ソング・オブ・サンデー
文春文庫
藤堂 志津子  著
主人公の独身イラストレーターの利里子は、やはり独身の大工の鉄治から電話でドライブに誘われる。利里子も鉄治もすでに40歳を超えている。
ある日曜日、それぞれの愛犬ダダとジロを連れてドライブに出かける。ダダは3歳、ジロは17歳の老犬で死が間近に迫っている。
背表紙の文章を読み、作品を読みはじめたとき、平凡な日帰りのドライブという一日を舞台に、40歳をすぎた二人の遅い恋愛を愛犬特にジロの死をめぐりながら二人の恋の発展をさらりと描いた作品かと思いながらページを開いていきました。
でも、なぜ鉄治が利里子をドライブに誘ったか、意外な方向に流れていきます。結婚に対してはすでに冷めてしまっている利里子ではあったが、鉄治や周りの男から見るとそぶりには淋しさが表れ、男から見るとその淋しさを助けてあげたいと思うようなそんな利里子。そんな淋しさからの一夜の間違い。鉄治はこの相手の男から相談を受けて利里子とドライブに出かけた。
ドライブインでは、昔の男とその妻に会う。利里子にとってこの二人は、恋愛感を変えてしまうような残酷な仕打ちをした二人であり、利里子はずっとそれを思い悩んできた。
作品は、このような過去を利里子の心理として描いていく。
一方、鉄治も利里子の話を聞いているうちに自身の過去を話しはじめる。子供のこと、離婚のこと。女関係のこと。
子のような利里子の心理描写や二人の過去を振り返った会話の中に少しづつつながり合う心の描写がこの作品の素晴らしさだと思います。
ドライブから帰ると、老犬ジロは眠るように死んでいる。二人は利里子の家の庭に墓穴を掘る。上半身裸で汗を流す鉄治、古いシーツに包まれたジロ、そばで毛をつくろうダダ。この風景の中に利里子は生きていることを実感する。一方では、利里子も含め、この風景は現実ではなくてすべてが死者であるという錯覚にも落ちる。
作品中には、「多分、ジロは、もうじき死ぬんだ。ジロは死んでいく。けど、おれたちはまだ生きていて、当分は生きつづけなくちゃならない」という鉄治の言葉が何度も書かれています。ジロの墓穴を掘る風景に利里子が生を感じ同時に死を感じる。死は必ず来る。しかしそれまでは生きていなければならない。この現実をまっすぐに見る必要があるのだと感じます。利里子は、鉄治に過去のことを語る中で心のわだかまりが解ける。鉄治もやはり息子の早すぎる結婚に自分の過去を見る思いをするが、利里子の話の中で素直になれる。こんな二人に生きていくんだという力を感じるラストシーンです。
40歳代は、人生の折り返し点。そんな折り返し点にいる二人。けして若くはない。かといって老人でもない。生を感じるとともに死を見つめる時期でもあります。
これは、今を生きている中年といわれている人々の持つ共通なものです。このラストシーンは、そんな人たちに暖かい気持ちを与えてくれることでしょう。
しかし、二人は結婚をするか友達同士でいるのか、幸せになるのか、また「しくじり」として過ぎてしまうのかはわかりません。しかしこの瞬間がまた生きている証なのではないでしょうか。

          2004年1月28日 記

                      夕螺