶのが苦手な子もいる。筆者はそのような子に対して決して無理に誘わなかった。別の機会に言葉をかけたり、良いところを見つけてはほめたりすることを心掛けていた。21人という学級の人数から1人ひとりに目を配ることは可能であった。人数が30人以上の学級を担任したときには、なかなか全員に目を配ることが難しく、様々な問題が生じたが、この学級の指導が比較的うまくいっていたのは、人数の問題も影響していたのかもしれない。
 
  A否定的な記述からの検討
    子どもの記述で次のようなものがあった。
    ・先生にふざけたあやまりかたをしたときに、「そんなの全然反省してない。」と     おこった。
    ・授業中に答えを友達に聞き、友達が教えてくれたときに、「そんなの知ってるよ。」とぼくが答えたら、「そういうやつだよ。」といわれて悲しかった。
    ・朝、登校してからなかなか昇降口に入らないでいたときに、ストーブをぼうで たたきながらおこられた。
    ・教科書を忘れたときに、「知らないよ、先生。」と言われてショックだった。
    ・気にしていることがあったときに、爆笑されて悲しかった。
    ・サツマイモ取りのときに、「真剣にやれよ。」と言われた。
      子どもたちが筆者に対して否定的な記述をしてくれたことで、筆者の指導のマイナス面をいくつか見つけることができた。まず、何気ない一言が子どもの心を傷つけていることがわかる。その時の状況によって同じ一言でも相手を傷つけない場合もある。その辺りのタイミングをしっかり見極めることが大切だと感じた。
 また、子どもの行動面を「善悪」という視点で主に判断し、すぐ叱っていることもこの結果から伺える。「おこった」「おこられた」という表現と、「おこってくれた」とでは、その子のこころの状態がずいぶん違っていると思う。「おこってくれた」という言葉には(「悪いことをしてしまったときに、おこってくれた」と、書いた子がいた。)おこられた本人にも、なぜ自分がおこられたのか納得している様子がうかがえる。この時の筆者の対応はどうだったのか考えてみると、まず、感情的にならずに、冷静に対応していたことがあげられる。すぐにカッとならずに、一呼吸おいて、ゆとりをもって指導に当たっていたと思う。次に自分の価値判断で一方的に指導せずに、相手の言い分にきちんと耳を傾けて聴いていたと考えられる。その上で、相手の行動の悪かった点を告げ、お互いが納得した形で、指導が行われたと考えられる。しかし、「おこった」「おこられた」という言葉には、何かまだ釈然としない気持ちが、子どものこころには残っていたと考えられる。子どもの言い分も聞かずに、筆者が自分の価値規範で、一方的に指導した結果、長く嫌な思い出として印象に残ってしまったのだろう。子どもの表情や仕草など、行動の裏にある気持ちにもう少し気を配って指導していく必要性感じた。
 
   B記述全般からの検討
     「ウマの合わない子」として認知していた子が、どんなことを書いていたのか気になっていた。しかし、筆者に対しての否定的記述はなかった。筆者はこの子たちの記述を見て、次のような対応をしていたことがわかった。それは、その子その子として認め、その子にあった言葉かけをしていたということである。
     ある子は、「体育のマラソンのとき、『もう少しだ、がんばれ』と言ってくれたこと」、「休み時間のときに、『身長伸びたな』と言ってくれたこと」と書いている。この子は体格はいいのだが、運動面ではなかなか思うように自分を生かしきれていないのである。その辺りの悩みを筆者が察知し、声をかけてあげたので、子どもは安心していたのかもしれない。
     またある子は、「図工で絵を描いたときに、『うまい』とほめられた。」「そうじのときに、『しっかりやってるね』とほめられた」「落ち込んでいるときに、声をかけてくれた」など、記述された文章は、全部で13項目もあり、調査した子の中で一番多かった。この子は少しなよなよとして、はっきりせず、自信がなさそうにしていることが多かった。こんな子に対しては、筆者から積極的に話しかけて、良いところはたくさんほめて、自信を持たせてあげられたことが、良かったのかもしれない。このようなことから、教師のつきあいにくさほどには、子どもは教師を否定的に見てはいなかったわけである。
     「ウマが合わない子」以外の子どもの記述を見ると、その子にとって関心があること、大事なこと、得意なことに教師の目を向け、認め、励ましていたことがよい印象として、いつまでも心に残っていることがわかる。たとえば、普段はおとなしく、あまり活発でないが、除草などの仕事は黙々とやっているタイプの子は、「花壇の枯れた花を抜くときに、いっぱいとってがんばっていたら、ほめられてとてもうれしかった。」と書いている。またノートをていねいに書くことが得意な子は、「社会のまとめをしたときに、たくさんほめて教室の裏に貼ってくれた。」「ノートを見せたときに、必ずどんなノートでも、何かコメントが書いてあること」と書いている。
     このように筆者が子ども一人ひとりの特徴を見つけ、その子としてまず認めてやり、よい行いをしたときには大いにほめたり、励ましたりすることが、子どもにとっては大きな自信となり、筆者との信頼関係も生まれてくるのではないかと思う。このことも学級の人数に関係していると思う。学校生活の限られた時間の中で、一人ひとりの子どもの特徴を把握するには、少人数に越したことはない。しかし、教師は、一人ひとりの子どもを知ろうとする努力をすべきだと思う。そのためには、授業中や休み時間、給食、清掃の時間など、子どもと接しているときに、一人ひとりの表情や言動を注意深く観察していく必要があると思う。
     一人ひとりを知ることから、よりよい児童指導を実践することができると思う。