P、4「森へ行こうと思った」
「行くべき森」この心が進もうとするところはどこなのか。そこに行けば、きっとなにかが抱きしめてくれるはず。心が許されるはず。そして一人でも生きていけるはず。
P、6「波が消していく」
お互いの気持ちが恋だとはっきりいえない二人。なんとなく離れてしまう二人。波が二人の足跡を消していく。消されるままの二人。
本当に素晴らしい詩です。。。。
P、19「あなたという人」
あなたを素敵だという気持ちに違いはない。でもあなたという人を知りたい。その魅力が本物なのか。心を。
P、24「ゆかいに日々をすごしていくのは・・・」
希望の詩を書くのはほんとうはウソなのさ。愉快な日々は、本当は苦しい。こんな僕を作ったのは誰の責任でもない。僕が作ってしまったこと。
P、33「ボクはいつも」
恋は盲目。それでいつもうまくいかないんだ。
P、40「まるで泣き虫おばかさん」
思い上がりや思い違いの恋でした。自分を自分で笑ってしまいます。
P、41「ありがとう」
「イヤというほどいじめられた」恋に、あなたに、翻弄された僕。でも、そんなにまで好きでした。
P、51「思いこまれて、こわい思い」
あこがれればあこがれるほど、好きになれば好きな歩、思い込みが心を支配する。思い込みはそれが本当だといいなということを飛び越えて本当だと思ってしまう。思い込まれたほうは「おどろきわななく」
P、53「きれいなこころにひれふして」
好きになるのは、かっこいいとかかわいいとかということではなく、そんな言葉では現せないもの。好きな人から好かれることは、なにか言葉では現せないものに結びつかれること。なにかに感謝したい。
P、57「もう一度よく考えてごらん」
別れてしまったのは仕方ないけど、もう一度よく考えてごらんと自分に言い聞かす。だって仲良しなんだから「もったいないことさ」
P、69「僕は本当はみんなが思っているほど」
僕は、ほんとは強くない。でも弱くもない。泣いたり笑ったりもする。心の弱さ、強さ、気ままさ、ワガママさ・・・・みんなが持っているんだよ。まぬがれないんだ。
P、87「ねこのために」
猫のノミをとりながら、恋の思い出もほんわかと・・・なんかこの詩というのか言葉、好きなんですよねぇ・・・
P、89「胸にずっと思いを秘めて」
難しい詩です。思いを秘める。でも、この思いを伝えるために。夏生さん自身が自分の道を歩いて行く、それ自体をこのような本で伝えたい。あるいは他の人には思いは秘めながらもあなただけには伝えたいということか。
P、94「ちょっとメソメソ」
ひとつの恋が終わり一人で歩いていこうとする夏生さん。でも私だってそんな才能があるわけではないし、かっこよくもないと自信をなくす夏生さん。夏生さんの詩には勇気を与えてもらえますが、でもそんな夏生さんにも弱い面もあります。夏生さんの詩が素敵なのは、こんな強いところも弱いところも人の中にはあるんだ。でも、そこから一生懸命に生きていこうというものが伝わることです。このような弱さを現した詩も多くありますし好きです。
P、97「夢見がちなボクラ」
二人で夢の中にさまよう。幸せ者な二人。でもそんな夢をかたっているくもの上にいるみたいな世界から時々日常生活に落ちてしまう。でも、この日常生活の中でも夢は見ようよ。ちょっとひどい夢でもね!!
P、108「カレー」
カレーを作っているとき、玉ねぎが落っこちそうになりそれを包丁でうまく止めることが出来た。金持ちになれなくてもいい。スーパースターにも。僕は玉ねぎが落ちるのを食い止めることが出来るんだ。幸せだよ。。。。この視も少しへりくだっているというのか。やはり好きです。
P、119「すみからすみまで」
愛は恋とは違う。この気持ちをうまく口では話せないし恥ずかしがりやだから・・・君にご飯を作ってあげる・・・・こんな僕をすみからすみまで知って欲しい。心の奥底にある気持ち、いい詩ですね。。。
P、126「なにしろ、」
忙しい、テレビを見たり用もないのにスーパーに行ったり。君のことなんか忘れていたよ。。。。でも、忙しくしているのは居ても立ってもいられないから。こうしてくだらないことでも忙しくしていれば君のことを忘れられると思ったんだ。
僕の好きな詩・感想
このワガママな僕たちを
角川文庫
1988(昭和63)年12月10日 初版発行


在庫の有無は角川書店ホームページ
銀色夏生ページ 掲示板
銀色夏生さんの「このワガママな僕たちを」の世界へようこそ。こちらは「このワガママな僕たちを」の紹介と僕の感想のページです。一部の引用を除き僕の個人的な感想です。よろしかったら皆さんのお声も聞かせてください。
やはり素晴らしいことは、時はすぎていくということ。恋する心も夢への希望も、動いている時間の中にあって、常に状況は変化しています。変化しているということは、頼りなくも感じるけど、実はとても自由でとてもすくわれることです。でも、その自由さは時には心細いものなので、信じられる何かを持つ人はたいへん力強いです。その信じられる何かが、「かわいらしいものをちらっと見てしまった時のよろこび」や「おもしろいことをふいに思いついたりすることのしあわせ」のように、いつでもどこでも存在するものだったりするならあなたは大丈夫です。
私たちのみえない思いは、世界にあふれています。

 (「このワガママな僕たちを」裏表紙より引用)

「このワガママな僕たちを」は、ぐっとこみあげるイタズラなきもちをおさえきれずに作りました。
 (「つれづれノート」177ページより引用)

上記の「つれづれノート」@からの引用にもあるとおり、夏生さんが思うままに描いたと思われるイラストと、手書きによる詩がたくさんある楽しい詩集です。
この詩集の前に出版された「君のそばで会おう」は、そこに収録されている「ひどい別れ」という詩にあるように、彼との悲しい別れを描いていましたが、その別れは、お互いの好きな気持ちは変わらないけど、夏生さんにはすすむべき道があり、そこにすれ違いも出て別れたというものでした。この恋は終わらせない、そして君のそばで会おうと。
「このワガママな僕たちを」は、こんな別れの後に、一人彼との思い出にふけっているようなものに感じます。でも、これは沈んだ夏生さんだけが出ているのではなくて、やっとこの思い出を明るくイタズラっぽく表現できるまでになったことを感じます。ここに時間の流れがあるのだと思います。
そして夏生さん自身「信じられる何か」をおぼろげに感じているのかと思います。恋からはなれてかわいいものを発見したり、おもしろいことを思い浮かべたりするような余裕も感じます。そしてこのようなものがあれば「あなたはだいじょうぶ」と、自分自身を励まし助けているのかもしれません。
もちろん、裏表紙の言葉は、僕たち読者のために書かれています。でも、僕は夏生さんが一緒にがんばろうと呼びかけているように感じます。失恋だけではなくて、僕たちの周りには心が沈むようなことがたくさんありますからね。
「かわいらしいもの」「おもしろいこと」、これらを日常に求めることに素晴らしさがあると思います。このような日常を見つめるほど余裕が出れば、「ひどい別れ」のあともだいじょうぶでしょう。
人生を左右するような出来事はそうは多くありません。毎日が平凡にすぎていきます。いろいろ不満があるもんです。この不満は、あるときはこの平凡さにあるかもしれません。でも、そんな平凡さの中に「かわいらしいもの」「たのしいこと」を発見できたらどんなに幸せでしょうか。心を注げること平凡さをそのままに受け止めてそこに信じられるようなもの(自分はこれをやりたいなど)をもてればいいですね。夏生さんはこのようなものは「世界にあふれている」と書いています。
もう一度平凡な日常を見つめたいと思います。

                     夕螺