Despair


 一体自分は、何のために生きているのだろう。
 このところずっと、そんな事ばかり考えている。
 どんなものより大切だった薔薇も、生きる目的も、何もかもなくし。
 『魂』を奪われ、抜け殻の身体は、最早自分の物ですらなく。
 この、犬と同じ耳と尻尾を付けられたように、今の樋口はただ、壱哉の好きに扱われる『モノ』だった。
 いっそ死んでしまいたいとも思ったけれど、『従魔』は、主の許しがなければ、死ぬ事も出来ないのだと言う。
 毎晩、壱哉の気の向くまま、辱められ、弄ばれ、嬲られる。
 酷薄な笑みを浮かべ、楽しそうに『悪魔』の力を振るう壱哉を見ると。
 あの町で出会った頃と、いや、学生時代ともあまり変わっていない寝顔を見ると。
 辛くて、悲しくて、苦しくて――胸が潰れそうだった。
 勿論、薔薇を焼いたと言った壱哉が憎くない訳ではない。
 でも、もしかすると、壱哉は本当は何もしていないのではないか。
 あの言葉は、樋口を完全に手に入れるために口にした嘘ではないか。
 壱哉が昔から嘘はつかないと知っているのに、まだそう信じ込みたい自分がいる。
 本当に薔薇を焼いたとしても、そうでなかったとしても、樋口の魂を奪い、獣同様に扱っているのは間違いなく、壱哉なのに。
 どうして、心の底から、殺したいほど憎いと思えないのだろう。
 ずっとずっと考えて、ようやく、答えらしきものに辿り着いた。
 好き――なのだ、壱哉が。
 『従魔』の感情や心さえも、その気になれば作り替えられるとは聞いたけれど。
 でも、壱哉が、わざわざ自分を好きになるように、樋口の気持ちを作り替えるとは思えない。
 そもそも‥‥そんなに、壱哉は樋口を大切になんか思っていない。
 だから、この気持ちは元々自分にあったものだ。
 樋口は、強く、そう思う。
 壱哉に、あの薔薇が花開いた所を見せたかった。
 壱哉が支えてくれたから完成させられたのだと、そう伝えたかった。
 今となっては、あの紅蓮の炎に焼き尽くされてしまった夢だけれど。
「‥‥‥‥‥‥」
 抱えた膝に顔を伏せ、樋口は、声もなく笑った。
 何もかも奪った壱哉が好き、だなんて。
 自分の馬鹿さ加減が、心底、おかしかった。
 やがて、発作的な笑いが収まると、樋口は大きく息を吐いた。
 好きなのだと、自覚してしまうと、余計、胸が苦しくなった。
 あそこで、眠り込まなかったら。
 壱哉と、もっと言葉を交わしていたら。
 高校時代、一度でも壱哉と会っていたら――。
 浮かぶのは、苦い後悔ばかりだった。
 もう、どうにもならない過去に、胸が痛くなる。
 いっそ、あの邪悪な悪魔が言うように、心のない人形にしてもらえば良かった。
 壱哉の命令しか聞こえない、何も考えられない、そんな『モノ』だったなら、こんなに苦しく感じる事はない。
 それならいっそ、何も判らなくなるくらい壊れてしまったら。
 そうしたら‥‥壱哉は、少しは気に掛けてくれるだろうか。
 いや、もう必要ないと棄てられるだろうか。
 本当は、人間の身体は魂がなくなると死んでしまうらしい。
 しかし従魔は、自然の営みと同じように朽ちるのも、形を変えたり、或いはそのままの姿でいたりするのも全て、主の気持ち次第なのだと言う。
 壊れて、棄てられて、そのまま朽ちて消えてしまうのなら、それも悪くない。
 この苦しさが、終わるなら。
《来い、樋口》
 唐突に、頭の中に声が響いた。
 反射的に、茶色い耳が伏せられる。
 ふさふさした太い尻尾が縮こまった。
 今日は、仕事が早く終わったのだろうか。
 主の、絶対の命令に、また胸が痛くなる。
 きつく歯を食い縛って、涙が出そうな胸の苦しさを飲み込むと、樋口は立ち上がった。

END

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短いです。やっつけ仕事です(←おい)。あがけの方の話とネタ的にかなりかぶってるのは重々承知です。
いや、実は別に書いている話の最初の部分だったんですが、あまりにも前振りが長くなりすぎてしまって、バランスが悪くなりそうだったので、前だけ切って一本に仕立てたのですよ。なので、ただ樋口がいじけているだけの話になってしまいました。
あー、でも、何となく、わんこをいぢめてる風味なので結構満足だったり(苦笑)。