大切な人、そして…
あれから、数ヶ月。 大半が焼けてしまった薔薇園は、ゆっくりと緑を取り戻しつつあった。 半焼した樋口の家は、それこそ建築のプロである黒崎建設の手で元のように、いや、もっと頑丈で立派に建て直されていた。 「店舗の方ももうすぐ完成します。全く同じようにとは行きませんが」 現場の視察も兼ねて、打合せに来た吉岡の言葉に、樋口はつい、恐縮してしまう。 「いや、こんなに凄く作ってもらって、なんか申し訳ないって言うか‥‥ビルとか作ってる人達に、こんなただの家建ててもらうのはもったいないって言うか‥‥‥」 落ち着かないような様子に、吉岡の目元が僅かに緩む。 「あまり気にされなくても大丈夫ですよ。確かに黒崎建設はビル建設が中心ですが、これからは個人の家にも手を広げなければならない時代ですから」 「はぁ‥‥‥」 「もし、使いづらい場所や不具合などありましたら、言っていただければ、すぐに対処させます」 そこまで言われてしまうと、根が貧乏性の樋口はかえって萎縮してしまう。 「遠慮なさらず、何でも仰ってください。壱哉様から、あなたには最大限の便宜を図るよう、申しつかっておりますので」 吉岡の言葉に、ふと、樋口の中にあの引っ掛かりが蘇る。 まだ、壱哉とこんな関係になる前。 商店街で偶然壱哉と会って、何となく話をしていた。 その時、吉岡が、急な仕事の話があったらしく、樋口に気付かずに壱哉に話し掛けて来た。 しかし壱哉は、それが気に入らなかったらしく、強い口調で吉岡を追い払ったのだ。 明らかに年上の人間に、居丈高にも感じられる態度を取る壱哉を見て、何とも言えず嫌な気持ちになった事を覚えている。 「あ‥‥あの‥‥‥」 「なんでしょう」 問い返され、どう言ったものか、と樋口は頭を捻る。 「あの‥‥吉岡さんって、俺とか、黒崎より、年上ですよね」 「はい。そうですが‥‥」 予想もしていなかった問いだったせいか、吉岡は珍しくも戸惑った表情を見せた。 「年下の黒崎に、命令とかされて、嫌だって思わないんですか?吉岡さんって年上なのに、黒崎、全然そんなの気にしてないみたいだし‥‥‥」 うまく言葉が出てこないような樋口だったが、吉岡には、その言わんとする事が何となく見当がついた。 ある意味、生真面目な性格の樋口が、一体何にこだわっているのかも判る気がした。 「私は、望んで壱哉様にお仕えしているのです。年齢が上だとか下だとかは関係ありません」 「でも‥‥‥」 自分の気持ちは、本当の意味では樋口には判らないだろう、と吉岡は思う。 壱哉と、同じ場所に立っている樋口には。 「こんな事を言うと壱哉様は嫌がられますが‥‥壱哉様は、人の上に立つべく生まれ付いた方です。主として仰ぐ方が自分より年齢が下である事など、問題にはなりません」 喋りすぎているな、と思いつつ、吉岡は止まらなかった。 自分のいない間に壱哉と親しくなり、いつの間にか無二の関係を築いてしまった樋口の言葉に、反発めいたものもあったろうか。 「私は、壱哉様にお仕えする事が誇りであり、喜びなのです。公私ともに、少しでも壱哉様のお役に立てれば、私はそれで満足です」 きっぱりとした言葉を、樋口は大きく目を見開くようにして聞いていた。 迷いのない、ただ一途に、壱哉を思う言葉。 吉岡は、仕事の上での関係ではなく、もっと強い感情を壱哉に持っているのではないか。 もしかして、自分などよりももっと深く、強く、壱哉を想っていたのではないか。 自分は、それも知らずに無神経に割り込んで、かき回しているのか。 「‥‥‥あ‥‥あの、俺‥‥‥」 何か言わなければと思うのだが、何も言葉が浮かんで来ない。 それに、吉岡の気持ちを知ったからと言って、諦めるなんて出来なかった。 中学の頃から、ずっとずっと思い続けて、夢と共に叶った初恋なのだから。 言葉に詰まっている樋口に、吉岡は苦笑した。 「余計な事を喋りすぎてしまいましたね。私は、好きで今の場所にいるのですから、樋口さんが気になさる事は何もないのですよ」 穏やかに宥めるような吉岡の言葉に、樋口は目を伏せた。 吉岡が胸に秘めているであろう想いを知ってしまったら、こうして会話している事すら苦しい。 俯いてしまった樋口に、吉岡は小さくため息をついた。 未だに、樋口に嫉妬めいた感情がないと言えば嘘になるが、こうして彼を苦しめる事は本意ではない。 「‥‥実を言えば、あなたが壱哉様と付き合うのは好ましくない。そう思っていた時期もありました。しかし‥‥」 一旦言葉を切った吉岡は、大きく息を吸い込んで、続けた。 「今は、あなたが壱哉様の側にいてくれて良かった。そう思っています」 無理をしていない訳ではないけれど、それは紛れもなく、吉岡の本心でもあった。 「あなたがいてくれたからこそ、今の壱哉様があるのです。私では、壱哉様を人に戻す事はできなかった。そして‥‥壱哉様の救いになる事はできませんでした」 「‥‥‥救い‥‥?」 意味が判らないように、樋口は瞬きした。 そう、人に戻ったあの日から、壱哉は変わった。 自虐的な言動を取る事はなくなり、西條グループへ感情的な反発も見せなくなった。 元々、心優しいのは判っていたけれど、以前よりも更に気遣いを感じるようになった。 ともすればワンマンで全てを自分で決める傾向があったけれど、最近は、人を見ながら重要な仕事も任せるようになっていた。 人として、上に立つ者として、その変化は望ましいものだと吉岡は思う。 それをもたらしたのは、紛れもなく樋口の存在なのだ。 「あなたはもう、壱哉様にとって必要な方です。これからも、壱哉様の心の支えになっていただきたい。それが私の願いです」 「吉岡さん‥‥‥」 ―――それで、本当にいいんですか? 喉まで出掛かった言葉を、樋口は飲み込んだ。 自分がそれを言ってどうなるのか。 現に、自分は諦める事など出来ないのだから。 言葉に出しかけて俯く樋口に、吉岡は心の中で嘆息する。 お人好しで、欺されやすくて、でも真っ直ぐで。 もし、壱哉の存在抜きで知り合っていたなら、もっと素直に、親しく言葉を交わしていたろうか。 「私は、今まで通り、壱哉様をお支えします。私では届かなかった部分を樋口さんにお願いするのです。それで良いのではありませんか」 宥めるような言葉に、樋口は俯いたまま、小さく頷いた。 申し訳ない気持ちはあるけれど、これ以上吉岡に気を遣わせる訳にも行かない。 「そうですね‥‥今度、壱哉様の中学時代の事を教えてください。その頃の事は私も知りませんので」 場を和ませるように、吉岡がそんな事を言う。 「あぁ、それはもちろんいいですけど‥‥‥」 樋口は、ふと、ずっと気になっていた事を思い出す。 「あの‥‥こんな事聞くのは何なんですけど。黒崎‥‥キスとか、ああいう事って慣れてる感じがしたんですけど。‥‥まさか、結構経験あるとか‥?」 そう言うと、初めて吉岡が視線を逸らした。 話を持って行く方向が思いっ切り間違っていた事に気付いたものの、もう遅い。 「‥‥樋口さんだからお話ししますが。以前は、結構色々とありました。『恋人』も一人や二人ではありませんでした‥‥」 吉岡のため息が、妙に深い。 「女嫌いみたいなこと言ってたけど‥‥まさか‥‥‥」 あさっての方に向けられた吉岡の瞳が泳ぐ。 「‥‥公になると困るような事をされていたのは事実です。‥‥‥樋口さんのおかげで、あの悪い癖がなくなったのは本当に良かった‥‥‥」 『悪い癖』とは何なのか気になったが、しみじみと言う吉岡に、それ以上突っ込んではいけない気がした。 「吉岡さん‥‥‥苦労、してきたんですね」 「はぁ‥‥‥」 思わず顔を見合わせ、同時にため息をつく二人であった。 「樋口さん、見積もりはこんな感じでよろしいですか」 「あ、はい。大丈夫です。吉岡さんの見立てに間違いはないですから」 週末。 樋口に渡す書類があったため、吉岡が壱哉を車で送って来た。 用件が終わればすぐ帰るつもりの吉岡は、てきぱきと樋口と話を進めていた。 ‥‥のだ、が。 傍らで聞いていた壱哉が、妙に不機嫌になる。 「‥‥俺は、何も聞いていないが」 ぼそり、と不機嫌な言葉が割り込んで来て、樋口と吉岡は壱哉を見た。 「申し訳ありません、部分的な設計変更でしたので、お話しなかったのですが‥‥‥」 「‥‥‥‥‥」 憮然とした顔は、話の中身が気に入らない訳ではないらしい。 「‥‥黒崎‥‥もしかして、仲間はずれなのが嫌なのか?」 ストレートな樋口の言葉に、一瞬、壱哉の頬が紅潮した。 「べ、別に俺は、そんな事は言ってないぞ!お前達が妙に楽しそうだったから面白くないなんて事は‥‥」 「‥‥‥‥‥‥」 樋口と吉岡は、思わず顔を見合わせた。 自分が好き勝手するのは平気でも、人が親しくしていると面白くないと言うのは‥‥‥。 「‥‥苦労しますね、吉岡さん」 「‥‥樋口さんも、お察しします」 揃ってため息をついた二人に、壱哉の機嫌が更に悪くなった事は言うまでもない。 |
END |
敵の敵は味方‥‥もとい。大切な人をやはり大切に思ってくれている人は、お友達と言う事で。
コンシューマ版で追加されたエピソードに、商店街を歩いている壱哉と樋口に吉岡が話しかけてきて‥‥と言うのがありました。意外な程怒る樋口に、何となく、こっちでは吉岡と仲良くなってほしいなぁと思って出来た話です。
PC版だと、横からかっさらわれた訳ですから、嫉妬を抱き続けてるだろうなぁと思っていたのですが、何となく、コンシューマ版の方では和気藹々になってほしくて。いや、イメージです、単に。