言葉は静かに踊る
新潮文庫
柳 美 里  著
柳さんの読書日記です。
本の紹介と感想というような程度の読書日記ではない。柳さん自身が生きていく上で必死に本と格闘をしているというようなすご味を感じさせます。
それは、柳さん自身の生い立ちや家族のことなど語りながら、その人生そのものと本との格闘です。
柳さんがどのくらいの本を読んだかはわかりませんが、柳さんが生きていくうえで本の中から何を必要とし、自分の人生から本をどのように感じ取ったか、これが本来の読書感想なのでしょう。
銀色夏生さんが、「つれづれノート」の中で「自分の作品は出版されたら私の手から離れて読者のもの」(正確な引用ではありません)というようなことを書いていましたが、たしかに作者と読者がひとつの作品を挟んだとき、その意識の差はあるでしょう。何を表現したか、何を読み取ったか。この対話となるわけですが、ここにはある程度の限界はあります。そうならば、本から読み取ることはまさに主観が入ります。それぞれの読者の主観、これは生活環境に大きなつながりがありますが、この主観によって読まれるという意味では、作品は読者のものです。
柳さんの読書感想もこの柳さんの主観によるものであります。作品自体の主題と柳さんの主観が一体となってそれはまた別なひとつの作品となっています。ですから、僕たち読者は柳さんが紹介をする本を読んでいなくても、この「言葉は静かに踊る」を一つの作品として読めるのです。
このような意味での読書日記としては優れた作品だと思います。
「言葉は静かに踊る」は、二部構成となっています。
はじめのは、「読書日記」です。主に外国の翻訳書が多くあります。あとのほうは「言葉は静かに踊る」で、こちらは主に日本の作者が多くあります。形としては、外国の作品日本の作品となっていますが、柳さんが何を表現したかというと、「読書日記」は”死”であり、「言葉は静かに踊る」は”生”を感じます。
そしてこの本全体を貫いているのは柳さんの審美的な生き方というものかと思います。審美的といっても、宗教的な心に美や、ロマンチズム、ヒューマニズム、自然などなどさまざまありますが、柳さんの美は、崩壊していく過程あるいは崩壊そのものの中に感じます。その端的なものが死です。
「読書日記」は、さまざまな本から死が取り上げられ、柳さん自身の自殺の失敗や妹さんが手首を切ったこと、家族の崩壊(死)を重ね合わせながらかかれます。死への憧れさえ感じてしまいます。死を客観視するというのか、使徒性の境目が薄れて死を怖さとしてとらえられなくなるような、死をひとつの表現にするというのか、うまく言葉にできませんが、独特な死感があります。
「言葉は静かに踊る」は、”生”であると書きましたが、柳さん自身の小学校のときのいじめの体験と本のことが書かれていますが、その後の人生の中で圧倒的に影響された作家が取り上げられています。その中で柳さん自身生きてこれたような感じを受けます。
しかしこの”生”も、積極的なものではありません。
やはり崩壊していく過程、太宰治の弱さの美学というようなものです。また割腹自殺をした三島由紀夫もそうか?
このような崩壊していく過程の美学の中に柳さん自信の美学もあり、それは私小説家として自分自身の崩壊過程や弱さを自身で暴露していく中に作家としての美学があるのかと感じます。死直前の太宰や芥川のように。
柳さんに足りないものは、生活であり家庭なのではないでしょうか?小説「ルージュ」の中で主人公に、「私、欲しいものがないんです」と語らせていますが、「言葉は静かに踊る」の中でもご自身の言葉として同じ言葉が語られています。たしかに物欲に走る必要はない。しかし生活を捨ててはならない。
五木寛之さんの「生きるヒント4」という本が紹介されていますが、その中で「五木寛之の言葉は決して熱を帯びていない」「説諭や煽動など粗野な言葉とは無縁なのである」「生活こそが生の実態であり根拠なのだ」と書いています。
しかし柳さんがこのことをどのくらい理解をしているのか?
生活者から見たら、そこには崩壊する過程などという審美的な生き方は入る余地はないと思う。もっと温かみのある美がそこにはあるはずです。
しかし生活は、社会から切り離してはありえない。
生活、過程という中での真の意味での人間らしさ、これを見ると同時に社会と鼻を突き合せなくてはならない。
柳さんは、日本という国が崩壊していく過程にあると思っているのかもしれない。それは今のままで行けば正しい。しかしこの過程をやはり審美的とはいわないが崩壊する過程をながめているだけでは足りないだろう。
夏目漱石は「こころ」の中で、明治の世に「先生」を殉死させる。しかしこれは、明治という世と「先生」という人間を崩壊させるだけが目的ではない。弟子とも言える主人公「僕」に次の世をゆだねる。


            2004年1月14日 記

                        夕螺