留守番の犬


「‥‥‥本当は、お前、壊れてなんかいないんだろう‥‥‥?」
 どこか苦しそうな、無理矢理しぼり出したような言葉。
 壊れてる、とはどういうことを言うんだろう。
 もし、前の俺と比べてるんなら、もう、跡形もなく壊れてしまったと思う。
 だって、もう俺は、なくなってしまった薔薇のことも忘れて、なにもかも奪ったはずの黒崎のことばかり考えているんだから。
 あぁ、違う。
 自分が壊れてるのかどうかなんて、もう、俺にはどうでもいいんだ。
 魂を奪われて、従魔にされて。
 この、犬の耳とかしっぽとか生えてきたせいだろうか。
 黒崎の身体に触れたい、甘いにおいをかぎたい、全身で、黒崎を感じたい。
 動物の本能みたいな衝動に、ただ、従ってるだけなんだ。
 黒崎に気に入られるためにわざとそうしてるとか、おかしいふりしてるとか、そんなんじゃない。
 そのほうが―――楽、だから。
 何も考えないで、ただ、本当の犬みたいに生きていたほうが、楽、だから‥‥‥。
 お前が、本当に薔薇園を焼いたとしても、そうでなかったとしても。
 もう今さら、どうにもなんないことだろ?
 お前は、生き延びるために悪魔になったし、俺は、魂のない抜け殻になった。
 考えたって、戻れるわけじゃないんだ。
 だから、黒崎。
 そんな顔、するなよ。
 時々、感じるんだ。
 お前が、俺を見るとき。
 後悔して、苦しんでる、そんな気持ちが、何となく、伝わってくる。
 でも、俺は別にいいんだ。
 親父の夢を果たせなかったこととか、あの薔薇をいろんな人に見せてあげられなかったこととか、胸が痛くなることはあるけど。
 でももう、いいんだ。
 お前が後悔して、苦しむほうが、俺はずっと苦しい。
 そう。
 お前、学生時代から全然変わってない。
 すごく優しくて、不器用で――馬鹿だ。
 なあ、黒崎。
 俺なんかのために、苦しむなよ。
 今の俺は、『従魔』なんだろ?
 身体も、心も、全部お前のものだ。
 お前しか見えない。お前のことしか考えられない。
 お前のためだけに生きてる、馬鹿な動物なんだ。
「何もかも、忘れてしまえ‥‥‥」
 うん。
 そうだよ、黒崎。
 ここに来た時は、何も考えるなよ。
 昔のこととか、後悔とか、そんなの、全部忘れろよ。
 ここにいるのは、お前が欲しくてたまらない、馬鹿な犬が一匹だけなんだ。
 だから、俺と遊ぼう。
 何も考えないで、疲れるまで遊ぼう。
 疲れきって眠って‥‥‥いやなこと、昔の夢、全部忘れろよ。
 そのために‥‥‥お前のために、俺はいるんだ。
 お前が昔を忘れても、どんな風に変わっても、俺はここで、お前を待ってる。
 お前のことだけ考えて、いつまでも、待ってるから‥‥‥。



闇の棲み処へ