円谷幸吉をご記憶だろうか?東京オリンピックマラソン競技の銅メダリストだ。オリンピックの四年後に自殺をとげた。ひとつには、次のオリンピックでは金メダルという過大な期待に耐えられなかったためである。そして手ひどい傷心によるためでもあった。オリンピックの練習に集中させるために、円谷の上司は恋人との仲を裂いた。信じてもらえないかもしれないが、保守的な日本の組織においては上司が部下の私事に干渉することが時としてある。円谷は自衛隊員だった。戦後の法制度の下では、私事に上司が干渉する権限は一切ない。しかし、因習は根強く残っている。

 驚くべき記事を先日地方新聞で目にしら。塩竃市で消防士が、胃腸炎で入院したというだけの理由で処分されている。後に塩竃市長は遺憾の意を表明し、処分撤回の意向を示した。他の新聞もこの処分に対しては批判的だった。だが楽観はできない。従業員は勤務時間外にも従業員として行動すべきであると考える人々は少なくないからだ。

 同じ地方新聞に驚くべきコラムをもうひとつ目にした。宮城県北部で八人の地方公務員が有給休暇を取ってゴルフをしたのが、常識に反するというだけの理由で非難されている。実を言うと私は、地方公務員が休暇を取ってゴルフをしてはならないと公言した人物をもうひとり知っている。それは93年に収賄事件で逮捕されてのちに投獄された前の仙台市長だ。

 仙台市役所に私が就職した1986年、前市長はえらく退屈な話をした。ほとんど忘れてしまったが、「市職員が有給休暇を取ってゴルフをするようなことがあってはならない」という一節だけは驚きのあまり今でも憶えている。えらいところに就職してしまったと思った。もちろん私は市長の言葉に従わず、時には有給休暇を取ってテニスをし、時には支庁の政策を公然と批判した。その結果左遷された。

 だが、少なからぬ市職員は勤務時間外においても市長の方針に従った。市長はそれを当然のこととし、権力を濫用した。このことが収賄事件の大きな原因になっているのは明白である。逆説的に聞こえるかもしれないが、前仙台市長は有給休暇を取ってゴルフをしてはならないというようなやり手であったからこそ収賄事件に関わったのだ。おそらく、市役所がすべてであると市職員が考えるよう望んでいたのであろう。

 絶対的権力は絶対的に腐敗するという言葉が示す通り、権力者を批判する者がいなくなれば権力は必ず濫用される。だから、公務員の勤務時間外の自由を、ことに言論の自由を侵害してはならない。常識に従えば、地方公務員は勤務時間外においても首長を批判すべきでないのかもしれないし、有給休暇を取ってゴルフをすべきではないのかもしれない。しかし、正当な理由もなく常識に従うのはばかげている。良き常識と悪しき因習はしばしば背中合わせなものだ。

 勤務時間外の自由は民間企業でも尊重すべきである。社員が勤務時間外においても社員として行動するよう求められる社会風土においては、会社がすべてと考える「会社主義」が横行する。時には自発的にサービス残業し、会社の批判は絶対しない。その結果、国内においても国外においても深刻な問題が起きている。国内では企業の起こす公害、そして過労死。国外では日本人の働き過ぎがしばしば批判される。

 いわゆる高度成長時代においては、働けば働いた分だけ酬われた。だが今は、何も考えずに働いたところで酬われるものは少ない。考える能力のある創造的な人材を育成するためには、多面的思考を許容する社会風土を確立しなければならない。勤務時間外の自由はその最たるものだ。それは労働者にとってだけではなく、難局に直面している日本社会にとってもさまざまな利点を生み出すであろう。(94年10月)
勤務時間外の自由