これからはあるくのだ
文春文庫
角田 光代  著
「これからはあるくのだ」この表題を本屋で目にして、きっと30歳代の女性が前向きに自分の人生を歩んでいくというエッセイ集かと思い買いました。
そしたら・・・・・
コンビニの前に自転車を止めて友人を待っていたら、急にじい様が転んで、角田さんの自転車が急にすごいスピードで走ってきたので転んだのだとウソをつかれいやな思いをしたので、もう自転車は乗らないで歩くのだというものでした(笑)
こんな面白い日常を描いたエッセイ集です。
しかしただ楽しいエッセイ集ではないと思います。この自転車のこともそうですが、何か「不安」が文章の中に感じます。
「記憶」というものがはじめのほうの何篇かに書かれていますが、自分の記憶にないことを回りの人たちが「あの時は・・・・・」と話す。このようなことが多い中で、自分の記憶というものに何かの不安を感じ、それが読むものにも伝わります。
また、あとがきには幼稚園の頃の思い出が書かれていますが、何もしゃべらず、怪我をしても泣かない子。こんなところに小さな子供の頃の思い出とエッセイに書かれている角田さんがダブり、それがなんとなく僕にとっては「不安」という感情が出てきました。
先に描いたじい様のことでは、いつ自分が傷害罪という犯罪者にされるかどうかわかりませんし、心温かいやさしさで着物業者に同情をして着物を買ったらだまされたなど、社会の中で生きていくうえでの「不安」あるいは圧迫感というものを感じさえしました。
また、この不安と同時に、結婚はしないと、友人たちと飲み歩いたり、こんなところに楽しんでいる女性と同時に、その裏側の寂しさも感じました。これはよけいなお世話な僕の感じたものですが。。。。。
エッセイの中には、「時間の隙間」という言葉が2,3度出てきます。
飲んだ帰りの誰もいない交差点、誰も住んでいない廃屋の中。
昼間なら人がたくさん通ったであろう交差点、誰かが生活していたことがはっきりわかる廃屋。でも、そんな深夜の交差点や廃屋に立つと、そんな現実から切り取られた当時時間の隙間に引きずり込まれるような感覚、なんとなくわかるんですよね。。。。。。
みんなが時間の流れの中に流れているはずなのに、一瞬その時間の流れから自分だけが取り残されているのではないかという錯覚。このようなことは僕も時々あります。
社会の中では所詮一人なんだというこんな角田さんの意識がうかがわれます。このようなことは、角田さん自身が好むと好まざるとにかかわらず、角田さんの生き方に自然にそなわっているのではないかと思います。
「孤独」です。
旅での孤独、その孤独は自分の家に帰り友人たちと飲んでしまえば忘れる。でも、またその中に孤独が違った形で「私と同じ存在感で持ってそこにある」
周りの暖かい友人、その中での孤独、この孤独から逃れるためのたび、そしてそのたびの中での孤独。。。。。。
そして日常の中に孤独が隣り合わせ。。。。。。。
以上のように、このエッセイ集には、不安、孤独、時間の隙間という主題があるように思えました。
また他の作品を読みたくなる作家です。

          2003年11月 記
                          夕螺