第3章 自己の関わりを振り返って(1)
 
児童に対する見方の特徴 ―RCRT―
                
  近藤(1955)によると、「教師は自分ではあまり意識してはいないが、独自の視点で 子どもを見ている。どうしてそのような視点を自分がもつようになったかを振り返り、凝り固まった視点を少しずつほぐしていくと、今まで想像もしなかったような子どもの姿が先生の視野の中にとびこんできて、子どもに対する「見方」や「見え方」が変わり、やがてこの先生の「見方」の変化が、子どもに対する先生の関わり方の変化を生み出して、子どもの行動そのものに影響を与えていくことがある。」という。そのために、子どもを見る視点を把握することは、重要なことである。
  一人一人の教師がどのような視点から子どもをとらえているのかを明らかにするために「教師用RCRT」という方法がある。
  「教師用RCRT」は、「自分及び他者をとらえる個々人の独自の視点を明らかにするために、英国の臨床心理学者ケリーが開発した『RCRT』(Role Construct Repertory Test)という技法を子どもをとらえる教師の視点(モノサシ)を把握するために応用したものである。」(近藤,1995
  調査方法については、近藤(1995)の巻末に 詳しく示してあるので参照してほしいと思う。本報告書では、筆者が昨年担任した児童について調査した。
  「調査して得られた結果を集約的に表現するために、因子分析による統計処理を加える。この因子分析による統計的な作業とは、教師の視点(モノサシ)全体を見渡して、似たもの同士をまとめたり、関連の深いものをつなげたりして集約化し、構造化することである。」(近藤,1995
 
1 視点の分類
 
  因子分析の結果を見てみたいと思う。なお、それぞれのモノサシがそれぞれの因子とどの程度関連をもっているかを表す「負荷量」の数値は表を見やすくするために .40未満を削除している。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あべ松のモノサシ(因子分析の結果)
 
                  第1因子   第2因子   第3因子


@


 
  感情豊か  
おしゃべり  
活 発  
あっけらかん  
無関心  
  無頓着  
無表情     0.81
大人しい    0.70
物静か     0.62
控えめ     0.60
面倒見がよい  0.47           0.45
責任感がある  0.64     0.63
 

A

 
  我慢強い  
正 直
素 直
 
 
  真面目  
わがまま          0.81
嘘つき           0.70
ひねくれ          0.69
いいかげん         0.61      0.47
 

B

 
動物好き
ていねい
 
 
残 酷                  0.81
                    0.68
 
  筆者の場合3つの因子が抽出された。第1因子は「感情豊か―無表情」から「無頓着―責任感がある」までの6つのモノサシからなっている。第2因子は「我慢強い―わがまま」から「真面目―いいかげん」までの4つのモノサシからなっている。第3因子は「動物好きー残酷」「ていねいー雑」の2つのモノサシからなっている。
  次にそれぞれの因子の意味と背景について考えてみたいと思う。これはそれぞれの因子がどのような意味を持つかを少し詳しく説明することと、何故このような因子で子どもを見るようになったのか、何故自分にとって重要な因子になったのか、といった背景を自分自身で考えてみる。
 
(1)第1因子について
  まず第1因子について考えてみたい。「感情豊か、おしゃべり、活発、あっけらかん、無関心、無頓着」という因子は、自分の思ったことを自由に伸び伸びと表現できるが、あまり周りのことを気にしないという意味である。いわゆる「子どもっぽい」感じである。「無表情、大人しい、物静か、控えめ、面倒見がよい、責任感がある」という因子は、自分というものをしっかりと持っているがあまり感情を表には出さない、物静かで割合冷静な落ち着いた面をもっているという意味である。どちらも一長一短がある。例えば前者は、元気ではあるが、ともすると幼稚っぽいところがあり、後者は、落ち着いてはいるが、ともすると自分を出せないということである。因子の両極端な面が表れている。
  次に何故このような視点が生まれてきたのか、その背景を自分なりに考えてみたい。感情表現豊かで自分の思っていることを何でも言えるということは、自分の理想であった。小学生の頃を振り返ってみると、自分の意見は持ちながらも上手に言わなければいけないとか、こんな事を言ったら笑われるかもしれない、いや待てよ、もしかするとこんな事は本当は言わなくてもいいことなのではないか、とあれこれ考え込んでしまい結局言わずに終わり、後で後悔することがあった。大学時代も教職に就いてからも自分の意見を堂々と言える人には魅力を感じ、ある面自分もあのようになりたいと思っていた。また一方では、出しゃばりで目立ちたがり屋という印象も持っており、低い価値観としてとらえている自分もいるのである。実際、後から出てくる「子ども認知図」での「理想の自分」と「現実の自分」の位置関係を見ても、「あまり出しゃばらず、控えめ」の方へ位置づけられている。しかし、「理想の子ども」の位置は、「感情豊かで活発であ る」の方へ位置づけられていることから、子どもを見る視点になったのではないかと思う。
 
(2)第2因子について
  第2因子の「我慢強い、正直、素直、真面目」という4つの因子は、自分が生きていく上で大切にしてきたものの一側面である。その影響は主に父親から受けている。父親のどんなことでも最後まできちんとやる仕事ぶりや、真面目な性格を親戚はこぞって誉めていたのをよく耳にしていた。そんな父親の道から外れず、まっすぐに生きていく姿を自分では誇りに思っていた。また母親の躾も影響していると思う。「悪いことをしたときは正直に言いなさい。」「真面目で素直な子は必ず伸びる。」などと、子どもの頃よく言われたものだ。実際、素直でいると得をすることも多かった。大人が自分を好意的に見てくれているような気持ちになっていた。何か言われたときに「はい。」と素直に返事ができると相手の気持ちが和むような雰囲気が伝わり、人間関係もうまくいくことが多かったように思う。中学時代の部活動でも先輩に対して素直で、厳しい練習に対しても最後まで粘り強くがんばっていった。その経験は今でも自信になっている。そのころ苦労をともにした友人とは今でも長いつきあいが続いている。               教職に就いてからも授業や部活動の指導をしてきて、素直な子や我慢強い子は気持ちよく指導できるし、確実に力をつけ伸びていったという経験もある。人間関係を良くしていくことや社会に出て役に立つための条件の一つが、「素直、正直、真面目、我慢強さ」という因子なのではないかと考えている。それ故、子どもたちに対してもこの4つの因子のような見方で指導している部分があると思う。これは何かきちっとした感じで、いかにも道徳を重視するような実直なイメージである。                                      一方「わがまま、嘘つき、ひねくれ、いいかげん」という因子は、自分が生きていく上では、あまり好ましくないものとしてとらえている部分である。自分がこのような進め方で学級経営をしていこうと考えていても、そのレールから外れてしまったりする子や、きちんときまりを守れない子、また勉強や部活動なども最後までがんばれない子の姿が目に浮かんでくる。このような子どもに対して、自分がどのような印象をもって見ていたのかが、この因子に表れていると思う。
 
 
(3)第3因子について
  最後に第3因子についてである。「動物好き、ていねいさ」という因子は人としての温かさやきちんとやるといったイメージであり、「残酷、雑」という因子はある意味冷めている、大雑把というイメージである。「動物好き」という言葉については、RCRTの調査の段階で、似ている子同士をあげた際に、2人に共通に見られる特徴を何らかの言葉で表さなければならなかった。たまたまその2人の子は、家で動物を飼っていてよくその話を筆者にしていたので、「動物好き」という言葉を用いたわけである。
  この因子の背景で、まず動物好きからくる温かさという点は、子どもの頃生き物が好きでいろいろな動物を飼って世話をしてきたことが影響していると思う。父親も生き物が大好きである。 温かさでは、人情という言葉が好きである。子どもの頃よく「人はいろいろな人のお世話になって生きているのだから人には感謝しなさい。」とか「気持ちの優しい人になりなさい。」などと、言われた覚えがある。映画も人情ものは大好きであり、児童指導でも良く「相手の気持ちを考えてごらん。」等とよく情に訴える指導をすることがある。しかし、人としての温かさを大事にしている割には、時として人に対して冷たくあたる自分を発見し、ハッとすることもある。  温かさという点でもう一つ思い出すことがある。学生時代アルバイト先の主人が大変 頭が切れ、著名人とのつきあいも多く慕われていたが、家庭は温かいという印象は受けなかった。筆者は今でもその主人を尊敬し目標にしているが、温かさという点ではどこかに引っかかりがある。
  ていねいさについては、教職に就いてからある雑誌を読みノートの字をていねいに書くことによって、学力も上がるということがきっかけとなっている。字は上手でなくてもよいからていねいに書くように指導している。自分の日常生活でもていねいにすることを心掛けている。机の上をきちんと整理したり服をていねいにたたんだりする。しかし男なのに、そんなに細かいところまで気にしなくてもいいのではないかという 思いもあり、あまりにもきちんとしていることは、実はあまり好きではないという2面 性を持っている。ていねいに何でもこなす自分を求めている一方で、細かくやっている 自分を嫌っている部分もあるというわけである。自分のこのような背景が、第3因子「動 物好き―残酷」「ていねい―雑」に表れているように思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2 子ども認知図の考察
 
  前述したモノサシを基にして次に示してあるのが「子ども認知図」である。
  表T・UのAからUは実際の児童を表す。(想起の早い順にABC)、Vは「理想の子」ども、Wは「現実の自分」、Xは「理想の自分」を表す。E・F・J・Nはウマが合うと認識した児童、K・L・ M・Oはウマが合わないと認識した児童を表す。男子はA・B・C・D・K・L・M・O・T・U、女子はE・F・G・H・I・J・N・P・Q・R・Sである。
 
         認知図 略
 
 
  教師の視点(モノサシ)を通してそれぞれの子どもがどのような子どもとして見えているかを「子ども認知図」によって視覚的に把握することができる。「子ども認知図」に関して近藤(1955)は、4つの検討方法をあげている。そこに筆者なりに考えた検討方法を1つ付け加えて(1)から(5)として一つ一つ順番に検討していこうと思う。
(1)子どもの想起順位が認知図上でどのように表れてくるかの検討 「一般的に想起の流れは、教師にとって何らかの意味で目立つ子ども(手を焼いている、困っている、気に入っている)から始まっていくことが多い」(近藤,1995)ということであるが、筆者の場合、AからFの児童、つまり最初に想起された6人の児童が表Tにおいて上部に位置していた。これは、教師の目から見た時に、割合素直な子、真面目な子から想起していたことになる。ここでも自分が生きていく上で大切にしてきた因子が影響していることが分かる。        
 
(2)図の中における子どもたちの散らばり具合、特に男女の位置に関して何らかの特徴が見られるかどうかの検討一般的に教師は、『このクラスの男子は・・・・だが、女子は・・・・だ。』という表現をすることがよくあり、それが教師の認知様式のある側面を表すことが多いのでこのような検討をすることが多い」(近藤,1995)が、この点においては際立った特徴はなかった。男子だから女子だからという偏りはないということである。強いて男女の位置について考えてみると表2において、女子は上部に、男子は下部に位置しているという特徴があげられる。女子の多くは、どちらかといえば温かみがあり、ていねいな作業をする子が多いととらえ、男子の多くはそれほど低い数値ではないが(0を除いて)、ていねいな作業が苦手な子というとらえ方をしている。温かみという点に関して、私は低いとは考えていない。                  
 
(3)教師自身の「理想の自分」と「現実の自分」・「理想の子ども」の位置の検討 
  「理想の自分」の位置を見ると、第1因子ではややあまり出しゃばらず控えめな方向に、第2因子では、やや自己中心的な方向に、さらに、第3因子では冷たく雑な方向に位置づけられている。このような「理想の自分」の位置の検討に「現実の自分」の位置との比較を加えると、次のようなことがわかる。つまり第1因子と第2因子の得点では両者の差はあまりないので、図上では両者は比較的近い位置に置かれているが、第3因子の得点では両者の間に大きな開きがあり、図上での両者の位置は大きく離れている。前節で因子分析の結果を説明する際に、第1因子の内容(感情豊かで活発であること、割と控えめであること)に関しては、活発であるがともすると子どもっぽいとか、落ち着いてはいるがともすると自分を出せないなど、モノサシが両価的なものであることがその位置関係に影響しているのではないかと考えていること。第2因子の内容(実直であること)に関しては、自分が生きていく上で大切にしてきたものと考えているということが、「理想の自分」と「現実の自分」の得点に大きな差がないこととして表れているのだと思われる。
 一方、第3因子の「温かみがありていねいである」に関しては、自分自身特にていねいさについて「細かくきちんとやらなければならない。」と思いながら、「男なのにそんな細かいところまで気にしなくてもよいのではないか。」という自分との葛藤があることを述べた。そのことが第3因子の得点における「理想の自分」と「現実の自分」の間の大きな開きになって表れたものと思われる。
  次に「理想の子ども」の位置を見ると、第1因子では「感情豊かで活発」な方向に位置づけられている。これは「理想の自分」からはかけ離れている。「子ども」と「自分(大人)」というものを明確に分けているといったことが、影響している。子どもは自分の感じていること思っていることを積極的に表現してほしいという私の願いの表れから来ているのだと考えられる。   第2因子ではかなり「実直」な方向に位置づけられている。自分は子どもたちに「素直、正直、真面目、我慢強さ」を強く求めているということがわかる。つまりこの第2因子が自分の児童指導の特徴となっているのではないだろうか。第2因子で子どもを見て、子どもはこうあるべきだという気持ちで今まで指導してきたものと考えられる。                  第3因子はほぼ中央に位置づけられている。これは、「現実の自分」と同じ位置である。「温かみがあり、ていねいである」ことと「冷たく、雑である」ことの、どちらにも偏ってはいない。「冷たく、雑である」の方向に位置づけられていないのは、ある意味当然だと思うが、「温かみがあり、ていねいである」の方向にも位置づけられていないということは、「ていねいさ」という点で、自分が日常生活において、ていねいにすることの大切さがわかっていながらも、何もそこまでやることはないか、とも考えていることが、子どもにもそうあってほしいという気持ちにつながり、結果的に、「理想の子ども」の位置づけに影響を与えたものと考えられる。
 
(4)「ウマが合う子」と「ウマが合わない子」の位置の図上での検討
   表Uでは両者の位置に特定の差異を見出すことはできないが、表Tでは両者が図の上と下に明確に分かれている。自分自身にとって子どもと「ウマが合う」「ウマが合わない」ということは、「素直、正直、真面目、我慢強い」の有無という第2因子の得点によって決定されているといえる。またこの第2因子は「理想の子ども像」が高く位置づけられた軸でもあり、自分自身の指導で一番こだわっていることからも十分うなずける結果だと思う。
   さらに、「現実の自分」の位置も、第2因子の軸ではプラスの位置にある。「理想の子ども」「現実の自分」に近い子については、「ウマが合う」と認識している。
   「理想の子ども」の近くに位置づけられているJ・E・Fの3人は、授業中も教師の言ったことに対して素直に従い、学級経営上ものってくるタイプで、非常に指導していて楽しい子どもたちである。Nの子は「理想の子ども」からは離れているが、悩み事があるとよく相談をしてくる子であり、大変正直で真面目な子でもあった。一方「ウマが合わない子」の位置を見ると、K・L・Mは、比較的近い位置にいる。この3人については、学級経営上あまりのってくるタイプではなく、自分が考えているレールから「外れている」子で、やりにくいという印象をもっていた。Lの子は些細なことで腹を立て教室を飛び出していってしまい、友達がなだめたり、教室に連れてこようと手を引っ張ったりしても、全く動こうとはしないということがあった。     Mの子は、これくらいのこと我慢できるのではかと思われることでも、友達にちょっと嫌なことを言われると、めそめそしてしまうタイプであった。しかし、この子たちを見捨てずに、うまく関わっていくことが自分にとっては必要なことだと思う。
 
(5)認知図上、特徴のある子の検討
   A・Bの男子については表Tでは第1因子・第2因子ともに高得点で大変子どもらしい子どもとして自分にはイメージされていることがわかる。確かに授業中は活発であり、運動が大好きで、休み時間になると外に出て元気に遊ぶタイプである。たまに羽目を外すことがあり、クラスの女子から注意をされることもあるが、素直さもあり、時には周りに迷惑をかけたとしても、クラスの友達からはそれほど憎まれている様子もない。                    R・Qの女子については第2因子がとても低く自分の「理想の子ども」からかけ離れているが、第3因子の印象が良いため、自分としてはR・Qの児童に対してそれほど悪い印象はない。第2因子が低いのは、この2人が不登校気味であったことが影響していると思う。学校に来ないということが、筆者にとっては「実直さ」という自分にとって一番生きていく上で大切にしていることから、かけ離れたこととして受け取っていたと、考えられる。何とか学校に来られるように自分自身努力し続けても、なかなかうまくいかなかった気持ちの焦りのようなものが、このような形になったと考えられる。不登校に対してマイナスのイメージをもってしまった点は、指導上問題があるのではないかと、考えさせられた。                       第3因子の印象が良いということは、家庭訪問を繰り返しているうちに、動物の話をするようになったからである。R・Qともに猫が大好きだった。筆者も猫を抱かせてもらったり、猫の名前当てクイズをしたりすることが多かった。筆者も動物は好きなので、とても楽しい会話ができた。このようなことから、2人に対する印象はそれほど悪くなかったと考えることができる。 
Iの子に関しては、第1,第2因子はマイナスであるが、第3因子はプラスである。大人しく、活発ではないが、自分の考えをしっかりもっており、他人の意見には流されず、自分の意志を通す子であった。将来は獣医になりたいという夢を持っており、動物に対する愛情はとても深いものがあった。自分の家で飼っているハムスターの話を目を輝かせながらよく聞かせてくれた。休み時間に絵を描いて遊んでいるときも、動物に関することが多かった。            Hの子は、第1因子はマイナスであるが、第2,第3因子はプラスである。大人しく自分から話をすることはほとんどなかったが、教師の言ったことは素直に従い、一生懸命努力するタイプである。ノートも非常にていねいにまとめることができ、図工の作品も時間をかけ、細かいところまで根気強くがんばって仕上げていたことが多かった。部活動でも指導されたことは、忠実に実行しようとする様子が見られ、とても好感が持てた。                   Tの子は、第1,第3因子はマイナスであるが、第2因子はプラスである。大人しく自分から積極的に行動を起こすタイプではなく、字もていねいに書くことが苦手であった。しかし、係や当番、教師から頼まれた仕事はとにかく一生懸命がんばってやることができた。人とがあまりやりたがらない、除草や石拾いなどの仕事でも嫌な表情一つ見せず黙々と働く姿には、何度も感心させられたことがあった。Kの子については、「ウマが合わない」と認識している子であり、第1,第2因子はともにマイナスである。覇気がなく、声も小さく、あまり目立たない子であった。筆者としてはやや苦手なタイプであるが、ノートのまとめ方や作業の仕方が大変ていねいであるため、男子の中ではただ一人だけ第3因子がプラスである。気持ちが優しく友達とトラブルを起こすこともなかったので、グループを作る時にも、独りぼっちになるようなことはなかった。 C、Dの子については、第2因子がプラスで第1,第3因子がややマイナスである。2人とも非常によく似たタイプで、大変仲も良く、一緒に行動することが多かった。言われたことは素直に聴き、とにかく真面目な印象が強かった。責任感も強く、やらなければならないことは、途中で投げ出すことなく最後までがんばってやり遂げることが多かった。             Uの子については、全ての因子がマイナスである。しかし、「ウマが合わない」子としての認識はない。この子は漫画が好きで、筆者に4コマ漫画をかいてはよく見せてくれた。その漫画のコメントを加えると次の日もまたかいてきて見せるという交流があった。また、大変な物知りで、とても難しいことを質問して筆者が答えられないと、いろいろと詳しく説明してくれた。このような交流があったため、全ての因子がマイナスであっても、苦手意識はなかったと考えられる。
 
   このように様々な観点から「子ども認知図」を検討してくると、自分が子どもたちをどのような視点から見ていたのかがよくわかった。特に自分はどのような子どもたちと「ウマが合う」と感じているのかとか、逆に「ウマが合わない」と感じているのは、どのような視点からなのか、ということが見えてきた。また、このような視点のみでしか子どもを見ることができなと、その子を偏った見方でしか見られなくなる危険性があることもわかった。            さらに、「ウマが合わない」として認識したこや、自分の考えているレールから「外れている」子に対して、どのように接していけばよいか考えさせられた。これは、筆者の今後の課題である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3 過去の児童指導事例の考察            
                                       
 教師用RCRTの因子分析の結果や「子ども認知図」の考察から、自分が子どもをとら
える視点(モノサシ)が分かった。そこで、過去の児童指導事例を振り返り実際の指導の
中に教師の視点(モノサシ)がどのような形で表れているのか調べてみたい。    
 
(1)班長でありながら集合時刻が守れない高学年に対しての指導         
  もう高学年なんだからそんな無責任なことをしてはいけない。下級生の面倒を見なが
 ら登校するのは高学年として当然の責任ではないのか。班長としての自覚と責任を持っ
 てもらいたいものだね。                           
  この指導は少しの間は効き目があったが、元に戻ってしまった。第1因子にあった「責
 任」という言葉で指導を強引に進めている様子が分かる。            
                                       
(2)トイレのサンダルをそろえるようにする指導                
  後から使った人が使いやすいように並べられるといいね。それが親切で思いやりのあ
 る人だと思うよ。後で使う人のことを全然考えないような人は、自分勝手で非常識な人
 間だよ。                                  
  ここでは、第2因子の自己中心的な考え方に対するマイナスのイメージで指導してい
 ることが分かる。                              
 
(3)たばこを吸ったことを認めなかった子への指導               
  4人で放課後たばこを吸っていたという情報があり、その状況を聞いているうちに3 人は正直に自分の過ちを認めたが、1人だけどうしても自分はやっていないと主張して いた。何故正直に言わないんだ。友達は自分がやったことを素直に認めて反省している ぞ。おまえも吸っていたと友達もいっているのにどうして素直に認めないんだ。
 何故正直に言わないんだ。本当のことを言ってごらん。             
  ここでも第2因子の「正直・責任」という言葉を中心に指導を押し進めている。結局
 この子は最後まで本当のことを言わなかった。                 
 
(4)言葉遣いの悪さに対しての指導                        
ぶっ殺す、死ね、むかつく、ふざけるななど、子どもたちの言葉遣いの悪さにには驚かされた。そのことに対して、聞いている方が嫌な気持ちになるからやめなさいとか、自分が言われたらどんな気持ちになるか考えてみなさい、などと指導してきた。高学年に対しては、そんな言葉を発している人の品位を疑いたくなる、などという指導もしたことがあった。
              
  「相手の気持ちを考えて」と言うものの言い方は、第3因子の「温かさ」に関連があり、「品位を疑う」と言う言い方は、第2因子の「実直」からきていると思う。
 
(5)極端に行動が遅く、みんなについていくことが困難な子に対しての学級指導
  3年生のU子は、みんなと同じように走ったり、ボール運動をしたりできない。そのことが原因でいじめられたこともあった。しかし前担任の指導もあり、U子に対してみんな優しく、思いやりをもって接していた。筆者もそのことを大いに誉め、これからもがんばっていくように励ましていた。ところが、ある活発な女子児童の保護者から次のような手紙をいただいた。「自分が思いっきり体を動かそうとしたくても、U子ちゃんがついてこられないから、気を遣いすぎて精神的にストレスがたまっている。体育の時間に同じ班になることが多いので、悩んでいるようです。」
  筆者が、第3因子「温かさ」からくる優しさ、思いやりを子どもに説き、それを実行し続けて、先生が望むような行動をしていこうという考えが、この子にとっては重荷になってしまい、悩んでいたのであろう。自分の考えばかり押しつけ、この子の気持ちを考えられなかったことに、深く反省している。
 
  これらの指導から、「正直・素直・責任・温かさ・思いやり」など自分の視点(モノサシ)を子供に向け、一方的に指導していることに気づかされる。子どもの気持ちが全く無視されている。自分の枠組みの中に取り込ませようとばかり考え、子供との間に溝が生じ、自分の気持ちが相手に正確に伝わっていない。「こうあらねばならない」とか「こうすべきである」という考え方でしか子どもを見ていない。それ故に失敗している。どのような話し方の工夫をしていけばよいのか、どのように子どもに接していけばよいのかは、第5章で触れることにする。