今から三年前、わたしはあるところで、玄峰老師の後姿をお見受けすることができた。そのときは、何人か解らず、ただ年老いた枯れ木のような老僧の後姿であったが、わたしはこれはまさしく生きている名人の姿だ、生きているということは、これだな、と思った。そこでたまたま丸善石油の知人がいたので、あの方はどんな人ですか、とたずねると、玄峰老師だということであった。それから玄峰老師の話をいろいろ伺って、なるほど、人生の達人の姿はこれだ、と思った。そのときの感動が、ありありと心に残って、わたしはどうかして老師にお目にかかりたいと思っていたが、機会に恵まれず、やっと今年の三月、竹倉の白日荘に病気ご静養中の老師をおたずねすることができた。そのとき、老師はご重態であったが、起き上がって正座をされ、だまってわたしの手を握ってくだすった。わたしは恋人に会ったときのように感動し、もうこれで思い残すことはないという気持ちでいっぱいだった。そのとき、老師はただ一言、「息を長く持て」とおっしゃった。たった一言であったが、わたしには、もうそれで十分であった。
このたび、三島の龍沢寺で、玄峰老師の葬儀におまいりし、なくなられる直前に書かれた「玄峰塔」という大揮毫を拝見して、凡人なら起き上がることもできない死寸前に、気力の衰えもなく、心の乱れもなく、筆を揮われたことは、やはり達人というものは違ったものだと改めて敬服した。
大法輪 昭和36年9月号から抜粋
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