赤い記憶 CHAPTER 2
鈍い音がした。
切っ先は、まるでそいつが自分を受け入れてくれたかの様に、するりと入った。
花道が、あどけない顔で俺を見て、それから自分の腹に目をやった。
「………っ」
え、という、不思議そうな表情をした後、途端に激痛が走ったらしく、顔を歪める。
時が止まった様な時間。
俺は、止まった時間が再び動き出すことが許せず、息を止めて
そいつの全てを凝視した。
花道の足が揺らぐ。
俺は花道にもっと近づきたくて、抱きしめ様としたが、花道の腹に刺したナイフの柄が
邪魔をして、しっかりと抱きしめることが出来なかった。
抱きしめ様としたことでナイフがわずかに花道の腹に、更にめりこんだのか、花道は声に出さず、
ビクッと身体を振るわせた。
俺は、そんな花道をちゃんと抱きしめられなくてイライラして、邪魔なナイフを花道の腹から引きぬいた。
「……!あ…あっ」
痛みに耐えきれなかったのか、花道が微かにうめき声を上げる。
「ヤ、ベ…」
花道はつぶやくと共に、右手で口を覆った。
その、艶のある声にゾクゾクしながら、花道が口を覆い、咄嗟に耳元に当てていたケータイを顔から離し、
自分のうめき声がケータイの相手に聞こえない様にしたのを見て、俺は、怒りで頭が真っ赤になった。
「…てめーは…」
こんな時にまで、その女のことを気にかけやがるのか。
ふいに、機械的に手が動き、俺は再び、花道の背中にゆっくりと両手を回した。
愛しくて愛しくて、たまらない。
その時のオレは、そう自分が思っていることにも気づかず、ただ、花道を独占したかった。
右手に持ったナイフを背中に回した両手で掴み、切っ先を花道の背中に当てて、強く、背中を抱きすくめて行く。
ずぶずぶと、服を破り、背中に埋まって行くナイフを、もっと突き刺して行く。
息が出来ない程、この手に花道の身体を感じたかった。
「--------!」
「…帰さねー…」
「あぁああ…っ、がはっ!」
「…オレのもンだ」
もっと、もっと、強く抱きしめていく。
抱きしめる花道の身体が、ビクビクと動く。
頬を円を描く様に回し、花道の襟元と、顎の辺りの汗で濡れた素肌にこすり付ける。
花道の荒い吐息がかかり、汗の匂いがした。
セーター越しからもはっきりと分かる、どくどくした心臓の動きを感じていると、
その心臓さえ掴み出して頬擦りしたくて、たまらなくなってくる。
腕に食い込む花道のコートの皺の感触すら、気が狂うほどもっと欲しくなる。
「はなみち…」
オレは、はじめてヤツの名前をつぶやいた。
「は、ハルコさん…」
「ハルコ、さん。ゴメ…ン」
「今日、帰れない、かも、しれないっす。…オレ、こいつに、付き合って、やらねーと…」
「ゴメ…ん。ハ、ハルコさん、ゴ…メ」
「オ、レ、ハルコ、さんのこと、ずっと、す…」
女に言おうとしている、おそらく愛の言葉を訊くことに耐えられず、背中に刺したナイフを柄を、ズブリと押し込んだ。
刺しながら、花道の瞳から目をそらさず、はじめて唇を奪う。
『あ…っ、は…』といううめき声を飲み込んで、ゆっくりと甘噛みする。
血のまじった唾液と、どくどくと、花道の熱い血が服を通して肌に染み込んでいくのを感じながら、花道の手から、優しくケータイを取り上げた。
『…………くん!? ぎ、くん……! ど……し』
ケータイの向こうで聞こえる、耳障りな女の声。
花道をこの腕に抱き、口付け、熱い血を浴びていることで、その女に対して、とてつもない優越感を抱き、
無意識に口の端が上がる。
勝ち誇った気持ちでケータイを落とし、足でにじり潰す。いとしげに花道の背中を撫でた。
「……どあほう……」
花道は、俺に抱かれながら、歪んだ表情でケータイの潰される音を切なげに聞いている様だった。
その表情が腹立たしくて、興奮して仕方がない。
もう、俺のモノだった。
「はなみち……。てめーの血、あちいな……」
背中を撫でまわし、血を擦り付ける。
「は、はぁ。はあ……ち、くしょ……。ん、んぅ」
俺を睨みつける焦点の合わなくなってきた瞳にゾクゾクして、何度も口付けをする。
しゃぶる。
「ん、はぁ。な、に、やってん、だ、よ」
「……マーキング……。てめー、もう俺のもンだから」
「ふ、ざ、けん、な。ごふ……っ」
花道が血を吐き、俺の顔にかかる。
熱くて気持ちよくて、たまらない。
血だらけの顔にかまわず、俺は花道の口周りの血を舐め取ってやった。
花道の足が崩れ、抱き合いながら、しゃがみこむ。
寒いのか、花道の身体が、ガタガタと震えだす。
俺は、きつく花道の身体を抱きしめる。
「てめー、なんか、に、殺されて、た、たま…っかよ」
「往生際のわりー。てめーはもう、全部、俺のもンなのに……」
「い、や、だ。だ、れが……がっ、あ、あぁあ」
花道の拒否の言葉が許せず、背中に突き刺しているナイフをいじって更に痛みを与える。
血だまりが濃くなってきた。
「……言え。てめーは、俺のもンだって」
花道は、しばらく声も出せない様で、息遣いだけが続いたが、俺が気になって顔を覗くと、
信じがたいことに、俺に向かって、微笑んだ。
「お前、な、まえ、なんてんだ……?」
「……」
「俺サマを、殺す、大役を、与えてやるんだ。名前ぐらい、教えろ」
「……流川楓」
「るかわかえで、か。てめー、最初、に見た時、びっくりした。はじ、めて会った、気がしねー……。ゾクゾクきた。何で、だろ。……オレ、ずっと、てめーに、会いたかった、気がする……俺を殺す相手、だったから、かな」
「どあほう……」
「あー、頭、イカレてきた、かも。さ、むい。ル、カワ。てめーの顔が、見え、ねーぞ。
てめー、イカレてるクセして、キレーな顔、してん、だよな」
花道が力をなくした手を空にさ迷わせる。
俺はその手を取って、握り締めた。
「どあほう……。ここにいる。てめーを抱いてる」
「ル、カワ。俺が、最後だ。てめー……。俺以外に、誰も殺すんじゃ、ねー。俺が最後だ。お前が、殺すの、は。俺だけだ。いい、な」
花道の言葉に脳髄がかきまわされる。
言われるまでもなく、花道に出会って、他の人間はどうでもよくなっていた。
「……ああ。もう、てめーしか、殺さねー。てめーで最後だ」
うわ言の様に俺は答えた。
その言葉に、花道が安心した様に、愛しそうに、俺を見る。
「……約束、だぞ」
そう言って、俺の背中に手を回して、弱々しく抱きしめた。
しばらくして、花道の身体が重くなり、その腕が、背中からすべり落ちた。
俺は重くなった花道の身体ごと、地面に寝そべった。
この身体から離れる事など、考えもしなかった。
だんだんと冷たく硬くなっていく身体を時折撫で、抱きしめ直し、頬擦りをする。
「……どあほう」
花道の顔を何度も見つめ、口付けを繰り返す。
花道は何故か、この上もなく幸せそうに、満足そうに微笑んでいた。
誰かの悲鳴が傍で聞こえる。
やがて、救急車のサイレンが近づいてくる。
全てがどうでもよかった。
この腕の中に、花道さえいてくれれば。
つづく
2007.05.31 UP